第一章3 『それは、大樹の家』

「――ニンゲンか!?」


 若々しい女の子の大声だった。

 驚きつつも、少女が冷静に振り返ると、僅かに距離を保って佇む齢十未満程の小さな女の子が居た。

 ただ、女の子と一口に言っても、その格好に女の子らしさは全く無く、衣服こそ纏ってはいるが、所謂いわゆる原始的な格好なのである。

 何らかの動物の毛皮と思われる物を胴にのみ纏い、右手には長めの木の棒の先端に石を取り付けただけの槍、左手と両足は共に素である。

 露出している肌の所々に土っぽさが残っていたり、環境が森の中ということもあって、全体像はまさに原始人そのものである。

 ただ、その琥珀色の眼と、雑に伸び乱れた深緑色の髪にメッシュのように入った緋色が、幾分か現実味を損なわせている。この女の子を完全な原始人たらしめていない理由だろう。

 当然染めているわけではないだろうが、それだけは何とも異世界人らしい配色である。


「――え……!? …………え……えと……」


 少女の性格上、咄嗟に掛けるべき言葉が出てこず、黙ってその女の子を見ることしかできなかった。


「やっぱりニンゲンだ!! パーとマーがよろこぶぞぉ!!」


 そう言うと、女の子はそのまま走って少女の方へ向かってくる。

 女の子が発した内容もよく理解できない少女は、逃げることも立ち向かうこともせず、ただ頭に『?』を浮かべながらおどおどするばかりだった。


「なあ! コトバ、わかるか!? オレ、キーラ!」


 『キーラ』というのが、女の子の名前らしかった。

 『オレ』という男らしい一人称を用いていたが、間違いなく女の子である。

 キーラの問いについてはイエスなのだが、あまりの勢いに圧倒され、少女も言葉がまとまらない。


「えっ? いや、ちょ、ちょっと……待って……」


「――コトバ!? はなせるのか!? やったぞ!! なら、パーとマーがまってるから、いっしょにきてくれ!」


 そんな少女の様子など気にせず、キーラは続けた。

 そして、女の子にしてはかなり強めな力で、キーラは少女の手を半ば強引に引っ張る。無理やり起立させられた少女は言葉を交わすよりも先に、歩くことを余儀なくされた。

 手を引きながらも軽快に進むキーラに対し、慣れない森の中を、少女がキーラの速度に合わせて走るのは困難を要した。


「――ね、ねえ! お願い、ちょっと待って……!」


 状況が何も飲み込めていない少女はようやく自身の内向的な性格を抑え、キーラとのコミュニケーションを図る。

 それを受け入れたか否か、キーラはその足を止めた。

 同時に、少女にとって速すぎた初速と加速の負担が、少女の下半身を一斉に襲った。

 移動距離は僅か百メートル弱なのにも関わらず、少女の腿からつま先までの筋肉は激しく疲労していた。


「なんでまつんだ? まってても、ここにはなんにもないぞ?」


 本来なら少女の様子を見れば、その理由など明確だが、幼いキーラにはどうやらそれが理解できなかったらしい。


「――はぁ……はぁ……えっと……何から……えほっえほっ…………」


 無理やり引かれていた手を解放されると、すぐさま膝に手をつき、呼吸を荒くする。

 それまで下半身のみに留まっていた疲労は、徐々に少女の上半身まで蝕み、そのか弱い肺を苦しめた。


「どうしたんだ? もしかして、ビョウキ、なのか?」


 その問いかけにすぐに答えを返せる状態ではない少女は、呼吸を整えながら首を横に振った。

 呼吸のペースが少し正常に近づくと、俯いていた顔をキーラに向けて懇願する。


「――とりあえず……ゆっくり……話を……」


 それから少女の呼吸が完全に整うまでは、さほど時間を要さず、またすぐにキーラと移動することになった。今度は、少女のペースに合わせた速さである。


* * * * * * * * * * * * *


「――それじゃあ、『パーとマー』っていうのは、お父さんとお母さん……なんだね……」


「おう! オレのダイジなパーとマーだ!」


 ある程度言葉を交わしたことで、少女の方もいつの間にか遠慮が薄くなっていた。

 少女はキーラに様々な質問をしていた。


 ここはどういう世界なのか。

 火や水を自由に出したり操ったり、といった魔法は使えるのか。

 そして、今どこに向かっているのか。


 ――どういうセカイ?? んん??


 ――マホウ……って……なんだ? 


 といった様子で、二つの質問に関しては、キーラ自身が意味を理解できなかったために、はっきりとした回答を得られなかった。

 こんな様子を見せるキーラに、少女が『転生者』であることを暴露したところで意味が伝わるわけもなく、キーラを更に困らせることになるだろう。

 そのため、理解に困らないであろう三つ目の質問を行った。

 その回答は、「オレのイエだ!」だった。キーラはそこに、自身の両親と暮らしているらしい。


「でも……こんな森の中に、お家があるの?」


 当然思うであろうその問いに、キーラは首を傾げた。


「そりゃあ、そうだぞ? 木がはえてないところなんてないんだから」


「木が生えてない所がない……って……」


「どれだけとおくにいっても、木ばっかりなんだ。オレはパーとマーのためになんかいもそとにでてるけど、木がはえてないところなんてみたことないぞ」


 図らずして一つ目の質問の答えが返ってきたことで、少女は納得しながらも驚く。

 キーラの言うことが果たして本当なのかは分からない。

 しかし、それが真実であると証明可能な程、キーラと少女は緑に溢れる空間を歩き続けていた。

 何とも不思議な異世界である。

 今はとにかく情報が欲しい少女は、続けざまに質問をする。


「パーとマーのため……お父さんとお母さんのために、外に出てるっていうのは――」


「ついたぞ!! ここがオレとパーとマーのいえだ!」


 質問を遮られると同時に、少女はキーラの指差す方向を見た。

 そこには、今まで見てきた木の中で最大であろう大樹があった。横の長さは家と言っても差し支えないほど広く、縦の長さは幹が枝分かれする分岐点を見ることができない程だった。

 よく見てみると、入口らしき大きな穴が根元に空いており、その上には窓のように見える小さな穴も空いていた。


 あまりのファンタジー感に、驚愕とも感動とも取れる感情を覚えて言葉を失った少女は、しばらくその大樹の家を眺めていた。


「どうした~? はいらないのか~?」


「――あっ、ごめん……!」


 気づくとキーラは入口に立っており、少女は小走りでキーラの元へ向かった。

 そして、少女は躊躇うことなくその足を踏み入れた。


 ――その、へと。

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