#1-5

それがなんとなくわかってきたのは高校生の時。

自分にウソをつき仮面を被っている自分がもはや本当の自分なのでは?と錯覚するくらいに染みついていた。

自分をよく見せたい。理想の自分に近づけられるのならためらわず演じた。


そんなことをしているからか、心の中はどこかクサクサとしていた。

そんなクサクサしてる気持ちをフル無視し「気のせい」だといい聞かせる。


家に帰ればピリついた空気で、そこに仮面をつけてた分の疲労感と謎の喪失感が一気に押し寄せる。それが毎日だ。

そして家でも仮面をつける。


バカだなぁとか思うかもしれないが、これしか術を知らない。


なんせ6歳くらいの時から自分にウソをついてきたのだからその癖が抜けないでいる。


そんな私に対して同級生たちは優しく平等に接してくれていた。

というか合わせてくれていた。


フォローもしてくれていたので小・中の頃のような惨劇にはならなかった。

先生が私のことについてなにかいっていたらしいがなにかについては私は知らない。


周りが優しい。

優しくされたことがない私は恐怖心を抱いた。同情かなにかかな?だったらやめてほしいとそう強く思っていた。


罵倒されることと批判されることには慣れてるから耐えることができた。


でも優しくされることと褒められるという経験が記憶上ほぼない私は、彼らに疑いの目を向けた。そして大きく厚い壁をつくる。


なのに彼らは根気強く私に関わろうとする。信用できなくて私は逃げる。

そんなことを繰り返して2年。

あまりにしつこく根気強く私に接してくるので、もういいやとなった。

信用できなくて怖くて壁作って逃げてたはずなのに、彼らの執念に負けた。


仮面は剥がせずにいたけど、卒業の年になる頃には仮面の枚数が減った。

10仮面が2仮面くらいになった。


でも、自分にウソを吐くことだけはやめられなかった。

隠しておきたかった。周りに流されてうんうん頷いて意見が言えない自分とか内側の部分全て、隠しておきたかった。


けど少しバレてた。

違うな、ボロがでたのか。

相手の様子をちらちら見ながら話をするのでなんとなく気づかれてたのかもしれない。


大抵は聞き役だけど、話をする時もある。

そうゆう時はビクビクしながら話してたと思う。

「嫌わないで、もう誰も離れていかないで」っていう気持ちが奥底にあったから…


「なんでそんなビビりながら話してるの?友達でしょ?」なんていわれたけど“友達なんて言葉、二度と信じない!„ってなっていたのでそんなんいわれても困る。

まぁ今も、友達とかいう言葉信用0だけど…


友達とかいわれてもよくわからないし……。

何をもって友達とよぶのか今も分からない。


分からないけど“ただのクラスメイト”ではなくなっていた。


初めて目に見える優しさと人の温かさに触れて、卒業式の時に目がかち割れるほど泣いた。

寂しさ?人が離れる怖さ?


どっちもあったかもしれないが1番は居場所を失う恐怖。


家に居場所がなくて毎日寂しくて、頼りにしてたのは壁と刃物とスマホ。


寂しさ・不安感・孤独感に耐えられえず、ずっと闇に満ちていた。



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