最終話 ツタンカーメンの生まれ変わりだったのか!


 「そろそろ空港に向かいましょうか?」

 横を歩くアルが寂しそうに時計を見た。


 その気持ちは僕も同じである。しかし、そうは言っても、日本に帰らないわけにはいかない。僕は、数々の貴重な体験がぎっしり詰まった重い身体を引きずるようにして車に乗り込んだ。


 運転手が後ろを振り返り、僕らを確認すると、アクセルを踏んだ。エジプト滞在がアディショナル・タイムに突入したのである。


 しかし、寂しさとは裏腹に、早く快適な機上の人になりたい気持ちもあった。毎日、携行用のウォッシュレットを使うのに煩わしさを感じ始めていたからだ。


 日本の航空機に搭乗した瞬間、トイレなどの設備を含め、そこはもう、まぎれもなく日本である。往路では、ネフェルトイティを彷彿とさせる美人CAがおもてなしをしてくれた。復路では、どんなCAが出迎えてくれるのだろうか。


「顔がにやけていますけど、何かあったんですか?」

「いや、別に」

「ふうん」

 猜疑心満載のアルが、僕の顔を覗き込んできた。


「それよりも、カーナヴォン卿が、あの後すぐに亡くなった本当の理由がわかったよ」


「???」


 僕の爆弾級の発言にアルが完全に固まってしまった。

 それもそのはず。今まで、そのことについて一切触れるような話題はしてこなかったからだ。


 僕は、呆気にとられているアルを余所に、再びシャーロック・ホームズを気取って、カーナヴォン卿の死の真相について説明を始めた。


「カーナヴォン卿がエジプトに来るきっかけとなったのは、彼自身が起こした交通事故だった。その事故で重傷を負い、主治医からは、温暖な避寒地で療養することを勧められた」


 一つ目のターニングポイントである。


「第7話で、人は『本能に従って行動する』を説明したけど、もしそのとき、彼がもうひとつの候補地、南イタリアを選んでいたら、エジプトとの縁はなかった。つまり彼は『本能』でエジプトを選んだんだ」


 これが二つ目。


「その結果、彼は考古学に目覚めたものの、何より『幸運』にもアルミナがハーバート家に嫁いできてくれたことによって、彼の人生がバラ色になった」


 アルが、小さく頷きながら僕の言葉を受けてくれていた。


「カーターについては、ニューベリー先生の推薦とエジプト探査基金からの派遣がなければ、最初の現場であるベニ・ハッサンには来られていなかった。その後、マスペロとの出会い、デイヴィスとの交渉、サッカラ事件などの紆余曲折を経て、1907年、カーナヴォン卿との運命的な出会いである」


 ここに至るまでだけで、どれだけのターニングポイントがあるのか、それだけでも相当な数に上る。


「そして1914年、ついに発掘権を得ることができたが、不運にも第一次大戦が勃発。その影響により作業を中断せざるを得なかった」


 ここで僕はひと息入れると、アルがペットボトルの水を手渡してくれた。


「22年に入り、発掘権の期限が迫るなか、女性史上最高のアゲマンの一人、イヴリンに見守られながら、カーターは、それまで貯めてきた推定1億円近い貯金(現在の日本円に換算)をすべて投げうつ覚悟で、カーナヴォン卿に『延長戦』を直談判した」


「でも、今更ですが、カーターは、なぜそこまでしてツタンカーメンの墓を発見しようと思ったのでしょうか? やっぱり名声とか、自分のプライドのためだったのでしょうか?」


 アルが素直な疑問を口にした。


「邪推かもしれないが、『アメン神は、エジプト人にとって父や母でもある』という言葉があるように、カーターはツタンカーメンのことを、自分の父親のように慕っていたんじゃないかな。言うなれば、『父をさがして三千年』だったんだと思う」


「ひと言、よろしいですか?」

 アルが口を挟んできた。


「大変申し訳ないのですが、もしカーターがどこかのタイミングで、ウォッシュレットを使っていたら、ご自身で付けたケツの火を、ご自身で消してしまった可能性がありますよね? そうなっていたら、ツタンカーメンの墓を発見することはできなかったんじゃないかと思いまして」


 僕は大きく頷きながら、全身を使ってげらげら笑ってしまった。


「よかった!」

 アルの顔に満面の笑みが広がった。

「アルちゃん、ごめん、続けてもいいかな?」

「はいっ!」


 さて、ここからが、いよいよ本題である。

 僕は、揺れる車内で前方の一点を見据えながら、核心に迫っていった。


「カーナヴォン卿は、墓発見から半年もたたないうちに、蚊に刺された頬をカミソリで髭剃り中に傷つけてしまい、それが原因で敗血症と肺炎を患い、帰らぬ人となった」


 車のバックミラーには、太陽が西に傾いていく様子が映し出されていた。


「このことについては、ツタンカーメンの死因の中で、もっとも有力視されているマラリア原因説と同じで、両者ともに『蚊』がキーワードだ」


 舌の根が再び乾いてきたので、水を口にした。


「カーナヴォン卿の出自、人間性、死の三点に絞ると、出自は11世紀から続く伯爵家であり、奥様は婚外子の噂があるが、ロスチャイルド家と縁の深い大富豪の娘である。


 人間性については、少し癇癪持ちのところがあったようだが、『隣人を大切にする義務がある』というハーバート家の家訓があるように、大富豪だからといって、決して驕らず、偉ぶらず、深い人間性を兼ね備えていた。


 多趣味で、事故に遭うまでは、狩猟はもちろん、ヨットや車、競走馬を所有するなど、何でもこなし、好奇心旺盛の性格の持ち主だった。


 三つ目の死については、いま言った通りで、最期は、言い方は悪いが、あっけなく亡くなってしまった」


 僕は、言葉を切ると、隣にいるアルを見た。彼もまた真剣な表情で一点を見つめていた。


「ツタンカーメンについては、出自は、アクエンアテンを父に持つファラオの家系で、アンケセナーメンには二人のお姉ちゃんがいたにもかかわらず、『幸運』にも王位継承権を得ることになった。そして結婚生活では、アンケセナーメンに一途だった」


 僕は再び、独りの世界に入って集中した。


「彼は、杖を常用するほど足が悪かったが、それは生まれつきの内反足に加えて、事故による後天的な要因が重なったからとも言われている」


 その事故が、もしチャリオットによるものだったとすると、その時のスピードは、カーナヴォン卿が自動車事故を起こした時と同じ、時速40キロメートルだった考えられる」


 偶然にしては出来過ぎている。


「ツタンカーメンは、チャリオットを操縦して自ら戦争に参戦したり、スルーギ犬を連れてアンケセナーメンと一緒に狩猟に出かけたりもしていた。その道中ではドライブも楽しんでいたかもしれない。


 カーナヴォン卿は、英国王室の競走馬を預かるだけではなく、自らも乗馬を楽しむなど、貴族としての趣味を十分に楽しんだ人生だったが、ツタンカーメンの趣味もまた、カーターの言葉を借りれば、『貴族の趣味だったと思える』という。


 人間性については、カーナヴォン卿と同じように、周りの人間への気配りや配慮を怠らない優しい男だった可能性が十分に考えられる」


 空港の建物がわずかに見えてきた。


「そしてなんといっても、人間にとっての最期のビッグイベントは死である。


 ツタンカーメンも、蚊に刺されたことによりマラリアを発症し、それが結果的に死因につながったとも言われている。


 墓そのものについては彼のために用意されたものではなく、ネフェルトイティ用の墓だったとも言われ、黄金のマスクもつぎはぎだらけで、急ごしらえされたとされていることから、急死してしまった可能性が極めて高い。


 つまりカーナヴォン卿と同様、あっけなく亡くなってしまったのである」


 アルは、じっと黙って僕の言葉に耳を傾けてくれていた。


「極めつけは、埋葬時期と葬儀についてだ。


 ツタンカーメンが埋葬されたのは、矢車菊や青蓮、オリーブなどの開花時期から考えて4月ごろと推定される。ヒッタイトの記録では8月というが、桜の花が真夏に咲かないように、時期については、人間の手で書かれたものよりも、自然法則を優先させたほうがいいと思う。


 彼がミイラにされるまで最大70日間かかったとすると、実際には死から埋葬までの期間はきっちり70日間ではなく、プラスアルファの日数がかかったとすると、死亡推定月は1月ごろと考えられる。


 この時期をさらに掘り下げると、夏から秋にかけてナイル川が増水し、その後、水が引けるのが11月中旬ごろからで、水が引くことに併せて、つまり12月か1月あたりに、宮廷があったメンフィスを含めた下エジプトのデルタ地帯では、蚊が大量発生する。


 彼が蚊に刺されたとき、例えば落車による骨折などが原因で体力が衰弱していたとすれば、カーナヴォン卿と同様、免疫力が下がっていたことが十分考えられる。


 それが引き金となってマラリアを発症し、急速に体力が消耗していった可能性は極めて高い。


 そうすると、二人の死亡時期は異なるが、埋葬時期はぴたりと一致する。


 ツタンカーメンの葬儀については、王家の谷までは哭き女や踊り子も含めて大行列だったと考えられるが、会葬者については、残っている記録によると8人だったという。


 カーナヴォン卿が永遠の眠りに就いたのは、ハイクレア城を見下ろすビーコンヒルという丘の頂上で、埋葬時には、オルガンも音楽も合唱隊もなく、雲雀の鳴き声が聞こえるだけで、わずかな近親者だけで行われたという。つまり埋葬状況まで似ている」


 アルが真剣な眼差しで聞いていた。


 空港の建物が目の前まで来た。運転手が「そろそろ着きますよ」とバックミラー越しに目で合図をしてきた。


「こじつけかもしれないが、彼らの出自、貴族の趣味、狩猟の腕前、人間性、そして怪我や病気、事故を起こした時のスピード、そして最期の瞬間と葬儀までもが、どれを取り上げても、すべてそっくりなんだよ」


 アルが眉間にしわを寄せながら口を開いた。


「こういう言い方は、大変申し訳ないのですが、単なる偶然とは考えられないでしょうか?」

「僕も最初はそう思った。しかしだよ」


 僕らは車を降りた。そして、運転手からスーツケースを受け取ると、ゆっくり歩きながら最後の締めに入っていった。


「つまり、カーナヴォン卿は、ツタンカーメンの生まれ変わりだったということなんだ」


 少し前を歩いていたアルがさっと僕のほうを振り返ると、僕の顔を穴が空くほど凝視した。


「途中で、もしかしたらとは思っていたんだけども、この仮説を裏付ける最後のピースがなかなか見つからなかった。ところが、さっきのレストランでイタリア人の姿を目にした途端、カエサルの言葉を思い出した。その瞬間、ツタンカーメンの墓発見の真相に迫るパズルが完成したんだ」


 アルは、キョトンとしたまま石のように固まってしまった。


「カーナヴォン卿がカーターに手伝ってもらって、ツタンカーメン墓発見に意欲を燃やした理由は、『本能』で自分自身を発見したかったからなんだ。


 つまり、カーナヴォン卿にとって、ツタンカーメンは、『わたしは、あなた』だったということなんだよ」


 アルが僕の言葉を理解しようと、懸命になっていた。

 僕たちは、ルクソール空港の建物内に入っていった。


「あれは確か、第8話だったと思うけど、アルちゃんは、僕『と』志村さんではなく、僕『の』志村さんでもない。僕『は』志村さんだと言っていたよね。あれは冗談で言ったのかもしれないけれど、それと同じでさ」


 すると、アルが再び立ち止まった。そして、「僕は志村さん」という発言が冗談だったと言われたことに腹が立ったのか、むくれながら切り返した。


「それが本当だとしましたら、じゃあ、なぜカーナヴォン卿は、自分自身であるツタンカーメンを発見しておきながら、黄金のマスクを見ることなく、その前に亡くなってしまったのでしょうか? おかしいじゃないですか。せっかく見つけておきながら」


「いいや、おかしくはない」


 僕は、首を左右にゆっくり振ると、興奮したアルをなだめるように言った。


「カーナヴォン卿は、ツタンカーメンが自分自身だと分かった瞬間、探し求めていた答えが見つかったので、それ以上、先に進む必要がなくなったんだよ」


 空港内には、ほとんど人がいなかった。太陽が地平線に沈みかけている。僕とアルは、真っ赤に燃えた夕陽によって、横から強い光のライトを浴びているようだった。


「ツタンカーメンのミイラを巻いていた包帯が取り除かれた時、そこにあったものは、変わり果てた真っ黒な姿だった。ミイラ処理を急いで終わらせるために、通常よりも多くの保存用の香油が使われたせいで炭化してしまい、ほかのミイラよりも黒く汚らしくなってしまっていた」


 河江先生によると、黒は高貴な色で再生を表すことから、意図的に黒くなるようにした可能性もあるという。


「いずれにしても、黒く汚らしくなってしまっていたことについては、異論はないね?」


 アルが渋々、頷いた。

 それを確認すると、僕は静かに、こう締めくくった。


「だからカーナヴォン卿は、そんな哀れな自分自身の姿を見たくなかったんだよ。カエサルが言っていたよね」


 僕は、この言葉に力を込めて言い切った。


『人は、見たいものしか見ない』


 アルが黙ってしまった。

 太陽が最後の力を振り絞り、地平線をオレンジ色に薄く染めていた。


 しばらくすると放心状態から解き放たれたアルが言った。


「そんな話し、聞いたこともありませんよ」

「そりゃそうだろ。僕自身がいちばん驚いているくらいなんだから」

「でも、もしそれが本当なら、それこそ世界中がひっくり返るくらいの大スクープになっちゃうじゃないですか」


「そんな大それたことではないけれど」


「でも、いろんなところから問い合わせが来て、それが好意的なものだったらいいですけど、誹謗中傷なんかが殺到するようなことになったら大変じゃないですか。今の時代、むしろ、そういう可能性のほうが大きいんじゃないですか?」


 アルが心から心配してくれた。


 確かに、この仮説は荒唐無稽かもしれない。そうなれば、僕自身がアクエンアテンのように異端の扱いを受ける可能性は大いにある。しかし、これを活字化して世に送り出すことについては、僕には一切の迷いも恐れもなかった。


 絶筆するからではない。今回の一連の取材を通じて、情報の入手方法が自由だということに改めて気づかされたことはもちろん、それを記す勇気と、そして何より信念を貫き通す大切さを教えてもらっていたからだ。


 あの時、アンクエスが灯してくれた火が、僕の心の中を今もなお、優しく温め続けてくれていたのである。


「アルちゃん、ありがとう。でも大丈夫。『ツタンカーメンの呪い』という捏造記事を書くよりも、よっぽど夢があると思う。言いたい奴には言わせておけばいい。オカルトだと決めつけたい奴は放っておけばいい。分かる人だけ分かってくれれば、それでいいんだ」


 僕は、これ以上ないほど、晴れ晴れとした幸せな気持ちでいっぱいだった。


 アルがチェックイン・カウンターに向かって、ゆっくりと歩き出した。僕も彼の背中を追うように歩き始めたが、すぐに立ち止まった。そして、テーベに最後の別れを告げるため、後ろを振り返った。


 丸い円盤のように見えていた太陽は、地平線の中にすっぽり隠れ、空が黒くなり始めていた。その中に、ダイヤモンドのようにきらきらと輝く星があった。


 地平線の支配者が、ヴィーナスに生まれ変わっていた。



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