第27話 姫君たちの想い
カエサルが生きた時代とツタンカーメンの時代を重ね合わせて考えるのは無理がある。それにツタンカーメンの時代には、近親交配が普通だった。
「当時の政略結婚とは、敵との和解工作や味方の結束を強くするための合従連衡が主な目的ではなく、あくまで身内の結束を高めるためだったからね」
このことについてエジプト考古学者の河合望先生のお言葉を借りると、「第18王朝の特徴のひとつは、排他的な王家であり、血統が重んじられ、兄弟間の婚姻関係が続いた」
その結果、血はドロドロになり、ツタンカーメンは生まれながらにして持病を抱えることになった。それが短命だった原因とも言われている。
「アルちゃんは今度、生まれ変わるとしたら、どんなふうになりたい?」
「どうしたんですか? 急に」
「イスラム教徒とかキリスト教とかは、脇においておいたとして、アンクエスに一途だったツタンカーメンか、手あたり次第と言っちゃ失礼だけど、性別が女性なら誰でもよかったカエサルか、男として、どっちに生まれ変わりたいかなと思ってさ」
「そういうことなんですね。でも、どっちを選ぶにしても究極の選択ですね」
アルは、大きく息を吐き出すと、
「どっちもどっちですかね」
と答えようがないというように両手を広げて肩をすくめた。
「というのは?」
「私も決して女性が嫌いなわけではありません。でもカエサルは、最後は腹心の部下に殺されてしまったわけですけれども、その理由はもしかしたらブルータスたちは、カエサルが女性と寝まくっていたのをすぐ傍で見ていて、『やりたい放題、やりやがって』と思っていた可能性もあるかと思います。なので政治上の手腕より、純粋に嫉妬心が、カエサルを殺そうと思った動機だったかもしれませんから」
「確かにそうかもしれないね」
「カエサルはセックス依存症だったのでしょうか?」
「あるいは、単に女性にだらしなかっただけなのか、関係を持ったすべての女性から好意を持たれていたとは考えにくいよね。一部の女性からは、『やり逃げされた』と恨まれていたかもしれないし。いずれにしてもカエサルの暗殺と女性関係については、いろんな人の感情が渦巻いていたのは間違いなさそうだ」
「そうですよね、私もそのご意見に賛成です」
「しかも、彼は奥さんがいるのにクレオパトラ七世と結婚したくて、法律まで変えようとしたじゃない。いくらなんでもそれはやり過ぎだったとは思うけど、そこまでクレオパトラ七世に目をかけていたんだから、そりゃ、彼と寝たほかの女性にすれば、嫉妬や憎悪がなかったとは言い切れないね」
「彼もバカですよね」
「どうして?」
「だって、第6話でおっしゃっていた、コネクティング・ルームを使えば、不倫がバレずにすんだかもしれないじゃないですか」
僕は大笑いしてしまった
「ところで、カエサルの星はどうなんでしょうか。星から何か言えることはあるのでしょうか?」
彼の正確な誕生日は残っていない。紀元前100年とする説や、紀元前102年という説がある。どっちを取るかによって、まったく違う性質の人間が誕生してしまうとは思うものの、僕は「えいやっ」と誠に勝手ながら、いつものように根拠のない自信から、キレのいい数字の紀元前100年を採用することにした。
「彼の星は『二』と『土』になるね」
「じゃあ、カーナヴォン卿やニューベリーも同じ『土』なので、カエサルも彼らと同じなんですよね?」
「いや、それがまた違うんだ」
「どうしてですか?」
「ひと口に『土』と言っても、三種類あるんだ」
アルの頭脳のCPUが壊れないように、僕はできるだけ平易な説明を心掛けた。
「カーナヴォン卿の『土』は、分かりやすく言うと、『山』で、ツタンカーメンやニューベリーの『土』は、『地球』。そしてカエサルの『土』は『大地』になる。なんとなくでいいから、これらの違いについて分かってくれたかな?」
アルの眉間に深いしわが寄っていた。
「山の土でも大地の土でも、僕にはみんな同じ地球上の土に思えるのですが、何がどう違うのでしょうか?」
「『山』に限っていうと、死火山と活火山がある。活火山の場合、山が怒ったら、それはもう噴火しかないよね。でも、死火山の場合は、怒ったとしても噴火はしない。むしろ怒ることがないとも言える。でも、活火山も死火山と同様、噴火しなければ、微動だにせず、じっとその場に佇んでいる。言い方を換えると、『山』は、いついかなるときでも泰然自若にしているでしょ。人間もそれと同じで、いつも冷静で落ち着いている人は、それだけで周りの人たちから尊敬の目で見られるようになる。それが『土』が『山』の人の開運につながっていくんだ」
アルは黙って聞いていた。
「なんだか、難しそうですね」
「まあね。じゃあ、次は、『大地』の『土』についてだけれども、同じ土でも山では農作物は作れない。でも、大地では田んぼや畑の耕作が可能になる。つまり、『大地=耕作可能な土地』という捉え方もできるんだ。『母なる大地』という言葉を聞いたことがある?」
「いえ、ありません」
「僕らの食生活を支えてくれる農作物を作るためには田畑が必要だよね。その田畑を提供してくれているのは、そういう意味からも『母なる大地』という言葉があるんだ。別の言い方をすると、大地は無償の愛を提供してくれる『土』と言うこともできるんだ」
どんよりしていたアルの目が急に開いた。
「だから、カエサルは自分の星を最大限に使って、不特定多数のたくさんの女性に、無償の愛を捧げていたんですね」
アルは、自分の冗談に大ウケしながら、表情を一気に崩した。
「その通り。見事な開運方法だったとしか言いようがない」
僕もつられて大笑いしてしまった。
陽気にはしゃいでいたイタリア人の四人組が会計を済ませて、店を出て行った。
残り少なくなったキャラ弁を見ながら、僕はふと思った。アンクエスとツタンカーメンが食事をするとき、普段は専属のコックが作ってくれていたと思うが、たまにアンクエスが手料理を披露することもあったかもしれない。そんなとき、彼女は夫の弁当に「愛」という字をヒエログリフで描いていたに違いない。
「ツタンカーメンというと、黄金のマスクや副葬品ばかりに目が行きがちだけど、第二人型棺の上に手向けられていた首飾りによって、アンケセナーメンの存在がクローズアップされるようになったよね。それを考えると、ツタンカーメンは、本当はアンケセナーメンの偉大な愛を僕たちに伝えたかったんじゃないかと思う。もちろんイヴリンの愛があったからこそというのは絶対的にあるけれど、だからこそ、ほかの誰でもない、カーターに見つけさせた」
「なるほど。そういう見方もあるかもしれませんね。確かに彼ら二人から感じるのは、一心同体の愛しかないですもんね」
「アルちゃんも、やっぱりそう思う?」
「はい」
さっきまでイタリア人が座っていた席に、今度は親子三人が座っていた。
(また、あいつか。それにしてもよく会うな)
絶叫少年は、土産物屋で買ったと思われる青色のカツラを被っていた。そのカツラは、『黄金の玉座』に描かれているアンクスエスの真似をするためのものかもしれない。
Tシャツは、いつもと同じ青色で、相変わらず中央には「王子」という漢字と左胸には小さな黒い丸が書かれていた。
僕は、なんの気なしにその丸の数を数え始めた。
「・・・・・七、八、九」
よく見ると、そのロゴは、サッカー用品メーカーのものではなかった。
「アルちゃん?」
そう呼びかけると、アルは、最後のひと口を頬張り、目で返事をした。
「あの少年のTシャツに描かれている黒い丸なんだけどさ、よかったら丸の数を数えてみて。アルちゃんが大好きな『九』だから」
数え終わると、彼は目を見開いて頷いた。満面の笑みを浮かべている。
と、そのとき僕は、ハッとした。
「アルちゃん、あれって、もしかして」
僕は、スマホを引っつかむと、キーワード検索をした。
「ああっ!」
僕は、あの絶叫ボーイに負けないくらいの大声で叫んでしまった。
そしてスマホの画面をまじまじと見つめた。
「アルちゃん、あのロゴはね、ガラシャが嫁いだ細川家の『九曜』という家紋だよ」
アルは、どう反応していいのか分からず、とりあえずナイフとフォークを皿の上に平行に並べて置いた。
ルイ・ヴィトンのロゴが日本の家紋を参考にしてデザインされたように、家紋がTシャツにプリントされていてもおかしくはない。
その少年のTシャツをさらによく見てみると、単にくたびれているだけではなく、洗い過ぎのせいか、色褪せが進んでいた。すると、そこから消えかかった文字が僕の目に、くっきりと浮かんできた。
外国人は、意味不明な漢字をTシャツにプリントして、楽しんでいる。例えば、「冷奴」と書いて、「冷たい奴」だったり、腹の突き出た男性が「わたし豚だ」というTシャツを着ているのを見かけたこともある。だから、何度か目にしたその子供のTシャツに書かれた文字が、「王子」でも何の不思議もなかったため、今までは気にも留めていなかった。
しかし、僕の目に飛び込んできた、その浮かび上がってきた文字とは、「王子」ではなく、「玉子」だったのだ。
「アルちゃん、もうひとつあった!」
僕は声量を抑えつつ、興奮して言った。
「あの子供のTシャツに書かれている漢字はガラシャの名前なんだよ!」
アルも驚いていた。
「ガラシャは、クリスチャンネームで、日本語名は『玉子』なんだよ。だから、あの子供が着ているTシャツは、まさに細川ガラシャを表わしたものなんだ!」
アルは、ただ目を見開いて、僕の興奮した顔をじっと見つめていた。
(そういうことだったのか!)
あの少年は、一人二役を演じているのだと僕は確信した。
というのも、青色は、矢車菊の中では、もっともポピュラーな色であり、Tシャツの青色が色褪せて水色っぽくなってしまっているものの、水色は、ガラシャの生家である明智家の桔梗家紋の色でもあるからだ。
(だからあのとき!)
第5話で、初めてアンクエスと出会ったとき、彼女の身体からは、ほんのりとラベンダーのような香りが漂っていたが、桔梗はラベンダーに似た香りを放つからだ。
今までガラシャが僕の心の中に何度も出てきていたが、それが何なのか、漠然としすぎていて、よく分からなかった。ところが今、まさにその答えを得ることができたのだ。
アンクエスは、ヒッタイトからツァナンツァ王子を婿に迎え入れるはずだったが、王子は途中で殺されてしまった。それから間もなくして執り行われたトゥトの葬儀では、彼女は悲しみに打ちひしがれながらも、棺の中に花飾りを手向けた。
その時にはもう、アンクエスは、自分の運命を悟っていたのかもしれない。
彼女はその後、宮内大臣のアイと結婚したとされているが、忽然と姿を消してしまった。アイ亡き後、ホルエムヘブが天下を取ると、第18王朝を終わらせ、第19王朝が始まった。
その三代目に当たるラメセス二世は、「ラメセス大王」として、新王国時代、最強のエジプト王国を作り上げた。
アンケセナーメンがたどった運命と、その後の展開。
ガラシャの壮絶な死と、その後に誕生した徳川幕府。
二人の亡骸についても、アンケセナーメンのミイラは、王家の谷で見つかったKV21のミイラ二体のうちの一体であるという。だが、DNA検査をしてみるまでは、今のところ確証はない。以前、彼女の棺らしきものが見つかったと報道されたことがあったが、中身はミイラではなく、石ころだった。
ガラシャの最期については、小笠原秀清が介錯したとされている。しかしそのとき、自らの亡骸については骨肉の欠片さえ残さない覚悟で、予め仕掛けておいた爆弾によって木端微塵にされたという。
これについては、イエズス会の宣教師ニエッキ・ソルド・オルガンティーノによると、彼らはその後、ガラシャの遺骨を現場から拾い集め、大阪堺にあるキリシタン墓地に埋葬したというが、その墓は、すぐに徳川側によって破壊されてしまったため、真実を確認することは、ほぼ不可能になった。
この二人の女性は、誕生から生き様、そして死に様だけではなく、亡骸の行方までもがよく似ている。
そして、何より二人は、武器を持って戦ったわけではない。自らの強い意志と覚悟で、歴史の流れを大きく変えたのである。
中国発祥の陰陽では、男性が陽で女性が陰とされている。ただし、この場合の陽と陰は、表意文字としてそのまま理解するものではない。さらに言うと、西欧的思考としての対立や比較を表すものでもない。
男女で役割が違うという意味であり、陽は「拡大」を表し、陰は「革新」を表している。アンケセナーメンもガラシャも、まさに時代を革新させた女性だった。
そして、最期を迎えるとき、彼女らは、太陽神ラーの愛娘であり、真理の裁判官であるマアト女神の化身として、羽根を花びらに代えて、花びらが時代を動かす心臓よりも軽いことを証明したかったのかもしれない。
そうしたことからも、ガラシャは、アンケセナーメンの生まれ変わりだったのではないか。そんな気がしてならなくなった。
「アルちゃん、ガラシャが残した最期の言葉、知ってる?」
そう言うと僕は、彼女の辞世の句を紙に書いて渡した。
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
*****
いつもありがとうございます。
いよいよクライマックスに突入していきます。
と、その前に。
次回は最後の訪問地であるルクソール神殿からお届けいたします。
よろしくお願いいたします。
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