第26話 希代の政治家が残したモノ

 最後の目的地であるルクソール神殿へ向かう途中、通りすがりのレストランに寄った。


 注文を終えると早速、モロヘイヤのスープとエジプトの伝統料理コシャリが運ばれてきた。


 アルのほうは、ピラミッドを意識したかのように、こんもり盛られているが、形が崩れてチャーハンのようになっていた。僕のほうは、トマトやレンズ豆、マカロニなどがご飯の上に盛られている、ごく一般的なコシャリだった。


 それを見たとき、あることが閃めいてしまった。


「何をやっているんですか?」


 モロヘイヤのスープをスプーンですくいながら、アルが怪訝そうに聞いた。


 僕は、にやにやしながら答えなかった。


 しばらくしてから悪戯書きを終えると、皿をアルのほうに反転させた。そして、トマトで作った目やレンズ豆の鼻、マカロニの口などを説明した。


「面白いでしょ?」


 アルが不思議そうに見ていた。


「なんとなく、笑っているように見えない?」


 僕には、アクエンアテンとは真逆で芸術的センスがないため、アルのコシャリのように顔もぐしゃっと崩れている。だからアルが、どのように反応したらいいのか困った顔をしているが、

(なんで、分かんないの?)

 と咎めることはできない。どこをどう切り取っても顔には見えなかったからだ。


「こういう弁当のことを日本ではキャラ弁というんだ」


 弁当という限られた空間の中で、冷蔵庫の中にある食材だけを使って絵を描いてしまう発想は、日本人ならではだ。アンパンマンやピカチュウなどのアニメキャラクターをはじめ、ウサギやパンダなどの動物を表現したもの、あるいは普通に人の顔に似せたものなど、幅広い。


 そこには、粘着性のある日本の米がキャンバスになるという利点がある。これがもし、ぱさぱさしたタイ米などでは、そうはいかない。食材の切り方ひとつとっても、例えば、ウィンナーならタコのように切ることもできる。日本人は創意工夫の達人である。字を書くときの主役は、切り絵のように自由自在にカットできる海苔である。


 キャラ弁は、間違いなく日本人が生み出したB級グルメ級の芸術だ。


 僕は不思議そうな表情を浮かべているアルに聞いた。

「この世で、いちばん怖いものはなんでしょうか?」

 アルは、少し考えてから答えた。


「ここはルクソールですので、台風は無縁ですし、豪雨もそう滅多にあるものじゃありませんから、地震とかですか?」

「ブー、残念」

「ちょっと待ってください」

 アルは、どうにか答えを当ててやろうと、さらに考え込んだ。


「お化けとか核戦争とか、そういうことですか?」

 僕は、首を大きく左右に振った。

 するとアルは、急に何かを思い出したらしく、目を輝かせた。


「エジプトでは七世紀くらいまで、アラジンと魔法のランプに登場する煙の無い火から作られた『ジン』という精霊がいるとされていまして、そのジンには、善ジンと悪ジンがいて、悪ジンについては、『警察よりも、よっぽど怖い』存在として盗掘者にも恐れられていたようなんですが、ひょっとして、それもありですか?」


 僕は、またしても頷かなかった。

「えーっ? じゃあ、なんだろう。分かりません」

 僕は、視線を目の前のキャラ弁に落とした。


「日本には家庭の奥様が作る可愛らしいキャラ弁がある。その一方で、夫婦喧嘩をした後に、『さっきは、ごめんね。俺が悪かった』という言葉を旦那から聞けなかった奥様が作る弁当には、恐ろしい文字が書かれていることもあるんだ」


「弁当箱の蓋を開けた瞬間、旦那はショックで言葉を失い、食欲もなくす。だからといって残して帰ることもできない。食べるも地獄、残すも地獄」

 と説明してから、僕は言った。


「それは、『呪』だよ」


 古代エジプトでは文字に霊力が宿ると考えられていた。ファラオの即位名を外部に知られないようにしたのもそうだし、ツタンカーメンなどの名前が削り取られたのも、その象徴である。


『ツタンカーメンの呪い』については、まったくのデタラメだったことが、その後に証明されたが、なぜそのようなことが、まことしやかに広まったのか。


 答えは簡単で、記事を書いた記者が嫉妬したからだ。


 ツタンカーメンの墓が発見された直後にカーナヴォン卿が英タイムズ紙と独占契約を交わしたことにより、ほかのすべてのメディが締め出しされる格好になった。そのことに恨みを覚えた記者のひとりが、タイムズ紙とライバル関係にある英「デイリー・メール」紙の特別記者として雇用されていたアーサー・ワイゴールだった。


 第14話で話をした通り、カーターとはライバル関係にあった、デイヴィス派の考古学者である。


 彼は、チーム・デイヴィスのときに発見できなかったツタンカーメンの墓をその後、カーターに発見されたことによって、メラメラと嫉妬心を燃やしていたのである。


 そこで彼は、カーナヴォン卿の死をきっかけに、カイロ市内で起こった突然の停電や兄ヘンリーの飼い犬の変死など、呪いに結びつけられそうなネタを拾い集め、『ツタンカーメンの呪い』を捏造したのである。


 僕は昨日、トイレの合間を縫って、パソコンで調べた結果をメモしたノートを鞄の中から取りだした。


「呪いに関する記事を書いたのは、ほかにもたくさんいたらしい。シャーロック・ホームズの生みの親であるアーサー・コナン・ドイルですら、ファラオの呪いの信奉者だったみたいだからね。それに、あの江戸川乱歩も参考にしたという、復讐小説で名の知れたマリー・コレリという女流作家もそうだったんだ」


 ヒジャブを被った女性が、僕らが追加注文したアサブというサトウキビのジュースと、アルのメロンジュースを運んできた。


「どんな女性だったのでしょうか?」

 ストローでアサブをすすりながら、アルがいつものようにミエログリフに関する質問をした。僕はコシャリを食べる手を止め、彼女の誕生日を、18550501と入力した。


 彼女の星は、マスペロやラコーと同じ『一』と『水』である。


「ひと言で言うと、斜めに物事を見る癖があって、少し尖ったところがあったみたいだね」


 コレリは、カーナヴォン卿の死を絶好の機会と捉え、明らかなウソをでっち上げた。その内容は、「カーナヴォン卿の直接的な死因は王墓の中へ立ち入ったことであり、自分はカーナヴォン卿に対して王墓の中には絶対に立ち入らないよう何度も警告していた」というもので、それを吹聴して回ったとも言われている。


「なんか、嫌味な感じのする女ですね」

「彼女は『水』の人だから、その燃えるような自己主張も、自分自身で消しちゃった可能性がある。それについては、そもそも物事をネガティブに捉える癖が強かったのが良くなかったんだろうけど、ウソは必ずバレるよね」


 とはいえ、こうしたことから、ありもしない『ツタンカーメンの呪い』が世に出回ってしまったというわけだ。


「参考までに言うと、同じ『水』でもマスペロは陽気な性格で、ウィットに富んだジョークもよく言って、周りを楽しませるのが好きだったみたい。同じ星でも、陽気か陰気かで運勢が全然違ったものになるという好例だね」


 アルは同じ「水」なので、今の発言が気になったのか、カバンからがノートを取り出すとペンを走らせ始めた。それが終わるのを確認すると、僕は再び呪いについて説明をした。


「実際にツタンカーメンの墓を開けたとき、科学的調査が行われたんだ。その結果、内部はほぼ無菌状態だった。それにカーターの言葉を借りれば、『古代エジプト人の葬儀の慣習には、生者に差し向けられた呪いなどなかった』し、『呪い話は完全に創作された幽霊話』だと鼻で笑っていたみたいだから」


 だが、いったん言葉が世に出回ってしまうと、打ち消すことが難しい。悪魔の証明に似ている。現にエジプトでは今もなお、想定外の良からぬことが起きたり、悪い結果がもたらされたりすると、口々に、「ファラオの呪いだ」と言って笑うのが習慣化しているという。


 すぐそばの席に、男女それぞれ二人ずつのイタリア人らしい若人たちが談笑していた。彼らは、呪いという言葉すら聞いたことがないと思われるほど、陽気に笑い転げていた。


 今回の旅も、いよいよ佳境を迎えた。次の訪問地であるルクソール神殿が最後になる。


 エジプト文明の最後の王朝はプトレマイオス朝だ。最後のファラオと言えば、王妃クレオパトラ七世とローマ帝国の礎を築いたユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の子供であるプトレマイオス十五世カエサリオンである。


 クレオパトラ七世はその後、アントニウスの子供も産むが、宿敵オクタヴィアヌスとの戦いに敗れ、カエサリオンを含め家族全員が命を落とす結果となった。それ以降、エジプトはローマの属州になったのである。


 陽気なイタリア人を眺めながら、もし自分が生まれ変わるとしたら、あんな美男美女に生まれ変われたらいいなと、明らかに早すぎる来世の夢を見ていた。


「イタリア人のルーツは、基本的には大ローマ帝国時代まで遡りますし」

 アルがコシャリを口の中でもぐもぐ頬張りながら、彼らのほうに目を向けていた。

「たくさんの種類の血が混ざりあったほうが、美男美女が生まれる確率が高くなりますからね」


 カエサルは当時、世界中から美女を集めたことだろう。クレオパトラ七世については、彼女から飛び込んでいったわけだが、彼は、「英雄、色を好む」の英雄としては、数々の戦績を収め、「ガリア戦記」いう書物を残した。


 色については、老院議員の妻のうち、三分の一か半分くらいと褥を共にしたという噂があるほど、彼が愛した女性たちは両手両足では収まりきらないほどだったという。


 昼の部では「書物」を書き、夜の部では「イチ物」を使い、昼夜を問わず周りをブイブイ言わせていたようだ。コトの真相は明らかではないが、相当お盛んだったことは間違いない。


 そんな彼だが、昼の部では真面目に働きながら、こんな言葉を残した。 


 人は、見たいものしか見ない。

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