第23話 スーパーファラオ

 世界中に散らばる遺跡の中で、およそ20パーセントがルクソールにあるという。


 ここは、王朝が何度も変わっても、長期にわたってテーベと呼ばれ、オリエント世界でもっとも繁栄した都市だった。


 当時の人口については諸説ある。例えば、ドイツ人考古学者カール・W・ブッツァー先生によると、エジプトが統一された紀元前三千年ごろは、エジプト全体で87万人だったと言い、新王国時代の紀元前1250年ごろは、300万人だったという説を唱えている。


 アクエンアテンがテーベを捨て、アケトアテンを作ったのが紀元前1350年ごろ。その建設のために駆り出された労働者の数は10万人との仮説もある。だとすると、ツタンカーメンの時代のテーベの人口は、数十万人だったかもしれない。


 かつては大勢の人が行き交っていたであろう、テーベの町外れに突如、

「これもまた、でっかいね!」

 メムノンの巨像が背筋をピーンと伸ばして、膝は直角に曲げ、行儀よく座っている。


 ツタンカーメンの祖父にあたるアメンヘテプ三世の座像である。本来であれば、その先に葬祭殿があったが、今はない。


(これが、第10話でトゥトが言っていた『きらびやかな人』なのか)


 ただし、300人の女性を集めたハーレムで酒を飲みすぎたことによる骨粗しょう症なのか、当時の面影がうかがえないほど身体がボロボロになっている。


 正面に向かって右側の像が、かつては歌手として名を馳せた像であり、カイロのゲベル・アリ=アフマルから掘り出された珪岩を積み上げて作られている。


 歌を歌うようになった理由は、ローマ時代の紀元前27年に起こった地震によるヒビ割れが原因とされている。夜間の冷気と朝日による温度差がそのヒビ割れ部分に形状変化を起こさせ、その結果、この像から弦のような音が奏でられたという。そして、それがあたかも歌を歌っているように聞こえたことから、「歌う巨人」と名付けられた。


 名付け親は、ここを訪れた、紀元前63年生まれの地理学者ストラボンだが、本人も、その歌が本当にメムノンが歌ったものなのか、近くにいた人間の声だったのかは定かではなかったと記録に残している。


 ガイドブックを開き、トゥトのお爺ちゃんについての説明文を読んでいると、なにやら歌が聞こえてきた。


「空にそびえる、くろがねの城、スーパーロボット、マジンガーZ ♪」


 声がしたほうに視線を向けると、きらびやかに歌うアルの姿があった。今をときめくZ 世代の元祖?『マジンガーZ 』のテーマソングである。僕はその時、またもや悪い予感がしたものの、いつもの調子でアルに合わせてみた。


「それってさ、また何かの替え歌にしたいんじゃないの?」

 アルの顔がにやけている。


(やっぱり)


「『くろがねの城』の部分は、できれば、『メムノンの~巨像~」に替えさせていただいて』」


 確かに、何もない田園地帯の中に巨像が空に向かってドーンとそびえているのは間違いない。


「なるほどね。で、次は」

「『スーパーロボット』を『ス~パ~ファラ~オ~』にしたいのですが」


 僕が黙っていると、

「最後は、『マジンガー~三世~♪』」

 と締めくくった。


 歌い終わって満足げにしているアルだったが、彼の頭のどこかに、きっとヒビ割れが生じていたに違いない。


 アルがこの曲を選んだ理由は、高さが同じだったからだろう。


 椅子に座った座像の高さは18メートル。マジンガーZの身長と同じである。左の像は、右の像に反して一枚岩で作られていて、重さはなんと720トンもあるという。ハトシェプスト女王のオベリスクの2倍以上というよりも、マジンガーZの体重は20トンだから、その36倍にもなる。


 3400年もの間、風雪に耐え抜いたという見方もできるが、これが岩ではなく、超合金で作られていたら、原型を丸ごと留めていただけではなく、ヒビ割れすら生じなかったに違いない。


 歌に関しては、もうひとつの説がある。


 メムノンとは、巨人の母「エーオース」と人間「ティトノス」との間に生まれた、ギリシア神話に登場する半神のことである。メムノンの短い人生は、トロイ戦争で戦死という結末で最期を迎えたが、息子の死を嘆いた母エーオースが毎日泣いて暮らしたといい、その泣き声が由来となったとも言われている。


 残念ながら現在は、歌の真偽を確かめることができなくなってしまった。歌の原因とされたヒビ割れが、西暦199年ごろ、ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスによって修復されてしまったからだ。


 僕は、巨像を見上げた。


「僕もこれくらいでかい人間だったらよかったな」

 自分の人間としての小ささに恥ずかしくなった。


 人間の大きさは、所有しているお金の額や家の大きさなどではなく、器で決まる。その両方を持っていない僕としては、神様から、どっちが欲しいかと訊かれれば、もちろんお金を取る。だけれども、やせ我慢して、器と答えたほうが神様は喜んでくださる。


「神様にウソをついてはいけませんよ」

 アルが、僕を茶化してきた。

「だけど、お金さえあれば、生活には困らないし、老後や年金の心配をしないで済むから、そっちのほうが絶対にいいでしょ」

 僕は、強がってアルに反論した。

「そうですかね」

 アルが目尻を垂らしてにやにやしている。彼はキリスト教徒だから、利他の精神にあふれている。


 観光地では、寄付をおねだりする現地人のエジプト人の姿を目にすることが非常に多い。彼らは、古代エジプト人から代々受け継がれてきたかのような、年季の入ったストリート・ファッションに身を包み、ほぼ素足の恰好で歩いている。


 そして、何本か抜けた歯の隙間から、ヒューヒューと音を漏らしながら、まるで歌を歌っているかのように、おねだりをしてくる。


 そんな彼らに、アルは自分から近づき、日本円にして、5円か10円くらいのお金を一人ひとりに手渡している。すると彼らは、「シュクラン(ありがとう)」と、わずかばかりの笑みを浮かべ、また別の観光客を探しにいく。


 アルは言う。


「彼らは、寄付をおねだりすることを恥だとは思っていません。むしろ当然だと思っているくらいです。私だって決して余裕があるわけではありませんが、少しでも彼らが喜んでくれればと思っていますので」


 やけに真面目なことを言うな。きっと彼の頭にあったヒビ割れの修理が終わったに違いない。


「なんか、にやにやしていませんか?」

 アルは、僕の本心を探ろうとしたが、僕は何も言わなかった。


 巨像の周りには、観光客がまばらにいた。その中には、日本人と思われる新婚旅行者らしき男女が数組いた。おそらく二十代くらいだろう。みんなまだ若い。


「これから先は、幸せな未来が待っているぞ!」

 僕は、巨像に隠れて大きな声援を送った。


「キリスト教の結婚式では、牧師さんからお互いの愛を確かめられますけど、日本の結婚式でも、神主様がお祓いをしてくれるんですよね?」

 アルもまた、新婚旅行者を見て、何かを感じたのだろう。

「そうだよ」

 するとアルがまた質問した。

「日本人は、大安吉日に結婚式をやる人が多いですよね」

「よく知っているね。本当に」

「離婚経験のあるお客様がおっしゃっていました。あんなのまったく意味がないって」

 僕は、また大笑いしてしまった。


「ほんとそうだよ。それに仏滅のほうが、縁起がいいなんて話を聞いたこともある」

「ぼくには、さっぱり分かりません。愛し合った人同士が結婚するのに、どうして日にちが大事なのか」

「日本人は、縁起を担ぐからね」

「それも教えてもらったことがあります」

「自分もそうだけど、良くないことが起きると、すぐに前世とか、引っ越しした方角が悪いとか、みんな何かのせいにしたがるよね。でも、そんなことばかりしていては、地球に申し訳ない気持ちにならないのかな。東西南北を決めたのは人間で、地球じゃない。それに太陽の周りを1年かけて回る時間を1年と決めたのも人間だし。もちろん地球には磁力があるから、そういう考え方は科学に則っているとは思うけれど、あんまり縁だの方角だのというと、鎖に繋がれた犬や動物園の動物たちのように動けなくなっちゃうよね」


 出発時間まで、あと数時間。急いで駐車場に向かいながらアルが言った。


「私たち人間にとって、最大なる自由は移動する自由です。その自由を最初に使ったのは、ホモサピエンスですよね。彼らがもし、『ケニアだけで十分だよ。歩くのも疲たしね。もう移動はやめにしない?』と言って移動しなかったら、地球上のいろんな所に、私たち人類が住むことはなかったはずですよね」

「そうそう、その通り。なかなか、いいこと言うね」

 僕が褒めると、太陽が東の地平線に姿を現すように、アルの顔にゆっくりとドヤ顔が出現した。


 左右それぞれのドアから車に乗りこむと、アルが運転手に告げた。

「市内に向かっていただけますか?」

「市内のどこに行きましょうか?」

 運転手が振り返って、アラビア語でアルに聞いた。

「どこがいいですか?」

 アルが僕に日本語で聞いた。

「どこでもいいけど、最後に町そのものを見てみたい気もする」

 アルは、僕からの返事を受けて、運転手に「スークへお願いします」とアラビア語で告げた。そして、ひと息つくとアルがまた歌い出した。


「東村や~ま~、庭さ~きゃ、多摩~湖♪」


「ごめん、アルちゃん、それってさ、東村山音頭でしょ。本当は、東村山じゃなくて、『東岩や~ま~』と歌いたかったんじゃないの。それにさ」

 僕は彼の思考回路がだんだんと分かってきたような気がしたので、先回りして言ってみた。

「庭先にあるのは『多摩湖』ではなく、『ファラ~オ~♪』とでも歌いたかったんでしょ?」

 アルの満足気な顔を見た


(やっぱり)


 アルとずっと一緒にいるせいか、僕はすっかりアル色に染まってしまったようである。つまり、マジンガー三世ほどではないにしろ、僕は正真正銘の『アル中』になってしまったというわけだ。


「だけどさ、王家の谷がある岩山は、東ではなく、西だよね?」

 アルは返事をせず、にやにやしながら歌を続けていた。


 テーベの遺跡群は、ナイル川を挟んで西岸と東岸に左右対称に分かれている。西岸には、王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿、そしてこのメムノンの巨像などがあり、「死者の町(ネクロポリス)」と呼ばれている。東岸には、カルナク神殿やルクソール神殿などがあり、「生者の町」と名付けられている。


 スークは、東岸のルクソール神殿のすぐ近にある。ナイル川をボートで渡れば、目と鼻の先の距離だが、車でナイル川を越えるには橋を渡らなければならない。その橋が基本的には一本しかなく、しかも大きく迂回しなければならない。


 車に揺られながら、ほどよい倦怠感に包まれていた僕は、アルの歌が心地よい子守唄になって、いつしか眠りに落ちてしまった。

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