第22話 イヴリンの愛

 盟友カーナヴォン卿に先立たれたカーターは、生きる希望さえ失ってしまったのではなかろうか。そんな彼を支えたのは、美人で聡明なイヴリンだったのは間違いない。


  他人の家の中を覗き見して、あれこれ詮索するつもりはないが、イヴリンの生家について、僕はアルに率直な感想を告げた。


「ハーバート家についてなんだけどさ」

 アルは、ワイドショー的な話題には、まったく関心がなさそうだった。

「カーナヴォン卿が亡くなったことによって、いろんな問題が浮上した可能性がある」

「それはそうですよね。一家の大黒柱が亡くなってしまったわけですから」

「そこでだよ。一人ワイドショーになってしまうかもしれないけれども、彼らのイベントを時系列に整理をしてみたら、理解できないことがばかりが出てきちゃってさ」

「私は、すでに理解不能なことだらけですので、なんとも思いませんが」


 僕は、笑いながら彼らにまつわる主なイベントを、アルが大好きな「九」に分けて書き出した紙を見せた。


1、22年11月 ツタンカーメン王墓を発見

2、23年4月 カーナヴォン卿が死去

3、23年10月 イヴリンが結婚

4、23年12月 未亡人アルミナが再婚

5、24年2月 王墓が閉鎖され、カーターがストライキを断行、王墓を去る

   (その後、発掘権が取り消され、分配権を巡りエジプト政府と衝突)

6、24年9月 アルミナが分配権の完全放棄を宣言

   (原則として、すべての発掘品はエジプト政府に帰属)

7、25年1月 王墓内清掃(クリアランス)権が再交付、カーターが王墓に戻る

8、30年 発掘品の海外への持ち出しが一切禁止

9、32年2月 クリアランス終了


 発掘権の取り消しについては、

「そもそも、カーターはフランス野郎のラコーを毛嫌いしていたでしょ。にもかかわらず、敏腕ネゴシエーターだったカーナヴォン卿が亡くなったので、考古局側と、まともにやり取りできる人がいなくなってしまった。それによって、ラコーとの関係がさらに悪化した結果だと考えられるよね」

 と僕は切り出した。


「私もその通りだと思います。でも、カーターについては彼単独で考えずに、イヴリンとの関係性やその時々のカーターとイヴリンの立ち位置を考えたほうがいいと、おっしゃっていましたよね」


「彼らが恋仲にあったのは本当だったと思う。真実については、もちろん当事者しか分からないし、その後において、イヴリンの実娘パトリシアや子孫の人たちは否定していたみたいだけれど。でも、実際にハイクレア城を訪れた吉村先生は、二人は恋仲だったとおっしゃっているし、だとしたら、なぜ二人の恋は実らなかったのか。『出ていけ』発言をされたほど、猛反対をしていたカーナヴォン卿が亡くなってしまったので、二人の恋が成就されてもおかしくはなかったわけでしょ?」

「誰かが邪魔をしたということは、考えられないでしょうか」


 僕はアルと一緒に考え込んでしまった。そして、自分が書いた時系列表を穴が開くほど凝視した。


「アルちゃん、一個抜けていたよ!」

 僕は大声を出してしまった。

「2と3の間に、めっちゃ大事なことがあった」

「何ですか?」

「発掘期限が23年6月に終わったんだよ。つまり、カーナヴォン卿が亡くなって、契約期限を迎えるまで、たった2カ月間しかなかった。それこそが空白の時間だった可能性がある。にもかかわらず、発掘権は延長されたわけだから、そこに何らかの力が働いていた可能性があったことは十分に考えられるよね」

「そっか、そういうことだったんですね」


 カーナヴォン卿は1923年4月5日、妻アルミナと娘イヴリン、そして息子ヘンリーらが見守る中、午前2時5分にひっそりと息を引き取った。そして、亡骸は、アルミナらと共に4月14日に英国へ帰国した。


「奥様のアルミナについてなんだけどさ」

 僕は、神妙な面持ちで切り出した。

「夫が亡くなった約8カ月後の12月1日、彼女は、イアン・オンスロー・デニストン元中佐という退役軍人と再婚したことなんだけど」


 他人のプライバシーに関わることなので、僕は躊躇いながら話を進めた。


「二人はもともと、カーナヴォン卿の生前中に、どこかのパーティーか何かで知り合ったらしいんだけど、夫が亡くなってから再婚するまでの時間があまりにも短くはないかな」

「ということは、フリ・・・」

「シーっ!」

 僕は、人差し指を口の前に垂直に立てて、ほかの人には聞こえないようにアルを制した。

「それについては、まったく分からない。僕としてはアルミナの名誉のためにも、そうじゃなかったと信じたいね」

 僕は、ひと息ついた。


「それに、こんなプライベートなことは言いたくないんだけど、再婚相手であるデニストンと彼の元妻との間で『独身者事件』という当時としては結構、世間で騒がれた訴訟問題があって、アルミナは、その事件に巻き込まれていたというんだ」


 1976年4月14日生まれのアルミナは、正式には、アルミナ・ヴィクトリア・マリア・アレクサンドラ・ウォンブウェルといい、ロスチャイルド家の一員であり、イングランド銀行(日本の日本銀行に相当)の理事を20年にわたって務め上げたアルフレッド・ドゥ・ロスチャイルドの婚外子だったという噂である。星でいうと『七』と『金』


「それとも、あくまで邪推だけれど、もしかしたら考古学にのめり込んでいた夫に愛想が尽きていた可能性もあるよね。いつも家には、いなかったわけだし」

「でも、アルミナさんは、カーナヴォン卿と一緒に何度もエジプトに行かれていましたよね」

「そうだよな」

「じゃあ、もしかして仮面夫婦を演じていたということなのでしょうか?」

 彼の日本語に関する知識の高さに舌を巻きながら、また大笑いしてしまった。

「もしそうだったしたら、エジプトに来る時だけカーナヴォン卿が仮面を被っていた可能性もあるよね」


 僕は大笑いをしながら続けた。


「アルミナは未亡人になった後もカーターが発掘作業を続けられるようにエジプト政府に追加資金を支払った。その判断は、アルミナ本人の意志によるものだったようなんだけど、実際のところは、どうだったんだろう」


「カーナヴォン卿は死の間際に『お迎えがきた』という言葉を残されたそうなので、その前に『続けてほしい』と遺言を残すことは、できたかもしれませんよね」


「彼女は追加資金を払っておきながら、そのわずか半年後には別の男と再婚したんだよ。これから家を出ようと思っている人がする行動なのかな。どうもすんなりと、この流れを受け止めることができないんだよな」


 僕は、時系列表から目を離さずに言った。


「お兄様の動向も気になりますしね」

「彼が5歳の時に、父親は後遺症が残るほどの自動車事故を起こしたし、多趣味な上に、浪費家だった父親をすぐそばで見ていたからね」

「あくまで噂ベースですけれども、ヘンリーさんは、そもそもファラオやツタンカーメンなどには興味がなかったとも聞いたことがあります」


 ヘンリーはその後、50年以上たった1977年に受けたインタビューの中で、「ツタンカーメンの呪い」について聞かれた際、「100万ポンドもらっても、絶対に墓の中には入りたくない」と断言したというから、そもそも興味がなかったのは本当だろう。


「ツタンカーメンの副葬品については、英国に持って帰って大英博物館にでも引き取ってもらおうというくらいのことは考えていたんじゃないかな。あのタイミングであれば、契約が変更される前だったので、権利を主張することはできたはずだから」


 ヘンリーとしては、ツタンカーメンの墓が発見され、これ以上お金を使わなくて済むという安心感のほうが強かったのかもしれない。


「彼の星については、どうなんでしょうか?」

 アルはそう言うと、僕にヘンリーのことをミエログリフで見るように求めた。


 彼は最近、やたらと生年月日を調べるようになった。それはそれで嬉しいが、あまりにも、のめり込んでしまうと、人に対する見方が偏ってしまう危険性がある。それにテキストに書いてあるからと言って、決めつけるのは絶対に良くない。


 とはいえ、僕は、1898年11月7日と入力した。


「シャンポリオンやワイゴールと同じで、『三』と『木』」

「じゃあ、雷のような性格とかも同じだったということなのでしょうか?」


 その捉え方が、一面的にしか人を見ることができなくなってしまう危険領域なのである。


「確かに星が同じであれば、似たような性質をもっている。だけど、カーターを例に挙げると、Aさんは、彼のことを『頑固で強情』と言い、Bさんは、『一途で粘り強い』というかもしれない。人によって、受け取る印象がそれだけ変わるということなんだよ」


「ヘンリーさんは、シャンポリオンがヒエログリフを解読したように、父親の金使いの粗さを正確に解読していたということでしょうか?」


 僕は大笑いしてしまった。


「ところで、カーナヴォン卿が亡くなった後、ハイクレア城に関する遺産相続に関して問題は起きなかったのでしょうか?」

 僕は黙って考え込んだ。

「どうかしたんですか?」

 アルが心配そうに言った。

「それについてはよく分からないけれど、さっきから気になっていることがあってさ」

 僕はいったん言葉を止めると、こう言った。


「イヴリンが結婚したタイミングだよ」

 アルが真剣な眼差しを向けた。


「イヴリンは、その後の結婚相手であるブログレイヴ・キャンベル・ビーチャン(ブログレイブ・ボーシャン卿)という政治家と21年に出会い、急速に愛を深めていったらしいけれど、もしそれが本当だとすると、カーターの『出ていけ』発言はなかったと思うんだ」


「言われてみれば、そうですよね。時間軸からすると、何かがおかしいですよね」


「それにさ、お父様が亡くなってから半年もしないうちに、そんなに急に結婚する必要があったのかな。僕の頭がおかしいのかもしれないけど、さっきも言ったように、そのことだけを取り出しても、なんか腑に落ちないんだよね。しかも、そのあと立て続けに未亡人が再婚だよ」


 アルの目が光った。同意の目なのか、あるいは他人のプライバシーをこれ以上、詮索するなという目なのか、僕は気付かないふりをして持論を展開した。


「ツタンカーメンの墓発掘にかかった費用は総額36,000ポンド(これとは別にメトロポリタン美術館が支払った金額は9,000ポンド)で、現在の日本円に換算して約6億円。これは、カーナヴォン卿が亡くなった後に発掘権延長のための追加資金を含めての金額だけど、すごい金額だよね」


「やっぱりカーナヴォン卿は、とんでもないお金持ちだったんですね」

「ところが、そうじゃないんだ」

「えっ?」

 アルがびっくりした表情をした。


「アルミナがハーバート家に嫁いでこなければ、ツタンカーメンの発掘資金を手当てすることはおろか、ハーバート家の存続そのものが危うかったとも言われているんだ」


 彼女が結婚する際、ロスチャイルド家から渡された持参金は、50万ポンド(日本円に換算して83億円)だったといい、その後においても、かなりの額の金をアルフレッドから受け取っていたらしい。


「僕には複雑すぎて、頭がパニくりそうです。でもですよ、下世話なことをお伺いしますが、その6億円はカーナヴォン卿がお亡くなりになってしまったので、パーになってしまったのでしょうか?」


 受け止め方によっては、いい質問だ。


 ラコーが局長だった25年2月に、副葬品は、すべてエジプト政府に帰属することが決定され、30年には海外への持ち出しを一切禁止する法令が敷かれた。それに伴い、エジプト政府はアルミナに30年秋、それまで彼女が支払った資金を全額返還したのである。


 しかし、23年6月に期限満了を迎える4カ月前の2月、カーナヴォン卿が蚊に刺された時には、彼はすでに度重なる心労がたたり、かなり衰弱していたという。その理由のひとつは、副葬品が自分のものにならないことを知ったからだという。


 だとすると、23年6月の契約延長の時点では、出資金はすべて捨て金になった可能性が高い。


「いずれにしても、出資金が全額返還された時は、アルミナは、すでにハーバート家の人ではなかったということだよ」


「ということは、そのお金は、ハーバート家には戻らなかったのでしょうか?」

「他人様の懐勘定については、さっぱり分からないね。でも、下世話ついでに付け加えると、さっきの話の続きになるけれど、23年6月に期限が切れる直前に、なぜアルミナは追加資金の投入を決めたのか。その動機は何だったのか。やっぱりイヴリンが鍵を握っていたと思うんだよね」


「それが、さっきおっしゃったイヴリンが結婚したタイミングのことと関係があるのでしょうか?」


 カーターが画家か考古学者になっていなければ、探偵になっていたとも言われていた。僕は、彼の足元にも及ばないが、アルの質問には答えず、シャーロック・ホームズを気取って独り語りを続けた。


「お父様が亡くなった時点で、イヴリンはカーターと結ばれることを期待した。だからこそ、ヘンリーは反対した。あるいは反対したのはアルミナのほうだったかもしれないが、どちらかがイヴリンをカーターから引き離す工作を考えた」


「なるほど、だんだんと見えてきた気がします」


「そこでまずはイヴリンを説得した。しかしイヴリンだって、そう簡単には引き下がれない。ちなみにアルちゃんだったら、こういうとき、どうする?」

「自分の立場を利用して交換条件を出すかもです」

「家族も大事だけれど、惚れた恋人を支えたい気持ちもあったと思う。女性は優先順位を付けない傾向性があるから、どっちを優先するかではなく、家族も恋人もまったく同じように重要と捉えていた可能性は十分にある」


「だとしましたら、その条件については、イヴリンさんからではなく、アルミナさんとヘンリーさんの両方からの提案だったと考えられませんか?」


「いいこと言うね。それだよ、それ。その意見に同意するよ。もしイヴリンの結婚がすでに決まっていたとすれば、そこまでして、彼女をカーターから引き剥がす必要がなかったからね」


「そりゃそうですよね」


「でも、そこがよく分からないところなんだけれども。だとしたら、やっぱりイヴリンの結婚は、カーナヴォン卿が亡くなる前には決まっていなかったんじゃないかと思えてならないんだ」


「なるほど、そういうことなんですね」


「だからこそイヴリンは、自分という存在を最大限に利用して、カーターの仕事を続けさせる決心をした。そのための条件とは、母と兄からの『カーターときっぱり縁を切るだったら、彼の仕事を続けさせてやる』とね。これに対してイヴリンは、『もしそれが本当なら、条件を飲んであげるわよ』と」


「だから、カーナヴォン卿が亡くなったすぐ後に、その彼と結婚したんですね」


「その条件交渉が成立したからこそ、アルミナは、その金がたとえ捨て金になろうとも支払った」


「なるほど、辻褄が合ってきますね」


 現在のレディ・カーナヴォンが2011年に出版した『The EARL and The PHARAOH』によると、アルミナは寛大な心の持ち主で、金払いについては気前がよかったと褒め称えている。


「あくまで邪推だけど、イヴリンは、自分の存在のすべてをカーターへ捧げるために、自らを人身御供にしたんじゃないかと思う」


「そこまでして、イヴリンは、愛する男とその男の仕事を守り抜くために・・・・・」

 アルが感激のあまり涙ぐみながらも、何かに気付いたように湿った声で言った。


「でも、おかしくないですか?」

「何が?」

「だって、アルミナさんは、その半年後には再婚したんですよね」

 僕は大きく頷いた。


「もしその時、すでにアルミナさんの頭に再婚という二文字があったとしましたら、いくらご自身がお腹を痛めて産んだお嬢様のこととはいえ、そこまでしてハーバート家に気を遣って、お嬢様の身の振り方まで考えるものなんでしょうか?」


「ということは、やっぱりアルミナは、追加資金を出した後に再婚を決めたのかな」


 僕がそう言うと、アルは潤んだ目を指でこすりながら頷いた。


「アルミナが追加資金を提供していなければ、その後のクリアランスがどうなっていたのか分からない。五千点以上に及んだ副葬品が適当に処理された可能性もある。事実、カーターが墓の内部へ立ち入り禁止になっていた一年間で、エジプト政府は自分たちの手だけでクリアランスをしていて、いくつかの副葬品を傷付けてしまったようだからね」


「やっぱり、その仕事は、手先が器用だったカーターにしかできなかったということですよね?」

 アルの声から湿り気がなくなっていた。


「それに何より、ほかの誰かであれば、ツタンカーメンの石棺の蓋を開けたとき、首飾りを目にしたカーターが言った名台詞でさえ、聞くことはできなかったと思う」

「やっぱり最後の場面で、すべての鍵を握っていたのはイヴリンだったというわけですね」

「その通り。いくら家庭内のこととはいえ、それこそまさに政略結婚、もっと言ってしまうと、セルフ政略結婚だよ。イヴリンは本当にすごい女性だよ!」


「ですよね!」

 僕とアルは、感動しっ放しだった。


「でも、なぜ彼女はそこまでしてカーターの仕事を守ったのでしょうか?」


「ミエログリフの分析結果からすると彼女のキーワードは、『献身的な愛』。それと、実家のハイクレア城について、お父様は生前、『自分は、この土地や家屋の所有者ではなく、管理者だ』という生き方を信条にしていたそうなんだ」


 そう言いながら、僕は目を細めて遠くを見つめた。


「パパっ子だった彼女は、パパの大きな背中を見て育ったので、きっと、『ツタンカーメンのミイラと副葬品については、自分たちの所有物ではなく、あくまでツタンカーメンの管理者だ』と彼女なりに解釈をして、考え抜いた末の決断だったんじゃないのかな」


 僕は、ファラオ霊園のほうに視線を向けた。


「二人の別離は、まさに断腸の思いだった。でも、イヴリンの英断がなければ、ツタンカーメンのミイラが今なおファラオ霊園で眠り続けることはできなかった」


「だから、あの時、『ツタンカーメンの墓を発見したのはカーターではなく、ツタンカーメンがカーターに発見させた』、というメッセージが聞こえたと、おっしゃっていたんですね」


 僕は大きく頷いたものの、心の片隅に、まだ釈然としない気持ちが残っていた。


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