第21話 ライバルたちの熾烈な戦い
エアコンが効いた車に乗り込むと、僕は話題を少しそらした。そうすることによって、頭をリフレッシュさせようと思ったからだ。
チームCCが、ツタンカーメン墓の入口を発見するまでの実質5年間で取り除いた土砂の量は、20万トンにも及んだ。
そうした地道な作業とは対照的に、力技で数々のお宝を発見していったのが、映画「インディ・ジョーンズ」のモデルになったとされる、1778年11月15日生まれのイタリア人の大道芸人、ジョヴァンニ・ベルツォーニである。
「星については、どうなんですか?」
アルの質問に対し、僕はミエログリフを確認しながら口を開いた。
「とんでもなく、ぶっとんだ性格としか言いようがない」
そう言うと僕はもう一度、今度は彼に関する情報を検索してみた。
すると、ぶっとんでいたのは性格だけではなかったことが分かった。
身長2メートルの巨漢だった彼はエジプトへの渡航前、「パタゴニアのサムソン」という芸名で舞台に上がり、鉄枠に12人もの男を乗せて歩き回ったというから、その怪力ぶりは、ミラノの街角で見かける「インド風ヨガマン」の比ではなかったはずだ。
その超人ハルク並の力で、ルクソールのファラオの神殿からは、ラメセス二世の巨像(大英博物館所蔵)を運び出すことにも成功したが、彼の特徴は、肉体の強さだけではなかった。
砂に埋もれていたアブ・シンベル神殿の入口を見つけ出し、その中にあった4体ずつ向かい合った8体のラメセス二世の立像も発見したこともある。その理由として、僕は次のように説明した。
「スポーツ選手に『試合勘』があるように、彼には、『発掘勘』が備わっていたことと、それと、もうひとつは」
僕はそう言いながら、スマホの画面を確認した。
「彼の星は、『六』と『金』で、『金』は、陰陽五行説では地中に埋もれている状態を意味するんだけど、アブ・シンベル神殿なんかは、まさに砂に埋もれた状態だったわけだから、そのことからも彼の『金』と『発掘感』がいかんなく発揮されたと考えられなくもないんだ」
窓外からは相変わらず強い日差しが差し込んでくる。
「つまり、地中に埋もれている『金』とは、発掘者にとっては『お宝』でしょ。彼にとっての『金』は自分自身になるから、『ベルツォーニ=金=お宝』という図式が成り立つんだ。その結果、『ベルツォーニ=お宝』という三段論法が成立する」
僕は日差しに負けないほどの熱さで持論を自画自賛していた。
「カーナヴォン卿が発掘権を得てから、カーターが最初に取り組んだのは、2,500坪という広大な面積を碁盤の目のように幾何学的に分けて、その一つひとつのマスをしらみ潰しに掘り返していったと言いますよね」
僕はアルの言葉に頷きながら補足した。
「正攻法として普通は、カーターのように科学的方法を用いるんだけど、『地形を読む天才』と評されたベルツォーニの場合には、自分自身の居場所を探せばよかっただけだから、ほかの星に比べて魂的には、はるかに有利だったとも言えるかもしれないね」
僕の説明が終わると、アルは一点を見つめ、真剣に何かを考えている表情をしていた。そしてこう訊いた。
「『金』については理解できましたが、『六』についてはどうなんでしょうか?」
「『六』は、開拓精神がめっちゃ旺盛な星なんだ。それがなければ、考古学の素人であるイタリア人がエジプトにやって来て、蠍がいる砂漠の中やコブラが潜んでいる藪の中を勇猛果敢に突き進んでいくことはできなかったと思うよ」
「ミエログリフって面白いですね」
アルの表情からは緊張が溶け、眉間からもしわが消え、口元も柔らかくなった。
「ベルツォーニが当時、ライバル視していたフランス人で、カイロ在住のアレキサンドリア総領事ベルナルディーノ・ドロヴェッティという人物がいたと思いますが、彼の存在はベルツォーニにとって、すごく大きかったんじゃないかと思うんです」
「おお! そうだよね」
僕は昨晩、部屋にこもって調べていたストーリーのひとつを思い出していた。
ベルツォーニが発掘に意欲を燃やした時代は、まさに発掘全盛期と言ってもよく、あちこちで熾烈な争いが繰り広げられていた。銃が使われることもあったらしい。まさにインディ・ジョーンズの世界そのままである。
僕は、ドロヴェッティの生年月日である1776年1月7日をスマホに入力し、導き出された数値を見て驚いた。
「びっくりだね。こりゃまたすごいや!」
「ということは、撃ち合いでもしたのでしょうか?」
アルが真顔で訊いた。
「それについては分からない。でも、ベルツォーニは剣を抜いて、喧嘩相手と果たし合う寸前までいったことがあったみたいだからね。まあ、それはそれとして、彼ら二人は似ているところもあるけれど、犬猿の仲と言っていい関係だったね」
アルの目がノートに書かれた五芒星の図を追っていた。
「だけど、星うんぬんというよりも、ドロヴェッティは、ベルツォーニが行く先々で、めちゃくちゃな意地悪をしていたみたいだから」
「そうなんですか? だとしたら、とんでもなく酷い奴ですね!」
ノートからパッと顔を上げたアルの言葉には、力が込められていた。
「例えば、ルクソールでの発掘作業では、ベルツォーニが現地の作業員を雇用できなくしたり、またあるときは、地方都市で役人を買収して、発掘に必要な資材を手配できなくさせたり、至るところで妨害工作を張り巡らせていたみたいだからね」
「やっぱり、めっちゃ性格が悪い奴ですね」
「そうなると、星どころの話ではなくなってくるよね」
「フランス人のことが、もっと嫌いになりそうです」
アルはそう言うと、両手を広げて、いるはずもないドロヴェッティに、冷ややかな視線を送っていた。
「ドロヴェッティに関しては、もうひとつ重要なことがある」
僕は続けた。
ベルツォーニがドロヴェッティに対抗するきっかけとなったのは、彼本人の意思によるものではなく、フランスに対抗意識を燃やしていた英国代表、アレキサンドリア総領事のヘンリー・ソルトからの依頼によるものだった。
なので、元をただせば、ドロヴェッティ対ソルトの一騎打ちは、英仏の闘いだったというわけだ。
英ソルトは、仏ドロヴェッティを打ち負かすために、イタリア人のベルツォーニを雇って、自分は後方支援に専念し、彼に活躍してもらったというのが真相のようである。
「ソルトとベルツォーニの相性については、どうなんでしょうか?」
アルが、目を輝かせながら聞いた。
僕は、ソルトの生年月日である1780年6月14日を入力した。
「ソルトにとっては、あまりよくないね」
「と、おっしゃいますと?」
「ソルトは『木』で、ベルツォーニは『金』なので、ソルトにとってのベルツォーニは、もっとも苦手なタイプの星、つまり天敵になるからね」
「でも、二人が役割分担したからこそ、ベルツォーニが実績を上げることができたんですよね?」
「実際にはそうなんだけど、ミエログリフ的には、ソルトはいつもベルツォーニの威圧感に怯えていて、二人で決め事をするときにも彼のやりたいようにやらせるしかなかったんじゃないかな」
アルが真剣な表情で頷いていた。
「結局、蓋を開けてみれば、最前線に立って数々のお宝を発見したベルツォーニばかりにスポットライトが当てられ、ソルトは、日影に追いやられてしまっていたから、それだけでかなり苛立っていたと思う」
僕は、ペットボトルの水を口に含み、乾きを潤わせた。
「二人の関係性をカーターとカーナヴォン卿に置き換えると、ベルツォーニがカーターで、ソルトがカーナヴォン卿になる。なので、本来であれば、ソルトはベルツォーニと同等か、それ以上の評価をされてしかるべきでしょ。ましてや総領事という高級官僚だったのだから。それなのに、そうはならなかった」
僕はいったん言葉を止めると、改めてミエログリフを確認した。
「ミエログリフ的に言えば、チームCCがお互いを尊重し合う関係であったのに対して、ソルトとベルツォーニは、天敵関係だった。ソルトは、ベルツォーニが亡くなった4年後に亡くなったんだけど、死の間際までベルツォーニに対して激しい嫉妬心を燃やして、ムカついていたみたいだからね」
ベルツォーニが発掘意欲を燃やした動機は、ソルトへの貢献や考古学的見地からではなく、単に出土品に対する金銭的欲求だった。
「ということは、デイヴィスと同じだったんですよね」
アルが言うように、カーターがツタンカーメンの墓を発見し、クリアランスの手法を確立するまでは、トレジャリー・ハンターが同居しているような状態だった。
「ミエログリフ的にデイヴィスの失敗原因はなんだったのでしょうか?」
「それぞれの星には開運するための『やるべきこと』がある一方で、『やってはいけないこと』もあるんだ。デイヴィスの星は、『感情的になること』なんだ」
「ではそれは誰にとってもNGなことじゃないんですか?」
「もちろんそうさ。でも九種類の中で、もっとも感情的になったらダメなのが、デイヴィスたちの『火』の人なんだよ」
「ちょっと待ってください。カーターも結構、感情的になる場面があったじゃないですか? サッカラの件なんか、めっちゃいい例じゃないですか」
僕は熱くなりかけたアルの頭を冷やすため、言葉を切った。窓外に目を向けるとメムノンの巨像が小さく見えた。そして、アルが落ち着いたのを確認すると、僕は続けた。
「カーナヴォン卿が亡くなった後、エジプト政府側との折衝では、カーターはめちゃくちゃ感情的になって、その石頭で自我を押し通そうとしすぎた結果、恩人であるシカゴ大学の考古学者、ジェームズ・プレステッド先生が、カーターを自分の友人リストから外してしまったくらいだからね」
「そんなにすごかったんですか!」
カーターの頑固さは、アルの想像をはるかに超えていたようだ。
「その結果、副葬品の分配をめぐる交渉が最悪の結末を迎えてしまったわけだけれども、ツタンカーメンの墓発見という、その一点だけに絞って言うと、彼は感情的にならずに、むしろ極めて冷静に判断していたと思う。そういう観点からカーターとデイヴィスを比べても、同じ『火』でも、かなり違っていたんじゃないかな」
「そういうこともあるんですね」
アルが何度も頷きながら、自分の中に理解を浸透させていきながら、こう言った。
デイヴィスが権利を放棄した1914年、CCコンビが誕生したが、そのとき、チーム・デイヴィス側からCCコンビに対して捨て台詞を吐いたとされている。
「王家の谷は、すべて掘り尽くした。やれるものならやってみろ」
ところがどっこい、カーターを甘く見ちゃいけねえよ。
なんてったって、火の玉ボーイなのだから。
というわけで、チーム・デイヴィスからの挑発的な発言に対して、カーターは不敵な笑みを浮かべながら、こう言い返した。
「100年前にも同じことを、ベルツォーニが言っていたぜ」
そしてついにCCコンビによる発掘開始を告げるホイッスルが高らかに鳴り響いたのである。しかし、その直後から第一次世界大戦が勃発し、実際には、1917年から本格的な発掘試合が再開されることになった。
「ツタンカーメンは、CCコンビにゴールデンゴールを決めてもらって本当に良かったと思う」
僕は、しみじみと言った。するとアルは、即座に反応した。
「なぜですか? ゴールデンゴールを決めたのは『カーターが』ではなく、『CCコンビが』というのは、何か理由があるのでしょうか?」
「カーターが、ということであれば、デイヴィスとの協業で発見した可能性もあった。だけど、それはツタンカーメンにとって本望ではなかった。発見者がCCコンビじゃなければ、彼のミイラがどこに連れ出されたのか分からなかったし、副葬品にしても、どうなっていたか分からないからだよ」
カーナヴォン卿は、「ツタンカーメンには最高の敬意を払い、3,000年以上にわたり眠り続けてきた場所から彼を移動させることなく、石棺の中でそのまま休ませるのが望ましい」と述べ、その理由として「例えば、英国女王の墓が数千年後に外国人の手によって暴かれたらどう思うか?」という具体的な事例を挙げ、ミイラが王墓の中に留まることを訴えた。
しかし、その一方で、カイロにあるピラミッドの中にすべてのミイラを集め一緒に収めるべきだとか、考古学者のピートリーは、テーベの山地に博物館を建造し、そこに安置させるべきだと述べるなど、処遇については議論百出した。
その結果、彼は、元いた寝床で二度寝をすることができることとなったのである。
ツタンカーメンの墓を発見したのは1922年11月。その約半年後の23年4月にカーナヴォン卿が亡くなった。そしてカーターがミイラと対面できたのは、さらにその2年半後の25年10月のことである。
ミイラとの対面まで時間がかかった理由のひとつは、24年2月から25年1月までの1年間にわたって、エジプト考古局長ピエール・ラコーからチームCCへの発掘許可が取り消されていたからでもある。つまり、カーターはその間、何ひとつできなくなっていたのである。
カーナヴォン卿の死から発掘許可が取り消された24年2月までの10カ月間で、王家の谷を巡って何があったのだろうか。
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