第20話 運命の四日目
いよいよ今日が最終日である。しかし、まだ成果らしきものを得られた実感はない。
『あの声』を聞いたときから今回の追求が始まったわけだが、その答えが見つかったとしても、僕はそもそもスクープを取りたかったわけではない。真相をあぶり出してやるぜ、という記者魂のようなものが自分を突き動かしただけだ。
『報道する自由』とはよく聞く言葉だが、記者クラブの会員じゃなければ、そもそも得られる情報には限りがある。そのため、フリーランサーや中小の編集プロダクションにとって、ペンによる報道活動を日本で行っていくうえでは、すべてが不自由だといってもいいだろう。
記者クラブは、民主主義国を前提とした場合、世界中どこを探しても見当たらない。日本だけにしか存在しない特殊形態なのである。
そのため何十年も前から「弊害」が叫ばれてきたわけだが、国や官僚組織と同じで、解体は愚かメスを入れることすらできないため、クラブに所属する大手メディアからの情報が大本営発表と何ら変わらなくなってしまっているのが現状だ。
そうしたことに嫌気が差したのも、僕が会社を辞めようと決意した大きな理由だった。
ルクソールのファラオ霊園や古代遺跡には記者クラブはない。最後の最後まで諦めずにやれるだけはやってみよう。
僕はそう心に誓うと、ルクソール博物館へ足を運んだ。
*****
ニューヨークのブルックリン美術館が展示品の陳列などのデザインを担当したように、モダンな雰囲気を漂わせるルクソール博物館は、1975年に開館した。
コレクションは、ルクソール地区から出土したツタンカーメンの祖父であるアメンヘテプ三世の頭像やトトメス三世の立像や彩色レリーフ、ワニの頭をしたセベク神像など、カルナック神殿やディール・エル=バハリなどが多いが、それらに混じってアマルナ美術品なども陳列されている。
それらの中には、トゥトとアンクエスの実父アクエンアテンの彫像もある。
「せっかく、この地を離れて独自の王国をアケトアテンに作ったのに、亡くなられた後、帰りたくもないルクソールに戻されてしまったのだから可哀想だね」
僕はここ数日間の調査を通じて、アクエンアテンは異端児ではなく、誰に対しても優しい男だったのではないかと感情移入してしまっていた。
アクエンアテンは、水頭症という持病を抱えていたためか、後頭部が大きく出っ張っていることに加え、大変申し訳ないが、どこをどう切り取ってもイケメンの要素が感じられない。
あえてブサメンに作らせたとも、同性愛者だったとも、あるいは体形が女性化したからだとも言われているが、もしアンクエスが少しでも父に似ていたら・・・・・
「これを見てください」
アルが立ち止まって、強化ガラスで防護されている中の壁にかけられた展示物を指差した。
「何かに似ていると思いませんか?」
「・・・・・」
3300年という途方もなく長い年月による経年劣化はあるものの、そこにあったものは、菊の御紋の文様が散りばめられたカーテンだった。古代エジプトと古代日本、謎に満ちたシュメール文明などとの関係性については、今なお解明されていないことが多い。
しかし、アルには申し訳ないが、僕には文様や古代文明よりも気になることがあった。
トゥトとアンクエスが飼っていた二匹の猫ちゃんが遊んで引っかいたであろう爪痕が残っていないかどうか、僕は目を皿のようにしてカーテンを隅から隅まで探した。
「そろそろ行きますよ」
アルが、「もうカーテンはいいでしょ」と促すように歩き始めた。
「どこかにトトちゃんとメリーちゃんの爪痕とか、毛とかが残っていないかなと思って」
「はい?」
「いや、何でもない。独り言」
次のコーナーには、ツタンカーメンとアンケセナーメンが寝ていた木製の天蓋が展示されていた。
「あれだけ美人の奥さんがすぐ隣で寝ていたのだから、僕だったら興奮して眠れなかったかもね」
僕は、笑いながら言ったものの、ようやく回復してきた空っぽの腹の中では、ツタンカーメンに軽く嫉妬していた。
すると、アルが珍しく僕の意見を否定した。
「そんなことはないと思います。だって、ブスは3日でなれるけど、ビジンは3日で飽きるというじゃないですか」
「よくそんなことを知っているよね」
「ブ、いや、ビジンの奥様とご一緒に来られた旦那様が、こっそり教えてくれました」
「そんなこと、奥さんに聞かれたら殺されるよ。大丈夫だったの?」
「ですから、もちろんこっそりと、です」
アルがウインクで返事をした。
「ちっちゃな頃から悪ガキで、15で不良と呼ばれたよ♪」
アルが突然、得意の歌を小声で披露し始めた。チェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』である。
「和田アキ子さんの時と同じで、本当は替え歌を歌いたかったんじゃないの?」
僕が水を差し向けると、
「ありがとうございます」
アルの顔に現れたのは、アルカイック・スマイルでもドヤ顔でもなく、太陽円盤から放たれたような眩いばかりの光だった。
「では、お言葉に甘えて」
アルは軽く咳ばらいをすると、
「『ちっちゃな頃から悪ガキで』の部分は、『ちっちゃな頃から愛されて』に変えましてですね」
と説明し始めた。
(いいぞいいぞ)
「『15で不良と呼ばれたよ』は、『12で王妃と呼ばれたよ』にさせていただき」
(それでそれで)
「『ナイフみたいに尖っては、触るものみな傷つけた♪』は、『ヴィーナスみたいに美しく、触るものみな輝いた!』にするのは、どうでしょうか?」
「いいんじゃない!」
僕は短く返事をしただけだったが、博物館内だから大声は出せないものの、腹の中で大爆笑していた。
「確かに。トゥトの人生は、短かったかもしれないが、ビジン妻でもあるアンクエスの内助の功によって最高に輝いていたと思うからね」
彼らが使っていた天蓋に抗菌加工が施されていたり、クリーニングに出されていなければ、彼らの温もりが残っているはずだ。僕は、匂いフェチではないが、夢の中でアンクエスから放たれていたラベンダーのような香りがするかどうかを確かめてみたかった。しかし、カーテン同様、分厚いガラスケースで守られていたため、諦めざるをえなかった。
少し先を歩くアルが振り返った。怪訝そうな目で僕を見ている。
「にやにやしていますけど、さっきから、なんか気持ち悪いですね」
トゥトとアンクエスと一緒に川の字になってトトメスとメリトリアンが寝ていたかと思うと、楽しくてたまらなかったからだ。
僕は、にやけた顔のまま頷いた。
古代エジプトで最初に家畜化された動物は、リビアヤマネコを祖とする猫である。ペットとして飼うようになったのは新王国時代ごろからで、ツタンカーメンとアンケセナーメンの時代には、猫はすでに人間社会の中に溶け込んでいた。
その理由として、ネズミを退治してくれるからというものもあったが、猫はとても大切な家族の一員だったからで、古代エジプト人は、猫が死ぬと眉を剃って悲しみを表現した。
戦争や決闘で使われる盾には、猫の絵が描かれていた。少し残虐な気もするが、盾に猫を縛り付けることもあったという。そうすることによって、バステト神である猫に対して敵が弓を引けなくなったからだ。
次は、18王朝初代のファラオであるイアフメス一世とラメセス一世のミイラが安置されているショーケースである。
ラメセス一世のミイラは、ネフェルトイティの胸像と共に、米タイム社が以前発表した「略奪された遺物トップ10選」のひとつに数えられたことがあった。ミイラは盗難後、巡り巡って、アメリカ・アトランタのカルロス博物館の手に渡った後、心あるカルロス美術館のお陰で無事に故郷ルクソールで再び安眠できるようになった。
アルに追いつくと、そのショーケースまで、あと2、3メートルの所で僕の足が突然止まってしまった。
「こっちへ来るな!」
ガラスケースの中に安置されている二人のミイラたちが、そう叫んでいるように、ものすごい気魄が伝わってきたからだ。
「どうしたんですか? 急に」
アルも僕に合わせて、その場に立ち止まり、不審がって聞いた。
「分からない?」
「何がですか?」
「なんとなく、変な感じがしない?」
「そう感じろと言われれば、そうかもしれませんが、でも私は何も感じませんが」
「嫌な感じというか、誰かに見られているような不気味さというか」
アルは、ここへ来るのがなれているため何も感じないのか、何も感じなくなったのかは分からない。しかし、そのときは、霊感のないはずの僕が、明らかに違和感を覚えた。
アルは、僕の意味不明な言動に、明らかに戸惑っていた。
「確かに言われてみれば、ですけど・・・・・」
「ちょっと、このままにしてもらってもいいかな?」
僕はそう言うと、目を閉じて集中した。その間、わずか1、2分だったと思う。再び目を開けると、アルが言った。
「霊感が強いんですか?」
「めっちゃ弱い、というか、まったくない」
僕が即答するとアルが吹き出した。
「じゃあ、見ますか? ミイラを」
「そうだね。せっかく来たんだし。ご挨拶だけさせてもらおうかな」
きっと、いま感じた違和感は気のせいだろう。
僕は、錘がついたように重くなった足を、一歩一歩確かめるように、ゆっくりとガラスケースに向かって進めていき、二、三歩手前で止まった。
「ギザのピラミッドに行った時に、僕にアドバイスをしてくれたでしょ。玄室に入る時は、『クフ王様、初めまして。今日はどうもありがとうございます。今からお邪魔いたします。よろしくお願いします』と、きちんと一礼してから中に入ってくださいと」
「はい」
今度は僕がアドバイスをする番だった。
「ミイラさんに向かって、『お恥ずかしいお姿のところ、大変申し訳ありません。ご挨拶だけ、させていただきにまいりました。それが済んだら、すぐに帰ります。よろしくお願いします』と、一礼してから拝見させていただくことにしよう」
素直なアルは、二つ返事で同意してくれた。
ファラオはもちろん、多くの一般人もミイラにされたのだが、吉村作治先生によると、その数は古代エジプト全時代を通じて一千万体にも達したという。ただし、品質については金額次第だったともいう。
ミイラは、13世紀ごろから数世紀にわたって略奪が相次ぎ、金儲けを目的とした売買は20世紀まで続いた。その理由は、ミイラを作る際に利用されたプロポリスという防腐剤が、病気だけではなく、捻挫や炎症、骨折などの外傷にも効果があると信じられていたからだ。
そのため、略奪されたミイラは切り刻まれ、薬として売られた。フランス国王でさえ重宝がったくらいである。日本でも例外ではなく、江戸時代には、主にオランダから持ち込まれ、欧州同様、万能薬として使われた。
僕とアルは、その場に立ち止まったままだった。
「アルちゃん、今、何か声が聞こえなかった?」
「いえ、特に何も聞こえませんが」
彼が、物音ひとつ立てずに耳を澄ませてくれた。
「ほら、また」
「え?」
アルが恐怖にかられ始めた頃、僕は彼の背中に向かって、
「ウソで~す!」
振り返ったアルの耳が『イカ耳』のようになっていた。
ミイラは、れっきとした人の遺体である。にもかかわらず、墓から無理矢理引っ張り出され、見世物にされている。ミイラにしてみれば、恥ずかしさを通り越して苦痛以外のなにものでもない。それどころか、来世で戻るべき肉体を奪われてしまったわけだから、彼らの霊は行き場を失い、今もなお、どこかで彷徨っているかもしれない。
次のコーナーには、チャリオットと呼ばれる戦闘用の馬車が展示されていた。当時は、北東に位置する宿敵ヒッタイト王国をはじめ、シリアなどとも鍔迫り合いを演じつつ、ナイル川上流のヌビアを支配していった時代である。
ツタンカーメンの死因を巡る論争は、今なお盛んに行われている。最近の研究によると、落車によって大腿部を骨折してしまい、そのことが死を早めた原因の一つになったのではないかとも言われている。
「これって、どれくらいスピードが出たのかな」
僕がチャリオットを見ながらつぶやくと、アルが答えた。
「最高速度は、時速40キロメートルだったという研究結果もあるらしいですよ」
「そんな速度で落車したとすれば、骨折などの大怪我を負ったことは想像に難くないよね」
そう言いながらも、時速40キロメートルと聞いて、僕の頭の中では『あの声』が、かすかに響いていた。
ルクソール博物館は、それほど広くはないため、ざっと見て回るぶんには、1、2時間もあれば十分だ。僕とアルは退館した。
時刻は、昼の12時前。
外に出ると全身から汗が噴き出した。太陽の光がトゥトやアンクエスたちの頭上に降り注いだように、強い光は今でも矢のような線で描けてしまう。
「それにしても暑いですね」
エジプト人でさえ僻僻する暑さだ。僕も彼も同時に大粒の汗を拭った。
この暑さじゃ、アンケセナーメンやネフェルトイティたちは毎日、メイク崩れをしないように手入れも大変だったんじゃないかと気になったものの、当時は、大楓や棕櫚(しゅろ)、「ナイルの花嫁」と呼ばれるロータスの木々などが生い茂り、緑豊かだったため、日差しを遮るものがたくさんあったというから、そこまで心配する必要はないだろう。
今は砂漠が広がり、町全体は、石とアスファルトで出来ている。
「日本通のアルちゃんだったら、夏目漱石の草枕は知っているよね?」
僕は、かつて都だった町を歩きながら唐突に聞いた。
「はい、日本語の先生から教えてもらったことがあります」
その言葉を受けて、僕の頭に閃いた一句を披露した。
いつもはアルのギャグとか替え歌を聞かされていたため、今度は僕がお返しをする番である。
僕は今、炎天下の中を歩きながらこう考えた
外を歩けば、泡を吹く
ナイルに飛び込めば、流される
石に触れば、火傷する
とかくに、この都(と)は、歩きにくい
作:夏日総石(なつび そうせき)
「どう?」
僕はアルに感想を求めた。
「微妙です」
アルの返事は、まったく暑くならなかった。
「そっか、ダメか・・・・・」
僕は、ポツリと言った。
自分の中では、極めて秀逸な句だと思って披露してみたが、アルの心に刺さらなければ、誰の心にも刺さらない。
「ペンネームを『夏目』ではなく『夏日』にしたことと、『漱石』を『総石』にしたことについては、ひねりが効いていて、ちょっとだけ面白いかもしれませんが」
「ちょっとだけ?」
僕が不服そうに言うと、アルは、「はい」とだけ短く答えた。
「それに、そのペンネームは紙に書かないと、まったく理解できませんので、大変恐縮ですが、面白くもなんともないと思います」
完全なダメ出しである。その冷たい答えに僕がしょんぼりしていると、
「そろそろ行きましょう。あまり時間がないので」
アルが時計を見ながら無機質に言った。
トゥトとアンクエスが仲睦まじい夫婦だった痕跡を感じることは十分できた。しかし、真相を解明するパズルを完成させるためのピースがまだ足りない。
あと半日。
「本当は、このあとミイラ博物館に行ってからメムノンの巨像とルクソール神殿に行こうと思っていたのですが」
アルの言葉を片耳で聞きながら、少しだけ考えた。
ミイラには申し訳ないという気持ちしかないし、見たくないものを、あえて見に行く必要もないだろう。
「ミイラ博物館はやめよう」
「分かりました」
僕たちは、古代エジプト人が大好きだった「巨」像に向かった。
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