第17話 ディープ・エステート

「いやー、疲れたね」

 ホテルの玄関口まで、わずか数段の階段を上るだけでも、息切れしそうだった。

「こんなときは、お疲レーターが欲しいですね」

 アルのギャグが見事に復活した。


「余計に疲れさせてくれて、ありがとう。お陰で今日一日の疲れも、〝だっふんだ〟」

 僕は、「これでも食らえ」と、最後の力をふり絞って、志村けんのギャグで切り返しを図った。

「それを言うなら、ふっとんだ、でしょ」

 アルカイック・スマイルと共に、またもやアルの見事なクロスカウンターパンチによってノックアウト寸前に陥ってしまった。


 殴られた頭を大きく左右に振った。目眩が一段と激しくなった。

「大丈夫ですか?」

 アルが心配そうに僕の顔をのぞき込んだ。

「〝だいじょうぶだぁ〟」

 最後の一撃を試みるものの、これまた完全にスルーされた。軍配はアルに上がった。


「すぐに部屋に行かれますか?」

 アルが真顔で聞いた。

「喉が、サッカラだから、まず一杯、引っかけたいね」

「えっ?」

 アルの眉間に大きなしわが寄った。

「ごめん、言い間違えた。喉が、サっきから、カラカラだから」

 これ以上ないほどアルの冷たい視線が全身に突き刺さった。


 テーブルに案内されると、早速ビールを注文した。


 ラウンジの壁際にある大きなスクリーンでは、15/16シーズンのサッカーの試合が放映されていた。こう言ってはなんだが、エジプトは、サッカーが意外と強い。国際サッカー連盟(FIFA)が算出するランキングでは、2010年には、九位に輝いたこともある。


 イスラム教徒らしい口髭をたくわえた選手たちが何人もいるなか、彼らはピッチを縦横無尽に走り回っている。


 しばらくすると、試合中継が終わり、報道番組に切り替わった。テレビ画面に映し出されたのは、カイロにあるエジプト考古学博物館である。そのすぐ隣にある女性協会の建物も画面に映っていて、壁の一部がまだ薄汚れていた。おそらく2012年ごろに撮影された資料映像なのだろう。民主化を求めるデモ隊によって放火された焼け跡である。


「最近また、世襲政権になったんでしょ?」

「はい、この5年間で2回目ですよ。もう何がなんだかよく分かりませんよ」

 アルは、悲しい表情をした。


「アラブの春もそうだったけど、カラー革命などもすべてディープステートが裏で暗躍しているとも言われているよね」

 アルが少し考える素振りを見せた。


「ディープステートって、ああ、フカイフドウサンさんのことですね」


 そういうと、彼はスマホの画面を見せてくれた。電話帳には、「深海の不動産屋さん」と登録されてある。


「深海? 不動産屋さん?」

「はい。その会社の人なら、半年くらい前だったと思います。僕がカバン持ちを始めて間もないころでしたので、よく覚えているのですが。その人は、観光旅行に来たというのに、白っぽい高そうなスーツを着て、左腕には高級時計のリシャールミルを巻いていましたし、すごくお金持ちそうで上品な人でしたから」


「フカイフドウサンさんが?」

「ディープは、日本語では『深い』ですよね。その人は会社の社長さんで、ご自分の名前を社名にしたとおっしゃっていました。それに、オーラがものすごくて、まるで大きな海のような感じで、懐の深さもまったく読めないような人でしたから」


 そう言うと、アルは、真顔で続けた。


「深い海をもっと深くすると深海になりますよね。なので、お会いした時の印象から、電話帳には、『深海の不動産屋さん』と登録したんです」

「はあ?」


 アルは自分の記憶の掘り起こしに忙しいらしく、理解不能な僕を置き去りにして、淡々と続けた。


「深井社長さんは、海外展開を活発にやられているとおっしゃっていました。すごくお忙しいご様子なのに、僕のことを気にかけてくださって、それで今でも深井社長さんとはSNSでつながっているんです」


「・・・・・」


「つい先日は、チェムノーゼム(世界に類を見ない肥沃な『黒い土』)という農業用地の購入を国家規模で考えているとかで、視察中のウクライナからこれを送ってきてくださったんです」


 アルが見せてくれた写真には、ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領と一緒にアメリカの国務次官補の女性が映っていた。彼女の手には、クッキーと思われるスイーツが握られている。もう一枚の写真には、たぶんエルメスと思われる上品で鮮やかなオレンジ色の高級シャツを着た、深井社長と思われる紳士が映っていた。


 僕が呆気に取られていると、アルが心配そうに言った。

「この人がどうかしましたか?」

 僕は少し考えてから、言葉を返した。


「確かに、ディープステートは、『地球上にあるすべての土地は、自分たちのものだ』というグローバル戦略を掲げて、それを実行することに余念がないけれど」


「ですよね。ウクライナは美人さんばかりで、みんなモデルさんかと思うくらい綺麗だったと、そんなコメントが添えられた、たくさんの女性の写真を送ってきてくれたんです」


「あ、そう」

 僕は、どのように笑ったらいいのか分からない。笑顔に関するグローバル戦略でも研究してみようかと思った。


 そんなことはお構いなしに、アルは続けた。


「その前は、確か黒海に面した風光明媚なジョージアという国でしたっけ。とても綺麗なたくさんのバラの花を背景にした写真を送ってきてくださったんです。さらにその前には、キルギスのチューリップの花の色をイメージしたと言って、赤と黄色のストライプのネクタイ姿の写真を送ってきてくださって、その前はシリアの・・・・・」

「ちょっと待った!」


「どうかしたんですか?」

「アルちゃん、深井不動産を英語にすると、ディープ『エステート』だよ。僕が今話題にしているのはディープ『ステート』。あまり多くはないけれど、不動産会社によっては、社名を英語にした時に、エステートではなく、ステートとしている会社もある。だから、アルちゃんが混乱しちゃうのも、よく分かる。だけど、エステートとステートは、違うよ」

「ええっ?」

 アルが驚きの声を上げて、その顔からは表情筋が消えた。


「エジプトにはかつて墓泥棒がいたけれど、今の時代は、どこの国にも土地泥棒がいる。そういう意味からすると、エジプトを買おうとしたナポレオンもディープ『エステート』と言えるかもしれない」

 アルの顔が固まったままになってしまった。


「それはさておき、深井不動産さんは、言い方は悪いけど、いろんな国に、予め自分たちの都合に合わせたシナリオを作って、それを一方的に押し付ける」


 僕はアルが理解できるようにゆっくりとディープステートについて話し始めた。


1.独裁政権と呼ばれる国をターゲットに、一般市民を煽って政権交代を図る。


2.同時に、組織や企業の民営化を推し進める。


3.争いを抑えるという大義名分で、ミサイルや爆弾を使いまくって、病院や学校、道路や橋などといった社会インフラを粉々に破壊する。


4.紛争終結後、社会インフラの再建資金としてIMFを出動させ、高利貸しを行う。


「そうやって、何重にも外堀を固めておいて、世界各地でグローバル化を図っていくんだ。そしてその中核を成しているのが、アルちゃん流に言うと深井不動産ということになる。あくまで都市伝説レベルの噂だけどね」


 僕が一気にしゃべると、アルが真剣な眼差しで聞いた。


「ということは、深井さんの星は、『火』なのでしょうか? いろんな国の人たちに火を付けて回っているんですよね。つまりチャッカマンの役割をたくさん果たしているということで、いいんですよね?」

「それはそれで、また面白い発想をするね」

「ありがとうございます。僕もお陰さまでミエログリフがだんだん分かってきました」


(ちょっと待った!)

 と言いたいところだったが、アルの、にやけた表情を見ると、冗談だと分かった。


「ところで、ミエログリフについて、いつも『火』とか『水』については五種類だと、おっしゃっていますが、ほかの三種類はどんなものがあるのでしょうか?」

「そうだったね。まだちゃんと説明していなかったよね」

 そう言いながら、僕は五種類についての説明を始めた。


「『もっかどごんすい』といって」

「モッカドゴンスイ、ですか・・・・・」

 僕は、アルのノートを借りると、そこに『木火土金水』と書いた。

「陰陽五行説と言われるものなんだけど、カーターは『火』、アルちゃんは、『水』というように」

 アルが眉間にしわを寄せていた。

「もしかして、言葉だけだと分かりにくい?」

「あ、はい」


 その返事を受けて、僕は、五角形になるように、上から右回りに順に、「木」「火」「土」「金」「水」と書いていった。


「これが、僕がいつも言っているカーターの『火』で、『火』に隣り合わせになっているのが、ピートリーの『木』と、それから、その反対側にはカーナヴォン卿とかニューベリーの『土』になっているのが分かるでしょ」


 そう言いながら、隣り合う星を曲線で結び、全体として円になるように描いていった。

「この隣合ったもの同士が、相性の良さを表しているものなんだよ」

 アルが、真剣な眼差しを向けていた。


 次に僕は、それぞれの星の苦手関係を示す線を直線で書いた。

「五芒星とそっくりですね」

 僕がひと筆書きで線を描いていく様を見て、アルが言った。

「その通り。ついでに言うと、これは金星の動きを表したもので、真ん中は太陽で、この『木』から始まる五つの漢字が地球を表していて、太陽と地球の間にあるこの三角形の中に入るのが金星になるんだ」


「へえ、金星って、そうなんですね。英語では『ヴィーナス』って言いますよね」


 アルの目が図形から離れない。その真剣な波動を感じながら、僕は、それぞれの直線の片方に矢印のマークを書き足していった。


「アルちゃんもそうだけど、ラコーの『水』がここ。そうすると、これは右回りに見ていくから、『水』の次の次が『火』になっているでしょ。これが何度も言っているように、カーターの『火』は、ラコーとかマスペロとかの『水』によって簡単に消されちゃうという意味なんだ。分かりやすく言うと、カーターにとってラコーは天敵ということなんだ」


 僕は続けて『土』と『水』の関係性について説明した。


「ニューベリーやピートリーの『土』は、ラコーたちの『水』にとっては、めっちゃ苦手な星なんだ。水に土をかけることによって、水は吸収されて、なくなっちゃうでしょ。つまり存在を消されちゃうわけなんだ。だから『水』にとって『土』は天敵なんだよ」

 理解し始めてくれているのか、アルの目がだんだん開き始めた。


 僕は同じように、『木』と『金』の関係性についても説明をした。

「なるほど!」

 アルが感心した声を上げた。


 その反応に僕は満足すると、次に、一から九の数字を縦に書いた。そして、その右隣に、上から順に、『水』『土』『木』『木』『土』『金』『金』『土』『火』と書いた。


「すみません、何がなんだか、てんでばらばらで、よく分からないのですが、どうしてこの五角形と、この一から九の数字がつながってくるのでしょうか。もっと、なんていうか、規則性のようなものはないのでしょうか? それと金星に当たるこの部分については、ほかに何か言えるのでしょうか?」


「何もないね。そう覚えるしかないんだ。金星については、この表では特に意味はないから、スルーしてもらっていいよ」


 アルは、僕が書いた字を、人差し指でなぞりながら、不思議そうな表情を浮かべていた。

「そうすると、深井さんは、チャッカマンのようだけど、この『火』ではないということですね?」

「その通り」

「ふうん」

 なぜだかアルが残念そうにしていた。


「私には、よく理解できませんので、このことはいったん脇に置かせてもらうとしまして、さっきのお話を総合しますと、深井さんは、健全な不動産屋さんではないということなのでしょうか?」


(嬉しいね)

 言葉とは裏腹に、少しずつだけど、着実に理解を深めていってくれている。


「健全かどうかの答えは、未来が証明すると思う。今は誰にも分からないよ。それに彼らが視野に入れているのは、地球だけとは限らないからね。でも、これだけは言える。それは、彼らがまっとうな不動産屋さんであれば、ミエログリフが使えるけれど、そうでないならば、彼らに使うことはできないんだ。なぜなら彼らには、彼ら独自のやり方があるからさ」


「ミエログリフが使えないということは、よっぽどですよね」

「そうだよ」

「じゃあ、深井不動産さんの開運法は何なのでしょうか?」


 僕は、ビールがなみなみと入ったジョッキを持ち上げると、音を立てて喉に流し込んでから、こう言った。


「民主化デモ」

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