第16話 ケガの功名

 ルクソール市の面積は、416平方キロメートル。日本でいうと、栃木県宇都宮市とほぼ同じ大きさだ。人口は約42万人だから、1平方キロメートル当たりの人口密度は、約千人である。宇都宮市の人口密度は、ざっと一千五百人。そう考えると、ルクソール市は、日本の中核市と変わらない。


「さっきは、マジで死ぬかと思いましたよ」

 アルが、さきほど交通事故に巻き込まれそうになったことを、改めて思い出していた。

「ほんとだね」

 僕もぞっとする思いだった。


 しかし、そのとき、僕の心の中には、

(誰かが僕のことを見守ってくれているのだろうか・・・・・)

 あの時の温かい感覚が蘇っていたのである。


「カーターは、いろんなことがありながら、それでも、ツタンカーメンの墓発見を諦めなかったですよね」

 ひと息つくと、アルが言った。


「後付けの論理かもしれないけれど、『諦めなければ失敗はない』という諺通り。それをやってのけたんだから、彼はほんとすごいと思う。それに保身や名誉のためではないことだけは確かだよね。イヴリンも彼のそういうところに惹かれていったのかもしれないね」


 僕はそう言いながら、ツタンカーメンの墓の前で聞いた言葉を思い出していた。

『ツタンカーメンの墓は、カーターが発見したのではなく、カーターに発見させたのだ』と。


 そのときの盟友カーナヴォン卿について、ここで少し触れておかなければならない。


 1866年6月26六日生まれのカーナヴォン卿の星は『八』と『土』で、正式名をジョージ・エドワード・スタンホープ・モリニュー・ハーバートという。


「ずいぶん長い名前ですね」

 アルは、いつでも物事を素直に受け取る。

「エジプト人も名前が長い人が多いのですが、彼の名前も覚えるのが大変そうですね」

 アルがそう言うと、彼のスマホが鳴った。電話ではなくショートメッセージの着信音のようだ。


「すみません、ちょっといいですか?」


 アルはそう言うと、すぐに返信しなければならないらしく、僕に詫びを入れた。同時にトイレにでも行こうとしたのか、席を立った。彼が戻ってくるまでの間、僕はロード・カーナヴォンについてスマホで検索してみた。


 英国の貴族社会では、最高位は君主で、その下の貴族爵位は五段階に分けられる。上から順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵となる。英国の場合の分け方は、家柄ではなく、領地の大きさによって決まる。


 カーナヴォン卿の名前の後にDL(Deputy Lieutenant)という肩書が正式には付くが、これは英国王から任命された、カウンティなどの統監任命地域の副統監という意味である。

 

 アルが戻って来た。

「ごめんなさい。お待たせしました」

「大丈夫?」

「はい、今、日本のジャンコードおじさんから、『また来たい』というご連絡をいただいたところでして」

「ジャンコードおじさん?」


「ここだけの話ですが、そのお客様の頭髪が、サザエさんの波平さんのような感じだったものですから、最初はバーコードおじさんと呼ばせてもらって、スマホにも、そういうふうに登録していたんです。ところが最近、ほかのお客様から、バーコードという名称が『JANコードに変わったよ』って教えてもらったものですから、お客様の渾名も正確に登録したほうがいいのかなと思いまして」

 僕は、いろんな意味で笑いを抑えきれなかった。


 すると、彼がスマホの電話帳を見せてくれた。


「エジプト人の名前には、日本人みたいに苗字がなくて、ファーストネームから始まるのですが、みんなムハンマドとかアフマドとか、全部で20種類くらいしかないんです」


「そっか。確かに。ムバラク元大統領もそうだし、モルシ前大統領のファーストネームもムハンマドだったよね」


「はい。というようにエジプトでは、ムハンマドという名前がやたら多くて、そのまま登録すると、誰が誰だか分からなくなってしまうんです。そこで、例えば『背の高いムハンマド』とか、『サッカーがうまいムハンマド』とか、その人の特徴を渾名にして登録しているんです」


「なるほどね」


 日本人の場合、姓については、「佐藤」がもっとも多く、「鈴木」、「高橋」と続くが、人口比でいうと、それぞれ 2パーセントにも満たない。それだけ日本人の名前の種類が多いわけだが、姓だけでいうと、その数は十万種類に達するという。


「じゃあ、カーナヴォン卿を電話帳に登録する場合は、なんて登録するの?」


「後半生で多くの時間を共にしたエジプト人からは、卿を表すロードという言葉を使って、『ローディ』とか『ザ・ロード』と親しみを込めて呼ばれていたみたいですが、僕だったら、普通にファーストネームを使わせてもらって、『ファラオ霊園のジョージ』にすると思います」


「了解」

 僕は、ファラオ霊園のジョージの話を続けた。


 幼いころの彼は、「ポーチィ」と呼ばれ、17世紀に建てられ、映画やドラマの「ダウントン・アビー」で利用されただけではなく、ローマ法王も訪れたこともある由緒正しいハイクレア城で産声を上げた。敷地面積は、東京ドーム400個分(日本の平均的なゴルフ場、20個分)以上で、部屋数は300室に達するという。漫画かよ、と思えるほど、バカでかい。


 しかし、幼少期の彼は、その特性を存分に生かすような鬼ごっこやケイドロ(ドロケイ)ができないくらい病弱で、運動は不得手だったらしい。


 お母様については、三番目の妹を産んだのち、亡くなってしまったものの、父方の叔母であるレディ・グレンドエン・ハーバートとイヴリン(レディ)・ポーツマスの二人が親代わりとなって、幼いポーチィに惜しみない愛情を注いで育てたという。


 肉体改造が求められたポーチィは、ハイクレア城では政治の勉強や読書に勤しむ傍ら、レディ・ポーツマスの別荘があるエグスフォードでは、乗馬などのアウトドア活動に明け暮れる日々を送った。


 そんななか、狩猟の腕前については、その後、英国内で5本の指に入るほど凄かったという。


 彼の星である『八』と『土』は、質実剛健で、何にでも興味を持ち、多才でありながら、興味をもったことには、とことんのめり込んでしまう性格を表している。


 僕が簡単に彼のプロフィールを紹介すると、アルが返してきた。


「彼のことなら僕も少しだけ知っています。ゴルフもかなりお上手だったそうで、ハンディキャップがゼロだったみたいですから、相当な腕前ですよね。乗馬もさることながら、競馬にもかなりのめり込んでいたみたいで、ご自身でも何頭もの競争馬を所有していましたし、そうかと思えば、彼の車好きはかなりなものだったとも言いますよね」


「アルちゃん、その知識はどこから仕入れたの?」

「筑摩書房さんが出されている『ツタンカーメン発掘記』です。正確にいうと、上下二巻あるうちの上巻の最初のほうです」

 僕は、大笑いしてしまった。

「だよね。それしかないないよね」

「それ以外には、ウィキペディアとかインターネットがありますが、情報量としては少ないですし、あとは現在のカーナヴォン卿の奥様が出された自叙伝を英語版で読むくらいしかないので」

 僕は、その意見に同意した。


 ファラオ霊園のジョージは、ツタンカーメンの墓を発見した投資家として、いろんなところで「金持ち」だとか「大富豪」と書かれているが、事実、彼のパーソナリティに関する資料は少ない。


 残っている言葉としては、あの有名な「何か見えるかね?」くらいで、彼の詳細を知りたければ、ハイクレア城に行って、子孫の方に取材をさせてもらうしかない。それが難しい場合は、日本語で書かれた資料としては、みんなその本にたどり着く。そのため結局は、同じ情報を共有することになる。


 だから、


「間違うはずはないと思うけれど、念のために答え合わせをしていこうか」

「そうですね」

 二人の息がぴたりと合った。

「自動車事故を起こしたのは、どこで?」

 僕から質問した。

「当時はまだ空港はありませんでしたが、今でいうドイツ・フランクフルト空港から北に10キロメートルほど行ったところにあるシュヴァルバッハという田舎町です」

「その時、一緒にいた人は?」

「エドワード・トロットマンという運転手です」

「確か、1901年のことだったよね?」

「はい、そうです。でも、その本では1902年になっています」

 三つ目の質問は、引っかけ問題だった。

「全部正解だよ。これで間違っていたらヤバイよね」

 僕とアルは、お互いに目を合わせて、にやりとした。


「彼の車マニアぶりは、すごかったらしいね。彼が運転を始めたころは、英国では自動車免許の許可がなかったので(その後、英国で法改正があって、機械式の自動車が認められるようになったが、彼の車は英国内で三番目に登録された)、フランスで何台もの車を所有していて、そこでドライブを楽しんでいたというんだから、金持ちのやることはすごいよね」


 ヘンリー・フォードがT型フォードを発表したのは、1908年10月1日。それを考えただけでも車を所有することは、今の時代で言ったら、プライベートジェットのような感覚だったのだろう。


「僕には、恐れ多くて想像すらできません」

「でもさ、そんな彼でも事故を起こしちゃったんだよな」


 お姉様のレディ・バーグクリアによると、見通しの悪い緩い上り坂を走っているときに、目の前を牛車が突然、横切ってきたため、それを避けようと路肩に急停車しようとした。すると運の悪いことに、その道端に石が積んであって、その石でタイヤが破裂してしまい、車が横転して吹っ飛んでしまったのである。


「時速40キロメートルくらいで走っていたようですけど、当時としては猛スピードだったんだんでしょうね」

「結局、ジョージは、その車の下敷きになってしまったというから、恐ろしい事故だったよね」

「これは、『もらい事故』というんですか?」


(そんな日本語、よく知っているな)


「その言葉って、ハトシェプスト女王葬祭殿で言ってた保険屋さんから教えてもらったの?」

「いいえ、生保と損保は違うので、別のお客様からです」

 僕は思わず苦笑してしまった。


 車から投げ出されたジョージが顔を突っ込んだのは、堅い道路ではなく、泥の中だったため命は助かった。しかし、酷い脳震盪を起こし、顎は骨折、胸は潰れ、一時的に失明もしてしまい、回復してからも満足に話ができないほどの大怪我だったらしい。


「でも死なずに済んだのだから、まさに九死に一生を得た幸運の持ち主だったんだね、ジョージは」

「あっ!」

 アルが急に声を上げた。

「どうしたの?」

「九死に一生も、キーワードは『九』なのですね」

 彼は偶然、お宝でも発見したように小躍りした。

「ごめん、水を差すようで悪いけど、たぶん、そういうことではないと思うよ」

 僕は冷静さを維持することに努めた。


 もしその大怪我の後遺症がなければ、ジョージは選挙に出馬することを考えていたらしい。しかし、体力だけではなく、口も回復しなかったため選挙活動で満足な遊説を行えないことから出馬を断念したという。


 そうしたことを背景に医者の勧めもあって、彼はその2年後の1903年、エジプトの大地を踏むことを選んだ。


 そしてその19年後、『ファラオ霊園のジョージ』が誕生することになったのである。

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