第15話 火の取り扱いにはご注意を

 日本人が初めてギザのピラミッドの地を踏んだのは、江戸時代後期の使節団だった。


 そのころには、すでに欧州の富裕層を中心に大勢の観光客がエジプトへ出かけるようになっていた。その理由は、冬の厳しい寒さから逃れるための避寒地として利用していたことと、もうひとつは、エジプト考古学への関心だった。


 1798年のナポレオンによるエジプト遠征後に1809年から13年かけて全20巻にまとめられた「エジプト誌」が誕生したこともさることながら、何よりもシャンポリオンがヒエログリフの解読に成功したことが大きかった。


 そうした背景から、エジプト考古局が政府機関として正式に設立されたのは1858年6月。初代局長は、フランス人のオギュス・マリオットが就任。以来、ガストン・マスペロやピエール・ラコーらを経て、エティエンヌ・ドリオトンが1952年に退任するまでの約100年間、歴代の局長はフランス人が務めていたのだ。


「英国人カーターとフランス人の最初の対決は、1905年のことですよね」

 アルが言った。

「対決だなんて、決闘じゃないんだから。ちょっと言い過ぎのような気もするが、まあ、いいだろう」


 アルが言うように、そのころのエジプト考古学を巡っては、まさに英仏間の闘いでもあったのだ。


 場所は、カイロからほど近いサッカラのセラペウム(聖なる牛の墓)の入口だった。そもそもこの事件の発端は、ピートリーの妻ヒルダが住んでいる小屋や古遺物局のレストハウスにフランス人観光客が入り込んで暴れた上に、入場券を買わずに勝手にセラペウムに入っておきながら、暗くて中が見えないからと「蝋燭を寄越せ」と乱暴狼藉を働いたことによるものである。


「カーターもカーターで、穏便に済ませられたかもしれないところを、元来の正義感の強さや間違ったことを毛嫌いする性格に加えて、感情的になると手の施しようがないほど頑固になってしまうから、そういうふうになっちゃったのかもしれないね」


「結局、警備員がフランス野郎を殴っちゃったんですよね」

「そうらしい」

「いずれにしても、フランス人たちが偉そうにしていたとは思うけど、火の玉ボーイのカーターがいたんじゃ、たまったものじゃないよ」

 アルも苦笑した。


 その時、暴れたフランス人旅行者たちが怒り心頭に発したのは、自分たちよりもエジプト人を守ることをカーターが優先したからだった。


 その結果、いざこざは外交問題にまで発展し、フランス領事館からカーターに対して正式な謝罪要請が来てしまったのである。


 しかし、善悪にうるさく、物事の白黒を付けることにかけては天下一品だったカーターは、どう考えても悪いのはフランス人側であり、仲裁に入った自分に非があるとは、これっぽっちも思っていない。


 このときのエジプト考古局長は、大抜擢してくれたフランス人のマスペロであるにもかかわらず、マスペロの顔を立てるよりも、カーターは自分の正義とプライドを最優先させたのである。さすがとしか言いようがない。


 カーター、御年30歳。

 火の玉ボーイとして、ノリに乗っている。

 しかも英国紳士としてのプライドもある。


「フランス野郎なんかに、誰が頭を下げてやるものか!」


 と、鼻息荒く声を上げたかどうかは分からない。だが、フランス領事館からの公式な謝罪要請については、完全拒否。きっと謝罪要請の紙を燃やしてしまったに違いない。それくらい鮮やかな「火」の使い方だった。


 それに、もしかすると当初は、些細ないざこざ程度にすぎなかったものを、チャッカマンのカーターが怒りの導火線に火を付け、炎上させてしまった可能性すらある。いずれにしても彼は謝罪をする代わりに、「火」の後始末は、自分で処理することにした。


 つまり辞職である。


「表向きは、マスペロが泣いて馬謖を切ったと言われているけれど、カーターは、解雇を受け入れるような男じゃないからね。たぶん自分からだと思うよ」

「彼の『火』とは、そういう意味もあるんですね」

 アルは真剣そのものだった。


「そうだね」

 僕は内心、笑いながら同意した。


「ということは、フランス人観光客との、そのいざこざのときに、アイルトンのような『水』の人がいて、カーターの頭の上からバケツで水をぶっかけていたら、怒りの炎はすぐに消えて、失職せずに済んだかもしれないということですよね」

「その通りなんだけどさ、解雇したマスペロも、実は『水』なんだよ」

「そうなんですか!」

 アルが素っ頓狂な声を上げた。


「ミエログリフについてはあくまで参考に、とは言ったものの、まあ、結果的には、ほとんどその通りになっているよね」


 するとアルが「はい」と頷きながら、何かを思い出したように、質問した。

「ちょっと話は脱線しますが、あのシャンポリオンも火山のように激しい性格だったと言われていますよね」

「そうなんだね。オッケー、じゃあ、彼のことも見てみようか」


 僕は、彼の誕生日である1790年12月23日と入力して、その結果を説明した。


「感情論的性格からいうと、ピートリーと同じ『雷』だね」

「ちょっと待ってください。『雷』は初めて出てくる言葉ですよね?」

「ごめん、そうだったね。これは八種類に分けた見方で」

「ええーっ? 九種類だけでも覚えるのが大変なのに、今度は八種類ですか!」


 アルはそう言うと、顔をくしゃくしゃにして大泣きするような表情になった。

 その表情があまりにもおかしかったので、僕は思わず笑ってしまった。


「じゃあ、八種類については、別の機会に説明するとして、カーターが怒り心頭に発したときの表現方法は『火』で、シャンポリオンが怒ったときの表現方法は『雷』になるとだけ覚えておいて」

 アルが不詳不祥、頷いた。


 アルがカーターに話しを戻した。


「彼にアドバイスをするとしたら、どんなことが言えるのでしょうか」

「それこそ、火の取り扱いには注意しようね」

「でも、結果的に、ツタンカーメンの墓が発見できたのは、その事件と失職があったからなんですよね」

「それがまた数値データだけでは言い切れない人間の面白いところさ。もちろん、それがなければ、怪我の功名にはつながらなかったのも事実」


 僕は、続けた。


「だけど、カーターが、自分で自分のケツに火をつけるチャッカマンだったからこそ、最後にツタンカーメンの墓にたどり着いたというほうが大きかったと思う」


 僕は自分の言葉を自分の中に染み込ませるように続けた。


「さらにその前提として、『直感力』と『粘り強さ』がなければ、いくらケツに火を付けても火傷するだけで終わっていたとも思う」


 カーターが、全身を炎にして怒り心頭に発した事件がもうひとつあった。それは、盟友カーナヴォン卿との間で意見の食い違いが起きた場面でだ。


 ツタンカーメンの墓を見つけるまでは、関係者全員が一丸となって目標に向かって、ひたすら猪突猛進すればよかった。しかし、いざ発見すると、今度は、それまでになかった歪が生じるようになった。利害関係が一気に浮上してしまったのだ。


 マスペロの後を受け、一九一四年に局長に就任したピエール・ラコーは1873年7月15日生まれのフランス人で、『水』である。目が鋭く神経質そうで、ウィットには乏しく、同じ『水』でも陽気で社交的だったマスペロとは、正反対の性格だった。


「それだけ聞くと、なんか性格が悪そうなイメージですね」

 アルが笑っていた。


 ラコーは、教養が高く行政能力に長けていたようだが、「リストのリストを付けている」と陰口を叩かれるほど几帳面な男だった。そして彼は、カーターたちがツタンカーメンの墓を発見した時には、「自分か英国人査察官のレジナルド・エンゲルバッハが立ち会うこと」を条件にするなど、カーターにしてみれば、はっきり言って面倒くさい男だった。


 そんな男でも、局長の椅子に座ってしまったのだから、うまく付き合っていくしかない。


 しかし、この後任人事そのものがマスペロの判断ミスだったらしい。しかも、カーターには人に合わせるという発想がまったくない。笑っちゃいけないが、このあたりの関係性については、どう考えても救いようがない。


 ラコーの右腕エンゲルバッハの星は、『木』。ラコーともカーターともデータ上での相性はいい。そのせいか、その後において、彼とカーターがいがみ合った場面は見当たらない。


 翻って、英国紳士の代表であるカーナヴォン卿は、フランス語とフランス人に熟知していたというから、ラコーの扱い方もうまかったんだろう。


「ツタンカーメンの墓を発見後、対外的にまずやらなければならなかったのは、メディアを含めた人の対応だったみたいですよね」


「それがカーターたちにとって、いちばん頭の痛い悩みの種だったようだね。どうにかして見てやろうと、立ち入り禁止区域に人が侵入してきたり、メディアの記者が『電報です』とウソをついて現場に潜り込もうとしたこともあったみたいだからね」


「カーナヴォン卿は、そういうメディア対応についてもそうですし、情報が混乱するのを避ける目的で、英タイムズ紙と独占契約を結びましたが、聞いた話によると、その時、カーターは反対したと言われていますよね?」


「僕も最初はその情報が正しいと思っていたけど、事実は違うらしい。メトロポリタン美術館の名物館長だったトマス・ホーヴィング先生によると、『メディア対応のほかにも映画の版権や写真の版権の販売など、二人はこの機会を絶好のビジネスチャンスと捉え、その目的を達成するためには、意見は一致していたようだ』ということらしいよ」


「本当ですか?」


 実際には、敏腕ネゴシエーターであるカーナヴォン卿が交渉した結果だが、この独占契約によって最初の一シーズンに稼いだ金額は、タイムズ紙が再配信した分の75パーセントのロイヤルティも含め、11,600ポンド(現在の日本円に換算して約2億円)に達した。


「二人の意見が一致したかどうかについては分かりかねるけれども、稼いだ金額については間違いないと思う」


「だとしたら、カーターとカーナヴォン卿が口論の末、カーターがカーナヴォン卿に向かって、『出ていけ』と言ったのは、あれは違うんですか?」


「それは本当だったみたいだけど、ただ、口論の口火となった原因がタイムズ紙との独占契約の事ではなくて、ラコーへの対応とか、チームCC(カーナヴォン卿とカーターの頭文字を取ったもの)内の、ほかのスタッフに対する評価や処遇についてだったみたいよ」

「そうなんですね」


「いずれにせよ、局長がマスペロだったら、カーターの頭の上から『水』をかけるにしても、もう少し量とかタイミングを考えて、事を穏便に済ませてくれたかもしれないね。そしたら、CC間で口論に発展することもなかったと思う」


 いずれにしても、カーターもカーナヴォン卿も疲労困憊に達していたに違いない。そんな中で、カーナヴォン卿は愛娘のことに関して、ついカッとなってしまい、カーターを非難してしまったのである。それがカーターの「出ていけ」発言につながったとされている。


 カーターは、溢れんばかりの才能を発揮して、エジプトで実績を上げていたにもかかわらず、カーナヴォン卿にしてみれば、彼は貧しい出自であり、教育も満足に受けておらず、しかも娘より二十七歳も年上というハンディキャップだらけの男だった。


 カーターのことを同僚としては心からリスペクトしていても、そんな男に熱を上げた娘のことが気になって仕方がなかったのである。その場面では、そうした鬱憤も溜まっていたのであろう。


 しかし、その後において、カーナヴォン卿は、すぐに自分の失言を認め、カーターに謝罪の手紙を書いたのである。さすがとしか言いようがない。立場が上の人ほどやらなければならないお手本のような対応である。実際、その誠意と迅速な行動によって、二人の関係はすぐに元に戻すことができたのだ。


 チャッカマン、カーターの「火」に対して、ややネガティブ・インプレッションが目立ち始めてしまったかもしれない。僕は彼を擁護するためにも、別の側面から考察してみることにした。


「カーターは、燃え盛る炎のほかに、柔らかい『火』を灯したこともあるんだよ」

「と、言いますと?」

 アルは不思議そうな表情を浮かべた。


 僕は、カーターが5年間の古代遺物主任監査官の仕事をこなしていく間で、その後の発掘に大いに貢献した出来事を説明した。それは6個の王墓の中に電気照明を取り付けたことである。ウソのような本当の話である。具体的には、下記の通り。


 KV6墓、ラメセス九世 4個

 KV9墓、ラメセス六世 12個

 KV11墓、ラメセス三世 18個

 KV16墓、ラメセス一世 7個

 KV17墓、セティ一世 37個

 KV35墓、アメンヘテプ二世 21個


 総計、99個


 これにより、暗闇だった墓の内部が明るく照らし出され、発掘作業が大いに進んだことは言うまでもない。まさしくカーターは、「火」の特性を生かして、王墓の中に「火」を灯したのである。


「カーターの『火』は、こういう使い方もあるんですね」

「いろんな使い方があるということさ」

 するとアルは、合計数を見て言った。


「不思議なくらい、ここでも『九』という数字が出てきますね!」


 驚きで、アルの目が鳩が豆鉄砲を食らったような目になっていた。まさしく鳩とは、「九」編に「鳥」と書く。


「まあな」

 僕は冷静さを装った。

(そんなに偶然が重なり合うはずがない)


 心の中では、そう思いながらも、「九」で盛り上がっているアルの火を消してしまったら、可哀想だ。僕は口の中で静かに「くくく」と笑った。

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