第12話 古代エジプト人は「巨」がお好き
カルナック神殿は、カルナック神殿複合体と呼ばれ、中王国時代から作られ、その後、二千年にわって聖地とされた。そして時代の流れとともに外へ外へと遠心状に新しい神殿が増築され、その広さは百ヘクタールに及ぶ。東京ドーム約21個分である。
この神殿は、大きく三つの神殿から構成されていて、アメン・ラー大神殿は、エジプトの中でも最大級を誇る。あとの二つは、アメン神の妻ムト神の神殿と、ハヤブサの頭部を持つ戦争の神であるモンチュ神の神殿である。現在、入場が許可されているのは、アメン・ラー大神殿だけである。
アメン・ラー大神殿の前には、広大な広場が広がる。僕とアルが、その広場を反対側にある神殿に向かって歩いていると、見学を終えたと思われる三人の親子が僕たちのほうに向かって歩いてきた。陽炎ができているせいか、彼らの姿が神々しく見えた。しかし近づいてくるにつれ、
(また、あいつか)
例の絶叫ボーイである。
彼のことが気にならないと言ったらウソになる。無意識に鋭い視線を向けてしまった。彼が着ているのは、昨日と同じ青色のTシャツである。かなりくたびれている様子だが、その中央部分には、黒字で「王子」と漢字で大きく書かれている。
きっと漢字が好きな外国人がプリントしたのだろう。そして左胸には、サッカー用品メーカーのアグリナかスフィーダのようなエンブレムらしき小さな黒丸が円状に描かれている。エジプトでもサッカーは一番人気のスポーツなので、彼もきっと、どこかのサッカー・クラブに所属しているのだろう。
「さあ、行きましょう」
僕が一瞬、イラっとした気配を感じさせてしまったのか、アルがポンと力強く僕の背中を叩いた。
両側からは、たくさんの羊頭スフィンクスが見守ってくれている。人間の顔ではなく羊の頭をしているのは、アメン神の聖獣が羊だからだ。
「どうして真ん中を歩かないんですか?」
太陽に背中を照らされながら唐突にアルが言った。
「参道の真ん中は神様の通り道だから、僕たち人間は、真ん中を歩いちゃいけないんだ」
「日本には、そんなルールがあるんですか?」
「そうなんだ。だからと言って、日本人でも知らない人もいるとは思うけど。それ以外にもいろいろと決まり事があって、神社の境内では、おしゃべりをしてはいけないし、写真を撮ってもいけないんだ。でも現実には、ギャーギャー大声を上げて話しをしている人や、パチパチ写真を撮っている人がたくさんいる。でも、鳥居をくぐったら、その先は神域といって、神様がおられる場所だから、音を立てたり騒いだりすることは禁忌とされているからなんだ」
「おしゃべりも写真もダメなんですか?」
アルが時々、後ろを振り返りながら返事をしていたが、おしゃべり好きな彼にとっては、神域であっても黙っていることに耐えられないようだ。
すると、いきなり「こちらがラーメン神殿でございます!」と、さっきと同じことをまた言い出した。
おそらくアルの中では、太陽神「ラー」と「アメン」神が複合されているのだろう。その結果、本来であれば、「ラー・アメン」になるはずだが、英語でいうリンキングが完璧にできているため、「ラーメン」に聞こえたというわけだ。
「ひとつ聞いてもいいですか?」
アルの質問が始まった。
「日本人は、神社に行くとお賽銭をあげますよね。あれは、神様に対するチップのようなものなんでしょうか?」
「チップではないと思うよ」
「じゃあ、願いを叶えてくれるための賄賂ですか?」
「賄賂とは、また面白いことを言うね」
僕は、思わず笑ってしまったが、アルは真剣そのものだった。
「それじゃ、何のためのお金なんですか?」
「そうだな。願い事を叶えていただくための気持ち、とでも言ったらいいのかな」
僕自身、言っていることに自信がなかった。
「金額は決まっているのですか?」
アルは本当に好奇心旺盛だが、僕自身、賽銭のことをきちんと把握しているかどうか自信がない。
「神様に対して日ごろからの感謝を込めてという意味や、祈願と言って『神様、どうぞ願いを叶えてください』とお願いするための対価というふうにも言えるかも」
「じゃあ、やっぱりチップとか賄賂みたいなものじゃないですか」
「確かにそう言われれば、頭ごなしに否定はできないよね」
彼からの質問に考えさせられてしまった。
「お客様から聞いたことがあるのですが、高校とか大学受験に合格したいとか、希望する会社に就職したいとか、あるいは結婚したいとか、そういうことを神様に頼むということですよね?」
間違いではない。
「でも、それって、正しいことなんですか? 自分の実力や努力で人生を切り開こうとしないで、神様に助けてもらおうだなんて、ちょっと安直すぎるんじゃないんですか?」
「・・・・・」
「キリスト教には、寄付という考え方がありますが、お賽銭は寄付ではないんですよね?」
寄付という言葉は使わないが、お賽銭で神社仏閣の運営をしているのだから、寄付と言えば寄付のようにも思えるが、なんか違うような気がする。
「僕たちが普通に生きていけるのは、それこそ太陽神ラーではありませんが、太陽の光や熱のお陰ですし、水がなければ生きてはいけません。あって当たり前だと思っているものでも、それらがなければ生きていくことすらできないのに、日本人は、そういうものには寄付をしないんですか」
痛いところをついてきたな。彼は、単なるギャグマンではない。
「アルちゃんの考えは、極めて正しいと思う。そういう意味でいうと、日本には伊勢神宮という神社があって、そこには太陽神を象徴する天照大御神という神様が祀られている。なので、伊勢神宮に参拝してお賽銭を捧げることが、言ってみれば太陽神への寄付という考え方もできるかもしれない」
僕は、続けた。
「それに日本には、『お天道様』という考え方があっ」
そこまで言いかけて、言葉が詰まってしまった。というのも、昔はお爺ちゃんやお婆ちゃんなどから、「お天道様が見ているよ」と言い聞かされ、「たとえ人が見ていないところでも悪いことをしちゃいけないよ」と人としての正しい生き方を教えられたものだが、現在では自分も含めてそんなことを言う人は、まずいない。だから、という考え方が「ある」と言いかけたものの、という考え方が「あった」と過去形にするべきなのか、迷ってしまったのだ。
「アルちゃん、ごめん、それについては、少し考えさせてくれないか」
「了解です」
アルはそう言うと、
「む~らの鎮守のか~み様~の~♪」
と気持ちよく歌い出し、スフィンクス参道のド真ん中をスキップしていった。
そのまま第一塔門を抜けると、中庭に出た。その先には大列柱室が待ち構えている。それを見上げるだけでも、この神殿の巨大さに押しつぶされそうになる。
人間の大きさは、日本人でも西欧人でも、あまり変わらない。ツタンカーメンの身長が、167センチメートルだったように、古代エジプト人と現代の日本人でも、それほど大きな差はない。大きな差がないという意味は、身長差が2倍も3倍もあるわけではないということだ。もし何倍もの開きがあったならば、建造物も2倍、3倍になっていてもおかしくはない。
ところが、カルナック神殿の大さは、何倍、何十倍をはるかに超える巨大さだ。日本の出雲大社は、建立時の高さが45メートルだったという。比較対象として適切かどうかは分からないが、巨石を積み上げて造られたカルナック神殿は、その比ではない。
「続きまして、この第二塔門を抜けると、大列柱室になりま~す」
アルが相変わらず、軽快な足取りで進んでいく。
第二塔門の前にそびえたつラメセス二世像も巨大だ。その巨像を仰ぎ見ながら、大列柱室へと入っていった。
幅が一メートルを超えるぶっ太い柱が134本も並んでいる。007のジェームス・ボンドのみならず、古代エジプトの子供たちも年に一度の参拝ついでに、大きな声を上げることなく、ここで静かに隠れんぼや鬼ごっこをして遊んでいたのかもしれない。
ぶっ太い柱の表面には、一本ずつ見事なレリーフやヒエログリフ、ラメセス二世を表すカルトゥーシュなどが彫られている。柱の上部には、当時施された色が悠久の時を超えて鮮やかに残っている。あまりの美しさに、時がたつのも忘れて、ずっと見上げてしまった。
「そろそろ行きましょうか?」
アルが声をかけた。
首を元の位置に戻すと、首の後ろに痛みが走った。
第三塔門と第四塔門を抜けると、左手には、高さが30メートルもあるハトシェプスト女王の巨大なオベリスクが屹立している。重さは、なんと324トンだと言われている。立て方については、河江先生によると、砂と丸太を利用したという。
話は少し脱線するが、河江先生の「ピラミッド・タウンを発掘する(新潮社)」によると、ピラミッドの建造は、宇宙人によるものではなく、まさしく人間の仕事だったという。その理由は、そこに残された痕跡を自分の目で確かめるため、アメリカ人考古学者のマーク・レーナー先生が現地に赴いたところ、そこで目にしたものは、石の表面に残る工具の跡や土器や石器の欠片など、まぎれもなく人間の手によるものだったからだという。
その瞬間、それまで抱いていた「神々のしもん」に対する「我々のぎもん」は完全に解消されたというわけだ。
僕の少し前をリズミカルに歩いていくアルの影が、西に傾きはじめた太陽によって、身長が3メートルくらいになっていた。本当に人間の力だけで作ったとしたら、この影のように身長が数メートルもあるような巨人によるものだったのかもしれない。
その疑問についても、河江先生のチームによって一蹴された。ピラミッド・タウンで「ギャラリー」と呼ばれる人の住戸跡が発見され、その中には寝床もあったが、そこで寝られる人の大きさは、ごく一般的なサイズで、とてもじゃないが、身長3メートルの巨人が寝られるスペースはなかったからだ。しかし、そんな巨人伝説を妄想してしまうほど、古代エジプトの建造物は圧倒的なスケールを誇っている。
ハトシェプスト女王のオベリスクが立っている所を右に曲がると、今度はハトシェプスト女王のオベリスクが横たわっていた。オベリスクも立ったり横になったりと、忙しい。
その横たわったオベリスクを左手に見ながら進むと、その先で、くるくる回っている人たちがいた。その人たちの中心には、大スカラベ(聖甲虫)という神様が祀られている。このスカラベも、これまたでかい。スカラベとは糞転がしのことだが、実際の体長は、わずか2、3センチメートルしかない。そのため、等身大に作ってしまうと、どこにあるのか分からなくなってしまう。だから、目立つように大きく作ったほうがいい。
それにしても巨大である。
どうも古代エジプト人は、「巨」が好きだったらしい。ということは、野球ならば「巨人」、ブドウで言えば「巨峰」、女性については「巨乳」好きだったはずだ。
「じゃあ、男性は?」
(今の独り言が聞かれていたのか!)
驚きながらも、僕は手に持っていたスマホの画面をタップして、マイクロソフトのワードに「きょこん」と打ち込んだ。しかし何度やっても一発で自動変換されない。ものは試しと、ググってみたが、やっぱりダメだ。巨乳は自動変換されるのに、おかしい。
ということは「きょこん」は、日本人が得意とする造語ではあるものの、
「アルちゃん、『きょこん』って知ってる?」
試しに聞いてみた。
「はい、巨人の『巨』に、根っ子の『根』という漢字を書きますよね」
(なんだ、知ってんのかよ。それが答えだよ)
僕は思わず舌打ちをしてしまった。
だが待てよ。今までの会話もそうだったが、そのことが分かっているということは、アルは、表音文字と表意文字、さらに、その二つを複合させた表語文字をちゃんと理解しているという証拠だ。
「アルちゃんは、もしかして前世は日本人だったんじゃない?」
「突然、何を言い出すんですか」
「『きょこん』という漢字とその意味を正確に理解できるのは、シャンポリオンと日本人くらいしかいないから」
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