第11話 ツタンカーメンの正体

 外で待っていたアルが灼熱の太陽から少しでも逃れようと、頭をタオルで覆って、いつものように目の上に手で庇を作っていた。

「どうでしたか?」


 ギザのピラミッドでも同様、エジプトでは、観光ガイドは客と一緒に遺跡の中に入ることが許されていない。しかし、彼はガイドではなく、正確にはカバン持ちだ。だから、入ろうと思えば一緒に入れそうな気もするが、元来が真面目な性格なんだろう。


「面白かったけど、ダメだった。何も見つからなかったよ。それだけじゃなくて、あの『声』は違うって、あっさり否定されちゃってさ」

「そうだったんですね」

 アルが共感してくれた寂しそうにつぶやいた。


 しかし、トゥトとの会話中、僕の心が優しい手でそっと包まれた感覚だけは、しっかりと蘇っていた。


「それはそうと今、たくさんの中国人が入っていったので、入れ替わりに出てこられるかなと思っていたのですが、予想が当たりました」


 すると、今、入ったばかりの中国人の団体客が、もう出てきた。

(はやっ!)

 そして今度は口々に、「リュウダ(暑い)、リュウダ」と叫んでいる。何をやっても忙しい人たちだ。


 僕たちを乗せた車は、トゥトがファラオに即位後に精力をかけて復興させたカルナック神殿へと向かった。


 カルナック神殿は、アメン神の本山である。もともとは地方神だったため、比較対象にはならないが、その後の発展形でいうならば、日本の伊勢神宮といったところだろうか。


 ツタンカーメンは、父アクエンアテンが作ったアケトアテン(アテン神の地平線)で生まれた。そして「異端の王」である父が「アテン神に仕える者」とされていたことから、息子である彼は、「ラテン神の生き写し」として、トゥト・アンク・アテンと命名された。


 その後、父が行った宗教改革が大失敗に終わり、父の死とともに息子であるトゥトの代になった。治世三年目には、宮廷をアケトアテンからメンフィスに遷し、国家神としてアメン神を復活させ、宗教の中心地をテーベに戻した。それに伴い、彼は、「アメン神の生ける似姿」として、トゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)へと改名した。


「日本には、ラーメン博物館が横浜にあると思いますが、ルクソールではラーメン神殿が有名なんです」

 カルナック神殿に到着するや否や、アルが軽快に言った。

 僕がまずやることは、神殿ではなく、彼の言葉をスルーすることに集中することだった。


「これから神殿の中を歩くんでしょ? しかも中は、かなり広いんだよね。喉も乾いたしさ」

 僕は、カルナック神殿の前面に広がる広場の反対側にあるカフェを指さした。


 席に着くと、

「矢車菊の紅茶を二つください」

 アルがすぐに注文してくれた。

「ハーブティーじゃなくて、紅茶なの?」

「ここのは、紅茶のほうが美味しいんです」

 アルがにっこり微笑んだ。


 お茶が運ばれてくる間、

「紅茶のことを英語では、ティーと言いますが、なぜティーというかご存じですか?」

 久しぶりにクイズ王が復活した。

「いいや」

 知っていたが、彼がどういう説明をするのか気になったので、知らないふりをした。

「もともと中国では、植物の葉を煎じた飲み物のことを『チャ』と呼んでいたんです。それがシルクロードを通ってイギリスに近づくにつれ、だんだんと『チャ』が『テ』に変化していって、そしてイギリスに着いた時には、『ティー』になったんです」


 彼の知識は、正しかった。

 でも、僕は彼の自尊心をくすぐるために、手を広げて大げさに驚いてみせた。


「さすがアルちゃん、すごいね! とても勉強になるよ」

 嫌味ではない。彼が喜ぶ顔を見たくなったのだ。

 すると、そのことに気をよくしたのか、彼は続けた。


「日本では、建物や橋、家や道路などの建設現場などで働く労働者のことを『ガテン系』というじゃないですか」

「そんなことまで知っているんだ」

 さすがに、ここは知らないふりはできなかった。


「古代エジプト人の男性は、太陽の下で労働していたので、現在残っているレリーフなどを見ると分かるかと思いますが、どれを見ても男性の肌が陽に焼けていたことを表現するため、茶色か黄土色に描かれているんです」

「なるほど、勉強になるね」

 アルは嬉しそうに、口もとに笑み湛えた。アルカイック・スマイルの出現である。


「日本のガテン系と呼ばれる人たちも、いつも太陽の下で、汗だくになりながら働いていますよね」

「確かに、そうだね」

 すると、彼の顔からアルカイック・スマイルが消え、ドヤ顔に変化しはじめた。


「つまり彼らと太陽は、切ってもきれない関係なのは間違いないですよね。もし雨が降ったら仕事になりませんから。ですので、仕事を期限までにちゃんと終わらせるためにも、彼らはいつも天気が晴れることを望んでいると思います。そういう意味で言うと、ガテン系の人たちは、太陽信仰と言ってもいいんじゃないでしょうか」

 ドヤ顔が八割がた出来上がってきた。


「分かったぞ。アクエンアテンが行った革命の象徴である太陽円盤神の『アテン』がシルクロードを通って日本に到達するころには、『アテン』が『ガテン』に変わった。だから彼らのことをガテン系と呼ぶ」

「大当たりです!」

 完璧なドヤ顔が完成した。

「ウソつけ!」

 僕は、笑い飛ばしながらアルをまじまじと見た。

「頭いいですね」

 本当に憎めないやつだ。

「ありがとう。でも褒められても、嬉しくもなんともないけど」


 矢車菊の紅茶が運ばれてきた。

「すみません、あとお水もいただけますか」

 アルの声が喜びに満ち溢れて、弾んでいた。


 若い男性のウエイターが空のコップと水の入ったペットボトルをテーブルに置くと、

「熱中症にならないように、水分をたくさん摂らないといけませんからね」

 アルが親切心で、親切心から僕に水を注ごうとしてペットボトルに手を伸ばした。


 と、その時である。


 手が滑って蓋が空いていたペットボトルをテーブルの上に倒してしまった。こぼれた水はテーブルの上だけではなく床にもこぼれた。すると砂の中に水をまくように、その水がたちまち床の中に吸い込まれていった。


「あっ!」


 その光景を見ていた僕は思わず叫んでしまった。

「どうしたんですか。水がかかっちゃいましたか?」

 僕は返事をせず、急いでスマホを手に取ると、アプリを操作した。そしてその結果に驚きを隠せなかった。


「アルちゃん、アルちゃん、すごいことを発見したぞ!」

 僕は雄叫びを上げるように、大声で言った。


 アルが僕のただならぬ変化に、ただただ目を丸くして僕を見つめていた。

「ツタンカーメンの墓が発見されたときのキーワードは水だよね」

 突然、心拍数が急上昇したのが自分でも分かった。


 あのとき、12歳のフセイン・アブドルラスール少年がロバで水を運んでいると、ロバがつまずいてしまい、その拍子に水の入った壺が落ちて壊れてしまった。そして、そのこぼれた水が地面に吸い込まれていくのを見て、墓に通じる階段を発見したとされている。


 アルが恐る恐る僕を下から覗き込むように見ながら、

「あ、はい。フセイン君はそれ以来、英雄扱いをされてメディアに引っ張りだこになったそうです。子孫の方も、今もまだご健在だそうですよ」

 僕の勢いに圧倒されて、小さく答えた。


 僕は、ミエログリフに一点集中していたため、アルの言葉がほとんど耳に入らなかった。スマホから顔を上げると、興奮しながらアルを真正面から見据えた。

「やったぞ。ついに分かったぞ!」

「何がですか?」

「ツタンカーメンの墓がなぜ3,300年もの間、見つからなかったのか。その理由のひとつが分かったんだ! 答えは、最近の研究結果でもよく言われている豪雨による鉄砲水そのものだったんだけど」

 アルは、どう反応していいのか分からなかったようだ。


 ツタンカーメンの墓が今まで発見されなかった理由については諸説あって、その中でも特に大きな理由は、彼の名が王名表に載っていなかったことだ。加えて言うと、載っていなかったのはツタンカーメンだけではなく、アマルナ革命を起こした父アクエンアテンとツタンカーメンの後継者であるアイの三人である。


 僕は、興奮してハイになっていた。上がりっぱなしで下がる気配のない血圧も感じながら、

「いいかい。昨日、僕が計算したツタンカーメンの星は、『六』と『金』だと言ったよね」

「はい、そのように覚えています」

「ところが、そうじゃない。僕は計算間違いをしていたんだよ」

「・・・・・」

「彼は、『五』と『土』だったんだ!」


 生まれ年から星を計算する場合、紀元後であれば単純な引き算や足し算でいい。しかし、紀元前の場合には、紀元後から紀元前の年数を引いて、さらにその数字から一を引かなければならなかったのである。そうしないとゼロ年を起点とした紀元後と紀元前のそれぞれの1年を2回、計算してしまうことになるからだ。


「アルちゃん、いいいかい。僕は完全に勘違いしていた。もし彼が『金』ならば、彼の墓は、とっくに見つけられていた可能性がある」

「どうして、そんなことが言えるんですか?」

「あの墓は、そもそもラメセス六世の墓建設のための作業小屋が立っていたから、トウダイモトクラシも理由だったとされているよね」

「それを言うなら、カイダイモトクラシですよ。間違いないでください」

「漢字が違うよ。東大ではなく灯台」

 アルが引っかかったなというように、悪戯っぽい笑いを浮かべた。


「そもそもあの場所は、その昔、大雨が降ったことによって土砂崩れが起きて、多量の土砂に埋もれてしまったということだよね」

「地質学者の先生は、みんなそう言っていますし、カーターもそれに気付いて、最後に掘ったくらいですから」


 ルクソールは、年間降水量がわずか数ミリメートルという乾燥地帯でありながら、10年に1回程度、豪雨に見舞われることがある。しかしそれは近代のことで、三千年前には、今以上に降雨量が多く、豪雨もしばしばあったという。そしてその豪雨が鉄砲水となって王家の谷に大量の土砂を運び込み、その後、その土砂が焼け付くような太陽の光と熱によってコンクリートのように固まってしまったのだ。


 ラメセス六世の墓を建設するために建てられた作業小屋がツタンカーメンの墓の入口の上に建てられ、そのため発見されにくくなっていた。ラメセス六世の墓は、河江先生によると、ラメセス五世の墓が流用されたものだという。


 そうすると、ラメセス五世の即位が紀元前1145年ごろとされているから、作業小屋が建てられたのは、ツタンカーメンが埋葬されてから約180年後のことである。その間に、大量に流れ込んだ土砂がコンクリートのように硬くなり、それがまるで自然の要塞のようにツタンカーメンの墓を覆い隠していたのである。


 このことについては、周知の事実だが、僕はこのストーリーに、ひと言加えた。


「つまり、ツタンカーメンは、自分の『土』という星を最大限に利用して、自分の墓を隠したことになるんだよ。もちろん、先生方がおっしゃっているように『豪雨による自然災害だった』とひと言で片づけてしまうこともできる。でも、僕はそれだけじゃなかったと思う。


 カーターが『火』という自分の特性を最大限に生かしたからこそ、ツタンカーメンの墓を見つけられたことと同じで、ツタンカーメンは、自分の星である『土』の特性を最大限生かして、土砂崩れを起こさせた結果、墓を見つけにくくさせたとも言えるんだ」

「お言葉を返すようですが、それって、結構、無理をしていませんか?」

「確かに無理な論法かもしれない。でも、目に見えることや頭で理解できることだけが、すべて正しいとは限らない。だから今の僕の推理も決してNGだとは思わないんだけど」


 アルが素直に頷いてくれない。


「仏教には、山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)といって、あらゆるモノには仏性が宿るという考え方があるし、日本では、新しく建物を建てる時には、地鎮祭といって、その土地を守ってくれている氏神様に、その土地を利用する許可を得て工事の安全を守ってもらうという儀式もある。

 だから、ファラオ霊園の、あらゆる岩とか地面に魂が宿っているとするならば、ツタンカーメンの霊的な意思があらゆるものに伝わり、彼の墓が発見されにくいように土砂が覆いかぶさったという仮説を唱えてもいいんじゃないかな」

 僕の舌は、氷の上をすべるように滑らかに動いていた。


「さっきはツタンカーメンの星が『金』だったら、もっと早く見つかっていたとも、おっしゃいましたよね?」

 アルが執拗に食い下がって来た。


「もちろん自分の発言は覚えているよ。もし彼が『六』と『金』だったら、その星は、プライドが高いという特性を秘めているから、『自分は、ここにいますよ』と、もっと早いタイミングで自己アピールしていたかもしれない。」

 これこそが山岸先生が言う「承認欲求」と見事に重なる部分である。


「だけれども、反対のことも言える。ツタンカーメンが『金』だとしたら、カーターは『火』だから、ミエログリフだけで見ると、二人の相性は悪い。その結果、カーターがツタンカーメンの墓を発見することができなかった可能性もなくはないんだ」

 アルが解せない顔をしていたため、僕は角度を変えて説明した。


「ツタンカーメンの星は、ニューベリーの星と同じ『土』だったんだけど、この土の解釈には、いくつかのパターンがあって、『砂漠の土』もあれば、『墓場の土』という意味もあるんだ。そして、これが一番のキーワードになると思うんだけど、『土砂』という解釈もあるんだ」

 僕は、勝ち誇るように言った。


 アルは、僕の仮説に呆れたのか、それとも僕の妄想に疲れを感じ始めていたのか、目の光が弱まっているように感じたため、彼が興味を失わないように話題を変えた。


「例えば、彼の奥様だったアンクエスは姉さん女房だったけど、夫であるトゥトのことを弟のように可愛がっていたし、仲睦まじい夫婦だったと言われているよね」

「黄金の椅子のレリーフをはじめ、確かにそう言われていますよね」

「それに彼女は、トゥトのことを『本当に不器用な人だったけれど、そこがまた可愛くて、だから何でもしてあげたくなっちゃったの』とも言っていたし」

「『言っていた?』、どういうことですか。どこで誰がそんなことを言っていたというのですか?」

 アルが口を尖らせて詰問した。


「いや、それは、その、今、何か変なことを言ったかな」

 僕は、適当に誤魔化した。そして彼の注意を逸らすためではなく、真面目に言った。


「ツタンカーメンの性格は、ミエログリフで裏書きするまでもなく、愛されキャラだったと思う。それはアメン神への復活劇を見れば分かる」


 僕は、ここが肝心だと言わんばかりに強調した。


「それは、その後にファラオになったホルエムヘブが、憎しみを込めてアケトアテンやアイの墓を破壊し尽くしたにもかかわらず、ツタンカーメンの墓だけは手を出さなかった」


 その理由として、


「『五』は、どんな人でも引き寄せてしまう星だけれども、ニューベリーのところで説明したように、トゥトは、めっちゃ謙虚な人だったからこそ、ホルエムヘブでさえ、トゥトの墓だけは遠慮というか、一目置いて破壊しようとはしなかったからだ。つまり、トゥトは、ファラオである前に、希代の人格者だったんだよ」


 アルが大きく頷いた。


「彼が『六』と『金』ではなく、『五』と『土』であれば、3300年間、自分の墓を土砂で隠しておきたかったというトゥトの強い念がそうしたと考えれば、辻褄が合う」


「自己アピールか、隠しておきたかったか、彼の想いがその境界線上に立っていたとすれば、それについても山岸先生の説にぴたりと一致する。この仮説が本当だとしたら、トゥトの生まれた月も割り出せるかもしれない」


「確かに、すべてがつながりますね」

「でしょ?」

 僕は、興奮して熱くなった顔を、手を団扇代わりにして扇いだ。

「これをトンデモ話として嘲笑されたり、スルーされたりしてしまうかもしれないけれど、それはそれで仕方のないことだよ」

 僕は、熱くなりすぎた自説を冷やした。


「でもなぜカーターに発見させたんでしょうか。なぜ1922年だったのでしょうか」

 アルが立て続けに言った。

「よく分からない。もしかしたら・・・・・」

「えっ、なんですか? もしかしたらって?」


 そのことについては、まだ仮説の域を出ていないし、説明するのに時間がかかりそうだったので、念のため時計を確認した。

「やっべー、アルちゃん、急がないと、日が暮れちゃうよ」

「あ、ほんとですね!」

 僕らは、残っていた紅茶を一気に飲み干すと、口の中から矢車菊の香りを漂わせながら、急いでカフェを後にした。

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