第10話 独占インタビュー

 ツタンカーメンの墓を示すKV62の入口で、サッカー選手がピッチに入る時にやるように、僕は心を込めて一礼すると、真実へと続く十六段の階段を下りて行った。


 KVとは、Kings Valley(王家の谷)の頭文字を取ったものであり、KVの後に続く数字は、英国人の探検家、ジョン・ガードナー・ウィルキンソンが、墓が発見された順番に付けていった通し番号である。


 モーツァルトの曲には、必ずKかKVという記号とその後に数字が付けられている。それは、モーツァルトの曲を時系列に整理したのがケッヘルという人物で、彼の名の頭文字を取って付けられたからである。最後の番号は、K626。翻ってファラオ霊園についての最新番号は、KV64である。


 階段を下り切った所は「前室」と呼ばれている。広さは約20畳。そして左側には「付属室」があり、右に90度の方角には「玄室」と呼ばれる約十五畳の寝室がある。そしてさらにその右奥が「宝庫」である。総床面積は、110平方メートルだから、間取り的にはバス、トイレ、キッチンのない、やや広めのヨンエル(4L)といったところだろうか。


 玄室の北と西の壁には、見事な絵が描かれている。北壁の絵は右から左に読み、「西方へ安らかに眠る」王の歓待を表し、西壁の絵は「冥界にあるものの書」と呼ばれている。今もなお、鮮やかな色が残るこの壁画をはじめ、王家の谷で使われた色は、近藤二郎先生によると、黒・赤・青・黄・緑・白の六色までだったという。現代の色の三原色はすべて含まれていたようだが、それにしても、ド素人の僕が見ても、素晴らしいとしか言いようがない。


「トゥト、君はいったい何者だったんですか?」


 北壁と西壁に見守られるように置かれた棺の前で、僕は昨日と同じように、静かに瞑想を始めた。


 ファラオ霊園もご多分に漏れず、市内のホテルと同様、観光客がほとんどいない。2010年にエジプトを訪れた観光客数は、1,500万人。しかし、アラブの春などの影響により、2015年には3分の1の500万人にまで激減していた。


 人がいない観光地も寂しいが、その分ゆっくりと堪能できる。僕は、立ったまま瞑想に入った。なんでも形から入る僕としては、哲学者ソクラテス流の瞑想方法を真似していたら、いつしか自分のやり方になっていた。実際、観光スポットでは、周りに人が大勢いるので、この方法がいちばんいい。


「今から百年前のことを話してくれないか?」


 僕は静かに促してみた。すると、かすかに人の声らしき音が心の中に小さく響いた。

「そもそも、ここには作業小屋が建てられていたと思うんだけれど、それは自分の墓を隠すために、そうしたの?」


 ここには今、僕と警備員の二人しかいない。静まり返った空気の中で、少しずつ自分がトランス状態のような心地良い雰囲気に包まれていくのを感じていた。


「今まで盗掘されたことが二回あったでしょ。でも無事だった。その理由について教えてもらえないかな?」

 立て続けに僕は独り言のように、つぶやいた。

 すると、薄っすらとトゥトらしき気配を感じた。そして音ではなく、今度は声が返ってきたのである。

「メッセージについては、僕じゃないよ」

「えっ?」

 僕は心底驚いてしまった。内容もさることながら、会話が成立したからだ。心臓がバクバク早鐘を打ち始めた。

(このままだと、何も訊けずに終わってしまう) 

 僕は心臓の鼓動が落ち着くように、大きく深呼吸をした。

「二十年前くらい前になると思うけど、山岸凉子先生に、君がやって欲しいことを伝えたのは本当だよね?」


 山岸先生によると、ツタンカーメンの墓発見にまつわるエピソードには、彼自身の意志による二つの相反する心があったという。


 一つは、墓が発見されずに、ずっと眠り続けたかったこと。そしてもうひとつは、誰かに墓を発見してもらい、王名表に載っていない自分の存在をたくさんの人にアピールしてもらいたかったこと。この二つの思いのうち、最初は前者の思いが強かったものの、百年前になって後者の思いが強くなったため、墓を見つけてもらおうと、トゥト自身が仕掛けたというものだった。


 しかし、昨日、聞こえてきたメッセージは、それと同じだったはず。

(じゃ、なぜ僕に?)

 僕の頭は混乱しっ放しだった。そこで気持ちを整理する意味も込めて、質問を変えてみた。


「ところで、君が今、被っている黄金のマスクのことだけれども、それだけでエジプト経済を支えていると言ってもいいくらいだよね?」

「ああ、これね」

 マスクを指で触りながら、げんなりするような言い方だった。


 というのも、そのマスクについては、第二の人型棺のマスクの面相が第一のものと第三のものとは異なっているという指摘があるからだ。つまり別のファラオのものを転用させた可能性が高いというのだ。だとしたら、そのマスクは、いったい誰が被る予定だったのか。

 彼の答え方が素っ気ないのは、それが理由なのか。


「君のお墓にあったものは、月並みな言い方で悪いんだけど、めっちゃすごかったじゃない」

「みんなそう言うけど、ほかの先輩ファラオや後輩ファラオは、僕と同じか、それ以上にすごかったと思うよ」

 淡々とした口調である。


 墓の大きさと統治時代の権力の大きさは、比例するという。例えば、ツタンカーメンの三代後のセティ一世の墓は、奥行きが140メートルもあり、大将軍ホルエムヘブの墓だって入口から玄室まで100メートルを超える。


 しかし一方で、その後の分析により、英国人考古学者ニコラス・リーブス先生によると、ツタンカーメンの墓は、もともと彼のために作られたものではなく、彼の義母であるネフェルトイティのために用意されたものだったのではないかというのである。


 その理由は、墓の大きさとツタンカーメンの偉大さが比例していないことや、その奥に隠し部屋があって、そこにはネフェルトイティの財宝があるかもしれないからだという。実際に、この墓からは、ネフェルトイティの別名である「ネフェルネフェルウアテン」と記されたものが大量に見つかっていて、その数は全体の80パーセントに上るという。 


 僕も隠し部屋を見てみようと目を凝らしてみたものの、超能力や透視能力がまったくないため、断念せざるをえなかった。


 僕は、さらに質問をぶつけてみた。


「お父様のアクエンアテンが亡くなってから、ネフェルトイティ義母様がスメンクカーラーという名前で、ファラオになっていたのは本当なの? あるいはお父様と共同統治していたという話もあるけれど」


「考古学者の先生たちの中には、そういう説を唱える人もいるよね。だけど、考えてもみてよ。僕は右も左も分からないまま、九歳で即位したんだよ。もし義母様がファラオになって単独統治をしていたら、ハトシェプスト女王と甥のトトメス三世と同じ関係性が築かれた可能性だってあったじゃない。普通に考えればね」

「じゃあ、違うっていうこと?」

 トゥトは何も答えなかった。


 ネフェルトイティは、夫の死後なのか、死の前なのか、忽然と姿を消した。そして、スメンクカーラーと呼ばれたファラオが彼女だったのか、あるいは、別人だったのか、さらにはスメンクカーラーの統治時期や期間についても、いまだに謎だらけである。


 僕は、トゥトの乾いた答え方に不満を募らせながらも、表情には出さずに、質問の矛先を変えてみた。


「義母様の胸像についてだけど、ドイツ人が持ち帰って、ベルリンの新博物館に展示されているでしょ? しかもエジプト政府が、『あれは、自分たちの目をごまかすように持ち出したものだから、返してくれ』と約100年にもわたって返還要求しているというのに、いまだに返してくれないじゃない。それについてはどう思うの?」


「どうもこうもないよ。みんなカンカンに怒っているよ。当然でしょ。そんなこと。一日も早くエジプトに返してもらいたいよ」


 ネフェルトイティの胸像は、ドイツ人考古学者のルートヴィヒ・ボルヒャルトをリーダーとするドイツ・オリエント協会によって、1912年に発見された。当時は、ガストン・マスペロが考古局長を務めていた時期であり、「発掘品の50パーセントは発見者に帰属してもよい」という取り決めがあった。


 だが、問題は、そのやり方だった。


 この50パーセント・ルールについては、あくまでエジプト当局が承認した遺物でなければならなかった。しかし、ドイツ側は、その胸像が極めて価値の高いものだと分かっていたので、普通に申請をすれば、当然、持ち出しがNGになることも理解していた。そこで、エジプト当局の目をごまかすために、申請そのものを偽装したというのである。


 そのやり方というのは、発見時の汚い状態のままにして、ピンボケした写真を撮って、申請書そのものも巧妙に作成し、価値がないものとして装ったというのである。

 

 そうやって、言葉は悪いが密輸して、その後も十年以上にもわたってドイツ国内に隠し続けた。そして、1925年7月に初めて表舞台に登場させることにしたのだが、その瞬間、エジプト当局が知るところとなり、大激怒するとともに、ドイツ側に返還要請をすることになったのである。


「話は変わるけど、君は、奥様のことをどう思っていたの?」

「言うまでもなく、とても大切な人だった」


 トゥトの顔は、カーターの言葉を借りれば、「静かで穏やかで、洗練と教養を感じさせていて、唇の線はくっきりしていて、整った顔立ち」である。僕の印象を付け加えるとしたら、「愛妻家の顔立ち」である。しかし、僕は本心とは裏腹に、逆に意地悪な質問をしてしまった。


「あの当時、よく一人の奥さんだけで満足できたね。僕だったらハーレムを作って、たくさんの奥さんを囲ったかもしれない。根が助平だから。君は、なぜそうしなかったの?」


 ツタンカーメンは、狩猟の腕前を見てもそうだが、祖父アメンヘテプ三世の遺伝を強く受けていて、隔世遺伝の可能性が高いと思ったからだ。


 祖父アメンヘテプ三世は、ミタンニ王国(現在のシリア)のトゥシュラタ王の王女ギルケバとその姪にあたるタドゥケパ(のちのネフェルトイティという説もある)をはじめ、バビロニア王国(現在のイラク南部)の王女、そしてアルツァワ(現在のトルコ西部)からも王女を妃として迎え入れていたため、彼も祖父にならって同盟国から何人もの王女を妻にしてもおかしくはなかった。


 だが、トゥトはきっぱり否定した。


「祖父については確かにその通り。家族の恥部をさらけ出すようで、本当はあまり言いたくはないんだけど、祖父は、『きらびやかな人』と言われたほど、お酒と女性が大好きだった。正室のティイお婆様とは恋愛結婚だったにもかかわらず、後宮には300人もの女性を待機させて遊びまくっていたからね。それと僕自身についてだけど、父は、僕を産んでくれた実母キヤと義母ネフェルトイティの二人の妻を抱えていたので、少し複雑な心境なんだけど、父は義母を心から愛していたんだ。そういう意味から言うと、僕は祖父ではなく、父に似ていたと思う。その父は僕が九歳のときに亡くなってしまったので、それ以上のことは分からないけれど、僕には、祖父のような考え方も趣味もなかった。そもそも足も悪かったし」


 その話は聞いたことがある。生まれつき内反足だったはずだ。


「だから、みんなのようには自由に動けまわれなかった。でも、そんなことは理由にはならない。あんな素敵な女性は、世界中どこを探したって、いないよ」

「そんなことをストレートに言えるなんて、すごいよ」

 嫉妬ではない。僕は素直にそう思った。

「実際に彼女は、何をやっても不器用な僕を精いっぱい支えてくれていたんだ。そのことは彼女自身の口からも何度も聞かされていたからね」


 あまりにも優等生ぶりを発揮する答えばかりだったので、僕は、嫌味な質問をしてみた。

「アンクエスは、君と結婚する前に、お父様のアクエンアテンと結婚していたんでしょ? しかも子供まで生んでいたんだよね?」

「結婚については、確かにそうだった。僕らの時代には、ごく普通のことだったからね」


 アンケセナーメンの生まれ年については諸説ある。その中でもっとも有力視されているのは、ツタンカーメンより三歳年上だったという説だ。それを元に計算した場合、彼女の生まれ年は、紀元前一三四八年になる。


「子供については、ノーコメントにしてもらえると嬉しいな」


 古代エジプトでは、思春期を迎える平均年齢が、少女の場合は12歳から13歳くらいで、少年は14歳くらいだったと言われている。果たして、10歳のアンクエスが妊娠できたのだろうか。男の僕にはさっぱり分からない。しかし、彼女が11歳前後で「アンクエスエンパアテン・タシェリ」という名の子供を産んだという記録も残っている。


 ここまで突っ込んだ質問をさせてもらったが、これ以上、彼のデリケートな部分に関する質問はやめよう。「ありがとう、トゥト」と心の中で感謝した。


「話は変わるけど、君のお父様は、多神教を一神教にしてしまった張本人でしょ?」

「張本人だなんて、そんな言い方はやめてくれよ」

「ごめん、ごめん。でも、ひとつ前の第17王朝の時代に、アジアからヒクソスが侵略して来た時に彼らを追い出してくれたのは、テーベ(現在のルクソール)の神官たちでしょ。それなのに、お父様はテーベを無視して大宗教改革を強行してしまったわけだから、アメン神官たちが怒り心頭に発したのも無理はないよね?」


 アクエンアテンが治世中、芸術とアテン神信仰に傾倒し過ぎた結果、国内政治はボロボロになり、軍事遠征も失敗続きで、経済も立ち行かなくなっていた。その影響は国内だけに留まらず、同盟国ミタンニ王国が敵国ヒッタイトの属国になってしまった。


 しかし、アテン神信仰については、アクエンアテンがいきなり始めたわけではなく、中王国時代に、すでにその考え方があったことや、アテン神への信仰心は、アクエンアテンよりも妻ネフェルトイティのほうが強かったとも言われている。


「その通りだと思う。だけど、アメン神官たちが束になって自己主張をするようになったのは、曾祖父のトトメス四世の時ぐらいからで、父の時代には、手の付けようのないほど巨大化していたから、その力を少しでも削ぎ落とす必要があった。理由については、いつの世もそうだと思うけど、政教分離が重要だと考えていたからなんだ。だから、父だけを悪者扱いするのは、どうかと思う。でも、指摘されたように、彼らの力を侮ることはできなかった。自分たちの思いや正論だけじゃ、国をまとめていくことはできないからね。それもあって僕が治世してからは、すぐに国家神をアメン神に戻したんだ」


 僕はこの話を聞きながら、不思議な気持ちになった。彼はまだ若いのに、物事を大局的に捉えて、まとめていく力に優れていると思ったからだ。にもかかわらず、上から目線になるわけでもなく、自らがその人の所に降りて行って、自分とその人の目線の高さを合わせているようにさえ思えたからだ。


 彼は即位後、アマルナ時代に蓄積されていた富を使って、カルナック神殿の修復をはじめ、地方神殿の復興やアメン神官たちへの手厚い報酬など、アメン神官たちからの信頼を取り戻すために莫大なコストをかけていった。


 こうしたことについては、奉仕の精神がたっぷり使われていて、彼の星である「六」と「金」の創造力という特徴とは、やや異なる気がした。


 それはさておき、僕は質問を続けた。

「それで名前もツタンカーメンに変えたんだよね」

「そうだよ。でも、ひとつだけ言っておくと、いくらアメン神信仰に戻したとはいえ、僕の中に流れている血は、父アクエンアテンの血だからね」

「だから、この部屋の壁画もアマルナ様式で描かれているし、君が入っていた石棺の、あの超重たい蓋も伝統的な砂岩ではなくて、お父様の時代にしか使われなかった花崗岩で作られているんだよね」

「そんなこと、よく知っているね」

「どうもありがとう」

 僕は、手前味噌ながら、今のやり取りでトゥトとの距離がぐっと近づいたと感じた。


「君のマスクについても、上エジプトの象徴であるハゲワシと、下エジプトを象徴するウラエウス(守りコブラ)が装飾されていると思うけど、上下のエジプトを統一することについては、奥様からのアドバイスもあったんでしょ?」


「もちろん、あなたたちの時代のことについては分からないけど、僕らの時には、夫婦が一つになって共同統治していた。言うなれば一心同体だった。男尊女卑とか、女尊男卑という考え方はなかった。だから、アメン神に戻すという決断も彼女と一緒に決めたんだ」


 僕は、トゥトの話を聞きながら、アンクエスについて、ハトシェプスト女王葬祭殿で脳裏をよぎったガラシャに重なる部分が多いことを感じていた。


 美人という観点からもそう。美の遺伝子がネフェルトイティからアンクエスへ受け継がれたように、ガラシャの場合も、当代一の美人と称された煕子ママの美が、そのままガラシャへ遺伝した。姉妹構成が、アンクエスは三女(六人姉妹)であり、ガラシャも三女(女四人、男三人)である。信仰する宗教についてもそう。禅宗で育ったガラシャがキリスト教へ改宗し、アンクエスもまた、表向きは、アテン神からアメン神へと改宗した。


「今のエジプトも激動の時代と言ってもいいと思うけど、君の時代も大変な時代だったんだね」

「まあね」

「ところで、もうちょっとだけ質問があるんだけど、いいかな」

「僕で答えられることだったら、なんでもどうぞ」

「めっちゃ訊きにくいことなんだけど、君が亡くなった本当の理由を知りたいんだ」


 この墓が、もしネフェルトイティ用のものだったとしたら、トゥトの死因にまつわるエピソードと直リンクする。


 彼の死因は、チャリオによる交通事故死説。過去には頭を鈍器で殴られたことによる暗殺説もあった。もともと病弱だったことや骨折が原因という説もある。そうした中で、もっとも信憑性が高いものは、骨折をした直後にマラリアを罹患し、それによって合併症を引き起こした結果、急速に体力が衰弱していき、死に至ったというものである。


 王家の谷の墓は、ファラオが即位してから基礎工事が始められたという。しかしトゥトは急死だったと思われるため、未完成の部分を70日間で仕上げることは到底できず、ほかの墓が転用されたという。じゃあ、トゥト用に作っていた本当の墓は、いったいどこにあるのだろうか。そんな疑問も湧いてきたが、まずはトゥトの返事を聞くことにした。


「ああ、そのことね」

 トゥトは一瞬ためらったようにも見えたが、彼は胸の前でクロスさせていた腕をほどき、右手に持っていた穀竿と左手に持っていた王笏をそれぞれ脇に置くと、わずかに手招きするような仕草を見せた。


「もう少し近くに寄って来てくれるかな。ほかの人に聞かれてはマズいので」

 そう言うと、僕の耳元で囁いてくれるためなのか、黄金のマスクの顎髭部分を掴み、胸の下の部分に手をかけると、重たそうにしながらマスクを少しだけ浮かせた。

「それはね」


 僕の全身を緊張が走り抜けた。いよいよ歴史の真実が語られるときである。大きく息を吸い込んだ。どんな言葉であれ、一言一句、いや、読点に至るまで細大漏らさず彼の言葉を聞き損じてはならない。


 しかし、その大きな期待に反して、トゥトは黙ってしまった。

「いいじゃないか。せっかく仲良くなれたんだし、水臭いことを言わずに教えてよ」

 その言葉が彼の背中を押したのか、彼の伏し目がちだった視線がマスクの下でわずかに上がるのを感じた。

「分かった。じゃあ、その話をする前に、これだけは約束してほしい」

 彼が何かを言おうとした、まさにその時だった。


 観光客の姿がほとんど見られないにもかかわらず、ガヤガヤと大きな物音を立てて大勢の人たちが階段を降りてきた。墓の内部ではフラッシュによる撮影が禁止されているため、彼らは、携帯電話のカメラ機能を使って、やたらめったら写真を撮り始めた。


 そして口々に、

「ニーハオ、ニーハオ」

「おお、トゥータンカムーンね」

「ムーニ(ミイラ)、すごいね!」

 と奇声を張り上げるようにして寝室に入って来た。


 その騒音によって、いちばん聞きたかった肝心な部分が、かき消されてしまった。

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