第9話 ミエログリフ
アルのギャグ以外には、何の手がかりも得られなかった僕らは、灼熱地獄から逃げるように、エアコンがガンガンに効いた車に乗り込んだ。王家の谷は、目と鼻の先である。ものの数分で到着するだろう。
次の目的地であるファラオ霊園に行けば、『あの声』の正体が分かるんじゃないかと、ワクワクしながら車に揺られていた。
と、その時だった。
突然、エンジンがプスンプスンと変な音を立て始めた。運転手が異音を確認するため、車を道路脇に止めた。後部座席の僕らのほうに振り返り、アルと二言三言、やり取りをすると、運転手が車から降りていき、ボンネットを開けた。
運転手が対応してくれている間にアルが説明してくれた。
「ご存じのように相次ぐ政権交代があったことで、エジプト国内が安定していないんです。その影響がいろんなところに出ていて、そのひとつがガソリンです。給油のためにガソリンスタンドに行っても、長蛇の列は当たり前で、それに加えて、質そのものがすごく悪くなっているんです。なので時々このようなエンジントラブルが発生してしまうんですよ」
(なるほど、そういうことだったのか)
「エンジン自体は大丈夫なの?」
僕は車が動かなくなってしまうことを心配した。
「それは大丈夫です」
車が直るのを待つ間に、アルが質問した。
「昨日からおやりになっているその開運方法は、なんて呼ばれているものなんですか?」
「ミエログリフ」
「はっ?」
「正確には、開運法ではなく、開運分析法だけどね」
「?」
アルの眉間に、さらに深いしわが作られた。
「ヒエログリフなら知っていますが、ミエロ、グリフですか?」
アルが怪訝そうに言った。
「そうだよ」
エンジンが止まっているため、エアコンも止まっている。車内の気温は急上昇し、おそらく三十度を超えていると思うが、僕は、涼しい顔のまま答えた。
「ヒエログリフは、二つの言葉が合わさっていて、ヒエロの語源はヒエロスで、『神の』や『神聖』という意味で、グリフはグローフスで、『文字』という意味だよね。それに対して、ミエログリフのミエロとは、文字通り『見えろ』で、グリフは文字、つまり、『見えろ、見えろ』と心の中で念じていると、答えが文字になって表れてくるというわけだ」
「ものすごく単純なんですね」
アルが呆れていた。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。確かにネーミングとしては、これ以上ないほど浅い。それは否定しない。でも、中身については、至ってまともなんだぞ」
「本当ですか?」
アルは、まったく信じていない。
これ以上、付き合いきれないと思ったのだろう。仕方がない。そんな彼をスルーして、僕は勝手にしゃべり始めた。
「カーターが、もし幼少期に食うに困らない家庭に生まれていたら、彼はお父様から受け継いだ絵の才能だけで、十分に食べていけたかもしれないよね?」
「言われてみれば、確かにそうですね」
今の言葉でアルが少しだけ不信感を薄めてくれたのが伝わってきた。
「彼の幼少期については、みんな、『生活が貧しかった』としか言わない。でもさ、もし彼が裕福な家庭に生まれていたら、その後において、『ツタンカーメンの墓を発見してやるぞ』という高い目標設定はしなかったと思うんだよね」
「そうかもしれませんね」
「みんなが言うように『貧しかった』ら、その日のご飯代を稼ぐために、絵なんか描いている場合じゃかったと思うんだ。それこそ日雇い労働とかをして、その日暮らしの生活をしていてもおかしくはなかったと思うんだよね」
僕はここで、いったん言葉を切って、アルの反応を探りながら続けた。
「というのも、ある意味、それを裏付けるエピソードがある。カーターの最初の運命的な出会いは、古代エジプトのコレクターであるウィリアム・ティッセン=アマースト卿だったよね。彼との出会いがその後のカーターを決定付けたと言っても過言ではないから」
僕はそう言いながらスマホ上で、アマースト卿の誕生日である1835年4月25日から導き出されたデータと、カーターのデータを比べて、そこから推測できる二人の相性が良好だった証拠を出した。この仮説に、それまでの態度とはうって変わって、アルが身を乗り出してきた。
「アマーストは、自分が持っているコレクションをスケッチさせるためにカーターを雇ったんですよね」
アルも客のカバン持ちをしながら、しっかりと勉強しているようだ。
「二人は、ミエログリフの、ほらここ、これだけを見てみても、抜群に、というわけではないけれど、それなりに相性がいいのが分かるでしょ?」
「ほんとだ」
アルが感嘆の声を上げた。
アルが見たのは、アマーストの『木』とカーターの『火』に関連する記号だった。カーターの『火』をさらに燃え上がらせるためには、良質な『木』が必要不可欠だからである。僕は、ごく一般的に使われている「陰陽五行説」を用いたデータを見せながら説明を続けた。
「次に鍵を握る人物は、カーターを指導したパーシー・ニューベリーというスカラベ印章の第一人者である考古学者の人だよね」
僕が説明を続けると、
「そうそう、そうなんですよ」
アルが口を挟んできた。この部分は、自分が言いたかったらしい。
「アマースト卿には男のお子さんがいなかったため、長女のメアリーさんが男爵を継いだので、彼女はその後、ハックニー第二代アマースト男爵夫人(通称、アマースト夫人)と呼ばれるようになりましたよね。で、アマースト夫人がカーターの画才に惚れ込んで、ご友人のニューベリーを紹介したら、ニューベリーもまた、カーターの才能を高く評価したという流れですよね」
アルの喉が熱を帯び始め、ターボエンジンのように言葉が加速していった。
「ニューベリーは、エジプト探査基金の隊長を務め、『エジプト考古学の父』と呼ばれた考古学者フリンダース・ピートリーの一員だったので、ニューベリーがカーターをピートリーに紹介したら、ピートリーもカーターのことを認めて、その結果、カーターはエジプト探査基金のスケッチ画家として、一八九〇年にニューベリーが発掘調査を行っていたベニ・ハッサン(カイロとルクソールの間にある遺跡)に派遣されたんです」
アルは、自分のしゃべりにブレーキを踏むと、僕に聞いた。
「アマースト夫人との相性は、どうなのでしょうか?」
「ちょっと待ってね」
僕はスマホに1857年4月25五日と入力した。
「彼女の星は、『八』と『土』。カーターは、『火』だから、カーターの火を、『土』のアマースト夫人が優しく包み込んであげるという関係性になるから、これを見ただけでも二人の相性がいいのが分かるよね」
「へえ、そういうことってあるんですね」
「もちろん、これがすべてではないけれども、傾向性としては、いい感じだと思う」
英国人ピートリーは、英国にある世界遺産ストーンヘンジの測量を正確に行った最初の人物で、測量と幾何学を専門としていた。彼はその後、考古学の分野へと活躍の場を移していき、数々の実績を残した。一例を挙げれば、粘土板に書かれたヒッタイトとの外交記録である通称「アマルナ文書」を考古学者として数多く発見したことや、土器などの年代を特定する「継起年代法」を考案した人物でもある。
「さて、ここでだ」
僕が力強く前置きをすると、アルは条件反射的に僕の次の言葉を待った。
「ニューベリーの星を、単純この上ないミエログリフで見てみるとだな」
僕は、面白がって軽く嫌味を入れながら、彼の誕生日である1869年4月23日と入力し、出てきたデータを確認した。
「彼は、ほかの星をすべて引き寄せてしまう力強い力を持っている。だから、いろんな人を引き寄せて、周りともうまくやっていくことができたんだと思う」
「そうなんですね!」
アルは、僕の興奮した言葉に浮つき始めた。
スマホのスクリーンには、『五』という数字が表示されていた。
「少なくてもミエログリフには、そう出ている。ただし、念のために言っておくと、この『五』という星を持っているからといって、すべての人が彼のように人を引き寄せられるようになれるわけではないよ」
「どうしてですか?」
そう言いながらアルは、カバンからノートを取り出すと、僕が言うことを書き留めようとペンを握りしめた。
「『五』の人に限らず、誰にでも言えることだけれども、例えば、上から目線でモノを言う人は、それだけで相手を不快にさせてしまうから、そういう人には近寄らなくなるのは当然でしょ?」
アルが「ああ、なるほど」というように小さく頷き、「そんなことならテイクノートするまでもない」と思ったのか、走らせようとしていたペンをすぐに置いた。
「だから、そのときに大切なのが、昨日おっしゃっていた基礎工事なんですか?」
「それについては、もう少し説明が必要だけど、大枠としては、その通り」
そして僕は、嬉しそうにしているアルに向かってこう言った。
「それと、もうひとつ。すごく大事なことがあるんだ」
少しだけ間を置き、僕は再びゆっくりと話し始めた。
「他人を素直に褒めることができる人には、人が寄っていくと思うけど、その反対に、人を褒めることができない人もいるよね」
「そうですね・・・・・」
アルが考えている間に、運転手が車のボンネットを閉めて、車内に戻ってきた。そしてイグニションキーを回すと、勢いよくエンジンが回り始めた。さっきまで気になっていた異音もしない。運転手が後ろを振り返り、僕らに頷くと、車を発進させた。
「その理由のひとつは、嫉妬があるからだと思う」
僕は、できるだけゆっくりと言葉をつないだ。
「嫉妬という感情の裏側には、承認欲求があって、でも本人はそのことに気付かない。だから、そういう人は、常に相手よりも自分を上に見せたい欲求に駆られて、人を素直に褒めることができないんだ」
アルが黙って聞いていた。
「反対に、嫉妬心がない人は、相手の肩書や職業、立場などに関係なく、その人をリスペクトしているから、『さすがですね』とか『すごいですね』と素直に相手を認めることができる」
アルが神妙な表情で頷いていた。
「もちろん、その場の状況によりけりの部分はあるし、気持ちがこもっていなくて、単に言葉だけを言ってもダメだけれどね」
すると、アルはこう言った。
「それって、マウンティングっていうやつですか?」
僕は思わず吹き出してしまった。
「その言葉はお客さんから?」
「はい」
アルが元気よく返事しつつ、言葉を足した。
「男性と女性で、何か違いのようなものはあるんでしょうか?」
「特にはないと思う。基本的には男性は遺伝子レベルで競争が埋め込まれているから、いつも承認欲求に追われているし、女性も男性とは別の意味でそういう部分があると思うから、どっちもどっちじゃないかな」
アルが理解を深めようと考え込んでいた。
「ということは、その人の褒め方を観察していると、その人の本質が見えてくるということなんですね」
「それは大いにあると思うよ」
さっきまでは理解に苦しんでいたアルの中に、自信が芽生え始めていた。
「もっと言ってしまうと、ちょっとしたことでも、本人にとっては偉大な一歩だから褒めてもらいたいのに、『そんなこと出来て当たり前だ』と言う人がたまにいるけど、それはそれで、人としてどうなのかなと思ってしまうよ」
僕がそう言うと、アルが口を開いた。
「ニューベリーには承認欲求や嫉妬がなかった。だからカーターの才能を素直に認めることができたから、ピートリーに推薦できたんですね」
僕は大きく頷いた。
「承認欲求と嫉妬の両方がゼロという人は、まずいない。どんな人でも少なからず持っている。だけど、ニューベリーは、カーターに対して上から目線で接することがなかったんじゃないかな」
アルが溜飲を下げたのを見届けて、僕も嬉しくなった。
「でも」
アルとしては、念のために確認しておきたいことがあったらしい。
「最初の話に戻りますが、カーターは、貧しさから逃げるためにニューベリーの誘いを受けたとは考えられないのでしょうか?」
「その部分も、もちろんあったと思う。どれだけ綺麗事を言っても、カーターにとっては食べていけなければ意味がないからね。だけど、カーターの考え方のベースにあったのは、自分の画才を、どのように評価してくれるのか。あくまで個人的な意見だけど、彼にとってはその点がすごく大事だったと思う。単に絵の仕事がもらえれば、それでよしというような、そんな短絡的な発想ではなかったと思う」
「ニューベリーには、それを感じていた。つまりカーターは、ニューベリーが自分のことをきちんとリスペクトしてくれていると感じていたということなのでしょうか?」
「そうだと思う。あのときカーターはまだ17歳だよ。たった5歳違いとはいえ、すでに学者として教鞭を取っていたニューベリーにしてみれば、カーターはまだ子供。しかもエジプト考古学については、ド素人だよ。だけど、彼はカーターに先輩面することなく、カーターの能力を心から『すごいね!』と評価した。じゃなければ、あれだけ我の強いカーターが素直に付いていったとは考えにくいからね」
「それができる人が、本当の意味で人を引き寄せる求心力のある人だと言えるんですね」
「ニューベリーの『土』とカーターの『火』は、アマースト夫人との関係性と同じように相性がいいので、それもあったと思う。だけど、ニューベリーは単に頭がよかっただけではないと思うよ。特に人間性という部分においてはね。じゃなければ、彼自身が周りの人から嫉妬されて、仕事とか交友関係に支障をきたしていた可能性もあるから」
アルが少し考え込んだかと思うと、大きく頷いた。そして再び口を開いた。
「アマースト夫人については、いったん脇に置かせてもらって、カーターに話しを戻すと、彼はニューベリー同様、ピートリーとの出会いで、さらに開運気流に乗っていったよね」
僕は、自分が言った言葉がアルの中に吸収されるのを見届けてから続けた。
「でも、それはすべて結果論だということもできる。なぜなら普通の人は、もし自分のミエログリフを理解していたとしても、自分が思い描く通りには進んで行かないことのほうが多いから。だからこそ、カーターにとっては、ピートリーとの出会いがすべてだった。チャンスの女神の前髪をカーターはしっかりと掴んだ。『絶対に離さないぞ』という強い意志を持ってね。でもそれさえも、彼の開運方法である『執念深く、ひとつのことをやり遂げること』がベースにあったからこそ、ツタンカーメンの墓にたどり着けたんだと思う」
「そうなんですね・・・・・」
アルの返事からすると、どのように反応していいのか分からなかったらしい。
晴れから曇りに変わりそうなアルに対して、僕は熱視線を送った。
「ミエログリフは、ただのオヤジギャグかと思っていましたが、全然違うんですね」
「ありがとう。そう言われると、僕も照れちゃうな」
アルとの会話を心から楽しんでいる自分がいることに気付かされた。
「ところで、そろそろ次の人物に進めてもいいかな?」
「ぜひお願いします」
「次の人物は、かなりのキーパーソンの二人になる」
「そのうちの一人は、カーナヴォン卿ですよね?」
「残念でした」
「違うんですか?」
「カーナヴォン卿は、さらにその次の人になる。順番から言うと、二人のキーパーソンとは、ガストン・マスペロとセオドア・デイヴィスのことだよ」
「そっか。その二人もカーターにとって、最重要人物でしたね」
「まずはマスペロからいこうか」
「あ、すみません、そろそろ到着します」
アルが時計を確認した。
「続きは、ツタンカーメンに再会してからにしよう」
僕が言うと、「はい!」と元気な声が返って来た。
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