第7話 三つ子の魂

 朝食を取るため、眠い目をこすりながら部屋を出ると、フロントの前でアルと落ち合った。


「おはようございます」

「ああ」

 僕は、アルをちらりと見ただけで素っ気なく答えた。その様子にアルの表情が曇った。

「昨晩は、よく眠れましたか?」

 触らぬ神に祟りなしというように、遠慮がちに聞いてきた。

「ぜ~ん然」

 僕の表情は、絵に描いたような仏頂面だったに違いない。

「何かあったんですか。目が腫れているようですが」

 僕は昨晩起こった出来事を、感情を押し殺しながら一部始終を話した。だが、アンクエスとのやり取りの部分だけは省略した。

「それは大変でしたね」

(おいおい、そりゃないぜ。ずいぶん気軽な言い方だな)

「アルちゃんは?」

 僕は、イライラする気持ちを必死に抑えながら同じ質問を返した。

「お陰さまでぐっすり眠れました」

「・・・・・」

 僕は、無言のまま、彼の目を睨むように見てしまった。


 しかし彼に責任があるわけではない。でも釈然としない。客のいないガラガラのホテルで、どうしてカバン持ちである彼が良質な睡眠が取れて、客である僕があんなアクシデントに巻き込まれなきゃいけなかったのか。僕は心の底からフロントの部屋割りを呪った。

 

 この場でアルに不満をぶつけたとしても見当違いである。ツタンカーメンにしてもそうだ。カーターに起こされた時、「よく眠れましたか?」と質問されたわけではないだろう。しかも寝入り端には、自らの後継者問題によって最愛の妻であるアンクエスを悩ませてしまったのだから、寝付きは最悪だったに違いない。


 三人の親子が僕らのすぐそばを歩いて行った。父親と手を繋いでいた四、五歳くらいの青色のTシャツを着た男の子が、その手を振りほどこうとして奇声を上げて暴れていた。その声を耳にした途端、ハッとした。


(昨晩の犯人は、あいつだ!)


 僕は無意識に、目を細めて鋭い視線を送ってしまった。

「どうかしたんですか?」

 アルが心配そうに聞いた。

 僕は、「別に」と平静を装って答えたものの、アルは何かを察したらしい。顔付きで分かった。でも何も言わなかった。

 するとアルは僕の注意をその子から逸らせようとしたのか、歌を歌いはじめた。

「おウマの親子は、なかよし~こよし♪」

 あまりの無邪気さに拍子抜けした。そして僕は石のように硬くなっていた表情を柔らかくしようと、両手で両頬を挟み、ポンポンと何度か叩いた。


「では、今からハトシェプスト女王葬祭殿に向かおうと思います」

 朝食を手短に済ませると、アルに促されて、エアコンが効きすぎて寒いくらいの車に乗り込んだ。

「レッツラゴン」

 僕は、機嫌を直したことを証明するように、陽気に運転手に掛け声をかけた。

 すると、アルが即座に訂正した。

「それは赤塚不二夫先生の漫画のタイトルのことですよね。もしそれを言いたいのなら、レッツラゴンではなく‶レッツラゴー〟です」

 せっかく元気になろうと思ったのに、またしても僕は、不機嫌に逆戻りしてしまった。それを分からせようと、ドヤ顔のアルにエアコン以上の冷ややかな視線を送った。


「ところで、ひとつ質問をしてもいいですか?」

「どうぞ」

 僕は、外を見ながら、ぶっきら棒に答えた。

「どうしてエジプトに来ようと思ったのですか?」

 このまま不機嫌そうにしていても、人を不快な気持ちにさせるだけで、何の生産性もない。僕はアルのほうに向き直り、横目でちらちと彼を見ると、務めて冷静に切り出した。


「日本に帰国したら、二週間後に会社を辞めるんだけど」

「えっ?」 

 アルが、聞いてはいけないことを聞いてしまった時のように、バツが悪そうにした。

「いいんだよ、別に隠すことでもあるまいし」

「そうだったんですね」

 アルが小さく頷いた。

「最初は、日本国内でもよかったんだけど、いろんな人に退社の挨拶をしていたら、カイロにいる先輩から『よかったら遊びにおいでよ』と言ってくれたから、それが最後の決めてになったのかな」

「一昨日の夜、お知り合いの方にお会いするとおっしゃっていたのは、その方だったんですね」

「アルちゃんの旅行会社を紹介してくれたのも、その先輩だよ」

 答えながら僕は、思い出したことがあった。


「半年くらい前だったかな、うちの会社の社長が朝会で突然、『今からの時間、好きな事をなんでもやって下さい。ただし条件がひとつだけあります。仕事以外の事です』という不思議な課題を与えられたことがあったんだ」


 ひと呼吸置くと、アルに聞いた。

「もしそんなことを急に言われたら、アルちゃんだったらどうする?」

 デスクに座っているイメージをしているのか、少し考えると、

「たぶんスマホでネットサーフィンとかして遊んじゃいますね」

 そう言いながら、両手を軽く広げて身体を左右に揺らして、サーフィンの真似をした。

「そうそう、それなんだよね」

「えっ、何がですか?」

「会社では、いつも仕事に追われている人が多いと思うけど、そんなことを突然言われたら、みんな何をやっていいか一瞬迷うんだよ」

「日本の会社のことは、よく分かりませんが、なんとなく分かるような気がします」

「どうして?」

 僕は、アルからの想定外の受け答えに思わず反応してしまった。

「日本人は、シジマチ(指示待ち)の人が多いと聞いたことがあるからです」

「誰からそんなことを聞いたの?」

「お客様からです。その人はサッカーのコーチをやっていると言っていました」


「世界語にもなった『カイゼン』や『モッタイナイ』と比較することはできないけれど、確かに『シジマチ』も不名誉ながら今後は世界に羽ばたいていく言葉かもしれないね」

「はい」

 自分の知識を褒められて、アルは嬉しそうにしていた。

「それはそれとして、その結果、人はみんな本能で反応することに気付いたんだ」

「ホンノウ、ですか?」

 この言葉は知らなかったらしい。あるいは知らない振りをしただけなのかもしれない。


「例えば、その時の状況で言うと、みんなすぐに動けなかったんだけど、しばらくすると先輩のひとりは、調べたいものがあると近くの図書館に行って、デザイナーの子は、夏休みに予定している旅先の事をネットで調べ始めたりしたんだ。経理の子は、カフェでゆっくり漫画でも読みたいと言って出かけて行ったんだけど、人って空(くう)の状態になると、直感で閃いた行動をするようになるんだなと」

「それが本能というものなんですね」

 僕は大きく頷いた。


 すると、アルが「本能」について、もう少し知りたそうな目を向けてきた。

 その目に促されるように、僕はこう切り出した。

「『三つ子の魂百まで』という諺は聞いたことがある?」

「それなら知っています。日本語の先生が古い人だったので、よく諺とか言い伝えとかを教えてもらっていましたので」

「その先生は、男性? それとも女性?」

「女性です」

「だったら、その人のことを言う時には、『古い』という形容詞は使わないほうがいいと思うよ」

 僕が苦笑交じりに言うと、アルは首を引っ込めながら頭をかいた。

「その諺には、二つの意味がある。一つは、三歳までに教えられたことは百歳まで覚えているということ。そしてもうひとつは、前世、つまりこの世に生まれてくる前に生きていた時代の記憶が三歳か五歳くらいまで残っているので、それを引き出してあげることによって、子供はみんな天才になれるということ」

「すみません。二つ目のことについて、もう少し分かりやすく教えていただけますか?」

 アルが目を輝かせて質問した。


「子供が三歳か五歳くらいになるまで周りの親とかが、その子の言動を注意深く観察してあげて、何に興味を示すのか、何が一番好きなのかを見極めながら、それを伸ばしてあげることによって、その子が天才になれるというものなんだ」

「なるほど、そういうことなんですね」

 アルの素直な反応に僕は口角泡を飛ばして続けた。


「日本語では、英語の『エデュケーション』を『教育』と訳しているけれども、そもそも教育という言葉は日本人が作った造語で、エデュケーションの語源はラテン語の『エデュース』で、本来の意味は、『その人の能力を引き出してあげること』なんだ。だから、もし本気で子供たちに『エデュース』をやりたいのであれば、前世の記憶が残っている三歳か五歳くらいまでの間に、周りの大人たちがそれをしてあげられたら、世界中が天才児だらけになって、最高の世の中になると思うんだけどね」

 アルの表情は、真剣そのものだった。

「私にはちょっと難しく、よく理解できないのですが」

 そこで僕は、おこがましいとは思ったものの、実例を上げた。


「ピアノをやっている人の多くは、モーツァルトと同じ五歳くらいからか、早い子だと三歳くらいから練習を始めるけど、みんながみんなモーツァルトのようになれるとは限らない。その理由は何だと思う?」

「練習量が足りないとか、もともと才能があまりなかったからとかですか?」

「それもあると思うけど、実はその答えを教えてくれたのが、世界に誇る日本人ピアニストの辻井伸行さんなんだ」

「ツジイさん、ですか?」

「彼のピアノを聞いたことはある?」

「すみません、音楽系は、さっぱりでして」

「気にしなくていいよ。彼のピアノは、聞けばすぐに分かると思うから」

「どうしてですか?」

「二、三分聞いただけで、幸せの涙が自然と溢れ出てくるからさ」

「そんなことってあるんですか?」

 僕は力強く頷いた。

「彼のピアノは、宇宙の遥か彼方から聞こえてくるんじゃないかというくらい深淵というか、すごいんだ。初めて聴いた時の感動は今でも覚えているよ。心の中でビッグバンが起きたんじゃないかと思ったくらいの衝撃だったからね」

 僕の話をアルは黙って聞いていた。


「辻井さんは、生まれつき目が見えないのに、どうやってピアノコンクールで世界一になれたのかというと」

「ええっ? その人は目が見えないんですか?」

 僕の言葉にアルが即座に反応した。そして、目を大きく見開きながら、とても信じられないというふうに首を左右に大きく振った。

「そんなハンディキャップを背負いながら、世界一のピアニストになれたのには、それなりの理由があって、僕なりの解釈だけれども、彼の偉大な美人ママのいつ子さんが、まさに『三つ子の魂百まで』を実践したからなんだ」

「どういうことですか?」

「辻井さんが幼いころ、おもちゃのピアノで遊んでいる姿を見ていたら、『ひょっとして、この子は!』とピアノや音楽に対する才能があるんじゃないかと閃いたらしいんだ。そこで、いつ子ママが彼の才能を、もっとたくさん引っ張り出してあげようと、ピアノと音楽を中心とした育児教育をできる限り作り上げたというんだよ」

「分かりました! それが『エデュース』ということなんですね!」

 アルが興奮しながら言った。

「その通り」

「そのお話しに関して、急に思い出したことがあります。それって、ギフテッド・チルドレンと呼ばれる子供たちのことですよね」

 運転手が車内の温度をさらに下げようとエアコンの風量を最大にしたため、その暴風のような音でアルの言葉が聞き取れなかった。

「ごめん、今、なんて言ったの? もう一回言ってくれる?」

「ギフテッド・チルドレン」

「えっ? ウォンテッド・チルドレン?」

「違います!」

 アルは間髪入れずに、エアコンの風の音に負けないくらい大きな声で否定した。

「ウォンテッドじゃ、『指名手配中の子供』になっちゃいますよ」

「そっか、ごめん、英語がよく分かんなくてさ・・・・・」


「ギフテッドとは、神様がくれた才能のことです。簡単にいうと天才児のことです」

「そういうことね。了解。じゃあ、話を続けてもいいかな」

 アルが「まったくもう」という表情をしながらも、笑いながら促してくれた。

「僕が今説明したのは、仏教の輪廻転生がベースになっているんだ」

「リンネテンセイ? ですか・・・・・」

「リンネテンショウとも読む。古代エジプト人が信じていたカァー(生命)とは違うんだけれど、仏教では、人は何十回も何百回も生まれ変わるとされている。この考え方ベースにすると、例えば辻井さんの場合は、前世でもピアノをものすごく頑張ったから、現世では誰よりもうまくなった。彼はたまたま、今、目が見えないだけで、何十回と転生してきた前世では、ちゃんと目が見えていた。だから、現世では目が見えなくても、あれほどまでの演奏ができるんじゃないかな。もちろん並大抵の努力じゃなかったことは言うまでもないけどね」

 アルが、また分からなくなったというふうに眉間にしわを寄せた。


「プロのピアニストを思い浮かべれば、分かりやすいかも。彼らはみんな幼いころから、ものすごい努力を積み重ねてきて、その結果、鍵盤を見なくても弾けるようになるでしょ。それを辻井さんに置き換えると、彼らの幼いころに相当するのが、前世になるんだよ」


 僕自身、しゃべりながら考えがまとまってきた。

「野球の大谷翔平選手もそう。彼の場合は、投手なら投手で、投手をずっとやっていた前世が何十回もあって、猛烈な努力な積み重ねた結果、一番になったことが何回もあった。それと同じで、打者を専門にやっていた前世も数え切れないくらいあって、そのときもピカ一の成績を収めた。その両方の才能が現世である今、いっぺんに開花しているんじゃないかと思うんだ。それに加えて彼の場合は、禅師様とか宮司様と呼ばれる役割も、飽きるほどやってきたのかもしれないね。きっとそうだよ。そうとしか考えられないよ」

 アルが、髪の毛をかき乱しながら、理解しようと懸命になっていた。


「それって『生まれ変わり』と言うものなのでしょうか?」

「だと思うよ。でも、それについては諸説あって、『ある』と主張する学者もいれば、『ない』と否定する先生もいる。それに、『ある』を前提にした場合にでも、転生するごとに職業が違っていたり、住んでいた地域がバラバラだったと言う人もいれば、辻井さんや大谷選手のように、同じことを繰り返し研鑽を重ねてくると唱える人もいる。僕の意見としては、どちらも正しいと思うけど、辻井さんや大谷選手なんかは、転生する度毎に同じことに繰り返し打ち込んできたと思う。じゃなければ、モーツァルトもそうだけど、あれほどの天才は誕生しないと思うよ」

 アルが神妙な顔つきで聞いていた。


「だからこそ、アルちゃんがさっき言ったギフテッド・チルドレンのギフテッドを僕流に解釈すると、前世において何回も何十回も繰り返し努力を積み重ねてきた過去の自分が、現在の自分へ『ご褒美』としてプレゼントしてくれた才能のことだと思う」

 僕は、しゃべり過ぎたせいで、軽い酸欠状態に陥っていた。


「そんなことってあるんですか?」

 キョトンとした顔になったアルが、口だけを動かした。

「何回生まれ変わっても、その人の魂は同じだから、性格や考え方、もっと言ってしまうと、この世に生を受けてから死ぬまでの人生が似たようなものになるらしいんだ。例えばだけど、日本の聖徳太子の生まれ変わりがアメリカ建国後に奴隷解放を行ったエイブラハム・リンカーンだという説もあるくらいだから」

「ものすごく難しそうですが、お聞きしていると、なんとなく理解できる部分も確かにありますね」

 僕は大きく頷いた。


「さきほどの会社の社長さんのお話しですが、ということは、エジプトに来られた理由も、本能だったのでしょうか」

「話がだいぶ逸れてしまったけど、先輩からの誘いの前に、社長に言われたあの時、気付いたら僕は本屋でエジプトに関するガイドブックを買っていたんだ」

「それが理由だったんですね」

「そう」

 するとアルは、少し間を置いてから、

「すごく難しく感じていたのですが、案外、単純なんですね」

 と口を大きく開けて笑った。

「おいおい、僕にだって人並みの自尊心はあるぜ」

「それはそれは、失礼しました。以後、十分気を付けますね。聞かぬが仏、言わぬが花と言いますからね」

 アルはそう言って、また笑った。

「アルちゃんの発言は、もう慣れたから全然いいよ」

「では、これからもお言葉に甘えさせていただきますね」

(立場が逆だろ)

 と思ったが、そのままスルーした。


 少ししてからアルが口を開いた。

「でも、私の本能は、なんだろう・・・・・」

 今日のアルの頭脳は、何回も何十回も目まぐるしく回転している。

「僕と出会ったときから、ずっとそれを使っているよ」

 僕は、真顔で言った。

「えっ?」

「分からないの」

「・・・・・はい」

「それはね」

 僕は少しタメを作ってから、

「やっぱり、やめよう」

 と笑うと、

 アルは、

「何でですか? 教えてくださいよ、意地悪なんだから」

 と幼い子供のように頬を風船のように膨らませた。

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