第4話 ゴールデン・ナイン
相変わらず、僕らのほかに客は誰もいない。閑散としたレストランで、僕とアルのテーブルだけが、スポットライトを浴びているように盛り上がっていた。
「さっき教えてくれたオシリスやイシス、セトなどのことについてだけど」
釈迦に説法だったが、僕はヘリポリス神話について簡単に話し始めた。
「アトゥムは『水』の神で、シューは『大気』の神、そしてテフヌトは『湿気』で、ゲブは『大地』、ヌトは『天空』で、オシリス、イシスと続いていくよね」
アルは、僕が披露中の知識に間違いがないかどうかを確認しながら、じっと聞いていた。
僕は運命表を見ながら続けた。
「個々の神様によって役割が違うように、九星気学では、人間をまず生まれた年ごとに大きく九つに分類する。そして、それぞれの生まれ年の特徴や傾向性から、個々人の将来にわたる運命や可能性を占っていくものなんだ」
アルは、料理にもドリンクにも口を付けずに黙って聞いていたが、やおら口を開いた。
「九つに分類するって言いましたけど、それってなんだか切りが悪いような気がします」
「でもヘリオポリス神話も『九柱神』で九だよ」
「そうかもしれませんけど、例えば、5とか10とかだと分かりやすいのかなと思ったので」
「それはそれで分からなくもないけれど、割り切って、そういうものだと覚えるしかないんだ。それと、その人がどのカテゴリーに分類されるかは、九種類だから九進法で数えていくんだよ」
「えっ? 十進法じゃナインですか?」
「今、自分で答えを言ったよね」
「?」
「ナインだと」
「・・・・・」
僕のギャグが見事にスルーされた。
「四柱推命も九星氣学もどちらの占いも、誕生日を元にしたものなんだけど、四柱推命ではそれらを『年』『月』『日』『時刻』の4つの項目に分ける。そのことから四柱というんだ。まさに読んで字の如く。ちなみに、神様を数える時の単位は『柱』だけど、その柱とは意味が違うので。念のために伝えておくよ」
四柱推命を使えば、九ではなく十種類になるのでアルの理解が深まりやすいことは分かっていた。でも、僕にとっては九星気学のほうが説明しやすかったため、それをベースに読み解いていくことにした。
「その中に、分とか秒は入らないのですか」
アルが聞いた。
「厳密にいえば、あるんだろうけど、そこまで細分化しても僕ら素人は混乱するだけ。とてもじゃないが覚えきれないよ。だから最小単位は『時刻』で十分なんだ」
人がこの世に産声を上げる時、ママのお腹から出てくる分娩には二種類ある。自然分娩と帝王切開である。
かつての中国では、帝王の世継ぎが誕生する際、その子には最強の運勢を持って誕生してもらいたいがゆえに、その子の誕生日を占いによって人為的に決め、その時刻に合わせてママのお腹を切って赤ちゃんを取り出したという。非道とも思えるこのやり方は、帝王の子供を取り出す時にしか許されていなかったことから、帝王切開と名付けられたという。それくらい昔の中国では『時刻』に至るまで誕生日が重んじられていた。
先ほどからアルが真剣な眼差しで、僕の話をひと言も聞き漏らすまいと、下から睨むように前屈みになっていた。
「この話は、都市伝説だと思ってもらってもいいと思うけど。話を戻すと、その分け方で見ると、カーターの運勢は、ほら、ここに相当するんだ」
さっき僕が説明した三つの特徴を見せようとすると、料理が運ばれてきた。二人はのけぞるようにしてテーブルの上を空けた。運ばれてきたのは、山羊のチーズに無花果の実などである。豪華になったテーブルを見て、僕はツタンカーメンとアンケセナーメンが食事をする姿を想像してしまった。
仲睦まじい二人は、食事を始める時に、ワインが大好きだったというツタンカーメンは、アンケセナーメンのグラスに自分のグラスをカチンとぶつけて乾杯し、二人はお互いの腕を絡ませながらグラスに口をつけていたのかもしれない。食事を口に運ぶ際には、アンケセナーメンがツタンカーメンに、「あ~んして♡」と言いながら食べさせていたのかもしれない。
だが、今、僕の目の前にいるアルは、そのような素振りは一切見せず、自分が食べる分だけを皿に取って手と口を盛んに動かしていた。もし彼が僕に向かって「あ~んして」と言ってきても、僕は絶対に完無視しようと心に決めた。
僕は再びアルにカーターの運命表を見せた。
「ここと、それからここに書いてあるでしょ」
僕は、スマホ上の数字を指差しながら、カーターにとっての三つの開運方法が書かれたページを見せた。アルが再び前屈みになり、「ほんとだ」と頷くと、体勢を元に戻した。そしてナイフとフォークを手にしながら、ぽつりと言った。
「ヘリオポリス神話のシューとテフヌトは、アトゥムの自慰行為によって誕生したので、あまりいい気はしないです」
「しょうがないよ。自慰であってもなくても、そのような行為をしない限り、男の体内から生命の一滴を出すことはできないんだから。それよりも、豊穣神である女神イシスに感謝しよう」
僕の問いかけには答えず、アルは何か言いたそうにしていた。
「どうしたの?」
「ちなみに私の運勢の数字はいくつなんですか?」
「誕生日を教えてもらえるかな?」
僕は、彼から告げられた1990から始まる数字を入力した。
「僕と七つくらい違うんだね」
「そんなに先輩なんですか。そんなふうには全然見えませんよ。私と同じか、ちょっと上くらいかなと思っていましたので」
僕は、結果を確認した。
「なるほど。そういうことか」
僕がスマホの画面を見ながら、言うのをためらっていると、
「なんでにやにやしているんですか? もったいぶってないで、ちゃんと教えて下さいよ」
アルの両頬が少しだけ膨んだ。
「アルちゃんは、『一』だね」
「ふうん。じゃあ、私はどんな人間なんですか?」
「分かりやすくひと言で表現すれば、『水』」
「ほんとですか? ということは、創造神アトゥムと同じなんですね。なんだかすごく嬉しいです」
単純そのものである。
「同じ水でも、いろんな水がある。海水のように塩辛い水もあれば、滝のように激しい水もある。そういう意味で言うと、アルちゃんの水は、小川のせせらぎのような美しい音色を奏でる水という表現がもっとも近いかも」
彼は自分の姿を想像したのだろう、顔全体に嬉しさが広がっていた。
「面白いですね。じゃあ、さっきの話に戻りますと、カーターの『九』という数字には、どんな意味があるのでしょうか」
「ツタンカーメンのミイラが収められていた棺はロシアのマトリョーシカ人形のようになっていて、厨子と人形棺を合わせて『九重の守り』になっていたよね」
「そうでしたね」
「その厨子には王陵印章が押してあったけど、それは『九人の敵を支配する山犬(ジャッカル)』だったよね」
「そっか。九は、本当に不思議な数字なのですね」
「まだあるよ。仏教の曼荼羅も九がキーワード」
「そんなにあるんですか!」
驚きつつ、アルが何かを言いたそうにしていた。しかし、僕は気にも留めずに次から次へと料理を口に運んだ。
「ちょっといいですか?」
なんとなく悪い予感がした。
「生命の一滴も、一滴と言うからには水と言ってもいいんですよね。ということは、水である私の性格は、言い換えれば、精子そのものと理解すればよろしいのでしょうか?」
口に入れていたものを思わず吹き出しそうになった。どうすれば、そんな解釈になるのだろうか。僕は笑いを必死に堪えながら、食べていたものを飲み込むと、口を開いた。
「確かに男も女も精子からできているのは間違いない。だけれども、それとこれとはたぶん違うと思う。いや、絶対に違う。それに、あれは水というよりも液だから」
「ふうん」
こういうときこそ単純になってもらいたいのだが、腑に落ちない顔をしている。
「私はさっき、自分の性格を言いましたが、そんな私でも開運できるのでしょうか?」
「大丈夫。心配ないよ。九種類は、ざっくり分けたものだけど、どのカテゴリーに入るのかによって、開運方法が違うから」
「それを聞いて安心しました。でも、ということはですよ、地球上のすべての人は、その人その人によって開運方法が違うという理解でよろしいのでしょうか?」
「厳密にいえば、そういうことになる」
「‶ワォー!〟」
目を丸くしたままアルの表情が固まってしまった。
それにしても、今の「‶ワォー〟」は、どこかで聞いたことがあるな・・・・・。
と次の瞬間、
(そうだ!)
さっきの、替え歌もそうだったし、〝だいじょうぶだぁ〟もそうだった。それに、今の‶ワォー〟も、すべて志村けんのギャグだ。
カーターは、メッシに似ているし、目の間にいるアルは、エジプト人なのに志村けんのギャグを連発するし、今回のエジプト訪問は、実にバラエティに富んでいる。まあ、それはそれとして、僕はアルの質問に戻ることにした。
「世界中にいる何十億人を対象にしていたら、時間がいくらあっても足りない。占星術もそうだと思うけど、それこそ天文学的な時間がかかってしまう。そこで編み出されたのが、ざっくり九種類に分けた方法なんだ。そうやって考えていくと、意外に簡単でしょ?」
アルが理解してくれたかどうか分からなかったが、固まっていた彼の表情が和らいだ。
「ところで、ツタンカーメンの運勢についても聞いてもいいですか?」
「彼の誕生日は、何年だったっけ?」
「いろんな説がありますよね」
ツタンカーメンの生まれ年については、よく分かっていない。それについては、今のところファラオに即位した年から八年か九年を差し引くのがいいのかもしかない。しかし、ファラオに即位した年でさえ諸説ある。エジプト考古学者の近藤二郎先生は、紀元前1332年だと言い、同じくエジプト考古学者の河江肖剰先生やナショナルジオグラフィック社は、紀元前1336年だと言う。
ただし、即位した年齢が八歳か九歳という説は、ほぼ一致している。
それは、ワインを製造する時に使用された封印に製造年度が記されていて、その年度にファラオの統治年度が使われたからだ。同様に死亡年齢についても大腿骨の発達状況などを精密検査した結果などから、18歳か19歳だったと判明している。
そうしたことから、僕は即位の年を、誠に勝手ながら河江先生たちの説を採用させいただき、生まれ年については、そこから九を引いてみることにした。
「月」「日「時」については、まったく分からない。僕は食事の手を止めて、その年をアプリに入力した。
「かなり、というか、ほとんど当てずっぽうだけれども、もし紀元前1345年が仮に正しいとするならば、彼の運勢を表す星は、数字でいうと『六』。火とか水でいうと、彼の場合は『金』だね」
「へえ、そうなんですね」
「あくまで仮説だけれども、彼の星が『金』だとすると、それこそ彼の代名詞でもある黄金のマスクや黄金の棺をはじめ、金ぴかの墓を象徴する星だったというわけだ」
僕は、彼の星については確信が持てなかったものの、力を込めて言い切った。
「なるほど、そういうことだったんですね。少年王として若くして亡くなってしまったのは可哀想でしたが、さすがに名を馳せたファラオだけのことはありますよね。なんだか彼の人生が黄金色に輝いていた感じがして、すごくエネルギッシュな感じがします」
単純極まりない受け答えに、僕はまた笑ってしまった。
するとアルが、また何かを思い出したように言った。
「さっきの話では、九種類のカテゴリーによって開運方法が違うということでしたよね?」
僕は頷いた。
「じゃあ、各カテゴリーの開運方法は、みんな三種類なんですか?」
「大枠ではそうだね」
「ということは、誰でも自分のカテゴリーの三つの条件をクリアすれば、成功したり、運気がよくなったりするんでしょうか?」
「それだけをやればいいわけではないけれど、最低限それだけはやらないといけない」
「ちょっと待ってください。今の日本語がよく分かりませんでした。『やればいいわけではないけれど』と『やらなければいけない』が理解できませんでしたので、もう一度教えてもらってもいいでしょうか?」
アルの瞳が、真剣に何かを吸収しようとして鋭く光った。その目を見た途端、僕は中途半端に伝えるのはよくないと思った。
世間を見渡すと、こういう占いをやっている人は本当に多い。だけれども、自分を含めて、みんながみんな開運できているわけではない。なぜ十分に勉強を重ねているのに、右肩上がりで開運していかないのか。逆説的に言うと、なぜ開運できずにいるのか。
開運とは、「運を開くこと」と言葉で言うのは簡単だけど、それはあくまで座学で得た知識でしかない。もちろん座学も必要だけれども、今いる場所から抜け出せていないのであれば、その原因を究明し、同時に取り除いていかないと、本当の意味で社会に役立つ人として成長していくことは難しい。
そうしたことからも、今の僕は、趣味の範囲で勉強しているにすぎないわけで、アルにきちんと説明することは難しい。だけど、彼が知りたがっている以上、少しでも理解してもらえるよう、できる限り正確性を意識しながら説明を試みた。
「運気を良くするためには、九種類のカテゴリーに応じて、統計的に出された三つの条件を最低限やらないといけない。だけれども、その三つだけをやれば、みんながみんな開運できるかというと、そうじゃないんだ。本当の意味で開運を目指すには、その前提として、まずは自分自身の中で、人としての基礎工事をやらないといけないんだ」
「キソコウジですか・・・・・、もっと分からなくなってきてしまいました」
「それについて説明すると長くなってしまうので、また別の機会に話しをさせてもらうとして、まずは三つの条件から説明していくことにしよう」
僕は、いったん言葉を切ると、呑気に大きな欠伸をしたかったが、アルの真剣な表情を見て慌てて口の前に手を当てた。
「でも、最初に話しを戻させてもらいますと、ツタンカーメンの墓を発見したカーターには運も味方したんだろうなとは思いますが、やっぱり偶然がいくつも重なり合ったからじゃないんですか?」
「それはそれで正しい。でも、この世には偶然はひとつもなく、すべてが必然だとしたら」
アルが今の言葉で考え込んでしまった。
このまま中途半端に終了してしまうと、アルが消化不良になるのは分かっていた。だが、一刻も早くベッドにもぐりこんで眠りに就きたい。彼には悪いが、やっぱり説明は別の機会にさせてもらおう。
僕は今、ふかふかの雲の上で気持ちよく空中遊泳をしている自分の姿を想像していた。
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