第3話 「あれ」を使えば、だいじょうぶだぁ

 その後、カイロ空港を無事に飛び立った僕らは、昼前にルクソール空港に到着した。


 空港からは初日同様、観光地である王家の谷へ直行した。そして、ツタンカーメンが眠る棺の前で不思議なメッセージを受け取った後、ホテルへ向かう車の中で寝落ちしてしまったというわけだ。


「着きましたよ」

 アルの優しい声で起こされた。寝ぼけ眼の目を擦りながら車を降りると、ふらつきながらホテルに入った。昨日泊まったカイロ市内のホテルもそうだったが、このホテルのロビーにも宿泊客がほとんどいない。それもそのはず。僕がエジプトを訪れたのは、2016年の春だったからだ。


 2010年12月にチュニジアで起こったジャスミン革命によって燃え広がった火はエジプトにも飛び火した。それにより、2011年2月に、30年に及んだムハンマド・ホスニー・ムバラク政権が崩壊し、民主国家へと大きく生まれ変わろうとした。


 翌12年にエジプト発の大統領選挙が行われ、ムハンマド・モルシ政権が誕生した。しかしコプト教徒への無差別的な弾圧を続けた結果、国民から猛反発を買い、わずか1年後の2013年、民衆の手によって引きずり下ろされた。そして、モルシの後を受けて誕生したシシ(アブドルファッ ターハ・エル=シシ)政権が今も続いている。


 こうした動きはエジプトに限ったことではなく、多くのアラブ諸国にまで広がっていた。それ以前からも、欧州で勃発したカラー革命によっても政情不安に陥った国が数多く出現していた。そうしたことが相まって、当事国を中心に観光客が激減していたのである。

 このホテルも部屋数が二百ほどある。しかし、この様子だと、空室率は90パーセント以上になっているのではなかろうか。


 チェックインを済ませると、直接部屋には行かず、アルと一緒にロビー階にあるレストランの暖簾をくぐった。このレストランは、主に宿泊客を相手にしているのか、優に7、80人くらいは着席できそうな広さを誇りながら、僕たち以外に客が一人もいなかった。


 テーブルに着くと、簡単に飲み物と料理を注文した。それが済むとアルが地図をテーブルの上に広げた。

「明日の予定はどうしましょうか?」

 あの声を聞いてからというもの、真相を追求することにしたが、いかんせん持ち時間は、今日を含めて4日間しかない。やれることには限りがある。頭の中でいろいろと計算してみたものの、勝算については何とも言えない。しかし、動くことだけはできる。仕事でもそうだったが、僕は頭を使うことよりも、足を使うことのほうがはるかに得意だった。


(やれるだけやってみよう!)

 僕は改めて覚悟を決めた。


 まずは、ツタンカーメンの墓をもう一度訪れることだ。それをアルに告げると、

「私たちが今いるのはここで、ファラオ霊園はここなので、さっきもその近くを通りましたが、ハトシェプスト女王葬祭殿がその道中にあります。まずは、そこに寄ってからにしましょうか?」


 アルから提案されながら、彼が地図上で指し示すペン先を目で追った。異論はない。僕は頷いた。あの時の声が女性の声のようにも聞こえたため、ひょっとしたらハトシェプスト女王に何らかの関係性があるのではないのか、アルの提案は、そんな淡い期待も抱かせてくれた。


 最初に運ばれてきたエジプト産のステラ・ビールをちびちび飲み始めていると、インゲンマメとアスパラガスを軽く茹でたものや、キュウリやトマトなどを使った新鮮野菜のサラダが運ばれてきた。どれもこれも赤や青など鮮やかな色彩である。腹ペコだったこともあり、思わず頬張った。野菜のみずみずしさが胃の中で弾けた。


 次にレンズ豆の煮込み料理が取り皿と一緒に運ばれてきた。目の前に置かれた取り皿には、蠍の姿をした王が鍬を使って農作業をしている姿が描かれている。


 歴史家ヘロドトスが、「ナイルの賜物」と書き残したように、全長、六六五〇キロメートルにも及ぶ世界最長のナイル川の洪水(増水)は、エジプト経済そのものに直結している。増水によって栄養分を多く含んだ土が、上エジプトと称される上流から流されてくるからだ。水源は、主に青ナイルと呼ばれるエチオピア高原のタナ湖周辺と、白ナイルと呼ばれるウガンダのヴィクトリア湖周辺に降る雨である。


 このような自然の摂理による灌漑を利用した収穫は、年に一回だけだった。そこで、効率よく二回にするための人工灌漑が行われていたという。最近の研究では、人工灌漑があったことは否定される傾向にあるが、人工灌漑に関する最古のレリーフが、この皿に描かれている。鍬を手に耕作地に水を引くための開通式を行っている「蠍王」の姿である。


 この儀式には、もうひとつの意味がある。ヘリオポリス神話に登場するオシリス神は、弟のセト神の手によって殺されてしまったのだが、その時の埋葬儀礼を表したものでもある。

 その絵をじっと見つめていたアルは、運ばれてきた料理には目もくれず、口を開いたかと思うと、突然歌い始めた。


「イ~シ~ス~、なぜ泣くの、イシスの勝手でしょ~♪」


「おいおい、どうしちゃったんだよ」

 僕は、思わず目を見開いてアルを見た。彼が歌い始めたことに驚いたのではない。歌の内容に、びっくりしたからだ。

「だって、悲しくないですか。オシリスは、実の弟に殺されちゃったんですよ」

 イシスとは、オシリスの妻であり妹のことである。


 僕の驚きは完全に無視され、アルは自分の世界に入り込んで、哭き女の真似をした。

「それにしても、その歌の原曲をよく知っているよね」

 アルには、本当に驚かされることばかりだ。

 そんな感心をよそに、アルは、哭き女の真似をやめ、

「お客さんから教わりました」

 と威勢よく胸を張った。


(日本人よ、大丈夫か?)


 独り言のように小さくつぶやいただけだったが、聞こえてしまったらしい。


「‶だいじょうぶだぁ〟」


 アルがドヤ顔で答え、再び皿の絵に視線を落とした。

「殺されてしまったオシリスですが、その後、イシスが遺体をかき集めてオシリスを生き返らせたんです。で、ですね、ここに穀物が描かれているでしょ」


 アルはテーブル越しに身を乗り出すと、ビール瓶を倒さないように注意しながら、皿に描かれた絵の一部分を指さした。

「この穀物は、オシリスの肉体を表しているんですよ」

 アルは、再び椅子に腰を下ろしながら続けた。

「オシリスは一人何役もやっていて、冥界の神でもあり、復活の神でもあり、さらには穀物の神でもあったんです」

「へえ、勉強になるね」

 僕が褒めると、アルの表情がドヤ顔からアルカイック・スマイルに変わった。

「なので、収穫祭では、オシリスを見事に再生してくれたイシスに対して最大級の感謝が捧げられたそうです」

 アルは、嬉しそうに話をしながら、ナイルの賜物であるインゲンマメを口にした。


「勉強不足で恐縮ですが、日本にも似たような『ニイナメマツリ』というお祭りがあるかと思います。でも、あれは収穫について感謝をするお祭りなので、今申し上げた収穫祭とは、捉え方が少し違うのかもしれません」

 新嘗祭とは、またすごいことを言い出したものだ。

「それもお客さんから?」

「はい、そうです」

 答えながらアルは、目の前に並べられた料理に視線を移した。

「温かいうちに、どうぞ召し上がってください」

 テーブルの上に並べられた料理を手で促した。


「ところで、さっきの話なんですが」

 アルにそう切り出されて、僕は思い出した。

 カーターがツタンカーメンの墓を発見できた理由について、『あれ』を使えば、何らかの答えを導き出せるのかもしれないと思い、彼と一緒にカーターの誕生日については確認したが、その詳しい内容についてはまだ説明していなかった。


「そうだったね」

 僕は、ビールが入ったグラスをテーブルに置くと、スマホを取り上げた。アプリには、車の中で寝入る前に入力したカーターの誕生日を表す数字がそのまま残っていた。答えを出すためエンターキーを押した。そして数字と記号を確認した。


「なるほどね、やっぱ、すげーや」

 僕は、驚きを隠さずにアルに話し始めた。

「カーターの特徴は、これによると『九』と『火』だね」

「九と火、ですか・・・・・」

「この特性からすると、カーターの開運方法は、大きく三つに集約される」

 アルが真剣な眼差しで僕の言葉に耳を傾けていた。


 僕は、レンズ豆の煮ものをスプーンで食べながら、頭の中でカーターの写真を思い浮かべながら彼の特性について整理した。口の中では、柔らかい触感と共に、ほのかな甘みが広がっていた。


「その三つとは、まず一つ目は、直観力を信じること。そして次に、その直感力で閃いたことを、少し離れたところから冷静に観察してみること。できることなら、自分自身の中で正論と反論をぶつけ合ってみると、すごくいいと思う。というのは、直観力は大事だけれども、感情や思い込みが強いと間違った方向に進んでしまうこともあるからだ。そして最後の三つ目は、そうした検証をやってみた結果、その内容に確信が持てたら、覚悟を決めて最後までやり抜くこと」


 黙って聞いていたアルが口を開いた。

「勉強になりますね。でも、難しそうだなと感じてしまいます。ちなみに私は、とても飽きっぽいですし、物事を深く考えたことはないですし、言ってみれば場当たり的な性格なので。それに冷静どころか、いつも感情が先走ってしまっていると思いますから」

 彼の自己分析を聞きながら、僕は思わず苦笑した。


「それはそうと、前から思っていたことがあるんですが、よろしいでしょうか?」

 僕は黙った頷いた。

「カーターって、メッシに似ていると思いませんか? 横顔はそうでもないと思うのですが、正面からだと、結構似ていると思うんですよね。特にこの写真を見てみてください。これです。この写真です」

「メッシって、あの超有名なサッカー選手のこと?」

「はい」

 アルは、カーターとサッカー界で「神の子」と称されるリオネル・メッシ選手の写真をスマホ上に出して、二人を比較するように指で交互にスライドさせながら僕に見せた。


 カーターの写真は、英語版であれば、ある程度は出てくるが、日本語版だと書籍でもインターネットでも同じようなものばかりで、種類も少ない。ツタンカーメンの棺を前にして屈んでいる姿のものや、カーナヴォン卿と愛娘イヴリンの三人で映っている写真などである。


 そうしたなかで、アルが指摘した写真はウィキペディアに掲載されているものだった。これは、日本語版でも英語版でも同じものが使用されている。山高帽を被り、視線はやや右前方に向けられ、スリーピースのスーツを綺麗に着こなしている。襟元には蝶ネクタイ、そして左手で書籍を小脇に抱えているものである。


「ほんとだ! 確かに、すごくよく似ているね!」

「でしょ!」

 僕はアルと頷き合った。

「だからか!」

 僕は思わず叫んでしまった。


「一度目の発掘期限内で結果を出せずに、『もはやこれまでか?』と思われた中で、一年間の延長戦が認められ、その延長戦の開始を告げるホイッスルが鳴るや否や、ツタンカーメンの墓を発見するという奇跡的なゴールデンゴールを決めることができたのは、彼が考古学会のメッシだったからというわけか!」


 アルも興奮して、アーモンド型をした二つの目からは、ものすごく強い光が放たれていた。そして僕とアルは、まるで呼吸を合わせたかのように同時に椅子を蹴るように立ち上がると、テーブル越しに力強く「イエーイ!」とハイタッチを交わした。


「なるほど、そういうことだったんですね!」

 興奮して喉が渇いたのか、アルは水を口に含むと、吹き出さないように注意して飲み込んだ。


「ちなみにですが、確認させてもらってもいいですか?」

 僕が頷くと、彼が質問した。

「その開運方法は、人相を元にしたものではないですよね?」

「いかにも」

 僕は胸を張って答えた。

「顔が似ているというだけで、運命が同じになることがあるのでしょうか?」


 実にいい質問だ。


 カーターは、ツタンカーメンのミイラと初めて対面した時、ツタンカーメンとアクエンアテンの顔が酷似していることに気付いた。当時はまだ彼ら二人の関係性がよく分かっていない時代で、義理の親子だと言われることが多かった。その後、最新のDNA検査によって二人が実の親子だと判明したわけだが、それは、ここ最近になってからの話である。


 人相学(観相学)や骨相学があるように、カーターには彼独自の「ミイラ相学」が備わっていたに違いない。カーターは、彼らの頭蓋骨を見て、後頭部が後ろに出っ張った形状をはじめ、頭の幅や長さ、周囲の大きさ、顔の高さや顎の幅などから判断して、実の親子だと直感的に見抜いていたのである。しかも「顔はアクエンアテンを想起、横顔はアクエンアテンの母ティイに酷似している」とまで言っていたのだ。


 遺伝子が同じだと、親子の身体的特徴は、ここまで似るものなのか。だからと言って、それがカーターとメッシに当てはまるわけがなく、間違っても彼らには血縁関係はない。

「この件に関しては、特別ルールを設けて、そういうことにしておこうじゃないか」

「ですよね。私もそのお考えに賛成です」

 僕らは揃って笑った。

「冗談はそれくらいにしまして、結局、それは何を根拠にしたものなのでしょうか?」

 アルが真面目な表情で聞いた。

「企業秘密」

 僕がにやにやしながら答えると、アルは不満気な表情を浮かべた。


 このアプリの心臓部については、相手が誰であろうと公開することは絶対にしない。だが、ここは日本ではないし、アルにだけは、なんとなく気を許してもいいのかなと思った。それに美味しいビールとエジプト料理に舌鼓を打っていたことも、気が緩んだ理由かもしれない。


「日本には、九星気学や中国発祥の四柱推命という占いがあるんだけど、聞いたことはある?」


 日本人なら誰もが一度は耳にしたことがあるくらい、一般的に浸透している占いだ。しかし、それらは参考にはなるとは思うが、すべてがすべて正しいとは言い切れない。流派もいろいろあるようだし、師匠と呼ばれるその道のプロでさえ、人によって言っていることに個人差があるからだ。それに、もしこれらがすべて当たるとしたら、みんな病気知らずで、結婚でも仕事でも、どんな夢でも叶ってしかるべきだと思えるからだ。


 反対に、これらの占いは信憑性に乏しいと最初から否定する人もいる。例えば、五年間で一万人のデータを取った結果・・・・・、というような具体性が何もないというのがその理由のひとつだ。だけれども、否定派が正しいとするならば、今の日本社会の中で、これらに関する言葉や書籍を神社仏閣や書店で耳目することはなく、とっくの昔に消えていたはずだ。


 そうした観点から僕としては、それこそ「当たるも八卦、当たらぬも八卦」くらいの軽い気持ちを持ちつつも、基本部分だけを取り出して、確率論ではないけれど、傾向性を分析しながら自分なりのツールである『あれ』を作っていたのである。


「キュウセイキガク? シチュウスイメイ?」

 アルが身を乗り出して僕のスマホの画面を食い入るように見つめながら、つぶやいた。

「クウチュウユウエイ(空中遊泳)なら聞いたことがありますが、キュウセイキガクとか、シチュウスイメイは初めて聞く言葉です」


 なぜ空中遊泳という単語が出てきたのかは分からない。きっと、イタリアのミラノや英国ロンドンなどの街角で見かける「空飛ぶシルバーマン」や、棒を使って片手一本だけで人を空中に浮かせる怪力自慢の「インド風ヨガマン」などの怪しげな大道芸人でも想像したのだろう。


 僕は、彼のジョークをスルーして、本題に入っていった。

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