大輪の華

わたくし

仕事帰りの楽しみ

 繁華街の煌びやかなビルの間の細い路地に入る。

 建物の真ん中辺りに小さなドアとショーウィンドーがある。窓の中には映画のポスターと上映時間が貼り出している。


 ここは邦画専門のミニシアター『幻影座』の入口だ。実際は「ミニシアター」と言うよりは「名画座」の方が似合っている佇まいだ。

 上映プログラムが月替わりで、館主の選んだ硬軟様々なテーマに沿って各作品が集められている。


『有名怪獣の出ない怪獣映画特撰』

『頑張れ皇軍! 異色戦争映画集』

『年末恒例、忠臣蔵マラソン!』

『納涼! 化け猫映画大会』

『本当か? 嘘か? ドキュメンタリー(?)映画博覧会』

『童心に帰れ! 漫画映画祭り!』

『デートにおススメ、恋愛映画ベスト3』

『どっちが勝つか? 本編VSリメイク作品 対決!』

『涙は心の汗だ! 感動&感涙作品大発表会』

『これは、進歩か? 退化か? 処女作&最終作 品評会』

 私は毎回テーマ沿った作品群を観るのが楽しみで、仕事帰りにいつも立寄っている。


 今回のテーマは、

『昭和の大監督と昭和の大女優、無制限3本勝負!』

 だ。


 無声映画から戦後の映画黄金期まで活躍し、海外の映画監督にもリスペクトされている大監督『谷津安太郎』が当時の大女優『源季子』をヒロインにした三連作を上映する。この三連作は『谷津監督』の代表作と名高く海外の映画賞にも沢山選ばれていた。そして、女優『源季子』の代表作として有名でもあった。

 私は『谷津監督』も『源季子』も映画の基礎知識だけしか知らなかった。実際の作品を観るのは今回が初めてであった。


 入口のドアを開け細長く急な階段を降りると、小さな窓口がある。木戸銭を払いチケットの半券を受け取り、中に入る。座席数100席未満の観客席の真ん中辺りに座る。ここが私の指定席だ。

 上映時間まで窓口で貰ったプログラムを読む。今回の作品群は『谷津監督』が『源季子』をヒロインに据えて撮った三つの作品だ。どの作品も『源季子』の役名は『範子』であるが、三作品は其々独立した別の話である。

『谷津監督』はこの三連作で自身のスタイルを確立して日本を代表する映画監督に昇り詰めた。『源季子』はこの三連作で大女優の地位を固めていったが三連作の十年後の『谷津監督』の死去を切っ掛けに映画界から姿を消し、以後公の場に姿を現す事は無かった。噂では『谷津監督』と『源季子』は相思相愛な関係だったと言う。


 館内が暗くなり、銀幕と呼ぶのに相応しいスクリーンに画が映り始める。

 一作目のタイトルは『終春』固定された画面を通して父と娘の二人暮らしの家族を、娘の結婚から父と娘の別れまでを淡々とした調子で描いている。

 私は今まで見た映画と全く違う画風に面食らってしまった。ストーリーも起伏が無く退屈な話であった。しかし、何故か画面を見放す事ができなかった。

 それは娘の『範子』役の『源季子』の美しさであった!

 当時のキャッチフレーズで「大輪の華」と言われていた『源季子』の姿は、彼女が画面に出ただけで白黒の画面に色が付いた様な華やかさで満ち溢れていた。

 私は『源季子』に恋をしてしまった!


 次の作品までの小休止の時間、私は『源季子』についてネットで色々調べてみた。

『稀にみる絶世の美女!』

『大輪の華の様な豊かな表現力!』

『大監督と大女優、世紀のカップルの行方は?』

『破局の原因は歳の差か? 谷津監督が怖気づいた?』

『次のお相手は、大実業家のH氏か?』

『源季子、谷津監督の葬儀後映画界から姿を消す!』

『あの大女優は今何処に?』

 調べれば調べる程、ミステリアスな生涯と『谷津監督』との関係に興味が注がれる。


 再び館内が暗くなり、二作目の『麦の穂』が始まる。

 大家族の何気ない日常が映し出されているが、長女の『範子』の結婚が切っ掛けで家族がバラバラになっていく。

 この作品の『源季子』も素晴らしく美しかった!

 大家族を養う為にオールドミスになるまで働いていた『範子』が、偶然に出会った亡き兄の友人に嫁ぐ事を決心するシーンの素晴らしい表情!

 私はもう『源季子』に夢中になっていた!


 三作目前に、『谷津監督』も調べてみた。三連作以後も精力的に作品を発表し続け、三連作の十年後に独身のまま亡くなっていた。

 やはり、『谷津監督』は『源季子』の事を……


 また暗くなり、『都物語』が始まった。

 定年を迎えた老夫婦が田舎から出て、都会で暮らす子供達に会いに行く。遠くからわざわざ来てくれた両親を邪見に扱う訳にもいかず子供達は苦慮する。しまいには戦死した次男の嫁に無理矢理両親の世話を押し付ける。

 老夫婦に対して血の繋がって無い義理の娘の『範子』が一番親切に接してくれた。別れの日に老夫婦に向かって娘はある告白する。

 三作の中で一番ストーリーが明確で面白かった。老夫婦が帰りの旅路で語り合う台詞に感動した。そして『源季子』の美しくエロチシズムな事!

 別れの告白のシーンで「今は亡き夫を思い出せなくなっている」と言う『範子』の台詞の真意は、独り寝の淋しさと我慢できない性的な渇望が漏れ出している。ぱっと見では何気ない別れのシーンではあるが、『谷津監督』の演出と『源季子』の演技力で物凄くエロティックな表現になっていた。老夫婦は娘の告白を温かく受け取り、次の人生に向って送り出す言葉を語る。


 私はこの三連作で『谷津監督』と『源季子』の凄さを感じた!

 三連作のテーマは「家族の崩壊」と「孤独に死へ向かう」と「輪廻」だと思った。どの作品も残された家族は独りになり、死へと向かっていく。

 だが、どの作品でも『範子』は大輪の華を咲かせて、新しい家族を作り出し生きて行く。やがてその家族も無くなり孤独になっても、次の世代が受け継いでいく。寒い冬から芽吹く春へ、生きとし生ける物が一斉に歌い出す夏から次の世代を実る秋へ、やがて死へ向かう冬に。季節が巡る様に家族も輪廻し続ける。この三連作の裏テーマは「夏」だ。『範子』は夏の象徴だ。大輪の華に相応しい『源季子』だからこそ、完成出来た作品だと思った。




 いつもは一通りの作品を観た後は次の月まで待っていたが、今回は毎日『幻影座』へ通っていた。勿論、『源季子』に会う為である。

 平日は夕方の回から、休日は朝の回からずっと観続けていた。

 私は銀幕に映し出される『源季子』の姿を恍惚の表情で観ていた。


 毎日通う内にある事に気が付いた。いつも客席の最前列の中央に老婦人がいた。平日に行くとすでに座っていて、休日には開館と同時に若い女性に手を引かれて席についていた。当日の最終回が終わると、若い娘がやって来て老婦人を介護しながら連れ出していた。


 私はこの老婦人に興味を持ち、老婦人と同じ最前列の少し離れた所に座り映画を観る老婦人の表情を観察してみた。

 その表情は懐かしい物を見る様なうっとりした顔をしていた。

 ただ美しい過去を思い出すだけでは無く、最愛の人に再会した喜びを表した表情もしていた。

 私はあの老婦人は『源季子』だと確信した。画面に映る若い頃の自分の姿を懐かしむより、『谷津監督』に再会した事に満足している様であった。

『源季子』は『谷津監督』をまだ愛しているのだ。

 では、介護をしている若い娘は?


 月の後半になると、老婦人は車椅子で劇場に来るようになっていた。

 私は「車椅子の手伝いをしたい」として老婦人と若い娘に近付いた。

 平日は帰りの支度を、休日は入館と退館の手伝いをした。手伝いをしている内に若い娘と親しくなり、次第に話をする様になった。

 娘の名は紀子と言い、老婦人は祖父の姉であるそうだ。現在は紀子の父の家で隠居生活をしている。

 普段は滅多に外出をしない老婦人だが、この映画だけは毎日観に行きたいと懇願をしてきた。老婦人一人で観に行くのは難しいので、紀子の両親は紀子に付き添いを命じた。丁度の紀子の通う大学が夏休みなので、アルバイトのつもりで老婦人の介護を引き受けた。ただ映画には興味が無いので、老婦人を席につけるといつも遊びへ行っているそうだ。時々食事と様子を見る為に戻っているが、映画は一度も観ていないと言う。

 私は紀子に老婦人『源季子』と『谷津監督』の話をして、一度はこの映画を観る様に諭した。紀子は映画に興味を持ち「最終日に老婦人と一緒に観る」と言った。


 三連作上映最終日の最終回の観客は私と紀子と老婦人だけであった。有名な作品でも一月上映すれば観客も減っていくが、これは異常であった。

 最終回の上映前に館主が現れ、上映前の挨拶をした。

 館主は老婦人が『源季子』だと知っていた。実は知人から『源季子』が『谷津監督』の三連作の鑑賞を希望していると聞いていたのだ。館主はあらゆる手段を使って、三連作の上映と『源季子』に連絡する事に成功した。普通の上映は前の回で終えて、最終回は『源季子』の為の貸し切り上映にしたと語った。

 私と紀子は館主に拍手をした。


 老婦人を挟んで私と紀子は座っている。やがて館内が暗くなり最後の三連作の上映が始まった。

 老婦人『源季子』はいつもの様に映し出される画面を懐かしそうに眺め、最愛の人と再会した時の喜びの表情をしていた。作品の間の時間は目を瞑り、思い出を噛みしめる様な仕草をしていた。

 最後の作品『都物語』が始まった。クライマックスの別れの告白のシーンを観ていた私は考えていた。

『源季子』と『谷津監督』の間には「性の喜び」はあったのだろうか?

 もしあったのなら、『源季子』は『谷津監督』との思い出を忘れ、この映画の『範子』様な独り寝の淋しさと性的な渇望があったのだろうか?

 無かったのなら、一生涯『谷津監督』を慕い続け、添い遂げゆくその情念は何であったのか?

 私は色々考えながら老婦人『源季子』を見た、老婦人は大粒の涙を流して目を瞑っていた。映画が終わり明るくなるまでそのままであった。


「お婆様、帰るわよ」紀子はそう言って老婦人の手を触る。老婦人は既に冷たくなっていた。動揺する紀子を私は優しく抱きしめて、介抱する。館主を呼び、医者の手配を頼む。大女優『源季子』は今、『谷津監督』の元へ旅立っていった。私と紀子と館主の三人で『源季子』の冥福を祈った。


 老婦人の葬儀に私は参列していた。老婦人の書いていた遺書で「『源季子』では無く『一介の老女』として葬儀を行って欲しい」と書いてあったので、マスコミには連絡せず身内だけの葬儀になった。

 参列者で老婦人を『源季子』と知っているのは私と紀子と館主だけであった。


 葬儀が終わり紀子が私に近付いて来た。紀子は私に鳩の形のブローチを見せてくれた。老婦人が亡くなった時に握っていた物だ。このブローチは『都物語』で『範子』が別れの告白をした後に、老夫婦が『範子』に渡した物だ。老夫婦は「彼が私にプロポーズをした時にくれた物よ」と言って『範子』に手渡す。ラストシーンでは『範子』はこのブローチを握りしめて前を向く所で作品は終わる。作品の「家族」と「輪廻」の象徴になる物だ。


「父から貰ったけど、わたしが持って良いのかな?」紀子は自信無く話す。

「当然さ! 何時の日にか貴女に家族ができて、また次の世代が歩き始める時に渡すと良いよ!」

「そーやって、家族は永遠に続いて行くのだ!」私は答える。

「ありがとう! わたし頑張っていくわ!」紀子は明るく答える。


 そうだ! 我々の季節の「夏」は、まだ始まったばかりなのだ!


 Fin








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大輪の華 わたくし @watakushi-bun

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