第18話:祝勝会

「そんじゃ……支配種横取り大作戦の成功を祝って……」

「「「かんぱーい!!」」」


 シンの音頭に合わせて、全員でグラスを掲げる。


 ガラス同士がぶつかる気持ちの良い音が鳴り、なみなみと注がれた液体が波打つ。


 ……と言っても、気絶から目を覚ましたばかりの俺はジュースだけど。


 橙色の液体が縁から溢れないように喉へと流し込む。


 僅かに酸味のある甘さが口腔内に広がり、ようやく日常に戻ってきたのを実感した。


「はぁ……別に酒くらいは飲んだっていいでしょ……」


 テーブルを挟んで対面では、アナが俺と同じようにジュースを飲みながら文句を言っている。


「ダメに決まってんだろ。戦闘中はあんだけわがままを通したんだから、終わった後くらいは言う事を聞けっての。妙な麻痺が残っても知らねーぞ?」

「分かってるっての……はぁ……甘ったる……」


 説教気味に言うシンに対して、アナは不満げにしながらもそう答えてジュースを飲む。


 右足は義足だけでなく専用のソケットも外し、器具を使って動かないように固定されている。


 彼女は俺が想像していたよりも遥かに無茶をしていたようで、しばらくは歩くこともできないらしい。


「そういえばシンがここまで運んでくれたんだって? 今更だけど、最初から最後まで色々と迷惑かけたみたいでごめん……それとありがとう」

「おいおいおい……今日のヒーローが、んなシケたことでわざわざ礼なんてすんなって! もっとどーんと構えてろよ! どーんと! なあ、セツナ!?」

「そのとーり! 今日のアキトは歴代アキトの中でも最高だったんだから!」

「ひ、ヒーロー……?」


 自分を形容する言葉として、あまりに相応しくない言葉に困惑する。


「そうだよ! 間違いなく今日のMVPはお前じゃねーか!」

「いや、そんなこと……アナはもちろん、シンやセツナがいなかったら俺一人じゃ何も出来てなかっただろうし……」

「っかー! あんだけのことして謙遜とか、お前ってまじで最高だな! セツナが連れてきた男なだけあるわ!」

「……それって褒めてる?」


 苦笑しながら出撃前と同じやり取りをもう一度繰り返す。


「ったりめーだろ! 褒めに褒めまくってるっての! 俺が女ならキスしてるぜ!」

「別に女じゃなくてもやってやればいいじゃん」


 アナが悪戯に笑いながら言う。


「だ~め~……アキトは私のなんだから~……」

「おい、セツナ……もう酔ってるだろ、お前……」

「うん、私はいつだってアキトに酔ってるよ~……今日のあれなんて、思い出すだけでもう頭ん中で色んなのがドバドバ出ちゃってイっちゃいそうになる~……」

「やっぱり酔ってる……」


 いつも以上に身体をぴったりと寄せてくるセツナ。


 その呼気からは既に、アルコールの匂いを漂わせている。


「んじゃまあ……代わりに、こいつにキスしてやるとするか……」


 そう言って、シンはテーブルの中央に置いてあるケースに手を伸ばす。


 透明な立方体の中で、ゆらゆらと揺らめく炎。


 今日、俺たちが倒した支配種から入手した固有遺物。


 多くの探索者たちが支配種を倒す目的の中でも、最も大きな一つだ。


 実物を見るのは当然初めてだし、自分たちの物になるなんて考えたこともなかった。


「それって、もし売っ払ったらどんくらいの値段になるんだろ」

「さぁな、そもそも市場に流通することなんてほとんどねーだろうし」

「じゃあ、軽く億は超えそうだね」

「……お、億!?」


 これまでの人生で縁のなかった単位に、思わず息を呑む。


「そんな大きい取引が出来る相手を探すのは、下手すりゃあれを倒すよりもしんどいだろうけどね」

「てか、そもそも売らねーぞ!? 俺はこれのためにわざわざあんな危ねぇことに付き合ってやったんだから! 俺が使うに決まってんだろ!」

「いちいち言わなくても分かってるっての……例えばの話でしょ……」


 大事そうにケースを抱えるシンに、アナが呆れるように言う。


 支配種から手に入れた遺物の使い道は、皆で話し合って決定した。


 まず大量に出た種々の汎用遺物は、そのままかあるいはシンが加工した物をいつもの販売網を使って売り払う。


 数が数なので売り切るのに時間はかかるが、これだけで利益は概算で一人頭四百から五百万程になるらしい。


 そして今シンが抱えている支配種の固有遺物に関しては、戦闘員でないにも拘わらず強行作戦に付き合ってくれた彼の意思を尊重することにした。


 武器か防具かオーグメントになるかはまだ分からないが、彼の手によって何らかの探索用装備に生まれ変わる。


 少し惜しいような気もするけど、こればっかりは仕方がない。


 そのまま売っても億は超える代物ということは、技術のある人間が上手く使えばより多くの価値を生んでくれるだろう。


「でも、もし失敗して壊したら、あんたの今後の取り分から一生かけて弁償だから」

「壊さねーよ! 縁起でもないこと言うなよ!」

「ねえ、見て見て」


 言い合う二人の間を割って、セツナがデバイスをテーブルの上に置く。


 その画面には、大手動画配信サイトのUIが表示されていた。


『どうも! エク真TVのエクスプローラー真司です! 今日は……な、な、なんと! 一層に支配種が出現したということで! 急遽予定を変更して、ギルドの皆と一緒に一層へとやってきました! 入場地点から既にめちゃくちゃ沢山のパーティとすれ違いました。あれも全員、支配種目当ての人たちなんでしょうね。いやぁすごい熱気ですよ』


 動画内でサングラスを着けた迷宮配信者が、こっちを向いて流暢に話している。


『一層に支配種が出現したのは実に三年ぶりってことでね。みんな、もしかしたら自分らにもチャンスがあるんじゃないかと思ってるんでしょう。果たして、その中からどのパーティが討伐するのか……もしかしたら俺たちかも? それはない。身の程を知れ。どうせ、上位ギルドの連中が持っていくだろ……って言われんでも分かっとるわい! というわけでね。倒すのは無理にしても、せめてカメラにくらいは収めてみたいですよね。その暁には、チャンネル登録と高評価の方も是非よろしくおねがいしまっす!』


 前口上を終えた有名配信者たちの一団が、洞窟の深部へと向かって進み出す。


 そんな彼らの姿に、俺たちは顔を見合わせて――


「ぷっ……あっはっはっは!!」


 声を張り上げて笑ってしまった。


「雁首揃えて馬鹿じゃないの! もうとっくにアタシらが倒してるっての!」


 目の端から涙を流す程に大笑いしているアナ。


「代わりにピンク色の象でも探した方がまだ実りがあるんじゃねーか!?」


 シンも遺物のケースを手に、腹を抱えて笑っている。


 この配信者だけでなく、上位ギルドのメンバーも、著名企業の探索者も……。


 迷宮社会の全てを俺たちは出し抜いた。


 正直言って、最高に気分が良かった。


 その後も俺たちは、居ない獲物を探し続ける配信者や未だに緊急速報を垂れ流しているニュースを肴に祝勝の宴を楽しんだ。


 そうしてすっかりと夜も更けた頃――。


「ほら……見ろよ……これが俺作のスーパーギガンティックバスタードソード型けん玉式ハムストリングス矯正機だぞ……すげーだろ……」


 支配種の遺物を抱いたまま、横になって支離滅裂な寝言を言ってるシン。


 彼に隠れてこっそりと酒を飲んでいたアナも、ウトウトと船を漕ぎ始めている。


 そろそろお開きかと、二人を起こさないようにゆっくりと立ち上がる。


 帰る前に、洗面所で顔を洗おうと談話室から出ていこうとすると――


「アキト……? 何してんの……?」


 後ろからアナが眠たそうな声で話しかけてきた。


「そろそろ帰ろうかなって。もしかして、起こした?」

「いや、まだギリ起きてたけっど……」

「そう、なら良かった。おやすみ」

「ん、おやすみ……でも、その前に一つだけ……」

「何?」

「今日勝てたのは、間違いなくあんたのおかげだった……ありがと……」


 半分夢見心地なせいなのか、普段なら絶対に言わないような殊勝なセリフ。


「俺こそ。勝てたのはアナがこの一ヶ月間、鬼のようにしごいてくれたおかげだと思う」

「……そう。それともう一つ……出ていく前にフツーの男って言ったのは訂正しとく。あんた、結構イカしてるよ」


 そう言って、アナはすぐに寝息を立て始めた。


 彼女は今の言葉を明日には忘れてそうだけど、俺は胸の内に仕舞っておこう。


 そうして、今度こそ起こさないように談話室を出て洗面所へと向かう。


 洗面台で軽く顔を洗って、正面の鏡へと向き合う。


 ほんの少し前までは低層周回パーティでお荷物扱いされてた男が、今はどこか自信に満ちた表情をしているように見える。


 それだけのことをした客観的評価と、それが自分であると事実に奇妙なズレがある。


 見慣れたはずの自分の顔が、まるで別の誰かのように感じた。


 不意に、隣接したシャワー室から物音がする。


「あれ? アキトじゃん」

「なんだ、セツナか……」


 扉が開かれ、中から出てきたのはセツナだった。


 湯上がりに肌を朱色に染め、僅かに湯気を立ち上らせている。


 オーバーサイズのシャツを着て、どちらかと言えば普段よりも露出は少ない。


「今日はもう帰るの?」

「うん、その前に少し顔を洗いに」

「ふ~ん……それで、鏡に映る自分に見惚れてたと……」

「べ、別に見惚れてたわけじゃ……」


 若干図星を突かれて気恥ずかしくなる。


「まあ仕方ないけどね。今日のアキトはほんとに見惚れちゃうくらいに格好良かったし」


 洗面台に腰かけたセツナが、ニッといつものように笑みを浮かべる。


 俺だけじゃなくて、みんなのおかげだ。


 もう何度も言った言葉をまた述べようとしたのを押し止める。


 こんな時、あの鏡の中にいた男なら謙遜せずに……


「……当たり前だろ?」


 きっと、自信満々にこう言うだろうと思った。


「あー……やっぱ、今のは無しで――」


 少々カッコつけすぎたと照れに襲われていると、すっとセツナが近づいてくる。


「っ……!?」


 一瞬、何をされたのか分からなかった。


 頭の後ろに回されて、ギュっと強く抱え込まれた両手。


 至近に存在する閉じられた双眸と長いまつげ。


 そして、唇に触れるこれまで体験したことのない柔らかさ。


 弾力のある物体が俺の中へと侵入し、全てを絡め取っていく。


「っぷはぁ……ごちそうさま」


 永遠にも感じられたそれが終わり、彼女が俺から離れる。


「な、なんで……?」


 未だかつて味わったことのない衝撃に頭が真っ白になる。


「なんでって……? したくなったから……?」


 さも当然のように、あっけらかんと答えられる。


「だから、それが……なんで……」

「衝動に理由なんて要らないでしょ」


 なるほど……と、呆けた頭ではそう思うのが精一杯だった。


「ん~……もしかして、もっとしたかった?」


 指先で自らの唇を撫でながらセツナが挑発的に言う。


 返答の言葉が見つからずに、身体も思考もただ硬直している。


「でも、この続きは……君がもっと私好みになってくれた時にね。それじゃおやすみ」


 そう言って、初めて会った時と同じ様な悪魔的笑みと共にセツナは去っていった。


 洗面所に一人残された俺は唇に指で触れ、まだ微かに残る感触を思い起こす。


 今ここにいる理由は全て、紗奈の治療費を稼ぐためだけ。


 それが解決すればいつだって足抜け出来る気でいたし、そうするつもりでもいた。


 沼に足を踏み入れた自覚はあるが、決して両足は踏み入れないようにしていたはず。


 けれど、それは大きな誤りだった。


 きっと俺は、彼女に初めて会ったその瞬間から頭まで浸かり込んでしまっていたんだ

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