第16話:対インシネレーター その1

 ――東京大迷宮第一層『黎明の洞窟』深部エリア大空洞地帯。


 それは隠れるでも、彷徨うでもなく、ただそこに在った。


 迷宮一層に三年ぶりに出現した支配種個体――識別名『インシネレーター』。


 付けられた大仰な名前は当然、それ自身は自らのことを何も知らなかった。


 生命としての意識が芽生えた頃にはここに在り、その思考は存在と共に与えられた単純な命令だけで構成されていた。


『この地に在る全ての存在を征服せよ』


 鬣を炎のように燻らせるインシネレーターの足元には、生命だったモノの残骸が散乱している。


 支配種は群れを作らず、同種同族に対しても仲間意識を持たない。


 自分以外の全てを殺戮し、生命力を吸収し、より強大になっていく。


 ただ、それだけを目的とした生命。


 学者の中にはそれを、『迷宮の意思によって生み出された形ある淘汰』と呼ぶ者もいる。


 魔物が増えすぎないためのシステムの一部なのだと。


 それを証明するかのように、インシネレーターは出現からこれまで一切止まることなく、与えられた命令を遂行し続けた。


 疲れず、躊躇わず、五感が捉えた獲物をただ機械的に狩り続ける。


 そうして出現から四時間――。


 一帯の獲物を掃討し終えたインシネレーターは、次の獲物を探し始めた。


 モグラのように長い鼻をすんすんと動かし、魔物は迷宮内に漂う獲物の匂いを探る。


 ――すぐ近くにいる。


 鼻が匂いを辿り、天井を見上げようとした瞬間だった。


「まず挨拶代わりの……一撃ッ!!!」


 その頭頂部に、真上から垂直に凄まじい衝撃が奔った。


 これまでその巨体を支える四脚が、一瞬足りとも耐えられずに身体が地面に崩れ落ちる。


 巨大な質量が叩きつけられた地面には大きな亀裂が走った。


 ――何が起こったのだ。


 意識が生まれてから初めて感じた程の強い衝撃。


 最初の獲物がやってきた痺れるような攻撃とも違う、自分の急所にも到達し得る一撃。


「今ので終わってたら楽だったんだけど、流石にそうはいかないか……」


 それを為した人物が、魔物の眼前に羽毛のように軽やかな足取りで着地する。


「でも、想像してたよりも大したことなさそうだね」


 薄暗い洞窟の中でも目立つ金髪に、人工物の両足を備えた彼女は自らよりも遥かに巨大な怪物を見上げながら笑う。


「アナ!!」

「お前、行くのはえーっての! 集団行動をしろ! 集団行動を!」


 数拍遅れて、彼女の仲間たちが次々と合流してくる。


 一体だけだった獲物が瞬く間に四体に増えた。


 インシネレーターがまるで歓喜に震えるように咆哮する。


 直後、広大な空洞地帯が一瞬にして炎の海と化した。


「うわちっ!! あちっ!! や、やばすぎだろ……まじで勝てんのか……これ……」

「あっつー……汗かいちゃうじゃん。帰ったらシャワー浴びなきゃ……」


 想像していた以上の脅威に慄くシンと、シャツの裾を掴んでパタパタと風送するセツナ。


 対照的に、アナとアキトの二人は無言で敵の出方を待っていた。


 ――――ッ!!


 再びの咆哮。


 直後、巨体が弾けるような勢いで獲物へと向かって突貫した。


 不意打ちの一撃を除いて、戦闘が開始してから最初の攻撃。


 その対象に選ばれたのは――


「どわぁあああッ!! なんで俺なんだよおおお!!」


 全身に分厚い皮を纏った、四体の中で最も弱い獲物だった。


 インシネレーターが彼を目標に定めたのは、何らかの思考に基づいた行動ではなかった。


『獲物が複数入れば、最も弱い者を狙う』


 それはただ生まれながらに、狩りという行為の一つとして定義されていた行動。


 荒れた洞窟の地面を、月面歩行する宇宙飛行士のように走って逃げるシン。


 一つで人体を容易に踏み潰せる両足が、逃げ回る彼の真上からまるでハエ叩きでもしているように何度も叩きつけられる。


 その一撃一撃が地面を叩く度に、凄まじい地割れと地響きが発生する。


「無理無理無理無理!!! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!! 死ぬって!!!」


 シンは一目散に逃げ、攻撃を寸前のところでなんとか回避し続ける。


 しかし、両者の機動力には圧倒的な開きがある。


 追いつかれ、周囲を取り囲む炎の壁に追い込まれる。


 ちょうど十度目の踏みつけが、不可避の状況でシンの頭上から迫ろうとした時だった。


 ――――ッ!!


 インシネレーターの側頭部に、再び強烈な衝撃が走った。


 接地していた後ろ足も浮き上がり、自らが生み出した炎の中へと吹き飛ばされた。


「こんな良い女のダンスの誘いを無碍にするなんて連れないね。それとも、そんなイカつい顔しといて実はメスだったりする?」


 そう軽口を叩くアナが着地し、遅れて助攻役の二人が追いついてくる。


「アナ! あいつは!?」

「あっちに蹴り飛ばしてやったけど……流石に自分の炎では死なないでしょ。ほら」


 三人の視線の先にある炎の中から、巨獣が再び姿を現す。


 強力な打撃を頭部に二度受けたにも拘わらず、その生命機能は依然として健在。


 アキトとセツナの銃による攻撃を意に介さず、四体の獲物を睥睨する。


 ――不可解。


 気がついた瞬間には接近を許し、攻撃を受けていた。


 この小さな獲物から最も速く、最も重たい攻撃が放たれるのが奇妙だった。


 通常の魔物であればそう考えて、この場で最も厄介なアナの存在へと意識を向ける。


 理性を持たぬ獣であったとしても、それは当然の判断。


 しかし、インシネレーターはやはり四体の中で最も弱い獲物へと狙いを定める。


 固執しているのではなく、そう定義されているが故に。


 それを遵守するのが、理性を持たぬ獣にとっての唯一の秩序であった。


「もしかして……また俺!?」


 まだ自分が狙われていることに気がついたシンが、背を向けて逃げ出す。


 近接攻撃が失敗したのであれば、今度は遠距離からの攻撃。


 巨大な口腔から漏れ出た火炎が、次の瞬間には高密度の熱線と化して目標へと照射される。


「どわあああああ!!! まじで、なんでだよおおおお!!!」


 岩盤を溶かしながら追ってくる熱線からシンは死にものぐるいで遁走する。


「その変な見た目が魔物にウケてんじゃないの」

「んなわけねーだろ! 冗談言ってないでさっさと助けろよ!!」

「はいはい……」


 アナは目標を見据えて、身体を低く構える。


 彼女が為す、瞬速の一撃は主に三つの機構によって成り立っていた。


 一つ、後方に突風を発生させる『オーグメント:テイルウィンド』の瞬間的な加速によって一気に距離を詰める。


 二つ、周囲の風の流れを操作する『オーグメント:ギャザリングウィンド』で空中姿勢制御を行い、大気をまるで地面のように掴んで攻撃体勢を取る。


 片方だけでも繊細な制御が要求される二種のオーグメントを自在に操り――


「この……ゲテモノ喰いがッ!!」


 最後に、『スキル:パンプアップ』によって増強された強烈な蹴撃が放たれる。


 初撃と同一部位への打撃は肉を潰し、インシネレーターが苦悶の叫びを上げる。


 そこにすかさず、二撃三撃と空中からの追撃が畳み掛けられていく。


 誰の目から見ても、アナが支配種を圧倒しているのは明らかだった。


 遠距離から援護をしているアキトも、想像を遥かに超える彼女の強さに驚いていた。


「どうせ……また、俺なんだろ……? ほら、来やがった……!」


 どれだけ不利に陥ろうと、執拗にシンを狙い続けるインシネレーター。


 再び、彼に向かって熱線が発せられる。


「でも、いつまでもやられっぱなしってわけにゃあいかねーぜ!」


 三度目ともなり、自分が狙われることにも慣れた彼は防護服に付いたボタンを押す。


 彼の身体を取り囲むように現れた球体の水が熱線を受け止めた。


 その隙をついて、再びアナが魔物の巨体を蹴り飛ばす。


「ナイス囮、やればできんじゃん」

「なっはっは! 支配種だかなんだか知らねーが所詮は魔物! 人間様の技術を舐めんじゃねーぞ!」


 高らかに笑うシンが囮役を全うし、主攻のアナが敵を圧倒する。


 助攻の二人は彼女が戦いやすいように敵の動きを抑制する。


 四人で組むのが初めてとは思えないほどに、その急造チームは機能していた。


 そして、遂に――


「いい加減……くたばりやがれっての!!」


 アナの渾身の蹴り上げが、インシネレーターの顎を捉える。


 魔物の巨大な顎が砕け、衝撃の余波は更にダメージが蓄積した頭部を破壊した。


 まるで内部から爆発したかのように、真っ赤な肉片が周囲へと飛散する。


 頭部の半分を失った巨体が、ゆっくりと地面に崩れ落ちた。


「はぁ……やっと終わった……流石にタフすぎ……」


 アナが肩で息をしながら、倒れた魔物へと歩み寄る。


 地に伏した巨体は倒れたまま完全に沈黙している。


 破壊された頭部からはまるでマグマのような内容物が溢れ、一帯にも同じような肉片が散乱していた。


「やったな、おい! お前、まじで強すぎだろ! もう絶対逆らわないって決めたわ!」

「いや、ほんとに! 支配種をここまで圧倒できるなんて凄すぎるよ!」

「うわっ……ぐっちゃぐちゃできも~……」


 仲間たちがアナの下へと駆け寄ってくる。


 そこで遅れて、彼女は自分が支配種を倒した実感を覚える。


 探索者として、また一段上のステージへと進んだ。


 仲間には見えない位置で、アナは満足気に拳を握りしめた。


「別に、思ってたほど手応えもなかったけどね。それじゃ、さっさと遺物を回しゅ――」


 表情を作り直した彼女が、振り返って仲間に指示を出そうとした時だった。


『最も弱いものを狙う』


 それは、インシネレーターが生み出されたのと同時に定義された狩りの規則。


 勝利を確信した獲物は油断し、四体の力関係は入れ替わっていた。


 潰された頭部から放たれた熱線が、最も弱い者の右足を貫く。


 それは奇しくも、生身でないが故にシールドの防護が働かなかった。


 分厚い岩盤をも溶かす高温の熱線は、金属製の足を容易く破壊する。


「アナ!!」


 アキトが叫ぶのと同時に、片足を失った彼女はバランスを崩して地面に倒れる。


 逆に、倒れ伏していた巨獣の肉体は逆再生するように起き上がる。


 ぐじゅぐじゅと奇妙な音を立てながら、散乱した肉片が頭部へと集まっていく。


 不気味としか言いようのない光景を、アナは慄然と見上げる。


「くそっ……なん……で……」


 頭部を破壊して、間違いなく生命を絶ったはずだった。


 例えどれだけ強大な魔獣であっても、頭を潰されても生きているのはありえない。


 その考えは、通常種から固有種までの敵であれば確かに通用していた。


 しかし、支配種だけは通常の魔物と同じ理の中にいない。


 頭部の修復を完了させたインシネレーターが咆哮する。


 全身から吹き出した炎が、巨獣の肉体を覆い尽くす。


 彼女にとっては受け入れがたい現実が、事実としてそこに存在していた。


「アキト、セツナ、シン……」


 油断した。油断した。油断した。


 敵は支配種だということも忘れて、油断してしまった。


 悔やんでも悔やみきれない大失態だと歯噛みしながらも――


「ごめん……逃げて……!」


 彼女は仲間へと力のない声で告げた。


 同時に、インシネレーターがアナへと向かって飛びかかった。


 片足を失い、行動不能となった最弱の獲物に不可避の脅威が迫る。


 シールドの耐久値はまだ残っているが、動けない以上は無意味な数字。


 迫る強大な暴威に、アナは目を強く閉じる。


 しかし、予期した衝撃はどれだけ待っても訪れなかった。


 代わりに訪れたのは、奇妙なまでの静寂。


 不可解な状況に、彼女は目を開いて現状を確認する。


「……え?」


 そこにあったのは、寸前で動きを止めた支配種と黒い銃を構えるアキトの姿。


 今この瞬間に、何が起こったのか。


 アナもインシネレーターも、撃ったアキトでさえも全容は理解出来ていない。


 唯一、セツナだけが身悶えするほどの高揚に全身を震わせていた。


 彼が放った銃弾は確かにあるものを破壊していた。


『最も弱いものを――――――――――


 自らの存在と共に在った絶対の規律が、支配種の中から消失する。


 魔物は戸惑い、放心する。


 行動指針を奪われた、自由という名の苦痛。


 それを自分へと与えた者に対して、名状し難き感情が溢れ出す。


 巨大な双眸がアナから外れ、アキトへと向けられる。


 自分へと向かって、呼気を荒げながら銃を構える黒い髪の男。


 魔物は与えられた規律ではなく、生まれて初めて自らの意思によって攻撃目標を定めた。

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