第9話:入団試験 その3

 自分の存在に俺が気づいた瞬間に、それは飛びかかってきた。


「うわあっ!!」


 その鋭い爪が俺の身体を捉えるよりも一瞬先に、なんとか飛び退いて回避する。


 凹凸の激しい地面を転がる痛みが全身を襲うが、それに怯んでいる暇はない。


 即座に振り返り、地面を蹴って駆け出す。


 同時に背後から甲高い遠吠えが響いてくる。


 魔犬の言語には詳しくないが、何を言っているのかは理解出来た。


『ここに敵がいるぞ!』


 そう叫んでいるのが。


 更に後方から同調した複数の遠吠えが響く。


 まずい! まずいまずいまずい!


 不意打ちで勝負を決めるつもりが、完全に捕捉されてしまった。


 それも一匹ですら対処に苦労するような魔物が二匹と、おまけが多数。


 双子のワーグが二匹で群れを統率する事例なんて初めて聞いた。


 然るべき学会に報告すれば、何かしらの表彰を受けられるかもしれない……なんて呑気に考えている場合じゃない。


 どうする。どうすればいい。


 もと来た道を全力で疾走しながら、次に取るべき行動を考える。


 背後からは二つの大きな足音と複数の小さな足音が迫っている。


 とっさの遁走で距離を稼いだのは良いものの、脚力は向こうが勝っている。


 このまま逃げていてもいずれは追いつかれる。


 それだけならまだマシで、他の魔物と挟み撃ちにでもされれば事態はもっと深刻だ。


 となれば、近くにいる他の探索者に救援要請を出すべきか?


 いや、ダメだ。


 今、俺は不正な入場方法でここにいる。


 それで仮に助かったとしても、今度は別の意味で窮地に陥る。


 逃げ切るのも、助けを求めるのも無理。


 そうなれば取るべき手段は一つしか残されていなかった。


【倒すしかありませんね】


 思考と言葉が頭の中で重なる。


「倒すしかって……簡単に言うけど大型の優生種が二体だぞ!? 勝てると思うか!?」

【厳しいですがやるしかないも事実です。出来なければドッグフードになるだけでしょう】


 口ぶりは相変わらずだが、やるしかないのは紛れもない事実だった。


「だったら、お前! せめて後ろの状況がどうなってるとか分かったりしないのか!?」


 敵は二体いるのに対して、唯一の打開策であるロウブレイカーの残弾数は一発。


 その一発で同時に倒すには、二匹の対象が隣接している必要がある。


 足を止めて振り返った時が、そのタイミングでなければならない。


【無理ですね。私は所詮、貴方の深層意識でしかないので貴方が五感で得ている以上の外界情報は知りようがありません】

「くそっ! 口ばっかり達者で!」


 振り返って確認している余裕はない。


 こうなったら運否天賦でやるしかないのか、と腹を括ろうとした時だった。


「あれは……!」


 前方にある横道が目に入った。


 瞬時に記憶の糸を辿り、その構造を思い出す。


「あそこなら……!」


 進行方向を変えて横道へと入っていく。


 覚えていた通りに狭く細い通路。


 ここなら奴らも密集せざるを得ないはず。


 足音はもう真後ろまで迫っている。


 今この瞬間に爪が牙が、俺の背中を引き裂いてもおかしくない。


 苔に塗れた地面に少しでも足を取られれば、間違いなく追いつかれる。


 ここでやるしかない。


 三……。


 振り返って、照準を合わせて、引き金を引く。


 コンマ一秒に満たない時間で、頭の中で何度もその行動を繰り返す。


 二……。


 見てから思考で行っていては間に合わない。


 予め身体に染み込ませておいて、条件反射で行う。


 一……。


『アキトならそのくらい余裕だもんね~?』


 何故か、こんな時にもまたセツナの言葉が脳裏を過ぎった。


 俺以上に玄野暁都へと期待してくれている彼女に、自分の価値を証明したい。


 ゼロ……!


 脳内で何度もイメージしたのと全く同じ動作で振り返る。


 敵は既に、目と鼻の先まで迫ってきていた。


 臆さずに銃を構えて、狭い通路で密接している二匹に向かって突きつける。


 これならいける……!


 引き金を引き絞り、銃口から最後の銃弾が発射される。


 だが、その僅かな慢心が手元を狂わせたのか、あるいは野生の勘によって脅威を察知されたのか。


 引き金に力を込めたのと同じタイミングで、二匹の魔犬は左右へと飛んだ。


 人間の俺にとっては攻撃の避けようがない細く狭い道。


 しかし、四脚の獣にとってはそうではなかった。


 左右に分かれた二匹の魔犬は、まるで壁を地面のように蹴って跳んだ。


 銃弾は無慈悲にも、その間を通り抜けていった。


 その愕然とする現実を認識した直後、銃を構えた腕に射撃の反動が奔る。


 一拍遅れてそれは全身に伝わり、急停止急旋回の代償も合わさって背中から地面に倒れた。


 咆哮を上げながら壁を蹴ったワーグが真上から迫りくる。


 前回と同じ光景だが、もうあの時の無力な俺とは違う。


 湧き出そうとした諦念を抑え込んで、近接武器を手に取ろうとした時だった。


 ――――ッッ!!


 俺の鼻先まで迫っていたワーグの横っ腹に、何かが喰らいついた。


 それは右から俺に襲いかかってくるはずだったもう一匹のワーグだった。


 全く同じ大きさの黒い巨体が絡まりながら壁面に激突する。


 パラパラと天井から細かい破片が降り注ぐ中、二匹は互いに牙と爪を突き立て始めた。


 追いついてきた他のワーグたちも次々と、そうするのが当然と言うように参戦していく。


「な、何……? 何が起こってる……?」


 魔物の鮮血が飛び散る中、俺はただただ困惑するしかなかった。


 眼前で行われているのは獲物を奪い合っての小競り合いではなく、純然な殺し合い。


【群れの秩序が破壊されたのです】


 頭の中の奴が、訳知り顔で答えのような言葉を発する。


「……な、なんだって?」

【同一の能力を持った二対の個体による統率。それは群れをより強固に纏め上げていたという側面がある一方で、常に崩壊の危険を孕んだ危ういものでもあったのでしょう】

「だから、なんでこのタイミングでそんなことが……」

【はて? 私は最初に説明したはずですが?】

「説明……?」

【ロウブレイカーの基本能力は『秩序の破壊』であると。貴方は先の一撃で、目には見えぬ彼奴らの秩序を破壊したのです。素晴らしい。お見事】


 こいつから初めて、嫌味の含まれていない心からの賛辞を送られた。


「秩序の破壊……。そんなこと言ってたような記憶はあるけど、てっきりあの破壊力の比喩的な表現かと……」


 しかし、それが比喩的表現でなかったのは既に目の前の光景が証明していた。


 あれだけ統率されていたワーグの群れが、今は無秩序に殺し合っている。


 群れという根本の秩序が破壊された剥き出しの自然の摂理。


 一匹、また一匹と弱者から順番に力尽きていく。


 これを成したのが自分の力だと思うと、心中に微かな恐怖の感情が芽生えた。


【いいえ、それこそがロウブレイカーの本質に他なりません。むしろ物理的破壊能力が、周辺に破壊可能な秩序が無かった際の代替効果に過ぎません】

「……そういう重要なことは先に言っといてくれよ」

【失礼。聡明な貴方であれば、最初の説明で全て理解したものだと思いこんでいました。以後は気をつけさせて頂きます】

「やっぱり嫌味な奴だな……」


 嫌味を受け流しながら、地面に手をついて立ち上がる。


 大半のワーグは力尽き、残っているのはかつてのリーダーだった二匹の優生種だけ。


 その状況も今まさに終わろうとしていた。


 片方が、他方の喉元へと噛みつき、そのまま喉笛を噛みちぎった。


 まるで子犬が鳴くような断末魔の叫びと共に、鮮血が噴き出す。


 生き残りはそれが浴びながら勝利の雄叫びを上げる。


 今自分が手をかけた同種たちが、ほんの少し前までは群れの仲間であったことなど気にも止めていない。


 自分には過ぎたる力に震える手を抑えて、腰のブレードを引き抜く。


 そして、その気高き勝者の首を斬り落とした。

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