第5話:再会
あの時、セツナから渡されたバッグの中には二つのものが入っていた。
バッグ一杯に詰め込まれた一千万もの大金……と、その間に挟まっていた一枚の紙片。
気をつけて調べなければ危うく見逃してしまいそうになるそれには、『私が恋しくなったら』という言葉と共に下層地区の住所が記されていた。
「ここで合ってるよな……?」
紙片を片手に、目の前の建物を見上げる。
ホテル『ナユタ』――煉瓦造りの外壁に包まれている独特な形状のした三階建ての建物。
まだ昼間で点灯していないが、夜に訪れれば鮮やかな光を照らすネオンライトも至るところに装飾されている。
部屋数と同じだけある窓は、どれも内部が見えないように木板が被せられている。
どう見てもファッションホテルとかブティックホテル、あるいはもっと直接的にラブホテルと呼ばれている系統の宿泊施設だった。
悪党の根城にやってきた気分は、既に挫かれてしまっている。
【昼間から成人男性が一人でこんなところで棒立ちしていると、不審者と思われかねませんよ】
本当にこんなところにあの女はいるのだろうかと訝しんでいると、頭の中に声が響いた。
(おい、外ではあんまり話しかけるなって言っただろ)
頭の中で言葉を紡いで返答する。
クラスの発現と共に現れたこの『深層意識』は、あれからずっと消えることなく常に俺の頭の中に居座っている。
声を出さずとも会話が出来ると分かったのは良いものの、外で急に話しかけられるのは煩わしい。
【失礼。ですが、これは適正なアドバイスであるとご理解ください】
(そんなことは言われてなくても分かってるっての……)
人通りが少ないとはいえ、確かに昼間から男が一人でラブホの周辺を彷徨いているのは目立つ。
不審に思われる前に、意を決して建物内へと踏み込んだ。
入り口の自動ドアを潜ると、小気味の良い音が鳴って客の入館を知らせる。
照明がどうこうというわけではなく、薄暗い雰囲気のあるロビー。
まず目に入ったのは、呼び鈴だけが置かれているだけの無人のカウンター。
客が入ってきても、対応しようとする従業員の気配は全くしない。
一体どうすればいいのかと佇んでいると、横にある大きなパネルの存在に気がつく。
そこには各部屋の空き情報が、ランプの点滅によって表示されていた。
どうやらこっちを操作して自分で部屋を選ぶ方式らしい。
へぇ、こういうシステムなんだな……と若干関心しつつ、パネルの前に移動する。
平日の昼間ということもあり、部屋はほとんど空いている。
「えっと……確か……」
セツナから受け取った紙片をもう一度取り出す。
そこには『109号室 休憩よりもゆったりと宿泊の気分』と書かれている。
「109……109……どこだ……?」
指示に従って探すが、該当する番号の部屋が見つからない。
一階の部屋は『101号室』から『108号室』までになっている。
書き間違えたのか、それともメモ自体があの女の悪戯なのかと思い始めた時――
視界の端に、『スタッフに御用の方はこちらを押してください』と注釈の付いたインターホンを見つけた。
もしかして……と、ボタンを押してみる。
「……フロント」
一拍の間の後に、くぐもった男の声がインターホンから響く。
「あの……109号室を使いたいんですけど、休憩よりもゆったりと宿泊の気分で……」
存在しない部屋番号に、わざわざ書く必要のなさそうな謎の文言。
もしかすると、これは合言葉なんじゃないかと判断して伝えてみた。
何かを確認するような沈黙が向こうから伝わってくる。
これで間違っていれば、本当にただの不審者になるが――
「……奥に進め」
そう告げられて通話が切れると同時に、通路に設置された案内ランプが点灯する。
合っていたかと一安心し、建物の奥へと歩を進める。
案内に従って廊下を少し歩くと、点滅する109の数字が付いたドアの前に辿り着く。
緊張で心臓が口から飛び出しそうになっているが、ここまで来たらもう引き返せない。
意を決してノブに手を掛け、ドアを開く。
入ってすぐに全容を確認できる狭い部屋。
間接照明だけが照らす薄暗闇の中に、あの女――セツナの姿があった。
「やっほ~! 思ったよりも早く来てくれたね」
彼女はまるで俺が来ることを予見してたように平然と、ベッドの端に座っていた。
その弾んだ声に誘われるように、一歩進んで室内へと足を踏み入れる。
後ろ手でドアを閉めると、外からの光が消えて室内が更に暗くなる。
そんな暗闇の中でも、特徴的なマルチカラーの髪は相変わらずよく目立っていた。
「どしたの? 黙り込んじゃって」
俺を見ながら、セツナが小首を傾げる。
言いたいことは色々あるはずなのに、雰囲気に圧倒されて言葉が上手く出てこない。
「そんな無言でじ~っと見つめられたら……照れちゃうんだけど」
相変わらずの調子で、両手を頬に当てている。
このまま向こうの空気に呑まれてはいけないと、何とか言葉を紡ごうとした時――
【お久しぶりです。セツナ】
「おっ、そっちのアキトもようやく表に出てこられたんだ。久しぶり~」
また勝手に話して……と思うよりも先に、その異常に気がついた。
「こ、こいつの声が聞こえてるのか……?」
「あれ? 前に言わなかったっけ? 私、君の心の声が聞こえてるって」
平然と言ってのけるセツナに喫驚する。
「確かに言ってたけど、それはてっきり何かの例え話かと……」
「んーん、ちゃんと聞こえてる。だから、私には何も隠さなくていいんだよ? ね~?」
【はい、何もかもダダ漏れです】
「ダダ漏れ……」
あの時、こいつは何を言ってたのかと思うと恥ずかしくなってくる。
「まあその話は置いといて本題に戻ろっか。今日はどうして会いに来てくれたの?」
ベッドの上で足を蠱惑的に組み替えながら、セツナが尋ねてくる。
「ただ私に会いたくて来てくれたって言うならそれでも嬉しいけど、その雰囲気だと何か大事な用があるんじゃないかな~?」
俺の言葉を待っていながら、既にその答えが分かっているような素振り。
そんな彼女の妖艶な微笑みに誘われるように、俺は口を開――。
【金です。マネーマネー】
お喋り野郎に先を越された。
【金と悪名を纏めて、稼いで稼いで稼ぎまくれる仕事を斡旋してもらいに来ました】
「……と、そういうことなんだ。君ならそういうことに詳しいと思って」
いまいち締まらない感じになってしまったが、自分の口からも改めて答える。
セツナはそんな俺たちを見て、クスクスと笑っている。
「そっか~……アキトはイケナイコトしてお金を稼ぎたいんだ~」
ニンマリと小悪魔的な笑みを浮かべながら、また逆に足が組み替えられる。
ショートパンツから伸びる白い太ももは、否応なしに男の視線を吸い寄せる。
「なるほどね~……でも、どうしてそこまでお金が欲しいの?」
「それは……」
「分かってると思うけど、裏の仕事なんて危ないことばっかりだよ? いつもいつも前みたいに上手くいくとは限らない。いつか警察に捕まるかもしれないし、その前に別のわる~い連中に殺されるかもしれない。本当にそんなところに足を踏み入れる覚悟があるの?」
立ち上がったセツナが神妙な表情で迫ってくる。
「……あるさ。俺には金が必要なんだ」
それでも臆して逃げるわけにはいかないと正面から向き合う。
「ふぅ~ん……悪い人だね~……」
俺の側を歩き回りながら今度は値踏みするように眺めてくる。
あの時と同じ、心の奥底まで全て見透かしているような視線。
ひょっとしたら既に、俺の事情も何もかも知った上で問答しているのかもしれない。
不安を煽る足音が、空調の音に紛れて鼓膜を震わせる。
「確かに、いきなり来てこんなこと言うなんてどうかしてると思うかもし――」
「いいよ」
「やっぱり、そうだよな。でも、俺は本気で……え? 今、なんて?」
「いいよって言ったの。私と一緒に、いっぱいイケナイコトしよ?」
あっさりと得られた承諾に、呆気にとられる。
「い、いいのか……?」
「うん。ていうか、最初からそのつもりだからこの場所を教えたんだし」
そう言って、セツナは神妙な雰囲気から一転して人懐っこい笑みを浮かべた。
「それで、具体的にはどんな仕事を……? できればすぐにでも――」
「ん~……その前にまずは、みんなの紹介からかな。もうすぐ着くから少し待ってて」
「みんな? それに着くって、何がどこ――」
妙な言葉に、疑問を返そうとした瞬間だった。
――ガコンッ!
大きな音と共に、部屋全体が真下から突き上げられたように揺れた。
「うおっ!? な、なんだ!?」
地震とは異なる瞬間的な揺れに、体勢を崩しかける。
それはまるで下降していた大型のリフトが急に停止したような衝撃だった。
「じゃ、行こっか。私たちのアジトに」
俺の横を通り抜けた彼女は、そう言って俺が入ってきた扉を開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます