第2話:普通の女

「あの時のハンカチの……?」

「はい! そうです! あの時の!」

「驚いた……こんな偶然があるんだな……」


 思いもよらない再会に、俺も彼女も目を丸くして驚く。


「えっと……もしかして、もう知り合いだったの……?」

「実は前に迷宮で会って……あっ、そうだ! あの時のハンカチ!」


 普段使いの鞄から、あの時に受け取ったハンカチを取り出す。


 いつか再会して返せる時が来るかもしれないと、洗濯して鞄に入れておいた。


 その機会が、まさかこんなに早く訪れるなんて……。


「わざわざすみません。ありがとうございます」

「そんな、お礼を言うのは俺の方だよ。あの時は本当に嬉しかったというか、救われたというか……」

「いえいえ……私は当然のことをしただけで……」

「むー……なんか私だけ置いてけぼりなんだけど……真宵ちゃんは私の友達なのに……」

「ご、ごめんね紗奈ちゃん! 別にそういうつもりじゃなくって……」


 頬を膨らませて拗ねる紗奈に彼女が慌てて弁解する。


 そこだけ切り取って観ると、まるで長く連れあった姉妹のように見えた。


 人見知りの紗奈が、会って間もない人にここまで懐いているのを初めてみたかもしれない。


 それから互いの自己紹介も兼ねて、三人で色々と話をした。


 彼女の名前は永遠乃とわの真宵まよいで、迷宮高専の中央校に通う十七歳。


 住まいはなんと上層区で、父親は大企業とも取引のある工場の経営者。


 しかし、そんな高いステータスに反して、本人には気取ったところは全くない。


 それどころか休日にはいつもこうして、上層下層を問わずに特区内の小児科病棟でボランティアとして子供たちの世話をしているらしい。


 俺を助けてくれたことと言い、優しそうな見た目通りの性格の持ち主だ。


 上層住まいは下層住まいを同じ人間として見ていないと聞いていたが、彼女に限っては全くの逆だった。


「へぇ~……じゃあ、お兄ちゃんよりも全然すごい人なんだ」

「それは当然そうだけど、もう少し言い方ってもんがあるだろ……」

「いえいえ! 私なんてそんな全然大したことないですよ! パーティの人にはいつも怒られてばかりですし……」


 本人は謙遜しているが、探索者を育成する機関の中でも迷宮高専は名実共にトップだ。


 更にその中でも、中央校は選抜された上位の生徒のみが通っている。


 所属時点で一級探索者と同等の扱いを受け、卒業すればより上位のライセンスもほぼ確約されているエリート探索者の候補生。


 卒業生の大半は有名な探索者ギルドに所属するか、あるいは大企業に専属探索者として就職する。


 特区に済む人間からすれば、羨望の的以外の何者でもない。


「探索者の学校って、普通の勉強もするの?」

「はい、他の高等学校と同じように一般科目も学びます。迷宮探索関連のカリキュラムと比べて授業時間は短いですけど」

「いいな~……私も早く学校行きたいなあ……」


 紗奈が窓の外を見ながら大きなため息を吐く。


 その視線の先――駐車場を挟んで向かい側にある歩道を、学生服の集団が歩いている。


 本当なら紗奈もああして学校に通い、同世代の友達が沢山できていたんだろう。


 そんなありふれた望みすら叶わずに病室で過ごす日々の辛さは、俺には計り知れない。


「じゃあ、早く治して行けるように、まずは午後の検診を受けないとな」


 それでも俺が本人よりも悲観的になるわけにはいかない。


 せめて紗奈の前だけでは、不安を見せないようにしないと。


「うん、頑張る」

「よし、偉いぞ」

「もう……そんな子供じゃないって……」


 頭を撫でてやると、くすぐったそうな顔をして微笑んだ。


 そのまま身体を支えて、ベッド脇の車椅子に乗せる。


「よっ……と、腰を浮かせて……」


 寄りかかられても片手で容易に支えられる程にやせ細っている。


 どうにかしてやりたい。どうにかしなければいけない。


 この身体に時間が残されていないことを直に知らしめられると、更に想いが強くなっていく。


「それじゃあ、行ってくるね」

「頑張ってくださいね。紗奈ちゃん」

「真宵ちゃん、また来てくれる……?」


 担当の看護師に連れられて病室から出ていく直前に、紗奈が言う。


「もちろん、いつでも連絡してくださいね」

「うん、じゃあまたね」


 力なく手を振る紗奈の姿が見えなくなり、病室には俺と永遠乃さんだけが残された。


「その……改めてになるけど、俺がいない間に紗奈を見ててくれてありがとう」

「いえいえ、本当にそんな大したことはしてませんから。それに私も妹が出来たみたいで楽しかったですし」


 屈託のない天使のような笑顔を浮かべながら笑う永遠乃さん。


 同じ笑顔でも、の悪魔的なそれとは全く違う。


「でも、これからは気をつけてあげてくださいね? 探索者の人と急に連絡が取れなくなると家族の人はどうしても心配してしまうと思うので」

「本当に、兄失格で面目ない……」

「ああぁ……そんな責めるわけで言ったわけではなくて……。紗奈ちゃん、お兄さんのことをすごく大切に思ってるみたいなんで……って、私に言われなくてもそんなことは知ってますよね。すいませんすいません……」


 ペコペコとその場で何度も頭を上下させる彼女に苦笑する。


 目が合い、向こうも何か可笑しくなったのかクスクスと笑い始める。


「俺にとっても何より大切だから本当はもっと良い病院に入れてやりたいし、学校にだって通わせてやりたいんだけどね……。そのためには探索者としてもっと成功して、稼げるようにならないと……ってあんな情けないところを見られた相手に言うのは少し恥ずかしいな」

「いえ、そんな……! 頑張ってください! 玄野さんなら絶対出来ます! 私も応援してますから!」

「ありがとう。そう、俺なら出来る……いや、俺がやらなきゃいけないことだ……」


 彼女にではなく、自分に言い聞かせるように呟く。


 全てを投げ売って病魔と戦う紗奈の姿を改めて見て、ようやく踏ん切りがついた。


 俺にはもう迷っている余裕なんてない。


 この世界で、残された唯一人の家族を守るためならどんなことでもしなければいけない。


 例え、悪魔に魂を売ることになったとしても……。


 ベッドの陰に隠れたバッグを見ながら、そう決意を固めた。

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