第二章:クランと支配種とイケナイコト

プロローグ:支配する者とされる者

 ――◯月☓日、セラフィナ=ホワイト誘拐事件の発覚から約一ヶ月後。


 東京大迷宮一層の深部領域を歩く影が五つ。


 その中の一人、鳴神なるかみ響也きようやは今まさに人生の絶頂にいた。



 *****



 下層地域の一般家庭に生まれた彼は幼少期より探索者に憧れ、それを目指した。


 十五の時には探索科のある高校を進路に選び、夢と希望に胸を膨らませて入学した。


 自分も必ず、あの華々しい世界で活躍する探索者になるのだと。


 しかし、彼を待っていたのは理想とは正反対の過酷な現実だった。


 迷宮探索に必須の技能であるクラスの未発現。


 通常、クラスは迷宮環境下において十四歳~十六歳の間に発現する。


 同学年の仲間たちが次々と迷宮社会におけるアイデンティティと言えるクラスを発現していく中で、彼はただ一人取り残された。


 探索者を目指す者にとってはどのような悪夢よりも辛い現実だった。


 侮り見下され、迷宮内においては雑用未満の奴隷が如き扱い。


 国際迷宮特区という社会の縮図のような場所で、彼はただひたすら耐え忍んだ。


 幼い頃からの夢を諦めずに信じ続ければ、いつか自分にもその時が来ると。


 しかし、高校生活の三年間でその時が訪れることは遂に無かった。


 同級生たちが専門課程へと進む中で、彼はひっそりと学び舎を去った。


 以降は迷宮関連の職に就くこともなく、ただ日雇いの労働で日々を過ごした。


 そんな彼に転機が訪れたのは、二年後の二十歳の誕生日だった。


 誰からも祝われることなく、電線工事の作業員として働いていた彼は不慮の事故で全身に高圧電流を浴びた。


 通常の人間であれば即死してもおかしくない程の電流。


 しかし、そんな大事故を彼は無傷で生き残った。


 周囲の人間が困惑する中で、彼だけが自分の身に何が起こったのかを理解していた。


 非常に稀なケースだが、迷宮外であっても何かをきっかけに突如としてクラスを発現することがある


 そして、それが自分の身に起こったのだと彼はその場で歓喜した。


 彼が発現したクラスは『雷術師エレクトロマンサー』。


 光、闇、火、水、雷、土、風。


 七大属性の内の一つを自在に操る元素術師エレマンサーと呼ばれるクラス群の一種。


 数あるクラスの中でも上位かつ希少であり、発現するだけで迷宮高専への推薦入学が確約されるほどのものだった。


 自らの能力を識った彼は思った。


『これで俺を見下した奴らに復讐できる』


 長きに渡って蔑まされ続けた彼の中には、もう幼い頃の夢は残っていなかった。



 *****



「鳴神、疲れてないか?」


 鳴神から数歩先行して進んでいるパーティリーダーの田中が振り返って尋ねる。


「大丈夫ですよ。先を急ぎましょう」

「そうか。まあ、そろそろ二層の入り口も見えて来る頃だしな」


 前方に向き直った田中が先の暗闇を見据えながら言う。


 彼らが鳴神をパーティに加えてから一ヶ月。


 これまではただ低級エリアを周回するだけだった一層の攻略は加速度的に進み、遂に後は二層への入り口を目指すだけとなっていた。


「遂に俺らも二層到達者かぁ~……まじで鳴神くん様々っすね」

「いえいえ、全部皆さんの経験や知識があってのことですよ」


 鳴神は笑顔で謙遜しながらも、心の中では全く別のことを考えていた。


 そろそろ、こいつらも切り捨てるタイミングだな。


 彼にとって今のパーティは所詮、自分がキャリアを積むための踏み台でしかなかった。


 適当に利用して、二層到達者の称号さえ手に入れればそれで用済み。


 二層ではより良いパーティに乗り換えて、今度は三層を目指す。


 三層到達者の雷術師となれば、今度は大手のギルドから誘いが来る。


 そうなれば上級探索者……いや、特級探索者への道も開かれる。


 特区にも一握りしかいない特級探索者になれば、金も名誉も全てが手に入る。


 そこに至るまでの栄光の道筋が、彼にはもう見えていた。


「そういえば、玄野の奴を厄介払いしてからもう一ヶ月も経つんすね。あれは何度思い出しても傑作っていうか、あの時の鳴神くんはまじで容赦なかったっすよね」

「くろの……? ああ、あいつですか。ああいうどうしようもないカスを見てると無性にムカつくんですよね。だから、つい加減せずにやっちゃったっていうか」


 未だにクラスを発現できず、低層周回パーティにぶら下がっていた底辺探索者。


 叶うはずもない夢を見続け、ありもしない希望に縋りついているゴミクズ。


 まるで過去の自分を見ているようで、ひどく苛立ったのを彼は思い出す。


「おい、お前ら口を慎めよ。俺らはあいつに何もやってない……そうだろ?」

「あっはっは! そうそう、そうっすよね。あいつが勝手に魔物の巣に突っ込んで自滅しただけでしたね」


 リーダーの田中の言葉に、他のメンバーたちが声を張り上げて笑う。


 そこから更に歩を進め、一行は遂に二層の入り口の目前にまで辿り着いた。


 探索者になってから二ヶ月での二層到達。


 鳴神は改めて、自分が選ばれた人間なのだと再認識した。


 自分には人を屈服させ、支配するだけの力がある。


 力がある者は、どれだけ他者を踏みにじろうが許される。


 強者が正義で、弱者は悪。


 それを体現する世界で生まれ育った彼が、その思想へと至るのは間違っていなかった。


 間違ってはいなかったが……そこには一つの大きな瑕疵があった。


「おおっ! あったぞ! 二層の入り口だ!」


 先頭の田中が指差す先には、地面に開いた大きな裂孔があった。


 一層の深部領域で不規則に出現するそれを見つけるのが、二層へと挑む最後の試練。


 彼らは遂にそこへと辿り着いた。


「うおおおお! まじだ! 遂に来たんだな!!」

「苦節五年……長かったぁ……」

「おい! 早く行こうぜ!」


 全員が歓喜に湧き、裂孔へと向かって駆け出そうとした時だった。


 ――ズシン。


 ……と、巨大な何かが地面に落ちたような音が鳴り響いた。


 激しい揺れと共に、周囲が暗闇に包まれる。


「な、なんだ……? おい、どうしたリーダー? なんで明かりを消したんだ?」


 他の班員が、照明装置を起動していたはずの田中へと向かって尋ねる。


「こ、こんなところに来てそういうのはやめろよ」

「そうだぞ。さっさと二層に行って、今日は祝杯と行こうぜ」


 班員たちは順に言葉を発していくが田中からの返答はない。


 その中で一人、鳴神だけが異常を察していた。


 周辺に何かがいる。


 雷術師の能力によって、彼は暗闇の中でも探知機のようにその存在を感じ取った。


「おい! まじでふざけるのも大概に……う、うわああああ!!! な、何だこれ!!」


 何の前触れもなく、最後尾にいた班員の一人の身体が炎に包まれた。


「ぎゃあああああ!! 燃えてる! 身体が燃えてる! 熱い!! だ、誰か!! たす、助けて!!」


 シールドの残量は一瞬にして尽き、生身の肉体が焼かれていく。


「お、おい! 鈴木! だ、誰か! 消せ! 早く消してやれよ! おい!」

「熱い熱いあつい!! 助けて!! たすてけ!! たすけ! たす、たすけ……」


 近づくことさえ出来ない高温の炎に、鈴木の身体は瞬く間に焼き尽くされる。


 炭化し、生命を喪失した身体がその場に倒れる。


 対象を屠っても尚、火炎は激しさを増し、それを為した者の正体を照らし出した。


「な、なんだこいつ……」


 彼らの栄光へと繋がるはずの道を遮るように立つ、四脚の巨獣。


 炎のように揺らめく鬣を持つ、土竜と魔犬種をかけ合わせたような異形。


 一層での経験の長い彼らを以ても、初めて見る魔物だった。


 そして、異常に発達したその前足の下では、踏み潰されたリーダー田中の身体があってはならぬ姿に変形していた。


 状況を飲み込んだ瞬間に、一行の心中から『敵を倒す』『仲間を助ける』という思考は真っ先に消え去った。


「う、うわあああああッッ!!」


 仲間も矜持も、何もかもを捨て去り、残された二人が敵に背を向けて逃走する。


 同時に巨獣が、広大な一層全体を震わせるほどの雄叫びを上げた。


 全身から吹き出された火炎が、辺り一帯を覆い尽くす。


「熱ッ! な、なんで……! なんでこんな……!」

「帰りたい……! 誰か助けて……! 誰かーッ!!」


 炎の壁が行く手を塞ぎ、逃げ場を奪われた男たちは恐慌に囚われる。


 戦意を喪失した獲物を獣は見逃さない。


 地面を蹴り、その巨体が嘘のように大きく跳躍する。


 着地によって、逃げ惑う一人が田中と同じように踏み潰された。


 シールドユニットの防護を貫通し、一瞬で全身の骨が砕かれて絶命する。


「い、いやだ……死にたくない……! し、死にたくな……」


 残る一人も必死に逃げ惑うが、燃え盛る火炎がすぐにその逃げ場を奪った。


 巨獣は残る一匹の獲物へと飛びかかり、両顎でその身体に喰らいつく。


「あ……あっ……あがっ! ごっ……!」


 宙空へと持ち上げられた男の口から、悲鳴にもならぬ断末魔の声が漏れる。


 無数の牙が身体を貫かれる激痛に襲われながらも、彼は必死に言葉を紡ぎ出す。


「なるか……み……く……」


 彼が助けを乞うように手を伸ばした先には、同じように彼の方へと向かって手を伸ばしている鳴神の姿があった。


「……囮役、ご苦労様」


 鳴神は以前そうしたのと同じように、巨獣へと向かって稲妻を放った。


 空間を切り裂き、物理的に岩をも砕く雷撃が対象を仲間ごと襲う。


「ぎゃッ、あっ、ば、っがあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」


 超高圧の電流が、人と獣の両方を内側から焼き尽くす。


 力を失った両顎からかつて人だった消し炭が落ち、続けて巨体が地面に倒れ伏した。


 衝撃が大きな揺れとなり、洞窟を揺らす。


「ただデカいだけの雑魚がビビらせやがって……。まあこいつらを処分する手間を省いてくれたのは感謝するけどな」


 切り捨てる予定の四人を処分してくれた感謝をし、彼は倒れた敵に背を向けて歩き出す。


「えーっと……ここから降りればいいのか? くそっ……あいつらが死んだせいでわかんねーじゃねーか……ん?」


 二層へと続く裂孔を調べて悪態をついている最中に、彼は気がついた。


 先の巨獣が発生させた炎が、未だ消えていないことに。


「おいおい……まだ暑いと思ったら、しぶとい野郎だな……」


 鳴神が背後に気配を感じて振り返ると、起き上がった巨獣が鳴神を見据えていた。


 舌打ちと共に、彼は再び雷撃を放とうとするが――


「な、なんだこいつ……ッ!」


 巨獣の身体から吹き出した炎が、今度はその身をまるで鎧のように包み込んだ。


「このっ……さっさと死ねって……!」


 雷撃が一撃、二撃と連続で放たれるが、巨獣はそれを意に介さず一歩進む。


 炎の熱さとは異なる原因による汗が、彼の全身から吹き出す。


「ち、近づいてくんじゃねーよ!!」


 叫びながら、彼は尚も雷撃を繰り返す。


 ただ能力の優位性だけに任せた、力任せの連続攻撃。


 碌な訓練も積まず、良き師とも出会わなかった彼が唯一できる戦いはそれだけだった。


 そんな稚拙さをあざ笑うように巨獣は悠然と、彼に向かって歩き続ける。


 接近を食い止めようとする鳴神の攻撃が、ちょうど十回目に達した時だった。


「うっ……な、なんだ……」


 彼の身体から急速に力が抜け、膝から崩れ落ちた。


 スキルの過使用によるエーテル欠乏症。


 迷宮探索者であれば、誰もが知っているような基本さえも彼はもう覚えていなかった。


「くそっ……動け……動けよ……!!」


 両手両膝を地面に付き、顔も上げられずに視線は地面に吸い寄せられる。


 その姿はまるで圧倒的な強者に対して、許して乞うている弱者のようであった。


 巨獣が再び大きな咆哮を上げ、一帯の火勢が更に増す。


「ひゅー……ひゅー……」


 エーテルの欠乏に加えて、今度は燃え盛る火炎による酸素の欠乏。


 最早まともに呼吸もできず、熱波が肺を焦がしていく。


 こんな……こんなところで俺が……。


 言葉を発することもできず、意識は少しずつ暗闇に落ちていく。


 俺は選ばれた人間なのに……他者を踏み潰すことが許された強者のはずなのに……。


 窮地に追い込まれながらも、彼の矜持と思想だけは今尚折れていなかった。


 強者こそが正義で、弱者は悪。


 彼の考えは確かに特区の法そのものであり、間違ってはいなかった。


 自分よりも圧倒的な強者が現れた時には、自らもひれ伏すしかないという観点が抜けていたことを除けば。


 それに気づかぬまま、鳴神響也の意識は途絶えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る