第11話:終幕

「っ……いってぇ……」


 意識が戻って、最初に感じたのは全身の激痛だった。


 次に上部から降ってきた細かい何かがパラパラと身体を叩く感触。


「何が起こった……?」


 最後の記憶は、自分が引き金を引いた瞬間。


 それでどうなったのか確認しようと目を開くと――


「……え?」


 視線の先には星々が煌めく夜空があった。


 どうして空が見える……?


 確か最後にいたのは拡張空間の中だったはず……。


 最後の記憶と全く異なる状況に、頭の中を疑問が埋め尽くす。


 上半身を起こして周囲を見渡す。


 拡張空間は魔物と共に姿を消し、俺は元いた倉庫の中で仰向けに倒れていた。


 引き金を引いた直後の記憶はほんの微かにしか残っていない。


「そ、そうだ……! 彼女は……!? セラフィナ!?」


 自分がしなければいけないことを思い出して、すぐに立ち上がる。


 数日過ごしたコンテナは粉々に砕け散り、倉庫は大規模に半壊していた。


 辺りを見回して、いるはずの彼女の姿を探す。


「ん……んん……」


 すぐ近くの残骸の下に、月明かりを反射してよく目立つ銀髪を見つけた。


 駆け寄って、残骸をどかしていく。


「お、おい! 大丈夫か!?」

「うぅ……多分、大丈夫……私って悪運強いから……でも、何があったの……?」

「いいから早く立って! ここから逃げよう!」


 説明してる暇はないと、彼女の手を掴んで立ち上がらせる。


 連中の姿は見えないが、まだここが安全になったとは思えない。


「何だ、さっきの音は……って、こりゃひでぇ……何があった!?」

「おい! 大丈夫か!? 返事をしろ!」


 案の定、外から知らない男たちの声が聞こえてくる。


「入り口はダメか……だったら、あっちだ! 走れ!」


 倉庫の出入り口ではなく、側面に開いた大穴の方へと駆け出す。


「おい! あっちだ! 向こうに逃げてる!」

「全員で追いかけろ! 絶対に逃がすな!」


 後ろから男たちの声が響いてくる。


「振り向くな! 全力で走れ!」

「う、うん……!」


 自分を鼓舞する言葉を、並走する彼女にもかける。


 ボロボロになった身体に鞭を打って、夜空の下を無我夢中でひたすら走り続けた。


 ――――――


 ――――


 ――


 旧港を出て、市街地の路地裏へとたどり着く。


「はぁ……はぁ……ここまでくれば安全だろ……」


 建物の壁面に背を預け、乱れた呼吸を整える。


「ここって……下層地区……?」


 路地裏から表通りを覗き込みながらセラフィナが尋ねてくる。


「うん、下層の中でもかなりマシな方の地域だけど……」


 大通りを車が何台も行き交い、夜ではあるが通行人もちらほらいる。


「そうなんだ……何気にはじめて来たかも……」


 俺からすれば見慣れた光景を、微かな憧憬混じりの視線で見つめている。


 上層地区住まいの彼女からすれば、退廃芸術でも見ているような気分なんだろうか。


 兎にも角にも追手の姿はもう見えない。


 無事に逃げ切ったと考えてよさそうだ。


「すぐ近くに警察署があるから……そこで保護してもらえばいい。きっと、君のことをみんな探してるだろうし、事情は説明しなくても分かってもらえるはず」

「うん……でも、君は? 君はどうするの? 一緒に行かないの?」

「いや、俺は下層の住民だし、一緒に行けば多分面倒なことになる。だから――」

「分かった。誰にも何も言わない。私が一人で逃げてきた……それでいいんだよね?」


 微かに笑みを浮かべながらセラフィナが言う。


 言葉にこそしなかったが、俺が何らかの能力を使ったのは分かっているはず。


 例えどんな事情があっても、特区警察は迷宮法違反を見逃さない。


 事情聴取を受ければ、どこかで証言に綻びが出てしまう可能性はある。


「そうしてくれると助かる。ありがとう……」

「んーん、お礼を言うのは私の方。助けてくれてありがとね」


 握手を求める手が差し出される。


「どういたしまして」


 一瞬だけ戸惑うが、手を差し出して応じる。


 人気迷宮配信者セラフィナ=ホワイトとの握手。


 流石に状況が特異すぎて、明日以降の一生の自慢には出来そうにない。


「それじゃあ……元気で。復帰したら配信は見させてもらうから」


 そう言って、向こうの返事は待たずに振り返ろうとした時――


「ねえ……」


 背後から服の裾を掴まれる。


「どうかした? 警察署ならそこの通りを出て、左に行けばすぐに――」

「そうじゃなくて……その……君さえ良かったらなんだけど……」

「……?」

「えっとね……私を、このまま本当に……」


 視線を下に向けながら、何かを言い淀んでいる。


「ご、ごめん! やっぱり何でも無い! 君も元気でね!」


 掴んでいた服の裾を離して、セラフィナが表通りの方へと駆け出す。


 姿が見えなくなるまで手を振っている彼女を最後まで見送り、逆方向に歩き出した。


 誰にも話せはしないが、今日のことは一生忘れないだろう。


 数日ぶりに一人となり、落ち着きを取り戻すと疲労や身体の痛みが襲ってきた。


「……流石に疲れたな」


 現場から離れるように彷徨っていると、いつの間にかこの長い日々の始まりの場所に辿り着いていた。


 最下層地区の路地裏――あの女と出会った場所に、まるで導かれるように。


 チンピラ二人組の姿は消えているが、痕跡はまだ残っている。


 この数日の出来事が夢でなかったと再確認するために、しゃがんで弾痕を確認していると大事なことを思い出した。


「そうだ、紗奈に連絡しないと……!」


 慌ててデバイスを起動すると、数日分の通知が一気に流れてくる。


 その中には当然、紗奈からのメッセージも含まれていた。


 何通も何通も、連絡のつかない俺を心配する内容の言葉が並んでいる。


 全てが無事に解決した安堵よりも、守るべき妹を心配させてしまった罪悪感が勝る。


 すぐに謝罪の言葉を送り返そうとした時だった。


「お疲れ様~。ちゃんと出来たね~」


 頭上から間延びした声が響いてくる。


 見上げると、建物の外側に付いた非常階段の上に人影があった。


 夜の暗闇の中でも克明に見える豊かな色彩。


 そのシルエットを見て、俺の人生で最も長い日はまだ終わっていないことを思い出した。

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