第10話:ロウブレイカー
【累積悪名値が既定値に到達】
幻聴ではなく、脳に直接届くような声がもう一度はっきりと聞こえる。
【悪名レベル1:スキル『ロウブレイカー』が解放。残弾数:1】
連中には聞こえていないのか、この不可解な声に何の反応もしていない。
男が服の内側から取り出した拳銃を片手に迫ってくる。
「この……ガキがッ!!」
「――っ!!」
手を蹴り飛ばされ、持っていた拳銃が壁際に弾き飛ばされる。
「よーやってくれたのう……」
銃口が額に押し付けられる。
男が引き金に軽く力を込めるだけで、俺の命は呆気なく散る状況。
「いや……これやったら簡単すぎるな。おい、こいつはチャッピーの餌するぞ」
「え? しかし、時間が……」
「じゃかましい! やる言うたらやるんじゃ! はよ外に運べ!」
「……うす」
大柄の男に服の襟を乱暴に掴まれて、そのままほとんど投げ飛ばされるようにコンテナの外に放り出される。
「愛しの愛しのチャッピーちゅわぁ~ん……ご飯の時間でちゅよ~……」
男が鳥肌の立ちそうな猫撫声を上げながら、手元のデバイスを操作している。
一体、何をしようとしているのかと思った次の瞬間――
「なっ……!?」
一瞬の雑音と共に、四方八方が真っ白な空間に取り囲まれた。
「拡張空間……!?」
突如として現れた迷宮由来の先端技術に動転する。
それは主に擬似的な迷宮内の環境を地上に再現するための技術だが、こいつらがそんな真っ当な使い方をしているわけがない。
そう思った直後に、今度は背後から唸り声が聞こえてくる。
振り返ると、そこにいたのは犬……と呼ぶにはあまりにも異形な化け物だった。
黒い体毛に包まれた全長3m以上はありそうな巨体。
何よりも顔面の至るところから突出した眼球と四つに割れた顎から突き出す牙が、尋常の生物ではないことを物語っていた。
その脅威は優生種をも遥かに凌ぐ。
「な、なんでこんなところに魔物が……」
いや、地上で探索用装備を使う無法者連中だ。
迷宮から連れ出した魔物を飼っているくらいは不思議じゃない。
――グルルル……。
奇妙に動く複眼で俺を見据えながら、喉を鳴らしている。
多分警戒しているわけではなく、ただ食える物かどうかを観察しているだけだ。
その証拠に、奴は飛びかかってくるわけでもなく、ひたひたと俺に近づいてきた。
目の前まで来ると、その大きさを改めて実感する。
四つに割れた顎は、俺の頭部を丸呑み出来そうだ。
異常事態に次ぐ異常事態に、恐怖を感じる余裕もない。
「チャッピー、時間が押しとるから出来るだけ早めにな」
どこからともなくあの男の声が響く。
それが合図だったのが、魔物は口を大きく開いて一気に飛びかかってきた。
「うわああっ!!」
鋭い爪牙が俺の身体を捉える前に、地面を転がるようにして攻撃を回避する。
間一髪で直撃は避けられたが、硬い地面を転がったのとは違う痛みが神経を奔る。
「……痛っ!」
肩口を爪が掠り、服とその下の肉が裂けていた。
真っ白な地面に、赤い血が滴り落ちる。
何の装備も無しに魔物と相対しているという現実に、ようやく恐怖の感情が芽生える。
「惜しいっ! 惜しいでチャッピー! 次はガブっといったれ!」
飼い主の声に応じて、魔物がまた唸り声を上げる。
これは狩りではなく、ただの餌付け。
餌に手間取るようなことなどあってはならない。
攻撃を回避された苛立ちの感情が、魔物からひしひしと伝わってくる。
あの牙と爪……シールドのない生身に直撃を受ければ、ただでは済まない。
しかも拡張空間とはいえ、広さは精々が10m四方の閉鎖環境。
一度目のように奇跡的に攻撃を回避出来たとしても、どこにも逃げる場所はない。
避けようのない死を目前にして、生存本能が急速に活性化する。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。
「おい、どないした!? 逃げろ逃げろ! ちょっとくらいは抵抗せんとおもろないやろがい!」
男の声が空間中に響く。
他人から搾取する悪党共は、いつだって楽しげに笑っている。
このどうしようもなく理不尽な世界が、俺は心底嫌いだ。
魔物が身体を低く構えて、獲物である俺を見据える。
もう抵抗するための手段は何も残されていない。
俺はここで死ぬ。
紗奈を一人残して死ぬ。
「嫌だ……死にたくない……」
強い想いが言葉になって漏れ出る。
生き延びたい。
例え、どんな手段を選んででも。
そんな想いに呼応するように――
【スキル『ロウブレイカー』が発動可能です。残弾数:1】
またあの声が聞こえた。
相変わらず言葉の意味は分からない。
ただ、今回はある事を思い出した。
『私が君のクラスを発現させてあげられるって言ったら、どうする?』
それは、あのセツナと名乗った女の言葉だった。
「俺の……クラス……」
しかし、その可能性を考えるよりも先に魔物が地面を蹴って飛びかかってきた。
地上で、生身の人間では反応できない俊敏さ。
今度は直撃を避けられない。
不可避の死を前にして、時間が引き伸ばされていく。
過去から現在に至るまでの様々な記憶が脳裏に映し出されていく。
事故で死んだ両親のこと。
結局、助けられなかったセラフィナのこと。
たった一人の、何よりも大事な妹のこと。
けれど、何故かその中で最も鮮烈に蘇った記憶は……
『イケナイコト、しない?』
『私の邪魔した罪で被告人は磔の刑に処す!』
『一緒に、この退屈な世界をぶっ壊そう!!』
他の誰でもない、セツナの無邪気な笑顔だった。
『本当はどう思ったの? さっきのを見てさ』
そうだ俺はあの時、何にも縛られていない彼女を羨ましいと思ったんだ。
自分が押し殺していた感情を認めた瞬間に、それは現れた。
手のひらに生じた確かな重み。
そこに握られていたのは、異様な形状をした漆黒の拳銃。
「な、なんやッ!? どっから取り出した!?」
飛びかかってくる獣に銃口を向け、引き金に指をかける。
「チャッピー!! ストーップ!! なんかやばそうな予感やー!!」
迷宮法によって、クラスに由来する能力の地上での使用は厳に禁じられている。
違反した者には十年以下の懲役か、あるいは五千万円以下の――
「……それがどうした」
人はクラスを発現した時に、その名称を本能的に理解する。
俺のクラスは【
二度目の引き金は、一度目よりも軽かった。
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