第9話:迎え

「ねーえー……またお腹空いたー……ご飯取ってー……」

「またかよ……。でも、鮭のおにぎりはそれで最後だぞ」

「えー……鮭以外のおにぎりなんて食べたくないんだけどー……」


 投げ渡したおにぎりを受け取り、うつ伏せになって包みを開けている。


 俺たちがここに閉じ込められてから、二日以上が経過した。


 その間に助けはおろか、あの女も含めて外部からの接触は一切ない。


 進展らしい進展といえば、俺と彼女が若干打ち解けてきたくらい。


「んっ……ん~……!」


 食事を終え、仰向けに寝返って大きく伸びをしている。


 シャツが持ち上がり、ヘソ周りの素肌が露出をしているのを気にもしていない。


 配信を通して見た彼女は、礼儀が正しく、快活で愛想の良い美少女という印象だった。


 しかし、本物は見ての通りのマイペースでズボラな偏食家。


 もしもファンがこんな姿を見たらどう思うのだろうか、と呑気に考えてしまう。


「こんなにのんびりしたの……すっごい久しぶりかも……。誘拐のおかげってのはちょっとあれだけど。もう二、三日くらいこうしててもいいかなーって気分……」

「それは流石に……ファンは君のことを待ってるだろうし、それに家族だって」

「ファンと家族、かぁ……」

「確か、お母さんが所属事務所の社長なんだっけ?」

「うん、物心ついた時にはもうパパがいなくて、ずっと二人きりの家族で……。今のお仕事のことも全部ママが決めてくれたの。私はただ……」


 セラフィナが言葉を詰まらせる。


「どうかした……?」

「んーん、なんでも。それより君の家族は? ずっと、誰かの連絡を待ってるみたいにデバイスを気にしてるし……もしかして外に恋人でもいたりする?」

「残念ながら恋人はいないけど……妹がいる。君と一緒で、二人きりの家族の妹が……今は入院してるんだけど……」


 普段はあまり紗奈のことを他人に話さないはずが、置かれた状況の特異さと誰かに聞いてもらいたかったせいか、つい口に出してしまった。


「そっか……じゃあ、妹さんのためにも早く出ないとね」

「……だな」


 言葉とは裏腹に、脱出の算段は一切付いていない。


 ここまでくると、無事に帰られるのかという不安が大きくなってくる。


 セラフィナも同じ気持ちなのか、気まずい沈黙がしばらく続く。


「あっ……!」


 不意に、彼女が何かを思いついたように声を上げた。


「今度はどうした?」

「シャワー浴びたい気分!」

「またかよ……」


 あまりにも下らない申し出に、眉を顰めてしまう。


「だって、汗かくんだもん……ここ、空調の効きが悪くて微妙に暑いし。ていうか、天下のセラフィナ=ホワイトのシャワーだよ!? 普通は一億円積んだって見られないのに、その反応は何なの!? おかしくない!?」

「いや、見ないから! 見ないでいるのが大変だからこの反応なんだよ!」


 ここに閉じ込められてから既に、汗をかいたと言って三回もシャワーを浴びている。


 その度に簡易シャワー室に目隠しを貼って耳栓までして。


 絶対に見ないように聞かないようにと気を使うのはめちゃくちゃ突かれる。


「ちょっとくらいなら見てもいいからお願い~!!」

「えぇ……」

「ねーえー……シャワー浴びたいー! あーびーたーいー! しゃわー、しゃわーしゃわー!」


 セラフィナがベッドの上でジタバタと暴れ始める。


 確か年齢は十八歳だったはずだが、まるで聞き分けのない小学生だ。


「あーあー、分かった分かった。ったく……」


 立ち上がって、簡易のシャワー室に目隠し用のシーツを張っていく。


「さっすが~! 話が分かる男の人って素敵だよね~!」

「ちょっ……まだ準備してるところなんだから脱ぐな――」


 背後から衣擦れの音が聞こえてきたのを止めようとした時だった。


 ――ガタッ。


 コンテナの外側、ロックされた扉の向こうから音が聞こえた。


 突然の出来事に、二人揃って言葉を失う。


 ――ガタガタッ。


 もう一度、音が鳴る。


 シャワー室の準備していた手を止めて、入り口の方へと向き直る。


 外に積んであるゴミが崩れたような音じゃない。


 誰かが入り口の扉を開けようとしている。


 あの女か、警察か、それとも別の誰かなのか。


 いずれにせよ、停滞していた状況に終止符が打たれようとしていた。


「しっ! 静かに! 俺の後ろに隠れて!」

「う、うん……!」


 背中越しにセラフィナへと指示を出す。


 に備えて、ズボンに差してある拳銃の存在も確認する。


 電子音が鳴り、続いてガシャンとロックが解錠された重たい音が内部に響く。


 背後でセラフィナが息を呑む。


 扉が開かれ、その向こう側から現れたのは――


「おー……ほんまにおるやんけ」


 ピエロの覆面を被った大中小と異なる体型の三人の男たち。


「おい、見てみぃ。本物のセラフィナ=ホワイトやぞ。実物もごっついベッピンやなぁ」


 先頭の中肉中背の一人が俺越しに後ろのセラフィナを見て、第一声を発した。


 続く二人が、そのままドシドシと床を踏み鳴らして室内に入ってくる。


 俺の存在など無視して、後方のセラフィナの方へと一直線に向かう。


 その行動で、この三人があの女セツナの言っていたなのだと分かった。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 その勢いに思わず尻込みしかけるが、慌てて二人の前に立ちはだかる。


「あぁ? 銭の話なら後にせぇや! 今はそっちの嬢ちゃんを連れてくのが先や!」


 阻まれた二人ではなく、入り口付近に残っている訛の強い男が言う。


「い、いや……そうじゃなくて……こういうことは止めた方がいいと思います。彼女、怖がってますし、家に帰らせてあげませんか……?」

「なんやお前、監視してる間に情でも湧いたんか……?」

「情とかじゃなくて……こんなの、犯罪じゃないですか……。今ならまだ、今回の件は無かったことにするよう俺が説得するんで……」


 俺の言葉に、訛りの男は呆れたように肩をすくめる。


「……おい」


 何かに指示を出すように、顎をしゃくりあげた。


「警察に知られる前に絶対やめ――うぐっ!!」


 腹部に衝撃。


 巨漢の男に殴られたことに気づいたのは、膝が地面を叩いたのと同時だった。


「ごほっ! げほッ……! がはっ……!」

「アホか、お前。サツにビビるくらいなら最初から極道やってへんわ!」


 肺の中の空気を吐き出し、胃液を吐きながらその場に崩れ落ちる。


「ゆ、誘拐犯くん! だいじょ、ちょ……やめっ! 触んないでよ!」

「うっひょー……本物のセラだぜ、おい。肌、やわらけぇ……」


 呼吸が出来ない。


 身体がパニックを起こしている。


 背後で起こっている出来事を止めなければいけないと考えながらも、痛みで動けない。


「兄貴、先にちょっと味見したらダメっすか?」

「気持ちは分かるけど後にせぇ。船を待たせとるし、いつサツが来るかも分からんやろ」

「ふざけっ……やめっ、ちょっとでも何かしようとしたら舌噛むから!!」

「そりゃまずいな。死体とヤる趣味はねーし……ほら、これでできねーな」


 これまで言葉で抵抗してきたセラフィナのうめき声しか聞こえなくなる。


「さっさと船まで連れてけ」

「ういっす。ほら、さっさと歩け。死体は勘弁だけど指の一本や二本折れてるくらいなら気にしねーぞ」

「んー……! んんー……!」


 辛うじて上げられた視界の端に、男たちに連れて行かれる彼女の姿が映る。


「兄貴、このガキはどうします?」

「そやな……後で片付けとけ」

「いいんすか? 他所の構成員かもしれないっすけど……」

「どうせしょうもないチンピラの下っ端やろ。そんな奴なんざ、おらんようになっても誰も探さんわ」

「うす……」


 頭の上で男たちの会話が聞こえる。


 このまま気を失いたくなるくらいに苦しい。


 頭が上手く働かなくて、言葉の意味が理解できない。


 ただ、それでも自分のやらなかればいけないことは分かっている。


「ま、待……て……」


 朦朧とする意識の中、彼女を連れて去っていく連中の背に向かって手を伸ばす。


 あの時のようにまた連れて行かれようとしている。


「紗奈……」


 たった一人の家族として、俺は紗奈を守らなければいけない。



 ***



『どんな時でもお前が紗奈を守ってやるんだぞ。お兄ちゃんなんだからな』


 俺にそう教えてくれた父は、正しい人だった。


 日中は大学で講師として働き、夜は遅くまで研究者として働く。


 俺たちと過ごす時間は少なく、生活も決して裕福とは言えなかったが、家族四人で平穏に暮らしていた。


 目を閉じれば、今もあの時の光景が瞼の裏に蘇る。


 ある日、そんな父の下にある大企業の人間が訪れてきた。


 俺は知らない大人に怯える紗奈を宥めながら、その会話を盗み聞きしていた。


 会話の仔細は当時の俺には難しかったが、父の研究の成果を買い取りに来た話だと言うのは分かった。


 企業から提示されたのは、父がこの先一生働いても稼げないような金額だった。


 しかし、父はその提案を一考することもなく断った。


 自分は一企業の利益のためではなく、大勢の人間の幸福のために研究しているのだと。


 一蹴された企業の人間は憤慨しながら帰っていったが、俺は父の決断を誇りに思った。


 自分も父のように、正しく生きていこうと。


 そんな父を俺は一度だけ、とても怒らせてしまったことがある。


 あれは俺がまだ高校生だった時だ。


 きっかけはクラスメイトが、別の学校の不良連中に絡まれていたのを助けたことだった。


 父のように正しくありたいと思っていた俺は、日頃からそうしたことをよくしていた。


 人を助けて感謝されるのは悪い気分じゃないし、何よりも父のように正しくあれていると実感出来るのが何よりも嬉しかったからだ。


 けれど、当然そんな俺を快く思わない連中も出てくる。


 そして、そいつらが目をつけたのは俺ではなく、まだ幼い紗奈だった。


 奴らは俺を屈服させるために、学校帰りの紗奈を人質に取ろうとした。


 しかし、幸運にもその場に居合わせた俺がそれを阻止し、連中を叩きのめした。


 二度と、俺たちに手を出そうとは思わないように。


 向こうにも非があったので大事にはならなかったが、顛末を知った父は俺を激しく叱責した。


 最初は何故、自分が怒られているのか分からなかった。


 悪いのは紗奈に手を出したあいつらで、俺は言われた通りに紗奈を守っただけなのに。


 そんな俺に、父はこう言った。


『どんな理由があっても道理に背いてはいけない。道理に背く行いは、いずれその報いが自分へと返ってくる』


 なら、紗奈が連れて行かれるのを黙って見ていればよかったのか。


 そう言い返したかったのを、俺はぐっと堪えた。


 父が言うのなら、それはきっと正しいことなのだろうと。


 あれから今に至るまで、俺は父の教えを守り続けている。


 道理に背かず、正しいことをし、兄として紗奈を守る。


 ただ、時々ふと考えてしまうことがある。


 もしも父があの時、自分の道理に背いていれば。


 研究を売っていれば、俺と紗奈はこんな苦しい思いをしていなかったんじゃないか?


 そうだとすれば、父の教えてくれた正しさとは一体何だったんだろうかと……。



 ***



「おい! このっ……暴れんなっての!」

「別に取って食おうとしてるわけやないんやから大人しくしてや。ちょっと、俺らについてきてもろて……いつもやっとるみたいに、動画を何本か撮ってもらうだけやさかいに……まあ、ちょ~っと過激なやつやけどな」


 正しくあろうとした俺は地面に這いつくばり、欲と業に塗れた道化は笑っている。


『なあ、オッサン。いいから出せって言ってんだろ?』


 特区ここに来てから……いや、ずっと前からそうだった。


『お金の管理は任せなさい。貴方たちが大人になるまで大事に預かってあげるから』


 父のように正しくあろうとするほど、損な役回りばかりを押し付けられる。


『じゃあな、カス野郎。才能も無いんだからこれに懲りたら二度と顔を見せるなよ』


 このクソみたいな世界では、常に自分の法で他者を抑え込む人間だけが勝ち続ける。


 強者が全てを総取りする。


「いやぁ……それにしてもほんまに上玉やな。これはとんでもなく稼げるで」

「……億っすか?」

「アホか、一桁足らんわ。この仕事を持ってきてくれた奴には感謝せんとな」


 セラフィナが連れて行かれようとしている。


 あの時の紗奈と同じ様に。


 俺がこれまで盲信してきた正しさは、ただの無力だ。


 それを信じた父が間違っていたとは思いたくないが、俺は同じ失敗をして守りたい誰かをその犠牲にはしたくない。


 ――パンッ。


 気がつくと隠していた拳銃を、連中の背中へと向けて発砲していた。


「おい、痛いやないか……このガキ……!」


 男が振り返る。


 背中に銃弾を受けたにも拘わらず、ピンピンしているのを見て乾いた笑いが出る。


 シールドユニット――迷宮探索用の最も基本的な防御装備。


 地上で使用すれば当然迷宮法違反だが、悪党には関係ない話か……。


 男がピエロマスクの向こう側で、憤怒の形相を浮かべている。


 どうやらダメージよりも、三下扱いのガキに一矢報いられたのが堪えたらしい。


「ざまぁみろ……」


 マスクの向こうにあるマヌケ面を透かして見ながら嘲笑う。


 これから俺は殺されるのかもしれないが、すこぶる爽やかな気分になった。


 眼の前の男たちを通して、自分をずっと抑え込んできた何かへと反抗したんだと。


「あ、兄貴っ! 大丈夫っすか!?」

「大丈夫なわけあるか! こんなガキに舐められたんやぞ! いてこましたる!!」


 そう言って、男が胸元に手を差し入れた瞬間だった。


【悪名値の上昇を確認しました】


 どこかから無機質な声が聞こえた。

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