第8話:人気迷宮配信者誘拐事件
最も異質な存在が消えても尚、室内は異様な状態が保たれている。
両手の上には、三つの札束と一丁の拳銃が残された。
「これが……前金……」
手の内にある紙束の重みにゴクリと息を呑む。
数えてはいないが、一束百万だとして三束で三百万……。
後払いの分が同じだけあるとすれば、最低でも六百万。
毎日コツコツとバイトして、迷宮に潜っては高い税金が掛かる遺物を売り払うのが馬鹿馬鹿しくなるような金額。
それだけあれば二級ライセンスの取得に加えて、探索装備一式も新調できる。
独力で探索が出来れば収入は増えて、社会的地位も上がる。
そうなれば紗奈にだって、もっと良い治療を受けさせてやれる……。
……って、何を考えてるんだ。
俺は何のためにあの女の要望に乗った振りをして、ここに残った。
正しいことをするため……人質を助けるためだろ。
金のためにあんな女に加担するなんて、絶対にあってはならない。
悪辣な妄想を振り払って、セラフィナの方へと向き直る。
ベッドに倒れているままの彼女は、目に涙を浮かべて怯えた表情で俺を見上げていた。
「だ、大丈夫……! 何もしないから……!」
声を聞かせるべきか少し悩んだが、まずは信頼を得なければ何も始まらない。
両手を上げ、敵意の無いことをアピールしながら彼女の側に膝をつく。
何かされると思ったのか、身体がビクっと震える。
「んー! んんーッ!」
地面に横たわった芋虫のような状態で暴れられる。
「ほ、本当に何もしないから! ただ拘束を解くだけ! それ以外は何もしない!」
申し訳ないと思いながら、彼女の身体を軽く押さえる。
余計な接触をしないように、出来るだけ手早く……。
まずは両足の拘束から解いた。
一部の拘束を解くと、外そうとしているのを分かってくれたのか抵抗が少し弱まる。
続けて両手の拘束も同じように解いていく。
不思議な感覚だった。
底辺探索者の俺にとっては天上の、そのまた天上――決して手の届く存在でなかった彼女に、まさかこんな形で触れることになるなんて……。
非常事態だというのに、少し浮かれたような気持ちになってしまう。
両手足の拘束を解き終え、最後に頭の後ろから結ばれている猿轡を外した。
「けほっ……! けほっ……!」
口の中に詰められていた布を吐き出したセラフィナが激しく咳き込む。
「だ、大丈夫……?」
後ろから声をかけると、彼女はビクっと身体を跳ねさせた。
「な、何なの……!? ここ……どこなの……!? 迷宮から出ようとしたら急に真っ暗になって……なんで私、こんなところに連れて来られたの……!?」
「お、落ち着いて! ここは旧港の倉庫の中で……君は多分、あの女に連れて来られたんだと思う。でも、大丈夫――」
「お願い……助けて……こ、殺さないで……」
恐怖に震え、目には涙を浮かべながら懇願される。
パニックになっているのか会話が成り立たない。
「こ、ここ、殺すなんてとんでもない! そんなことするわけないだろ!」
「じゃあ……それは何なの……? み、右手の……」
「右手……――ッ!!」
セラフィナの視線を追った先、俺の右手はセツナから渡された拳銃を握っていた。
慌てて、それをズボンの背中側に差し入れて隠す。
「こ、これは違う! これは万が一のための物だから!!」
「ま、万が一には殺されるの……? それで私を撃つの……?」
透き通るような白い肌が、ゾッと青ざめる。
「ち、違うって……だから、その……」
弁明しようとするが、混乱しすぎて自分でも何を言えばいいのか分からない。
まずは信頼を得なきゃいけないのに、その難易度が高すぎる。
向こうからすれば俺は監禁現場に居る被り物をした怪しい奴でしかないのだから当然だが、それにしても自分の機転の利かなさが嫌になる。
後、被り物がめっちゃ暑い。
真夏にデパートの屋上で着ぐるみのバイトをしたときを思い出す。
「やっぱり……殺されるんだ、私……こんなところで……。ああ……人生、何も良いことなかったな……こんなことなら、もっと好きに生きてれば良かった……」
伏せ気味の目に、またじわりと涙が浮かぶ。
一体どうすれば信じてもらえるんだ……。
考えれば考えるほど頭が茹だり、被り物の中が更に暑くなっていく。
「体型とか気にせずに甘いものもいっぱい食べて……いっぱい夜更かしして、本呼んだりゲームしたり……」
「いや、本当に危害を加えるつもりは全くなくて……」
どう話せばいいんだ……。
暑いし、伝わらないしの二重苦で更にイライラしてきた。
「あの……痛いのは嫌いなんで殺す時は、出来れば一思いに――」
「だから! 殺さないって! 言ってるだろ! てか暑いんだよ、これ!」
なかなか真意が伝わらない苛立ちと耐えられない暑さに、思わず被り物を脱いでしまった。
目と目が直接合う。
被り物越しでも、画面越しでもない状態で見る彼女の瞳は、言葉を失う程に綺麗だった。
「それ……脱いで大丈夫なやつ……?」
絶句している場合でないことを、向こうから指摘してくれる。
「大丈夫のような……大丈夫じゃないような……」
「だよね……。誘拐犯だし……」
なんともいえない微妙な空気が漂うが、少なくとも初めて会話は成立した。
「だから違うって! そもそも誘拐犯なら顔なんて見せないだろ!?」
「そ、そう言われれば確かにそうかも……」
「だろ? 俺は絶対に君を殺したりなんかはしない! これだけは誓って言える!」
「でも……それじゃあ、なんでこんなところに……?」
「それには色々と事情があって……俺も巻き込まれた側って言うか……」
「巻き込まれたって、さっきの女の人に……? あれは誰なの……?」
「何者なのかは俺も分からないけど……とにかく頭のイカれたヤバイ女だよ」
人に向かって銃をぶっ放した次は、人気迷宮配信者の拉致監禁。
頭のイカれたヤバイ女としか言いようがない。
あいつが俺に何を期待してるのかは知らないが、絶対に思い通りにはならない。
「くそっ……ロックされてる……」
出入り口の扉を調べるが、施錠されていてビクともしない。
俺の仕事は監視だと言ってたが、現状は二人揃って監禁されている状況に近い。
「……何してるの?」
室内を彷徨きはじめた俺を不審に思ったのか、セラフィナが尋ねてくる。
「出入り口はロックされてたから部屋の中を調べてる。もしかしたら脱出に繋がる何かがあるかもしれないし」
室内にある一番大きな物は今、セラフィナが座っているシングルベッド。
高価そうには見えないが、人質としては上等な扱いだ。
次に大きなコンテナの中には、食料や飲料などが詰まっていた。
俺たち二人で消費しても、数日は保ちそうな量だ。
後は部屋の端に設えられたシャワー室と……簡素なパイプ椅子の上に、これで暇を潰せと言うように数冊の本が置かれていた。
他にも一通り調べたが、脱出やあの女の目的に繋がりそうな物は見つからなかった。
「相変わらず、電波は繋がらないし……」
電波状況は変わらず圏外を示している。
今頃、紗奈はどうしているだろうか……。
このままでは今日も見舞いに行くと言った約束を破ってしまう。
自分の軽はずみな行動のせいで、病床の妹に余計な心配をかけさせてしまいそうなことが何よりも心苦しかった。
「くそっ……どうすれば……って、ん?」
何とか繋がらないか操作していると、通知欄に新着のニュースが表示された。
一瞬、外部と繋がったのかと喜ぶが――
「なんだよ……期待させやがって……」
更新日時から、どれもこの倉庫に入る前に受信していたニュースだった。
もう一度室内を調べるかと思った時に、ふと一つの見出しが目に飛び込んでくる。
『人気迷宮配信者を誘拐。報道各社に謎の声明文が届く』
見出しをタップして、記事を開く。
そこには、報道各社へと正体不明の差出人から謎の犯行声明が届いた旨が記されていた。
『迷宮配信者■■■■■=■■■■は私たちが誘拐した! 無事に解放して欲しければ、五千億兆円分のビットコを下記のウォレットに振り込みやがれ! 尚、このメッセージは秘匿せずに全世界へと公開すること。もしこの指示を守らなかった場合は人質をデコピンの刑に――』
そのふざけた文章の向こう側に、あの女の悪魔的な笑みが浮かんで見えた。
記事には自社判断で名前を伏せ字にしたと書いてあるが、これがセラフィナを指しているのは明らかだった。
通知の時点では小規模なネットニュースが取り上げているだけだが、外では既に大事件になっている可能性もある。
もし警察の捜査によって脱出よりも先にここが発見されれば、俺はただの誘拐犯だ。
事実はどうあれ、現場にいた怪しい下層住人の弁明を聞いてくれるとは思えない。
そうなる前に最低でも彼女には、俺が誘拐犯ではないと信じてもらうしかない。
「な、何か飲む……?」
信用を得ようとしてとっさに出てきた言葉が、それだけだった。
セラフィナは無言のまま、訝しむような目を俺に向けている。
「し、しばらく何も飲んでなさそうだから喉が乾いたかな……って、こんな状況で飲めるわけないよな! ご、ごめん! 変なこと――」
「コーヒー」
「……え?」
「コーヒー、無糖じゃないやつで」
「あ、ああ……了解……。えっと……コーヒーは……あった! ど、どうぞ!」
コンテナの中から缶コーヒーを取り出して差し出す。
「……毒とか入ってない?」
「入ってない……と、思う! 多分! 気になるなら俺が先に飲むけど……」
彼女はまだ強い警戒心を抱いている目でそれを数秒ほど見つめた後に、手を伸ばして受け取ってくれた。
ベッドの上で三角座りしながらコーヒーを飲んでいるセラフィナを横目に、また室内の探索を再開する。
しかし、数時間経ってもやはり成果らしい成果は得られなかった。
少し疲れたと、椅子に座って一息つこうとするが――
「ねぇ」
今度は向こうから話しかけられた。
「は、はい!」
「お腹も空いたんだけど、何か食べるものは無いの……?」
「食べ物……も、もちろん! 何が食べたい!? おにぎり? それともパン?」
慌てて立ち上がり、コンテナの中を確かめる。
「何でもいいから適当にちょうだい」
「りょ、了解!」
適当に見繕った食品を手渡すと、本当にお腹が空いていたのかすぐに食べ始めた。
「……食べてるとこ、そんなにガン見しないで欲しいんだけど」
「ご、ごめん! 気がつかなかった!」
唯一の証人である彼女の機嫌を損ねるわけにはいかないと、椅子ごと後ろに振り返る。
あのセツナとかいう女とは別のベクトルでやりづらい。
いや、ただ俺が妹以外の異性の扱いに慣れてないだけかと考えていると――
「ぷっ……あっはは……」
不意に背後から笑い声が聞こえてきた。
「な、なんで急に笑って……」
「だって、誘拐犯なのにそんな簡単に人質から目を離しちゃうんだって思ったらおかしくって」
「だから、誘拐犯じゃないんだけど……」
「それ、ほんとのほんとなの……?」
「本当だって……」
「確かに、言われればこんな無害そうな誘拐犯もいないよね……。じゃあ、本当に巻き込まれただけ……?」
「最初からそうだって言ってたじゃないか……」
後ろを向いたまま会話を続ける。
「そんなこと言われても普通は信じないでしょ。変な被り物して、拳銃も持ってたし」
「それを言われたら返す言葉はないんだけど……」
落ち込む俺を見て、セラフィナはまたクスクスと笑った。
置かれている状況は変わっていないが、多少の信頼は得られたらしい。
その後も脱出の方法を探りながら、時には気を紛らわすために他愛のない話もした。
画面越しに見れば天上の存在だった彼女も、こうして話せば普通の女の子だった。
そうして俺たちの間にある種の連帯感が生まれ始めた頃、事態は動き出した。
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