第7話:正しいことを

 セラフィナ=ホワイト――その恵まれたルックスと探索能力を武器に、まだ十代でありながら瞬く間に配信業界のスターダムを駆け上った大人気迷宮配信者。


 チャンネル登録者数は開設から二年足らずで五千万人を超え、スポンサーには三大企業の一角であるマテリア・インダストリー社を中心に特区を支える著名な企業群が名を連ねている。


 彼女が服を着ればそれがトレンドになり、探索装備のレビューをすれば翌日には売り切れる。


 まさに今をときめく迷宮世界の超新星。


「知ってるんだ」

「それは……もちろん……」

「めっちゃ可愛いよね~。お人形さんみたい」


 近くに椅子に座りながら、何気ない世間話のようにセツナが言う。


 何がどうなってるんだ、この状況は……。


 セラフィナは両手足を拘束され、声も出せないようにされている。


 誘拐……どう見ても誘拐だよな、これって……。


 上層住民の彼女をどうやって? 迷宮帰りを狙った?


 でも、このレベルの有名人なら護衛が大勢ついてるはずだろ。


 そんなところを狙って誘拐なんて出来るのか?


 クラクラする頭を押さえながら、何とか状況を理解しようとする。


「こ、これって……ほ、本物……?」

「偽物に見える?」


 首を左右に振って答える。


 ファンとまでは言えないが、何度か配信や動画を見たことはある。


 絹のように艷やかな銀髪に、天使にも例えられる北欧系の美人。


 格好こそ普段着ではあるが、目の前にいるのは紛れもなく本物のセラフィナ=ホワイトだ。


「君の仕事なんだけど、この子をここでしばらく見てて欲しいんだよね。一日か……長くて二、三日くらい」

「それって……か、監視ってこと……? このままの状態で……?」

「ん~……逃げられない自信があるならそこは君の裁量に任せるけど」


 譲歩したような口ぶりだが、彼女をここに監禁すると言っているには違いなかった。


 流石に通報するしかないとデバイスを取り出すが、電波状況は圏外を示している。


 旧港の外れとはいえ、特区内で圏外なんてありえるのか……?


 まさか、妨害電波的な何かが発せられてる……?


 これもこの女の手によるものかと思うと、得体の知れない恐怖が沸き上がってくる。


「んー!! んんー!!」


 セラフィナは言葉にならない叫び声を上げながら、目に涙を浮かばせている。


 多分、助けて欲しいと懇願している。


 普通なら助けるが、この状況は到底普通ではない。


「それじゃ、改めて……君の選択肢は二つ……」


 セツナが指を二本立てて語りかけてくる。


「一つは~……今ここで目にしたものは全部見なかったことにして、あの暴力的なまでに退屈で窮屈で狭量な世界に戻る選択。今日のことをぜーんぶ忘れれば、きっとまた最低最悪な日常に戻れる……はず! 多分!」


 緊張感の欠片もなく、楽しそうに足をパタパタと宙空に泳がせている。


 この状況に至るまでに、自分が為した行為を悪びれる様子は毛ほどもない。


 セラフィナが天使であるならば、この女は間違いなく悪魔だ。


「でも、こっちの選択肢はあんまりおすすめしないかな。だって、戻ったって良いことないでしょ? 無能の三流探索者としてパーティのお荷物扱い……それでもし奇跡的に全部が上手くいっても、精々が惨めな企業の犬止まり。本当は自分が一番分かってるでしょ? 成りたい自分はそれじゃないってさ」


 紡がれる言葉が、まるで正論であるかのように染みてくる。


 悪魔の囁きに耳を傾けてはいけないと思いながらも、その無根拠な心地の良さに浸ってしまう。


「だーかーらー……おすすめはもう一つの方!」


 セツナがゆったりとした歩調で、人質の下へと歩いていく。


 足取り一つを取っても、彼女の行動には迷いというものが微塵もない。


 その手足は、法や倫理という名の鎖に全く縛られていない。


「んー!! んーっ!!」


 何かされると思ったのか、悲痛な叫び声がまた上げられる。


 女はそんなセラフィナの身体を起こし、彼女の両肩に手を置いて声を張り上げた。


「私と一緒に、この退屈な世界をぶっ壊そう!!」


 その言葉にも、この行動にもやはり一切の迷いがない。


 被り物の下で、屈託のない最高の笑顔を浮かべているのが分かった。


 ありえない。


 完全に、完璧に、議論の余地なく、ただの異常者だ。


 こんな女の話に乗れば、行き着く先は破滅以外にありえない。


 水が上から下に流れるより、太陽が東から昇って西に沈むのよりも明らかだ。


 そんなことは分かりきっている。


 分かりきっているはずなのに……。


「ねぇ、どうする?」


 この悪魔の微笑みが、初めて会った瞬間から俺の心を掴んで離してくれない


「もし……俺が断れば……?」


 人生で最大級の緊張感に、ゴクリと唾を飲み込む。


「ん~……私が泣いちゃうかも。ピエン……って」


 手を目元に当てながら、とても本気とは思えないふざけた回答。


 ふざけるなと一蹴するのは簡単だが、こいつがセラフィナを拉致したやばい女なのは紛れもない事実だ。


 加えて、向こうは銃も所持している。


 断って背を向ければ、不要だと判断して後ろから撃たれるかもしれない。


「……分かった。やるよ……やればいいんだろ……」


 冷静に状況を判断して、企みに乗る素振りを見せるしかなかった。


 何より、この状況でセラフィナを残しては行けない。


 彼女を助ける。


 それは俺にしかできないことだ。


「うんうん、素直になってきたねぇ。じゃあ、後は迎えが来るまでこの子のことを見張ってて!」

「迎えって……?」

「んー……それは来れば分かるから。君は言われた通りに引き渡せばそれでオッケー! 理解できた?」

「なんだよ、その適当さ……まあ、分かったけど」


 形ばかりの了承の言葉を返す。


 この状況を見れば、彼女の関係者が迎えに来るという穏当な話ではないのは明らかだ。


 すなわち、そこが救出のタイムリミット。


 俺がやるべきは、それまでになんとかして彼女を逃がすこと。


 明確な目的意識に、ようやく思考が正常に働き始める。


「それより、仕事ってことは報酬はちゃんともらえるんだろうな?」


 怪しまれないように、敢えて企みに乗ったように振る舞う。


 少しずつ調子が上がってきた。


 所詮は地上での出来事。


 迷宮内で怪物を相手にすることに比べたら、全然落ち着いていられる。


「あー、そだね。じゃあ先に少しだけ前金を渡しておこっか……はい!」

「前き――……ッ!?」


 差し出されたものを受け取ろうとして、その正体を認識した瞬間に身体が固まった。


 ドサッという音を立てて、手から零れ落ちた三つの札束が地面に転がる。


「あーもー……落としたらダメじゃん。ほら、ちゃんと受け取って」


 セツナがそれをわざわざ拾って、今度はしっかりと手渡される。


 指先の感触だけで、その三つの束が偽物ではないと分かった。


「後、これも渡しとくね。万が一のために」


 札束を持って固まっている両手の上に、また別の何かが置かれる。


 それは、こいつがさっきチンピラに向かって撃ったのとは別の拳銃だった。


 その二種類の物理的且つ心理的な重みが、俺を一気に現実へと引き戻した。


「ま、万が一って……?」

「そりゃあ万が一は万が一だよ。これを使う状況なんて、少し考えれば分かるでしょ?」


 まるで普遍的なことかのように言われるが、俺にはその状況に心当たりがない。


 人質を脅すため?


 逃げようとした人質の背中を撃つため?


 あるいは敵対する何者かと撃ち合うため?


 どのような場面にしろ、碌な使い道は思い浮かばない。


「さて、これで伝えることは全部伝えたかなー。じゃあ、後は頑張ってね~!」


 バタンと音を立てて、勢いよく扉が閉められる。


 部屋には呆然とする俺と、人質のセラフィナだけが残された。


 こうして軽い好奇心と安い正義感によって、俺の日常は突如として終わりを迎えた。

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