第6話:異常者
野次馬が集まってきて通報されれば、俺まで共犯かと思われかねない。
三級探索者の身分でそうなれば最悪、長期の免許停止処分まであり得る。
それにこいつがどうして俺のことを知っていたのかも、あの言葉の真意も謎なままだ。
熟考の結果、俺は彼女と共にこの場を離れる選択肢を取るしかなかった。
逃げている最中も彼女はまるで映画のヒロインにでもなったかのように、あの無邪気な笑顔を浮かべていた。
そうして長い逃走の果てに連れて来られたのは、下層地区の東端――今は使われていない旧港の一角にある倉庫の中。
「ぜぇ……ぜぇ……一体、何なんだよ……まじで……」
膝に手をつき、肩を大きく上下させながら呼吸を整える。
放棄されて久しいのか、散乱したコンテナは一面がサビだらけになっている。
大きく息をすると、サビの匂いが鼻腔を満たして気分が悪くなった。
「ふぅ……流石にちょっと疲れた~……あっつ~……」
セツナは俺の前で立ち止まり、胸下の薄い布を仰がせて空気を送り込んでいる。
それが目のやり場に困るとか、そんなことを考えてる状況じゃない。
「お前、なんでそんなに呑気なんだ!? 自分が何をやったか分かってんのか!?」
彼女の呑気さに苛立って、感情を爆発させるように声を張り上げた。
「ん~……? 女の敵を駆除する社会貢献活動的なこと? やばっ、女性支援団体に表彰されちゃうかも……!?」
「とぼけるなよ! さっきの銃、迷宮探索用の
更に語勢を強めて、自分が何をしたのか分からせるように言う。
浴びせられた怒声に、セツナはポカンと呆けたような表情を見せる。
それから一呼吸置いて、彼女は俺に向かって――
「それがどうかしたの?」
一切の罪悪感を感じさせないような口ぶりで、そう言った。
「ど、どうかしたのって……」
迷宮法違反を事も無げにしている女に絶句する。
「迷宮法第二十四条違反……重大な違法行為だ! 執行猶予は無しで思想矯正プログラム付きの懲役刑が確定の!」
「ふ~ん……でも、それは私のルールじゃないし」
「この社会のルールだろ! 守るのが当然の!」
そう、それが特区住人の義務だ。
特区への移住権を得る際にも、探索者ライセンスを取る際にも頭に叩き込まれた。
迷宮法こそが、この社会において絶対の規範であると。
しかし、そんな当然の倫理がこの女には案の定通用しなかった。
彼女は呆れるように大きく息を吐くと、俺に向かってまた言葉を紡ぎはじめた。
「法律なんて、どっかの狭量な年寄りどもが作ったつまんないルールには興味無し! 私が聞きたいのは、そういうのじゃないんだよね」
「だ、だったら何が聞きたいんだよ……」
「君の言葉。本当はどう思ったの? さっきのを見てさ」
「俺が? そんなの……平気で法律を破るイカれた女以上のことは思わないだろ、普通は……」
「だからぁ……普通とかじゃなくて君がどう思ったのかを聞いてるんだけど……。それとも本当の自分を知るのが怖いの?」
クスクスと挑発しているような笑い声を上げられる。
「本当の俺って……さっきから何なんだ……。初めて会ったくせに知った風なことを言って……」
「知った風なー……じゃなくて、私には聞こえてるの君の心の声がね」
「心の声……?」
「うん、君のその身体の内側から響いてる。ここから出してくれって叫んでる」
今度はオカルトめいたことを言いだした。
頭のネジが一本や二本抜けているというレベルじゃない。
こんなイカれた女の相手をするべきではないと思いながらも――
「お前、本当に頭がおかしいんじゃないか……?」
なんとか拒絶の言葉を紡ぐのが精一杯の抵抗だった。
「えー……君には聞こえないの? ほら、よく耳を澄まして……ここに集中して、こ・こ・に」
近づいてきたセツナが俺の胸元の辺りを指先で撫でる。
薄い布越しに、柔らかい指の感触と体温が伝わってきて背筋がゾクゾクと震える。
「き、聞こえるわけないだろ……そんなの……」
「もー……素直じゃないなぁ……。心配しなくても私が一滴残らず、ぜ~んぶ絞り出して上げるから……どばーって!」
上目遣いに俺を見る黒い瞳。
見ているだけで吸い込まれて、どこまでも沈んでいくような沼を思わせる。
「一体、何が目的なんだ……?」
ダメだと思いながらも、またそこに一歩踏み込んでしまう。
「とりあえずはそんな大したことじゃないよ。ちょっとした仕事を手伝って欲しいだけ」
セツナが身体を離し、倉庫の中央を挟んで逆側へと歩き始める。
今すぐ通報すべきだが、それを気取られれば逃げられるかもしれない
こんなイカれた奴に素性を知られたまま、逃してしまえば今後どうなるか。
下手をすれば、紗奈の身にまで危険が及ぶかも知れない。
そうならないように、こっちからも向こうの情報を掴んでおくべきだ。
「仕事って……? それが俺のクラスと何か関係あるのか?」
その為には、一旦は向こうの話に興味を持っている振りをするしかない。
「おっ、興味出てきた感じ?」
「別に……ただお前のせいで無駄な時間を食って新しい仕事を探す時間も無くなったし、話を聞くくらいはしてやってもいいかと思っただけだ」
これは、あくまで振りだ。
決して深入りしてはいけないと自分を御す。
「そうこなくっちゃ! じゃあ、これ被って!」
そう言って、セツナはどこからともなく取り出した何かを俺に向かって投げた。
「これって……何だ? 着ぐるみ用の被り物?」
「うん、可愛いでしょ?」
渡されたのは、特区のPRキャラクター“ダンくん”の被り物だった。
モチーフ不明の潰れた饅頭みたいなゆるキャラ。
正直言って、全く可愛いと思わない。
「まさか、着ぐるみでビラ配りでもしろなんて言わないよな……?」
こんな大仰な勧誘をしといて、そんなほのぼのした仕事がありえるか?
怪訝に思いながらも言われた通りに被る。
蒸し暑いし、視界も不明瞭でかなり不快だ……。
「そんで、次はこっちこっち」
不快感が少しでもましになる被り方を模索していると、セツナは軽やかなステップで扉の付いたコンテナに入っていった。
少し躊躇いながらも、その後を追う。
中は安いワンルームマンションのような構造になっていた。
いわゆるコンテナハウスというやつだ。
椅子や机、ベッドなどの最低限の家具。
どこかから電力も引かれているのか、明かりも灯っている。
「おっ、良かった。ちゃんと届いてる」
その中でセツナは、ベッドの上に置かれた大きなバッグに向かって小走りで駆け出した。
いつの間にか彼女も同じように、“ジョーンちゃん”の被り物を被っている。
二人して顔を隠し、出てきたのは人が入りそうな程の大きなバッグ。
……なんだか無性に、嫌な予感がしてきた。
あれを開けられたら、後戻りは出来なくなると直感が告げている。
「ちょっと待っ――」
手を伸ばして制止しようとするが――
「じゃじゃ~ん!」
地獄の釜の蓋は開かれてしまった。
人が入る程の大きなバッグから出てきたのは、本当に人だった。
両手足を拘束され、口には猿轡、耳には音漏れしているヘッドホンが付けられている。
しかし、何よりも俺の目を引き付けたのはそれらではなかった。
室内灯の光で煌めく銀髪と、恐怖に震えながら俺を見上げる顔には見覚えがあった。
「セラフィナ……ホワイト……?」
大人気迷宮配信者セラフィナ=ホワイト。
決して俺の手が届くはずのなかった人物が、これ以上にない無防備な状態で目の前に現れた。
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