第3話:追放

「んん……朝、か……」


 一夜明け、窓から差し込む朝日に瞼が刺激されて目が覚める。


 大きなあくびをして眠気を払いながら、一日のスケジュールを頭の中で確認する。


 まずは朝から昼過ぎまで日雇いの肉体労働。


 昼からは昨日と同じパーティに同行して迷宮探索。


 夕方にもう一度紗奈のところに寄って様子を確認し、その足で夜のバイトを探そう。


 スケジュールを確認し終え、ベッドから起き上がって身支度を整える。


 合成栄養食を胃に放り込み、準備を終えて部屋から外に出ると、空には雲ひとつ無い晴天が広がっていた。


 なんだか今日は良いことがありそうな予感が――


「俺の枠が無いって……どういうことですか?」


 今日はお前の入る枠は無い。


 パーティに合流した俺へと告げられたのは、思いがけない一言だった。


「どうもこうも言葉の通りだよ。今日からはあいつが入ることになった。お前の代わりにな」


 リーダーの田中さんがそう言って、入場ポータル付近で準備をしている人物を指した。


 同じ年齢くらいの、初めて見る顔の男だった。


 向こうも俺の視線に気づくが、一瞬だけ鼻で笑うような素振りを見せて準備に戻る。


「まだ三級だけど、お前と違ってかなり優秀なクラス持ちの将来有望な奴だ。正直、うちに入ってくれたのが奇跡的なくらいにな」

「でも、今月の同行費用はもう支払ってますよね……」

「返せば問題ないだろ。比較されて枠の奪い合いになるのはこの世界の常だ。こっちも仕事でやってるんだし、悪く思うな」

「いや……こっちはその契約を前提に今月の予定も組んでるのに、いきなりそんなこと言われても困るんですけど……」


 自分が役立たずだと思われるのは仕方ないが、契約は契約だ。


 こればかりは流石に黙って受け流すわけにはいかないと、反論を試みる。


 田中さんは俺の顔を見ながら、めんどくさそうに頭を掻く。


「田中さん」


 膠着状態のまま、向こうの出方を待っていると、横から別の声が割り込んできた。


 声の主は、俺の代わりに入るという彼だった。


「お、おお……どうした鳴神。何か困ったことでもあったか?」


 振り返った田中さんが彼に問いかける。


 その声色からも、彼の扱いが俺に対するそれとは根本的に違うのが伝わってきた。


「彼の言い分も尤もですし、いきなり追い出すってのは少し乱暴なんじゃないですか?」


 意外にも鳴神と呼ばれた彼は、俺を庇う立場に付いてくれた。


「いや、でも……三級を二人連れてってのはなぁ……」

「まあまあ、ほら……さっき言ってたじゃないですか、あれをどうするかって……だから……」

「ああ……なるほど、そういうことか……」


 二人の間で、俺には聞こえない囁き声が何度か交わされる。


 会話を終えた田中さんが、再び俺の方に振り返る。


「しかたねぇな……鳴神がどうしてもって言うからお前も連れてってやるよ。ただし、絶対に足は引っ張るなよ。俺の言うことには従うこと。いいな?」

「は、はい! ありがとうございます!」

「じゃあ、さっさと準備をしろ。遅れたら置いていくからな」


 田中さんは吐き捨てるようにそう言うと、自身の準備に戻っていった。


「君も……その、ありがとう。俺のためにわざわざ」

「いや、このくらい大したことじゃないから礼なんて要らないよ。年も近そうだし、一緒に居てくれた方が気楽に出来そうだって思っただけだから。じゃ、また後で」


 窮地を救ってくれた鳴神にも礼を言うが、彼もそう言い残して元の場所に戻っていく。


 振り返る直前に彼の口元が微かに笑っているように見えたが、多分気のせいだろう。



 *****



 その日の探索は、普段とは違うルートを通って行われた。


 探索者として日の浅い鳴神がいるからか、それとも何か別の判断があるのか。


 どちらにせよ、情けでパーティに入れてもらっている俺がその意図を伺うことはできない。


 慣れない地形と魔物に悪戦苦闘しながらも、足手まとい扱いされないように食らいついていく。


 俺より素質があると言う鳴神は、今のところはまだその片鱗も見せていない。


 優秀なクラス持ちだと言っていたが、それを他の誰かに知られたくないように、メンバーたちは彼を過保護に扱っている。


 鳴神は自分に対するそんな扱いを当然というように、気怠げに最後尾を歩いている。


 それでも誰も彼を咎めはしない。


 初日にして彼は既に、このパーティのヒエラルキーの頂点に立っていた。


「……しっ、止まれ」


 昨日と同じように、通路の端に達した田中さんが後方の俺たちを制止させる。


「ワーグの巣だ……」


 先の空間には、魔犬種の魔物が群れをなして居座っていた。


 その数は六匹以上で、中には赤いオーラを纏った優生種エリートの個体もいる。


 向こうはまだ俺たちの存在に気づいていないが、先に進もうとすれば間違いなく戦闘になる。


「かなり多いぞ。迂回するか……?」

「いや、このまま行く。エリートとはいえ所詮は一層の魔物だ。次を目指すならそろそろ逃げてばっかりってわけにもいかないだろ」


 リーダーの判断に、全員が武器を取る。


「3-1-2の陣形で行くぞ。玄野、お前は俺と佐藤と一緒に前衛だ。鈴木は中衛、後衛は山田と……鳴神だ」

「は、はい!」

「カウントがゼロになったら行くぞ。前衛の俺たちが出来るだけ目立って敵を引きつける」


 間違いなく、この戦闘が今日の大一番になる。


 武器を握る手にも力が入る。


 ここで足を引っ張れば、今度こそ追い出されるかもしれない。


 紗奈のためにも絶対にそれだけは避けないと……。


 三、二……。


 田中さんが指でカウントを始めた。


 漲る熱量が身体を前のめりにさせる。


 緊張からか、鼓動の音がやたらうるさい。


 一……。


 それでも心は冷静に、自分が取るべき行動を考える。


 俺の役目は囮……俺の役目は囮……。


 ゼロ……!


 武器を手に、空間の中央へと躍り出る。


「うおおおおおおお…………えっ?」


 魔物の群れの視線が、俺に一点集中する。


 俺だけに。


 左右にパーティメンバーの姿は無い。


 勢い余って突出しすぎたのかと慌てて後方を確認すると――


 後衛陣だけでなく、同時に躍り出るはずだったはずの二人もまだ通路に残っていた。


 ニヤニヤと嘲笑うような笑みを浮かべて、俺を見ている。


 俺の役目は囮。


 頭の中で自分を取るべき行動が反芻されたのと同時に、体側に強烈な衝撃が走った。


「がはっ!!」


 赤いオーラを纏ったワーグの突進を側面からモロに喰らう。


 ギシギシと全身の骨が軋む嫌な音が、身体の内側から鼓膜を揺らす。


 シールドユニットの保護膜によって身体への直接的なダメージは軽減されるが、吸収しきれなかった力だけで壁際まで吹き飛ばされる。


 自分がハメられた事が、一瞬にして頭から抜け落ちる程の衝撃。


「な、なんで……う、うわあああああッ!!」


 なんとか立て直そうとするが、ワーグの群れが次から次へと襲いかかってくる。


 ここまで温存してきたシールドの残量が瞬く間に減少していく。


 足に噛みつかれ、地面に引き倒される。


 背中から強かに打ち付けられ、視界が白く明転する。


「ひっ……や、やめ……」


 他の個体よりも一回り大きな優生種のワーグが、倒れたまま動けない俺に向かって飛びかかってくる。


 逃げ出そうと身体を捩らせるが、蓄積したダメージで上手く動かない。


 死ぬ……死ぬのか、こんなところで……紗奈を置いて……。


 ――――――ッッ!!


 恐ろしい咆哮と共に、鋭利な牙が迫る。


 避けようのない脅威に対し、反射的に目を瞑ろうとした瞬間だった。


 閃光が奔り、一拍遅れて空間を引き裂くような雷鳴が鳴り響いた。


「ぐあああっ!!」


 俺に噛みつこうとしていたワーグが全身を痙攣させ、その残滓のような痺れが俺の身体も襲う。


 筋肉が痙攣し、引き裂かれるような苦痛が全身を襲う。


 周囲からは幾重にもなった獣の悲鳴。


 しばらく経って痺れが弱まるのと同時に、身体を抑えつけられていた圧力も消える。


 プスプスと白い煙を上げながら、眼前のワーグの身体が地面に倒れた。


 一瞬にして静寂になった空間に、一人分の足音が響く。


 それは何事もなかったかのような歩調で、俺の方に近づいてくる。


「お疲れ、囮くん。なかなか良い仕事だったよ」


 仰向けに倒れている俺の顔を覗き込むように、鳴神の顔が現れる。


 その言葉と表情で、今の一連の出来事がこいつによるものだと理解した。


 そして、こいつらは最初からこうするつもりで俺を同行させたのだということも。


「お、お前……ら……最初っから……」

「当然。そうじゃなきゃお前みたいな役立たずを連れて来るわけないだろ」

「ふざ……け……」

「なにキレてんだよ。むしろ役立たずを多少は役に立つ方法で有効活用してやったんだから、感謝して欲しいくらいだってのに」


 シールドの限界値までのダメージに加えて、間接的とはいえ雷撃を受けた。


 身体を起こして食ってかかろうとするが、ピクリとも動かない。


「田中さん、こいつどうします?」

「放っとけ。一帯の魔物はいなくなったし、勝手に脱出するだろ。ほらよ、玄野。手切れ金代わりにこいつはくれてやるよ」


 魔物から回収された遺物が地面に投げられる。


「じゃあな、カス野郎。才能も無いんだからこれに懲りたら二度と顔を見せるなよ」


 鳴神の顔が視界から消え、洞窟の天井が現れる。


 大きな笑い声が遠くに消えていくのを聞きながら、俺はただ悔しさを噛み殺すしかできなかった。

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