第2話:格差社会

 迷宮から脱出し、長い一日の終わりに最後の目的地へと向かう電車に揺られる。


 この世界に迷宮が出現してから今年で四十年。


 当初は人類に大きな混乱を与えた迷宮も、今や世界という大系に取り込まれた。


 大迷宮の出現地である東京を中心とした一帯は国際迷宮特区として再整備され、区内では迷宮法が絶対の規律として運用されている。


 表向きは、進歩的な技術と大勢の探索者を中心とした華々しい世界。


 だが、その裏にあるのは階級制度と法によって作られた徹底的な格差社会。


 迷宮への入場には二級以上の探索者ライセンスが必要で、取得には大金が必要になる。


 最も下の三級ライセンスしか持たない俺のような人間が入場するには、上位ライセンス持ちに同行するしかない。


 しかし、その枠は限られていて競争は苛烈を極める。


 大半が俺のように、わざわざ金を払ってパーティに参加させてもらっている。


 それらを乗り越えて迷宮に入れば、今度は装備の総出力から算出される『ギアスコア』によって階級分けがされる。


 低スコアの探索者は迷宮法によって行動範囲を大きく制限され、高ければ高いほど深部での活動も許される。


 例え二級以上のライセンス持ちであっても、低スコアの探索者は低層周回者として蔑まれる。


 一方で深層に踏み込める実力者はより良い装備を得て、その格差は更に開く。


 そんな階級制は迷宮の中だけに留まらない。


 特区では迷宮法に基づいた住民点によって、利用可能エリアも厳しく制限されている。


 俺のような特区に来て間もない底辺住民は、外周部の下層地区から一歩も出られない。


 窓の外には、そんな格差を物理的に表している各層を区分けする巨大な壁。


 その更に向こう側には、天高くそびえ立つ上層地区の摩天楼群が特区を睥睨するようにそびえ立っている。


 まるで、建物にすら見下されているような心地だ。


「おい、見ろよ。今日は三層の高原エリアの探索だって。すっげーな」


 対面の窓から景色を眺めていると、隣に座っている二人組の会話が聞こえてきた。


 男二人で一つの携帯デバイスの画面に齧り付いている。


『今から三層の高原地帯に、グリフォンを倒しに行きまーす! そして、今日は完品の固有遺物が出れば……なんと! スポンサー企業所属の凄腕エンジニアさんが、その場でオーグメントに加工して私の装備に組み込んでくれるそうです! だから、めっちゃ張り切ってます! 絶対出すから見ててね! あっ、マルビタさん! 金スパチャありがとうございます! 『セラ、今日も可愛い! 愛してる!』 私も愛してるよー! さあ、今日もがんばっていくぞー!』


 聞き耳を立てるつもりはなくても、音漏れしてくる声で何を見ているのかは分かった。


 登録者五千万人超えの人気迷宮配信者、セラフィナ=ホワイトの迷宮探索配信だと。


「はぁ……まじでかわいいよなぁ……。どうにしかして知り合えねぇかな……」

「無理に決まってんだろ。向こうは十八歳にして企業スポンサー付きで潜ってる上級探索者。上層地区住まいの天上人だぞ」

「企業……やっぱ、企業の偉いオッサンにエロい接待とかもしてんのかな……」

「かもな。迷宮配信者って許可申請を通すだけでも狭き門で、成ってからも競争が激しいし、生き抜くためにはなんだってするだろ」

「あー……羨ましすぎる……。俺も大企業所属のエリート探索者になって、こんな可愛い子と一緒に迷宮に潜りてぇ……」


 隣の男がだらんと脱力して、デバイスが膝の上に置かれる。


 画面の中では可憐な銀髪の美少女が、見たこともない場所で、見たこともない怪鳥と戦っていた。


 象徴的なミリタリージャケットに身を包み、手にしているのは市場に出回っている最高級の装備品を彼女に合わせてカスタムした物。


 周囲にはスポンサー企業所属の探索者たちが、サポートメンバーとして付いている。


 今日見かけた迷宮高専の生徒ですら、俺からすれば遥か上の存在だった。


 その更に上が存在するなんて、正直言って想像すら出来ない。


 画面の中の光景は、とても自分のいる場所と地続きにあるとは思えなかった。


「あっ、そうだ。セラとは別にめっちゃ可愛い配信者の子も見つけたんだよな。こっちはまだ新参で登録者も多くないし、もしかしたらワンチャンあったりしねーかな?」

「その現実の見えてなさはノーチャンだろ……」


 二人が別の配信者の話題に切り替えたところで、電車が目的地へと到着した。


 開いたドアを通って、乗車客と降車客のほとんどいないホームに降りる。


『MHB-709は最新の流動エーテル技術を利用した第七世代高周波ブレードです』


 構内を歩いていると、壁面の巨大モニターに三大企業の一角である『ムゲンテック社』の映像広告が流れていた。


『対魔物の優れた斬撃能力だけでなく、耐久性やメンテナンス性にも優れ、当社所属の探索者のみならず多くの上級探索者の方々にご愛用頂いております』


 映像の中では、著名な探索者が広告の製品を片手に魔物の群れを快刀乱麻で斬り倒している。


 こんな最新装備があれば俺も足手まといでなくなるんだろうかと考えるが、直後に表示された値段を見て夢想は儚くも散った。


「5000万って……」


 探索用装備はどれも高額だが、三大企業製の最新型はその中でも飛び抜けている。


 安物の中古装備でなんとか間に合わせている三流の稼ぎでは、ローンも組めない。


「特区の外なら立派な家が建つ金額じゃないか……」


 そんな広告を下層で流すなと心の中で毒づくが、こうして下層住民に夢を見せることでこの社会は成り立っているのだろうと納得した。


 その場から逃げ出すように改札を出て、駅から道路を挟んで向かいの総合病院に入る。


 ずっと修理中で使えないエレベーターを横目に階段を登り、病室の扉を開く。


紗奈さな、起きてるか?」


 呼びかけると、ベッドの上で本を読んでいた妹の紗奈が顔を上げた。


「あっ、お兄ちゃん!」


 俺の顔を見た紗奈が、嬉しそうに笑顔を浮かべる。


「調子はどうだ? しんどくないか?」

「うん、今日は元気。ご飯も全部食べられて、看護婦さんにも褒められたし」

「そうか、なら良かった。ほら、お土産も買ってきたぞ」


 途中で買ってきたプリンの紙袋を渡し、ベッドの横に備えられた椅子に座る。


「わぁ……ありがとう! お兄ちゃんは今日も迷宮に行ってきたの?」

「もちろん。いっぱい稼いで、お前が退院した時には盛大なお祝いもしないといけないしな」

「それは嬉しいけど、あんまり無茶はしないでね……? もし、お兄ちゃんまで居なくなったら私……」


 両親を失った時のことを思い出したのか、紗奈が悲しげな表情で俯く。


「そんなに心配しなくても大丈夫だって、今は昔と違って安全な探索法が出来てるから怪我することもほとんどないくらいなんだぞ。ましてやいなくなったりなんて絶対にしない」

「ほんとに?」

「ああ、ずっと一緒にいる。当たり前だろ」


 それだけは決して違えない約束だと紗奈の手を握る。


 以前よりも、また一段とやせ細っている……。


 少し強く握っただけで折れてしまいそうなか弱さが、その身体に残された寿命を否応なしに突きつけてくる。


 そんなことを考えていた矢先に、紗奈が急に咳き込み始めた。


「さ、紗奈!? 大丈夫か!?」

「ごほっ! だい、じょぶ……ごほっ! ごほっ! このくらいの、発作は……いつも……ごほっ!」

「全然大丈夫じゃないだろ! 今、看護師の人を呼ぶから待ってろ!」


 手を握ったまま、ナースコールを何度も押す。


 すぐに担当の看護師がやってきて、緊急の処置が行われていく。


 その間も俺は、ずっと紗奈の手を握って祈り続けた。


 どうか、もう俺から家族を奪わないでくれと。


 駆けつけてきた医師による処置は数十分かけて行われ、最終的には投薬によってなんとか容態は落ち着いた。


 その後も面会終了の時間までずっと側に付き添い、帰り際にまた明日も来ると告げた。


 病院から出た足で、そのまま自宅へと向かう。


 紗奈が十一歳の時に原因不明の奇病を発症してから、もう二年が経つ。


 国中の医者に見てもらったが、原因は分からないと皆が匙を投げた。


 対症療法で生き長らえさせることは出来るが、保って数年の命だと。


 それでも残されたただ一人の家族の命を、簡単には諦められるはずがない。


 迷宮由来技術による高度医療ならと、両親の遺産を使って特区在住権を得た。


 若い俺が身一つで大金を稼ぐには探索者になるしかないと、血の汗を流して仕事と勉強に励んで三級探索者のライセンスも取得した。


 しかし、どれだけ努力を重ねても俺に出来たのはそこまでだった。


 より多く稼ぐために必要な二級ライセンスを得るには、さらなる大金か才能が必要になる。


 未だにクラスを発現すらできていない者には、どちらも到底手が届かない。


 外から来た何者でもない俺が得られたのは、この街並みだけ。


 歩道は整備もままならずに、タイルは剥がれ放題。


 立ち並ぶ集合住宅は壁面の至るところに亀裂が走り、ネオンライトが照らすいかがわしい店々には顔に生気のない者たちがたむろしている。


 こんな下層の病院では、考えていたような最先端の治療は受けられない。


 ここを脱出し、紗奈により良い医療を受けさせるには更に途方もない大金が必要になる。


「なのに、今日の成果は……これっぽっちか……」


 鞄の中から、今日の探索で得た迷宮遺物を取り出して肩を落とす。


 最低級汎用遺物の欠片が4つ。


 現金化しても、半分以上が税金で取られて入院費を含んだ一日分の支出にも届かない。


 もっと仕事を増やして、一度でも多く迷宮に潜れる回数を増やさないと……。


 紗奈のためなら、自分の身体が少し壊れるくらいは些末なことだ。


 まずは兎にも角にも金をためて二級ライセンスの取得。


 それさえ取得して単独入場権を得れば、収入は大きく増える。


 稼げる額が増えれば、紗奈の側にいてやれる時間も作れる。


 そう考えながら自宅への道を歩いていると、前方から言い争う声が聞こえてきた。


「なあ、オッサン。いいから出せって言ってんだろ?」

「そうそう、俺らまじで金に困ってんだよ。超貧困者。だから弱者救済のボランティアだと思ってさ」

「ほ、本当に許してください……お願いします……」


 見るからにガラの悪そうな二人組の男が、気弱そうな中年に絡んでいた。


「そんなビビんなくても大丈夫だって、ちょっと借りるだけだから」

「お願いします……お願いします……どうか勘弁してください……。これで明日、娘の学費を払わないといけないんです……」

「うるせぇ! んなこと知るか! さっさと出せっつってんだろ!」


 ボロボロの鞄を大事そうに抱えながら怯えきっている中年男性。


 縮こまっているのを勘案しても、身体は男たちより一回り以上は小さい。


 どう懇願しても、どう抵抗しても、最終的には有り金を差し出す選択肢以外は見えない。


 この近辺に済んでいれば週に何度も目撃する珍しくもない光景。


 下層地域だけを取っても、強者が思うがままに弱者を抑圧する構造は何も変わらない。


 ……本当に、うんざりする世界だ。

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