迷宮世界のロウブレイカー ~秩序を破壊する【無法】の力を覚醒させた探索者は法に縛られたダンジョンを裏から攻略する~

新人

第一章:人気迷宮配信者誘拐事件

第1話:ダンジョンのある世界

 登録者五千万人越えの人気迷宮配信者セラフィナ=ホワイトが今、俺の目の前にいる。


 絹のように艷やかな銀髪に、平原に薄く積もった新雪を思わせる白い肌。


 顔なんて同じ人間かと思うくらいに小さいし、神様が作ったかのように整っている。


 生の彼女をこの距離で見たなんて言えば、明日は職場で話題の中心になれる。


 一緒に写真を撮ってもらったり、握手してもらえば一生の記念だ。


 さて、超有名人を相手にどうやってそこまで漕ぎつけようか……と浮かれるのが普通。


 ここが旧港の放棄された倉庫の中で、彼女の両手足が縛られていなければ……。


「んー!! んんー!!」


 言葉にならない叫び声を猿轡さるぐつわ越しに上げながら、目に涙を浮かばせている。


 多分、助けて欲しいと懇願している。


 普通なら助けるが、この状況は到底普通ではない。


「それじゃ、改めて……」


 彼女の後ろから声が響く。


 俺をここまで連れてきて、この状況を生み出した女の声。


 セラフィナのうめき声をかき消して、耳の奥底まで届く。


「君の選択肢は二つ……」


 奴が俺に向かって指を二本立てる。


 頭には奇妙なキャラクターの被り物を被っているが、隙間からはみ出ている特徴的な髪の色がその素性を隠そうともしていない。


「一つは~……今ここで目にしたものは全部見なかったことにして、あの暴力的なまでに退屈で窮屈で狭量な世界に戻る選択。今日のことをぜーんぶ忘れれば、きっとまた最低最悪な日常に戻れる……はず! 多分!」


 緊張感の欠片もなく、楽しそうに足をパタパタと宙空に泳がせている。


 この状況に至るまでに、自分が為した行為を悪びれる様子は毛ほどもない。


 セラフィナが天使であるならば、この女は間違いなく悪魔だ。


「でも、こっちの選択肢はあんまりおすすめしないかなー。だって、戻ったって良いことないでしょ? 奇跡的に全部が上手くいっても、精々が惨めな企業の犬。でも本当は自分が一番分かってるでしょ? 成りたい自分はそれじゃないってさ」


 女の口から紡がれる言葉が、まるで正論であるかのように染みてくる。


 悪魔の囁きに耳を傾けてはいけないと思いながらも、その無根拠な心地の良さに浸ってしまう。


「だーかーらー……おすすめはもう一つの選択肢!」


 女がゆったりとした歩調で、人質の下へと歩いていく。


 足取り一つを取っても、彼女の行動には迷いというものが微塵もない。


 その手足は、法や倫理という名の鎖に全く縛られていない。


「んー!! んーっ!!」


 何かされると思ったのか、悲痛な叫び声がまた上げられる。


 女はそんなセラフィナの身体を起こし、彼女の両肩に手を置いて声を張り上げた。


「私と一緒に、この退屈な世界をぶっ壊そう!!」


 その言葉にも、この行動にもやはり一切の迷いがない。


 被り物の下で、屈託のない最高の笑顔を浮かべているのが分かる。


 ありえない。


 完全に、完璧に、議論の余地なく、ただの異常者だ。


 こんな女の話に乗れば、行き着く先は破滅以外にありえない。


 水が上から下に流れるより、太陽が東から昇って西に沈むのよりも明らかだ。


 そんなことは分かりきっている。


 分かりきっているはずなのに……。


「ねぇ、どうする?」


 この悪魔の微笑みが、初めて会った瞬間から俺の心を掴んで離してくれない。



 *****



 ――二十四時間前。


 ずっと、どうしようもない閉塞感を覚えている。


「……ろの……」


 全身を鎖で雁字搦めにされて、閉所に押し込められているような感覚。


 その正体が何なのかは知ってる。


 知っているが、正面から向き合うことはしない。


 それは俺が一人で抗うには途方もなく強大で、完成されすぎているから。


「くろ……きと……」


 多分、皆が同じような心地を抱きながらもそれを受け入れている。


 一つ、また一つと現実になし得ないものは順番に諦めていく。


 そうやって、かつて抱いていた幻想にけりをつけて先の人生を進んでいくんだろう。


 でも、そう思いながらも心の何処かでは今の場所から連れ出してくれる存在を――


「おい、玄野暁都くろのあきと! 聞いてるのか!?」

「え……? は、はい!」


 自分の名前が呼ばれていたことに気づいて、我に返る。


「迷宮の中でぼーっとするな! このグズが! 死にたいのか!?」


 隣を歩いていたパーティリーダーの田中さんに怒鳴られる。


「す、すいません!」


 抗弁の余地もない正論に、ただただ平謝りする。


 疲れた頭を起こして、改めて自分の置かれている状況を思い出す。


 ここは東京大迷宮第一層『黎明の洞窟』の下級領域。


 俺は三級探索者として、二級探索者たちのパーティに同行している最中だった。


「ったく……これだからヒヨッコのお守りは嫌なんだよ……」


 吐き捨てるようにそう言うと、彼は再び前方に目を向けて進み始めた。


 その後に付いて、名前の通りに薄紫の明かりに照らされた洞窟を行軍していく。


 俺のような低スコアの見習いを連れた探索には、進入可能領域と探索可能時間に制限が付く。


 それを僅かでも超えれば、迷宮法違反で三ヶ月の免許停止処分を食らう。


 入場してから既に四時間近くが経過している。


 おそらく次のエリアの探索を終えたら帰還になるだろう。


「……待て、この先に魔物がいる」


 先頭を進んでいたリーダーが振り返って言う。


 進行方向の先、開けた空間に六匹の巨大な鼠の魔物が群れを為していた。


 こちらにはまだ気づいていない。


 今なら先手を取れる。


「よし、武器を取れ。戦闘だ」


 その言葉に応じて、五万円で買った製造元不明の棍棒を構える。


 シールドユニットの残量は少ない。


 これ以上攻撃を受ければ、生身に被害を受ける可能性がある。


 一瞬たりとも気は抜けない。


 リーダーが指で突入までの時間をカウントダウンする。


 3、2、1……いざ、戦闘開始!


 ……と意気込んだのも束の間。


 突入しようとした俺たちの目先で、巨大な火球が炸裂した。


「どわあっ!!!」


 凄まじい熱気と爆風、閃光に襲われる。


 その衝撃に後方へと吹き飛ばされ、背中から地面へと強かに叩きつけられた。


 意識が飛んでしまいそうなくらいの痛みが走る。


「いってぇ……」


 数秒経って、ようやく爆風が収まる。


 打ち付けた背中を擦りながら上半身を起こす。


 目の前では、炸裂した火球の直撃を受けた魔物の群れが消し炭になっていた。


「ちっ……先客がいたか……。しかも、学生かよ……」


 頭上からリーダーの口惜しそうな声が聞こえる。


 その視線の先には白を基調とした制服を着た学生の一団がいた。


 剣と盾を組み合わせた肩章に、俺たちのとは比較にならない高品質の装備ギア


 そして何よりも、今しがた目の当たりにした凄まじい威力の火炎操作能力パイロキネシス


 彼らがエリート探索者候補生――迷宮高専の生徒だと一目で分かった。


「ぷっ……何だあれ、だっさ……同じ探索者でも、絶対にああはなりたくねーな」

「動画撮っとこ。タイトルは二十一世紀最大のヘボ探索者」

「てか、あれ下層民でしょ? 同じ空気吸いたくないからさっさと行こーよ」


 彼らが口々に嘲る言葉を述べていく。


 その視線に先には、無様にも尻餅をついている自分がいる。


「おい、いつまで座ってんだ。さっさと立て、このマヌケ」


 リーダーが頭上から俺に向かって言う。


 心配しているのではなく、こんな奴と同程度の探索者だと思われたくない口ぶり。


 悔しさや恥ずかしさと言った感情が、一気に込み上げてくる。


「す、すいません……」


 それでも俺は文句を言う立場にない。


 学生に先を越されたのも、ここまでに俺が足を引っ張ったからだと言われれば反論できない。


 武器としての役目を果たせなかった棍棒を、杖代わりにして立ち上がる。


 そのまま泥だらけの手をズボンで拭こうとした時――


「あの……大丈夫ですか?」


 横から知らない声が聞こえてきた。


「これ、良かったら使ってください」


 振り返ると、俺に向かって花柄のハンカチを差し出している女性の姿があった。


 丸々とした大きな目に、少しウェーブがかった茶髪の育ちの良さそうな女の子。


 比較的小さな身体は、さっき俺を嘲った学生たちと同じ種類の制服に包まれている。


「えっ……?」

「えっと、その……私たちのせいで転んでしまったみたいなんで……。良かったらこれで拭いてください」


 心から申し訳なさそうにしながら、ハンカチを更に近づけてくる。


「あ、ありがとう……」


 どうしたらいいのか分からずに、とりあえずハンカチを受け取る。


「いえいえ、どういたしまして」


 そう言って朗らかに笑う彼女の向こう側では、同じ制服の学生たちが『何やってんだ、あいつは』とでも言いたげな目でこっちを見ている。


「おい、真宵まよい! そんなグズに構ってないでさっさと行くぞ!」


 その中の一人、リーダー格らしき男子学生が思っていた通りの言葉を叫んだ。


 手のひらに残火が揺らめいているのを見ると、さっきの火球は彼が放ったらしい。


炎術師パイロマンサー


 迷宮出現後に人類が得たクラスと呼ばれる超常の異能特性。


 その中でも元素術師系と呼ばれる希少且つ強力な一つだ。


 羨ましいな……と、つい羨望の眼差しを向けてしまう。


「ご、ごめんなさい! 今、戻ります!」


 女の子が振り返って、そのまま仲間たちの方へと向かって駆け出す。


「あっ、ハンカチ……!」


 彼女のハンカチが、まだ自分の手にあることに気づいて呼び止めようとする。


「そんなに高い物じゃないので大丈夫です!」


 彼女は振り返りながら笑顔でそう言って、仲間と合流して迷宮の奥へと向かっていった。


「迷宮高専にもあんな優しい子がいるんだ……いてっ!!」


 彼女が去って行った方向をぼーっと見ていると、頭部に強烈な痛みが走った。


「無能の分際で何を女に見惚れてぼけっとしてんだ! さっさと帰るぞ!」


 リーダーが俺の頭を殴った武器で手を叩きながら言う。


「す、すいません……」


 流石に理不尽な暴力じゃないかと思いながらも、やはり文句は言い返せなかった。


 エリート探索者候補生に見下される低層周回の下級探索者パーティ。


 その中でも上位ライセンスを持たずに、単独入場すら出来ない三級探索者。


 そして、未だにクラスを発現させられていない落ちこぼれの無能力者。


 この迷宮世界で最底辺に位置するのが俺だからだ。

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