第五十二話◆美琴◆

 私は、海沿いの堤防の上を一人で歩いている。海の波は穏やかだったけれど、空はどんよりと曇っていた。

 私は黒のトレンチコートを羽織り、その下にはグレーのUネックのニットソー。紺のデニムパンツにパンプスという格好だった。厚着をしているので、季節は冬なのかと思ったけれど、暑くもなければ寒くもない。どちらも感じない気候こそちょうど良い。


 そもそも、そこには季節の感覚が存在していなかった。けれど、私に向かって吹きつける海風は、私を心地よい気分にしてくれる。不思議なことに、鼻孔をくすぐる塩っ気のある匂いも、今は爽やかに感じられた。

 辺りは明るい。雲の向こう側には、さんさんと光り輝く太陽がきっといる。

 ・・・と言うことは、この世界の人達は、今頃夢の中なのかな。


 当てもなく歩いているつもりだったけれど、視界の彼方に海に向かって突き出している部分があって、私はそこに向かって歩いているらしい。自分の意志と関係なく、私の身体はそこを目指していた。

  本当は逆なのだと思うけど、心に決めてその場所に向かっているのではなくて、そこに向かっているという事実が先にあって、後から心のほうもそれを受け入れていく。そんなヘンテコな状態だった。



 突き出した部分に近づくにつれ、何かが宙に浮かんでいるのが見えてきた。


「家だ」


 二階建ての一軒家が、突き出しの先端で宙に浮かんでいる。どこにでもありそな、ごく一般的な日本の二階建て家屋だった。地面から一メートルくらいの高さで宙に浮かんでいた。

 僅かではあるが、静かにそしてゆっくりと上下に揺れている。私はその家まで歩いていく。近くでよく見ると、庭ごと宙に浮いているので、私はよじ登って玄関まで歩みを進める。

 


 誰の家だろう? 玄関の前で立ち止まって、この家の表札を探す。

「・・・あった」



 笠原と書いてあった。どうやら、笠原さんという人のお家らしい。

 身に覚えのない名字だった。

 少なくとも私の知り合いに笠原という人は居ない。私は玄関扉の取ってに手を伸したところで立ち止まる。ここはよその人のお宅なのだ。躊躇ためらう気持ちと入ってみたいという好奇心とが、心の中で渦巻いていた。


「でもやっぱ勝手に入っちゃマズイよな〜・・・」


 独り言をぼそぼそと呟きながら、私は腕を組む。しばしの逡巡の後、取ってを引くことに決めた。

 だってそのためにここまで歩いてきたのだから。



 玄関を開けると、そこにはいきなり部屋があった。玄関からリビングへの扉が続いている訳でもなく、誰かの部屋みたい。

 白と薄い黄色をベースとした壁のクロス。レースのカーテン。クローゼット。勉強机とベッド。ベッドの上にはクマのぬいぐるみが体操座りをしている。壁にはアンティーク調の大きなまん丸時計が掛けてあり、その近くのポールハンガーにはセーラー服が掛けてあった。


 私はあらためて部屋の中を見渡してみる。 


 机の上には可愛いペンケースが置かれていた。そのペンケースとは対照的に、重そうで無機質な本も何冊か置いてある。教科書や何かの参考書みたいだった。

 どうやらこの部屋の住人は、中学生か高校生の女の子のような気がする。

 

 「いや、高校生の女の子だ。あたしの一コか二コ下くらいの」

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