第三十五話◆美琴◆

 第二世界。それは昼夜が逆転した世界。

 人々はお昼に寝て、夜に活動する世界。

どういう訳か、私はこのアンラベリング不可能な世界に迷い込んでしまった一人の人間であるらしい。

 

 人々は世界の異変に気付くことなく、今まで通りの生活を送っていた。眠りから目覚めると、ご飯を食べて、歯を磨いて、学校または仕事場に赴いてそれぞれの役目を勤め、その日にすべきことを終えると、帰宅してご飯を食べたりお風呂に入ったりして、そして歯を磨いて、眠る。


 目覚める時間が、朝から夕方にシフトしたに過ぎない。そう割り切ってしまえば楽なのかも知れないけれども、やがて奇妙な感覚の波が押し寄せ、昼夜逆転の現実を受け入れることを阻むのだった。

 

 私は携帯を操作し、音楽アプリを立ち上げた。

 ここは今、夜の満員電車の中だ。帰宅のために混雑しているのではなく、通勤・通学のために電車が混雑している。


 イヤホンをつなぎ(古典的かも知れないけれど、私はいまだに有線のイヤホンを愛用している。重低音が響くのと、線の色が真っ赤なのが気に入っている)、両耳にはめると『予感』の演奏が始まった。

 この曲は、元々はロックだった歌をピアノで演奏したものだ。原曲はテンポが速くて、勢いのあるナンバーだが、ピアノで弾いてみると何とも穏やかでしっとりとした曲調へと変化する。ピアノの魅力にはつくづく驚かされるばかりだ。



 私はこのピアノ版『予感』を聴くと、小さい頃を思い出す。小学生の頃、それも低学年だ。

 二十分以上もある業間休みには、男の子も女の子も皆一緒になって、校庭でよくドッジボールをしていたものだった。

 

 ・・・あれ? ふと、私は思った。暗闇の中でドッジボールをしていて、よくボールを目で追うことができたな、と。

 些細な疑問ではあったけれど、解せない点があるのも事実だった。

 


 音大のある最寄の駅に着くと、私はとあるコーヒーショップに入った。店内はゆったりとした広い空間となっていて、全席ソファ席となっている。段差のある造りが特徴で、最上段の席からは、店内全体を見渡すことができた。

 友達とお喋りをするにはうってつけのお店と言えた。事実、麗華と伊織とは一週間に一回以上は利用させてもらっている。

 

 私はアイスカフェオレを注文すると、店の中段にあるソファ席に腰を落ち着けた。授業開始まで、あと一時間以上はある。麗華と伊織の二人は、まだ来ていないようだった。



 私の背後、つまり上段の席から、男の子達の話し声が聞こえてくる。

 人数は二人・・・、かな。声の感じから、同年代の男の子であるような気がした。同じ音大の学生かも知れない。

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