第三十四話◇琴美◇
「・・・」
「ご、ごめんさない。突然変なことを申し上げてしまいました」
「いえ・・・」
やや間があってから、ところで、と目の前の彼は更に続けた。
「ぼ、僕が今日お話しした『引き金』について、何かお心当たりはありませんか?」
しばらく思案したが、
「・・・ありません。少なくとも、すぐに思いつくものは」
と答えておいた。
「その方の文面の内容は、具体性を欠いています。『引き金』というものが何を指をているのか、定かではありません。あなたのお話を伺った事により、何かが引き起こされるのでしょうか?現時点では、見当がつきません」
それに。
「あなたが、その方と交際を始められた七年前、あたしはまだ大学生でした」
何年生だったかはもう覚えていない。
「そ、そうでしたか・・・」
彼は俯きながら苦笑いを浮かべた。
ところが私は、奇妙な感覚に包まれている事を自覚した。以上のように回答したものの、もしかすると、その女性は本当に私自身なのではないのかという気もし始めていた。全く理屈に合わないけれど。
「あたしは、言動よりも行動で人間性を観るタイプの人間です。あなたは、かつて交際されていたその女性との約束を果たすために行動され、勇気を出してお話して下さったと思っています。お聞きした内容に、嘘偽りはないものと確信しました」
一方、あたしが身を置くIT業界では、システムトラブルの八割は口で解決する、などと言われる事もあります。まぁ、これは余談ですが。
と、私は自然に話していた。不思議だった。今日の私はよく喋る。
「すみません。話が逸れましたが、あたしがお伝えしたかったのは、あなたに対し嫌な印象や不愉快な想いは抱いていないという事です」
あなたが愛しているその方には、もう・・・巡り合えないかも知れませんが、どうか前を向いて人生を進んでいって欲しい。素直にそう思っています。
そう締めくくると、彼の目は充血し始めていた。
独特な車内アナウンスが流れ、間もなく私の降車駅に到着する旨を告げていた。
電車が減速し始める。
「もう、え、駅に着きますね」
今日は本当にどうもありがとうございました。目の前の彼が深々と頭を下げる。
私も彼に向かって会釈した。
「それでは」
と言って一瞥を送り、駅のホームに降り立った。
私は、鞄から部屋の鍵を取り出す。扉を開けると、当然ながらそこには暗黒があった。部屋の電気のスイッチを押す。すると、今度は空白が現れた。
生きていく上で最低限の家具しか置かれていない、殺風景な部屋だ。
鞄から小さな鍵を取り出して机に向かった。一番右上の抽斗の鍵を外して開くと、その中にある古びた一冊の手帳を取り出した。かなり古くなっており、一部が変色している。
私は、その手帳をパラパラと捲り始めた。
空が剥がれ落ちる日まで、後、二十五日
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