第三十三話◇琴美◇

 彼女の手紙は謎めいていましたが・・・い、今、ここにいるこの僕は、ようやく彼女が居なくなってしまったという事実を受け容れることができています。


 なにか、抜き差しならない事が彼女の身に起こったのだと。断じて、彼女が僕と不倫していて、元の交際相手の元へと帰らなければならなくなった、というような次元の理由ではないと、そう確信しています。

 何度も本気で彼女を捜したことがありました。ですが、結局見つけることはできませんでした・・・。

 


 しかし、今日、ぼ、僕が貴女あなたにお伝えしたかったのは・・・。


ここで一呼吸を入れ、停止した。決意を固めるためのように見えた。

 

 人は人を愛することによって幸福を得られるという事なのです。あ、愛するという事にもその先があって、それは心が通い合っている状態を指すのだと思います。

 そうした幸福感は、どんなに大金を叩いたところで得られません。どんなに社会的名誉を享受しても得られません。

 心を通い合わす経験を積んだ者のみが、育んだ者どうしのみが、到達できる境地なのです。


 

 彼の話はここで終止符を打った。すると間もなく電車が大きく揺れた。



「い、以上が、僕が幸せを感じた瞬間の話です」

幸福というものを理解したという表現の方が正しいかも知れません。と、更にそう補足した。

「・・・」



 電車に揺られながら、私と、この彼のみを包む沈黙という存在に気付く。

 私は、窓の外をぼんやりと眺めていた。尤も、夜なのでそこに景色はない。暗い景色に車内の像が反射しているだけだ。けれど私は、その窓の外に別の景色を映し出していたのだった。


「どうして、ですか?」

私はポツリと呟いていた。

「は、はい?」

彼は緊張の面持ちで訊き返してくる。

「どうして、あたしに今のお話をされようと思ったのですか?」

「そ、それは・・・」

彼が言いよどむ。

「あたしの容姿が関係していますか?」

「ゼ、ゼロではない、と思います」

何故か分かりませんが、直感と言いますか、この人だと自分の中で強い気持ちが突如湧いたのです。うまく説明できそうもありません。も、申し訳ありません・・・。そう付け加えた。

 

 歯切れの悪い口調だったけれど、嘘をついている様子でも、そんな人物にも見えなかった。

 なので、私も率直な気持ちを伝える事にする。



「あたしには美醜の概念が殆どありません。それだけではなく、」

私も一呼吸を置く。

「感情というものも、あまり残されていないようです。

 ですが、あなたの幸福論については同意見です。素敵な話を聞かせて頂きました」

どうもありがとうございます。抑揚がなく無機質で、表情こそなけれど、私は頭を折って礼を述べた。



「ぼ、僕は思うんです。将来、彼女が自身の想い出を語って欲しいと述べた相手とは、実は彼女自身なのではないかと」

つまり、

貴女あなた、なのではないかと」

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