第二十四話◆美琴◆

「何なんだこの女ッ」

苦痛に顔を歪めながらも、タンクトップは左手に持っていた鉄パイプで応戦を試みる。私は軽々と左手で受け止めた。


「クソッ! なんて力してやがるッ」

左手一本で鉄パイプを奪い取ると、やはり左手で男の顔面目がけて鉄の棒を振った。パイプの先端がタンクトップの鼻にヒットし、勢いよく血が噴き出した。

 

 うずくまり、よろよろと倒れこむのを認めると、私は倒れたタンクトップに跨った。私が上、男は下だ。

 もしかしたら、先ほどまでは上下が逆だったかも知れないと思うと、何とも言えない皮肉感を覚える。

 

 私は黒のタンクトップの男を殴った。文字通りなぶり殺し寸前まで殴りまくった。胸部から顔面にかけて一発ずつ殴っていった。一発ずつ殴るたびに、ポキンとか、コキ、という乾いた音がする。

 その内の何回かは、私の左手から発せられたものだった。血が溢れ、指先を滴り、やがて骨が露わになる。タンクトップの上半身も血だらけになっていた。私とタンクトップとの血液が赤黒く混ざり合う。


「が、が・・・お、お」

 アロハシャツ同様、黒のタンクトップも声にならない呻き声を漏らしている。た

まに、口から大量の血を吐き出していた。あばらの骨が内蔵に突き刺さっているのか、相当の重症のように見えた。



 拳を振り終えた今の私は、微かに高揚していたのだった。これは決して私自身が起こした行動ではなかったけれども、巨大な力に抗うことに初めて成功したような、或いは異質な力を体得したような、そんな爽快感さえ感じる。・・・とにかく、ここにいるこの私は、自らの気を昂らせる事で、この身体の主を包み始めていた絶対的な虚無から免れる事ができていた。


 周囲を見渡すと、四体の人間が倒れている。一人は遺体。多分、この身体の主にとってとてもとても大切な人。

 残りの三人は瀕死寸前だった。呻き声をあげることすらできず、ピクピクと身体を痙攣させている。今はまだ辛うじて生きているが、このまま放置すれば先ず助からないだろう。そう確信した。


 私の身体の主は、膝からがくりと崩れ落ちた。両手の甲からは血が滴っている。その中に剥き出しになった白い突起物が見え隠れしていた。

 ふと気づいた事があった。私は今、この主の身体から外に飛び出していたのだ。私は主によって産み出された一体のヴィジョンとして存在している。主の傍に立ち、主の虚無に立ち向かうための存在として。



 今更になって、けたたましいセミの鳴き声に包まれている事に気づいた。その中に、サイレン音が混じっているのを認める。その音が次第に大きくなっていくにつれて視界が白く染まっていき、私の記憶と意識が朦朧とし始めていた。


 そう言えば、この世界は明るい。人々は昼間に起きて、夜暗くなってから眠る。ここは私の知っていた普通の世界・・・?



 薄れゆく意識の中、主が全身裸である事をも認める。どこか懐かしいような、親しみを覚えるような綺麗に整った顔立ち。でも知らない顔。私と同い年くらい?いや、少し年下かな。


 一体、何があったの?


 事の前後の記憶を辿るにしても、限界があるようだった。無限に止まることのない涙が、主の頬を静かに伝っていた。

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