第七話 ◇琴美◇

「林君、貴方は少なくとも自分が書いた内容は理解して。真美はもう四年目なんだから、あたしの納得いくものを一回で持ってこさせて」

分かりました。と、再び頷くも、二人の声は震えていた。


 資料の手直しには時間を要した。その結果、帰りが終電の一本前となったが、特

に珍しいことでもない。毎度のことだ。

 駅から自宅への帰り道。徒歩にして十分

程度の道のりだ。夜道には慣れている。

 しかし、今日は何かがいつもと違う。どこか違和感があった。それが人の気配だという事に気付くのと、突然声を掛けられるのがほぼ同時だった。



「なあ、あんた」

どうやら駅から尾けられていたみたいだ。私はそう推察した。少なくとも電車を降りるまでは何も感じていなかったから。


「あんたは何人の男と女を泣かせてきたんだ?」

男性と思しき人物が唐突に言った。

「?」


 その人物は構わず続ける。

「俺はあんたみたいな美人が許せねぇ」

私が何をしたと言うのだろう。

「美女が野獣に恋をすることはあっても、その逆はない」


 美女と野獣。ディズニー作品の一つだ。綺麗な娘が野獣となった男(その正体は確か王子様) と接している内に、その内面の優しさを知り、恋に落ちていくという話だった。


「もう一度言うぞ。美女が野獣に恋をすることはあってもなぁ、その逆はねぇんだよ」


 話が見えない。論点が分からない。何を問題にしているのだろう。恋愛に辛い思い出でもあるのだろうか。

 そうだとしても、発言内容から矛盾を感じずにはいられない。男である自分は、まだ美女から愛される可能性があるのではないか。つまり、まだ希望がある側に居るのではないか。


「だから俺はお前を許さねぇ。ブスの気持ちが分からないオメェをよぉ」

「?」

 目の前の人物は、細身のスーツにチェックのネクタイ。年齢は三十代前半といったと

ころか。黒縁の眼鏡をかけており、一見その外見から知的さを感じさせるが、口が悪くて品がない。

 深夜十二時の、人気のない小路。街灯がその男の眼鏡を照らし、その反射で彼の目が見えなくなった。



「しかもお前は整形してやがる。ただでさえ美人な上に、さらに美人を目指してやがる。おかげでブスの肩身は更に狭くなる一方なんだよ!」

「・・・?」

私は無表情のまま首を傾げる。

「何とか言えよ! ああん?」


 男が眉間に皺を寄せて捲し立てた。口調を荒げ、肩で息をしている。目の前に対峙している人間について、私は一つの仮説を立てた。

 今まで男だと思っていたが、実は女性なのではないだろうか。どちらであったとしても、今の状況を直接解決する策には結びつかないけれど。


「・・・あたしには、美醜の概念が殆ど無い。人間の容姿に関して言えば、皆無」

「ほざくんじゃねぇ!」

「あたしのことを美人と言うのは、あくまで周りの人達。あたし自身、自分の容姿に特に関心はない。周りに溶け込む程度に周りに合わせて化粧をしているだけ。

 だから、美容整形なるものに興味はないし、通ったこともない」

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