第六話 ◇琴美◇

「笠原さん」

私を呼ぶ声に反応し、振り返る。後輩の林正人が立っていた。彼は入社二年目の若手システムエンジニア(SE) だ。

「何?」

「来週の顧客との打合せ資料ができたので、チェックをお願いできますか」

「ああ。その資料だったら真美に見てもらうよう頼んである」


 私はそう言うと、真美を呼んだ。彼女、藤原真美は入社四年目のSEで、ようやく仕事の運び方を身につけてきた。

「琴美先輩、お呼でございますか」

「その喋り方、やめてくれる?」

「エヘヘ。すみません」

そんな彼女のリアクションを無視して、私は続ける。

「さっき話した、来週の顧客との打合せ資料の件、チェックしておいて」

「了解です」

「あたしはこれからレビューがあるから・・・、そうね、手直し含めて一時間以内でやるように」

 レビューが終わるまでに私の納得のいくものを完成させておいて。と、更に付け加える。真美は了解です、と繰り返したが、林正人の顔にはどこか怯えの色が浮かんでいた。


 現在のソフトウェア会社に就職して六年が過ぎた。新卒で入社した。

「貴女(あなた)くらい優秀な学歴をお持ちの方が、どうしてうちみたいな小さ

なところを希望するの?」

 採用面接の時、人事の面接官が言った台詞だ。正直言って、これという理由はない。無意味な就職活動を早く終わらせたかったし、それなりに企業経営が安定していて、スキルアップできる会社ならどこでも良かった。IT業界についても特別拘りがあった訳でもない。強いて言えば当時は売り手市場であり、就職し易かったから、だ。



「全然ダメ」

レビュー後、林正人の資料に目を通した私は、開口一番で彼に言った。

「この内容でお客さんは納得するの?」

「その部分は口頭でご説明しようと思ってまして・・・」

もごもごと回答に窮する林正人を見兼ねた私は、真美を呼んだ。すると、ばつの悪そうな顔をした真美がやって来た。

「何故、この内容で通したの?」

私は質問する。

「申し訳ありません」

真美がペコリと頭を下げる。

「謝ってくれとは頼んでいない。どうしてこの内容で通したのかと、訊いている」

二人とも黙っている。私はゆっくりと溜息をつき、右耳にかかった髪をかき上げる。


「この内容だと、システム障害が起こったと時に私達は何も関係ありません。そういう内容に見える。仮に障害が発生した場合でも、事前にバックアップを取得するのでリストアが可能である旨、記述を追加しておいて」

何度も言うようだけど。と、私は続ける。

「お客さんを不安にさせない説明を心がけるようにして」

やや間があって、

「分かりました」

二人は声を揃えて頷いたのだった。

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