第三話 ◆美琴◆

 美琴、美琴っ。遠くから私を呼ぶ声がする。・・・聞き慣れたお母さんの声だ。

「何時だと思ってるの? 発表会に遅刻するでしょ」

お母さんが私の部屋の戸口に立ち、ベッドに入っている私を見ていた。

「発表会?・・・誰の?」

私はベッドから起き上がり、眠たい目を擦りながらお母さんに訊ねた。

「あんたのでしょ」

お母さんは少し不機嫌顔になる。

「あたしの?」

思わず訊き返す。

「あんた以外に誰がいるの? 寝ぼけてないで早く起きてちょうだい」

お母さんは呆れ顔も混じらせながら、踵を返し部屋を出て行った。階段をせわしなく降りていく音がする。

 

 私の中の記憶が徐々に蘇ってきた。私の名前は桜庭さくらば美琴みこと。音楽大学に通う二十一歳。専攻はピアノ。中学一年生の時、ピアノの魅力に取り憑かれた。

 きっかけは単純だった。私が敬愛しているロックバンドが、自身のナンバーをピアノアレンジでカバーしたアルバムを出したからだ。そのロックバンドは曲にピアノを盛り込むことが多く、私はピアノの旋律が特にお気に入りだった。



 中学一年生からピアノを始めるというのは、稀な方かも知れない。同じピアノを専攻している大学の友達は、皆三歳か四歳ぐらいからピアノに触れ始めている、というのが殆どだから。

 

 そうだった。今日はピアノの発表会だ。大事なことを忘れていた。

「急いで着替えなきゃ」

と呟きつつ、もう少し私の自己紹介を続けることにする。

 私は運動も好きである。体を動かすのは本当にストレス解消になる。特にバドミントンはお気に入り。狭いコートの中でひたすら動きまわり、くたくたになるのがたまらない。勿論、相手をくたくたにさせるのはもっとたまらない。

 恋人には一つ年下の貴文たかふみという男の子が居る。ついこの間、二十歳になったばかりだ。童顔なせいもあるかも知れないけれど、行動の一つ一つにあどけなさが残っていて何だかカワイイ。顔もなかなかのイケメンだ。と、私は思う。ただし、理屈っぽすぎるところがたまに傷。


 この前も、

「ねえ美琴、換骨奪胎という言葉の意味を知ってる?」

と、唐突に質問を投げかけてきた。私はいつもの調子で

「知ってるわけないって」

と答えた。すると、

「他人の着想・形式などを踏襲しつつ、自分独特のものに作りかえることなんだ」

こんなカンジでご丁寧な解説を頂戴した。

「ふうん」

「なんだよ。あんまり興味なさそうだな」

貴文が不満な色を浮かべる。私はそんな彼を無視して、次のようにいつもの台詞を口にする。

「で、オチは?」

数秒の間を以て、

「いや、特にオチはないんだ」

と宣う始末だった。

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