うちの課長は何もできない

晴坂しずか

うちの課長は何もできない

 地球には管理人がいる。僕たち人間の意思を無視して、勝手に世界を初期化リセットしようとしてくる。つまり敵だ。

 管理人たちに対抗するため、超能力を持つ人間たちは組織を作った。それがレストレーション協会であり、所属する人たちをレストレーショナーと呼んだ。

 ここ日本にも協会の支部があるのだが、表向きは出版社になっていた。オカルト系の本や雑誌を発行するガーディアン出版。その中の特殊事業部がレストレーション協会日本支部だった。

 そして切っても切れない関係にあるのが、今や国政で活躍し始めている真実党である。日本の政財界に巣食うレプティリアンを倒すため、レストレーショナーたちが立ち上げたのが真実党だった。

 僕が特殊事業部二課へ配属された当時は、かけ持ち状態の人が何人かいて、あちらの話が日常会話に度々混ざってきた。

 しかし、政治が絡むと必然的にお金もついてくる。真実党の資金繰りが安定し、国会に進出すると、そちらの方が稼げるからとレストレーショナーをやめて真実党へ行く人が増えてきた。

 日高社長は大変頭を悩ませていたが、強く止めることもできなかった。何故ならこちらは上場していない中小企業で、給料を大幅に上げることなどできない。社会に生きる人間の心理として、もらえるお金は多い方がいいのだから、どうしようもなく見送るしかなかった。

 そうして気づけば、レストレーショナーは僕を入れて七人になっていた。日高社長も緊急時には加わるが、それでもたったの八人である。たったの八人で日本を守るなど、無理のある話だった。


「二課、俺たちしかいないんすけど」

 急遽開催された会議で、開始早々に元夢もとむさんが苦い顔をした。二課に残ったのは元夢さんと寛太かんた先輩、課長の紗鳥さとりさんだけだ。

「ああ、分かっている。だからこそ会議なんだ」

 と、返したのは一課の課長である帝人ていとさん。ゴリゴリのマッチョが難しい顔をしている姿は、いかにも危機に瀕している風に見える。

 しかし会議をしたところで、人数が一気に増えるわけでもない。時間の無駄じゃないかと思い、僕はあくびを噛み殺す。

 すると紗鳥さんがハーフリムの眼鏡をかけ直し、注目を集めるように息をついた。

「来年度からは新たに二名入る予定よ」

「でも、あたしやめちゃうんですよねぇ」

 と、癒乃ゆのさんがのんびりとした口調ながら、すかさず口を出した。一課でヒーラーとして活躍している彼女は、数ヶ月前に帝人さんと結婚したばかりだ。しかもお腹には子どもがいるため、年度終わりに退職することが決まっていた。

「幸いなことにヒーラーが入るから、そこは安心していいわ」

 そうは言われてもたった二名だ。残り三ヶ月もないのに、どうしろと言うのか。

「それより大事な話、あるんじゃないですかー?」

 と、しびれを切らしたように寛太先輩が口を開き、紗鳥さんに顔を向ける。あいかわらずにこにこと笑みを貼りつけてたずねた。

「紗鳥さん、社長と何か話してたっしょ?」

「……はあ」

 ため息をつき、紗鳥さんは申し訳無さそうに全員を見る。

「来年度から秘書として働くことになった」

 目を丸くしつつ元夢さんが問う。

「それじゃあ、二課は?」

「実はそれが本当の議題なの」

 にわかに室内がざわついた。僕もすっかり眠気が吹き飛んでしまい、まさに寝耳に水だった。

「去年の夏頃から、真実党に声をかけられていたの。行くかどうか、とても悩んだわ。それを正直に社長へ伝えたら、これ以上抜けられたら困ると言われた。私もそれは分かっていたけど、子どもが二人とも小学校に上がったから、家計が苦しいことも伝えた。話し合いの末、給料を上げるから秘書になってくれないかと言われたの」

「ああ、苦肉の策ってやつですね」

 僕がフォローするように口を出せば、何人かがうなずく。紗鳥さんは美人だし仕事もできる。秘書として十分に活躍できるであろうことは想像にかたくない。

 帝人さんは微妙な表情で話を進めた。

「ってことは、残るのは五人ですか。一課に三人、二課に二人」

「申し訳ないんですが、二課の課長はどうなります? まさか俺が」

 と、元夢さんが言うと、紗鳥さんが返した。

「いえ、そこは帝人君に頼みたいと思ってる」

「えっ」

「え?」

「ええっ!?」

 思わず驚く僕たちだったが、一人だけ状況を飲みこめてない人がいた。せいさんだ。

「そ、それじゃあ一課は?」

 と、帝人さんがたずねると、紗鳥さんは再びため息をつく。

「年功序列で静君、になるわね」

「?」

 注目を浴びた静さんが首をかしげ、僕はたまらず口を出した。

「無理だと思います、紗鳥さん。一課に二人しかいないのでは、話になりません」

「大丈夫、中国から強い子が来るわ」

「いくら強くても三人でしょう? というか、今でさえきついんですよ」

「分かってるわ。でも、新しく入ってきた子を教育できるのは、帝人君だけなのもたしかでしょう?」

 なるほど、その通りだ。帝人さんは日本支部の二期生で、紗鳥さんが抜けたら一番上になる。その次が静さんと元夢さんなのだが、元夢さんはともかく、静さんに新人教育ができるとは思えない。二課はいわゆる二軍で育成が大事になってくるからだ。

「いや、でも俺、頑張ります」

 と、元夢さんが言うと、紗鳥さんがすぐに言い返す。

「あなたでは無理よ。将来有望な子が入ってきても、元夢君が教えられるのはカンフーだけでしょう?」

「ジークンドーです」

「どっちでもいいわ。だけど帝人君は空手に柔道、ボクシングも出来る。その子に合った戦い方をレクチャーできるわ」

 ぐうの音も出ない正論だった。僕は中国へ留学して本場でカンフーを習ったが、他の人たちはみんな帝人さんに基本の動きを教わっていた。

「もちろん、緊急時には前線へ出てもらう。その時に二課をまとめるのはあなたよ、元夢君」

「……はい」

 元夢さんが真剣な表情でうなずき、僕はまた口を出す。

「帝人さんが異動して癒乃さんが抜けたら、一課で事務を担当するのが僕だけになってしまうんですが?」

「新しいヒーラーが入ると言ったでしょう?」

「ですが、その人が慣れるまでは、僕が事務のすべてをやることになります。無理です」

「静、頑張ってパソコン覚えような」

 と、帝人さんが静さんを気遣うが、静さんは曖昧あいまいに首をひねった。

「俺も事務をやるんですか? トレーニングは?」

「うまいやり方を見つけてちょうだい。朝陽あさひ君もどうか頑張って」

 申し訳なさそうに紗鳥さんがこちらへ顔を向け、僕は愕然がくぜんとしてつぶやいた。

「マジですか……」


 はっきり言わせてもらおう。静さんは馬鹿だ。無知で体を鍛えることしか頭にない、いわゆる脳筋だ。

 肩の下あたりまで伸ばしたサラサラの長髪に、全身ほどよくバランスの取れたマッチョ。鋭い目つきとあまり笑わないせいでクールに見えるが、実際はただ表情筋が死んでいるだけだった。さらに中身がまったく伴っていない。

 面と向かって文句を言っても、鈍いせいで不思議そうにするばかり。共通の話題と言えば仕事――レストレーショナーに関することのみ。最近は少し大人になってきたようだが、初めて会った時の彼は天然ボケをこれでもかというほど発揮しており、会話が通じているのか不安になるほどだった。

 そいつが一課の課長になるだって? 無理です。いくら僕がしっかりしているからって、彼を支えられるとは思えません。


 帝人さんはしっかり引き継ぎをしてくれたが、慣れない作業に静さんはてんやわんやだ。

「えーと」

 キーボードの打ち方は人差し指でちょんちょんちょん。遅すぎる。パソコン教室に通う高齢者か。

「そうそう、ちゃんと打てたな。それじゃあ、次は」

 と、帝人さんが優しく教えるのも、何だか気に入らない。帝人さんにとって静さんは一番弟子らしいけれど、それにしても甘やかしすぎじゃないかとは、以前から思っていた。

 とはいえ、そんなことを口にしたって状況が変わるわけではない。僕はため息でごまかし、自分の仕事に集中した。

「よし、できたな。今のやり方、覚えたか?」

「いや、あまり自信はないです」

「おいおい。ったく、本当にお前は機械音痴だな」

「う、すみません」

「謝らなくていいよ。お前用にマニュアル作ってやっから」

「あ、ありがとうございます」

 やっぱり甘やかしすぎている。静さんはそれに慣れきっているから、簡単なパソコン作業すらできないのだ。

「翻訳、終わりましたぁ」

 と、癒乃さんが帝人さんへ向けて言った。

 視線を彼女に向けてから課長は返す。

「おっ、サンキュー。ちょうどいいから、次はそれの確認作業をするか」

 と、その顔は再び静さんへ。

「共有フォルダの開き方はもう分かるよな?」

「はい。えっと……これ、ですよね」

 カチッとクリックする音がした。

「そうそう」

 フォルダの開き方なんて初歩中の初歩だ。そんな状態で課長が務まるのか?

 いやいや、こんなことで苛立っていてはいけない。両目を閉じて気持ちを落ち着けると、僕はあらためて自分の仕事に向き合った。


「聞いてくださいよ、寛太先輩」

 とある日の昼休み、僕は休憩所で寛太先輩とコーヒーを飲んでいた。

「静さんってば、マジでパソコンできないんです。キーボードも人差し指で一個一個打ってるんですよ?」

 愚痴る僕へ寛太先輩はけらけらと笑う。

「マジで? それはやばいわー」

「でしょう? こんな状態で癒乃さんと帝人さんが抜けるなんて、もう悪夢でしかないですよ」

「悪夢は言い過ぎ。でも気持ちは分かる」

 優しい寛太先輩にもっといろいろぶっちゃけてしまおうかと思ったが、その前に「でもさ」と、彼が言う。

「静さん真面目な人なんだから、きっと今一番苦しんでるのは彼だよ」

 鋭いもので胸を刺されたような気がした。

「そ、それは……そうかも、ですけど」

 言い返す言葉がなく、僕は手にした缶を見つめるしかない。

 寛太先輩はコーヒーを飲んでから、ゆっくりと窓外へ視線を向けた。

「帝人さんがいなくなって寂しくなるのも彼。ずっと一緒だったって話でしょ?」

「……」

「朝陽が大変なのは確かだろーけど、課長っていう肩書の方がずっと重いし、プレッシャーだろうねぇ」

「……意地悪言わないでください」

 ようやく返せた言葉はそれだけで、僕は我ながら子どもじみていると後悔する。

 こちらへ顔を向けた寛太先輩は、じっと僕を見ながら缶コーヒーを飲み干した。自販機横のボックスに缶を放ってから、何故か僕の頭を撫でた。

「若いねぇ、朝陽は」

「一歳しか違わないじゃないですか」

「うんうん、若い。じゃあ、どうして紗鳥さんたちは、若い君と静さんに一課を任せて大丈夫だって、判断したんだろーね?」

「は?」

 目を丸くする僕へにっこりと笑ってから、寛太先輩は背を向けて歩き出した。

「またねー」

「えっ、いや、ちょっと!」

 慌てて追いかけようかと思ったが、揺れた衝撃で缶コーヒーの中身が少し出てしまった。

「うわっ」

 かろうじて服を汚すことはなかったものの、手がコーヒーくさくなってしまった。仕事の前に洗わないと。

 僕は何とも言えない気持ちになり、うんざりとため息をついた。


 寛太先輩の言葉は時に鋭すぎる。ナイフどころではなく、アイスピックかというほど刺さる。

 同じ透視能力を持つ者として、二課にいた時からお世話になっているのだが……何だか自分を否定されたような感じがして、すごく嫌になる。でも、そうして彼を嫌いになったとして、僕自身が変わらなければ意味がないことも分かり始めていた。

 そう、変わるべきは僕なのだ。静さんじゃなくて、僕なのだった。


 その日の定時後、帝人さんと癒乃さんは用事があるからと早々に帰っていった。

 僕はいつものようにのんびりと帰り支度をしていたが、静さんはまだパソコンを開いたままだった。かたわらにあるのは帝人さんが作ってくれた紙のマニュアル。

「静さん、帰らないんですか?」

 コートに腕を通しながらたずねてみると、彼がはっと顔を上げた。

「あ、ああ。今日はもう少し、頑張ろうかと思って」

「……そうですか」

 と、鞄を手にしたところで、昼間の寛太先輩の言葉が脳裏に浮かぶ。『静さん真面目な人なんだから、きっと今一番苦しんでるのは彼だよ』

 確かにそうだ。静さんは真面目な人だから、ついつい頑張ってしまうのだ。それが得意分野なら問題がないからいいけれど、今は違う。苦手なことなのに、頑張っている。

 ――知ったことか。

 胸が痛むのを無視して鞄を肩へかけた。

 彼の後ろを通り過ぎざまに「お疲れさまでした」と、声をかけた直後だった。

「あ、変なボタン押したかも」

 気になって振り返れば、画面が真っ暗になっているではないか!?

「ちょっ、何したんですか静さん!?」

 思わず大きな声が出てしまい、心臓もドクドクと鳴っていた。

 顔を向けた静さんも、めずらしく泣きそうな顔をして言う。

「なんか、変な画面が出たからはいって押した」

 嫌な予感しかしない。

 さっさと帰って自分の時間を楽しみたかったところだが、これでパソコンがおかしくなったら一大事だ。買い替える余裕が我が社にあるわけがない!

 かと思えば、画面がにわかに明るくなった。真ん中にでかでかと表示される「更新中」の文字。

 思わずその場に座りこんだ僕へ静さんが言う。

「どうかしたか?」

「いや、何ていうか……驚かせないでください」

「?」

「待ってればいいだけです」

 と、呆れ混じりに言って立ち上がる。

 静さんは理解してない顔をしており、僕は言った。

「OSのアップデートが始まっただけです」

「あっぷ?」

「アップデート。ああでも、終わるまで時間かかりますよ」

 と、説明してから僕は視線を外してため息をつく。

「まったく、あなたを一人にする方が心配です。僕も付き合いますよ」

「え? いいのか?」

「どうせそっちのパソコンは使えないんだから、僕のを使ってください。今起動させます」

 鞄を下ろし、上着を脱いで椅子を引く。

「で、何をしようとしてたんですか?」

 視線を向ければ、静さんは心なしか目をキラキラさせた。


 ――静さんのやりたかった残業が、やっと終わったのが二十時前。

「助かった。ありがとう、朝陽」

 パソコンのアップデートも無事に終わり、僕はやれやれと息をついた。

「まったく、おかげで予定が狂っちゃいましたよ」

「え、何か予定があったのか?」

「いえ、別に大した予定ではないですけど」

「そうか? でも、俺のために時間を使ってくれたんだよな。すまなかった」

 と、申し訳無さそうな顔をしてみせる。いや、この人は打算や他意を持たない。本当に申し訳なく思っているのだ。

「……そういうところなんですよ」

 ぽつりとつぶやけば、彼が不思議そうにこちらを見る。

「何がだ?」

 視線をそらし、僕はできるだけ分かりやすいようにと、言葉を考えながら言った。

「子どもっぽいというか、頼りないというか……でも、嘘偽りがないのも分かるから、何だかうらやんでしまう」

 自分で言っておきながらはっとした。――僕は彼をうらやんでいたのだ。

「うらやむ? 俺をか?」

「……ええ、そうです」

 ずきずきと胸が痛むのを感じつつ、僕は彼を見た。

「静さんは人懐こすぎます。どんな人にも公平に優しくて、誠実なんです。だから帝人さんに甘やかされるんです」

「???」

「一言で言えば人たらしなんですよ。誰もあなたを悪く思わない。きっと小さい頃からそんな風に、環境に恵まれて生きてきたんでしょうね」

 とうとう言ってしまった。醜い、情けない醜態だ。さっきはうらやむなんて言い方をしたけれど、本当はただの嫉妬だった。

 苦い顔をしても状況は変わらない。泣きたくても、泣いたところで意味がない。

 ただじっとにらんでいると、静さんは困ったように眉尻を下げた。

「俺は恵まれてないよ。いや、ここへ来てからは恵まれていると言える。でも、俺は施設育ちなんだ」

 ――最悪な夜になりかけていた。

「施設にはパソコンがなくて、スマホも禁止だった。学校にはあったけど、興味がないから覚えられなかった」

 シャットダウンしたばかりのモニターは黒。

「でも、そうしてずっと苦手でいたらダメなんだよな。俺は課長になるんだし、いい加減に向き合わなくちゃって」

「……」

「俺、実は少し楽しみにしているんだ。帝人先輩の後をついで課長になるの、不安でもあるけど嬉しいとも思うんだ。ここは俺にとって大事な場所だから、今度は俺がここを守る立場になるんだって思うと、気合が入る」

 彼は純粋だった。僕より年上のくせに、心の綺麗な人だった。

「それに、朝陽がいてくれるからな」

 はにかむように微笑を向けられ、僕ははっとする。

「いろいろ教えてくれて本当に助かった。朝陽はパソコンが得意だから、そばにいてくれるのは頼もしい。俺は戦うことしかできないから、たぶん朝陽にはたくさん苦労をかけると思う。でも、お前が大変な時には、きっと力になるよ。約束する」

 勝手に約束されてしまった。僕は何も言っていないのに。

 ふと脳裏に寛太先輩の笑みが見えて、僕は泣きたくなった。『どうして紗鳥さんたちは、若い君と静さんに一課を任せて大丈夫だって、判断したんだろーね?』

 そうだ、彼は確かにそう言った。任されたのは僕だけではなく、静さんもなのだ。

 戦いが得意な静さんと、裏方が得意な僕。二人ならやっていけると、紗鳥さんたちは思ってくれているのだ。正反対だからこそできると、そう思ってくれているのだ。僕だけが大変なんじゃなくて、彼だけが大変なわけでもなくて――二人で乗り越えろ、と。

 ああ、そんなことに気づかず自分だけが辛いような顔をして、寛太先輩に愚痴ってしまった。だから若いと言われたんだ。子どもなのは僕の方だった……。

 涙で視界がにじみ、眼鏡のレンズが濡れる。

「どうした?」

 慌てたように静さんが言い、僕は眼鏡をとって涙した。

「今は黙って泣かせてください」

「そ、そうか」

 嗚咽おえつをもらす僕の頭を、そっと抱きよせてぽんぽんと撫でる。急に年上らしい行動をされて、僕はますます涙をあふれさせた。


 それから一緒に寮へ帰りついた頃には、もう食堂が閉まっていた。しかたなく近くのコンビニで弁当を買い、何故か静さんの部屋で一緒に食べた。

「そう言えば、何で施設にいたんですか?」

 ふと疑問をぶつけてみると、静さんは2つ目の弁当を食べながら答える。

「目の前で姉が父親に殺されたんだ」

 さらりと言われてびっくりする。

「え、マジですか?」

「ああ」

 本当に最悪な夜だ。

「すみません、そんなことがあったなんて思わなくて」

「気にするな」

 彼自身はもう気にしていないのだろう、弁当を黙々と食べ進めていく。

 それでも僕は気まずくて、黙っていられなかった。

「僕、小さい頃に父親が浮気しているのを、無意識に透視しちゃったんです。だから一緒にいた女の人は誰? って、無邪気に聞いてしまって……両親は離婚しました」

「そうか」

「他の人には見えない、自分だけが持つ特別な力だと分かるようになってからは、できるだけ何も見ないようにしてきました。でも、完璧にそれができていたわけじゃない。特にレストレーショナーになってから、ますますいろんなものが見えるようになって」

「それで中国に行ったんだったな」

「はい。透視能力を正しく、自分に負担がかからない方法で使いこなせるようにと、一年間みっちり修行をしました。でも、だからこそ僕はあなたのことを何も知らなかった」

 見えない方がいいと思っていた。でも今は、少しくらいは見ておくべきだったと後悔している。

 すると静さんは何かを察したように、弁当を机の上へ置いた。そして引き出しからヘアゴムを取り出し、髪の毛を大雑把おおざっぱに後ろで結った。

「ここ、見えるか? 火傷やけどの痕だ」

「え?」

 彼の指差す位置は首の後ろ、左の肩付近だった。皮膚の色が明らかに違うそれを見て、僕はまた胸が痛くなる。

 しかし静さんは言った。

「小さい頃、父親にやられた。母親がかばってくれることもあったけど、結局ネグレクトみたいになってた。姉だけが最期まで俺をかばって、守ってくれていた」

 彼が何食わぬ顔で再び弁当を食べ始め、僕はどう反応したらいいか分からなくなる。

「全部、管理人からの嫌がらせだ」

「嫌がらせ?」

「俺が輪廻転生を繰り返しているのは知っているだろう?」

「ああ、はい」

「俺はずっと管理人たちと戦ってきた。ここ数百年は、俺が生まれると周りの人間を操って、生きていくのに最悪な環境を作るんだ。だから姉は殺された」

「……」

「でも命には必ず終わりがある。俺はそのことをよく知っているから、今さらどんな嫌がらせをされても、大して苦ではないんだ」

「そんな、わけ……」

 言いかけた僕をさえぎるように、わずかに語気を強める。

「あるんだよ、朝陽。だから俺は、自分が幸せな人生を歩めるとも思っていない」

 無意識に透視能力が働き、彼が嘘を言っていないことを知る。生まれながらに全並ぜんなみ静という人は、幸福になることをあきらめているのだ。輪廻転生を繰り返してきたからこそ、そういうものだと割り切ってしまっている。

 ただの人間でしかない僕は、唇を震わせながら返した。

「ひどいです、静さん。それはダメですよ」

 脳裏に浮かぶのはいつか壊した幸福な時間。

「あなたは幸せになるべきです。なっていいとかダメとかじゃなくて、幸せになるべきです」

 無垢むく故に壊してしまった僕だからこそ、言えることだった。

「あなたはもっと自由でいい。もっと好きに生きていい。お姉さんのことも、ちゃんと悲しんでいいんですよ」

 彼がはっとした。

「悲しむ?」

「静さんの過去、見ちゃいましたよ。お姉さんが亡くなっても、あなたは泣かなかったでしょう? 今回はそういう人生なんだって、悲しみを押しこめていたでしょう?」

 どれだけ生まれ変わっても、全並静は全並静だ。人間としての感情があるはずで、それを小さな頃から押しこめていていいはずがない。

「静さん、幸せになりましょう」

 呆然としていた彼は、ふと苦い顔で首をかしげた。

「いや、朝陽と幸せになるのは違うような」

 思わず吹き出してしまった。今の話の流れで、どうしてそうなるんだ。

 笑う僕を彼は不思議そうに見ていた。

「何で笑うんだ?」

「いや、笑いますよ。僕はそんなこと言ってませんし、話の流れからしても違うのは分かるでしょ」

「うん? じゃあ、どういう意味だったんだ?」

「もう、今さら説明求めないでくださいよ。めんどくさいです」

 言いながら僕はまた笑った。静さんも何故か表情をやわらかくして微笑んだ。

「すまない。どうしても理解できなくて」

 やっぱりこの人は天然だ。どうしようもなく無知で馬鹿だから、やっぱり僕がいてあげないと。


 あの日から僕と静さんの仲はぐっと縮まり、以前より会話が増えた。彼の天然ボケはあいかわらずだったが、慣れてくればなんてことはない。

「一応、報告なんですけど」

 年度末も近い三月のこと。独身寮の食堂で僕は口を開いた。

 今日も大盛りのご飯を食べながら、隣の席の静さんが横目にこちらを見る。

「何だ?」

「あの、実は僕、今月で独身寮を出ちゃうんですよ」

「……そうか」

 特に驚いた様子もなく、食事を進めていく。

 そんな彼に少々面食らいつつも、僕は言った。

「僕がいなくなったら、静さん、頼れる人いなくなっちゃうでしょ?」

「うーん」

「帝人さんももういないし、元夢さんも去年出ていったし」

「寛太がまだいる」

「うーん」

 寛太先輩も確かにまだ寮で暮らしていた。しかし、彼の仕事はちょっと特殊で出張が多いため、寮で見かけることはほとんどなかった。戻ってきている時を見計らって、会いに行くしかないのだ。

「あと、食堂のおばさんたちも」

「そうじゃないんですよ、静さん」

 思わず呆れて息をついてしまったが、静さんに効くことはない。だからはっきり言うしかない。

「僕はあなたが心配なんです」

 静さんは箸を止めると、顔をこちらへ向けて微笑した。

「そうか、心配してくれてたのか。ありがとうな」

 普段は表情筋が死んでるくせに、こんな時だけ無防備に笑いかけてくる。まったくこの人は……。

「静さんは強いだけが取り柄なんですから、心配するのは当然です。一人では何もできないし、いまだにスマホのアラームの止め方が分からないのに、一人にするわけにはいかないってだけの話です」

 少しムッとしながら返せば、静さんは首をかしげつつ食事へ戻った。

「でも、元夢が近くに住んでるし、俺ももう二十五歳になった。何とかなると思うぞ」

「そうですか? それなら、まあ、いいんですけど」

 早生まれだから先月二十五歳になったばかりなのだが、たしかにいい大人ではある。信じていないわけではないが、少しは信用しようと思い直した。

「分かりました。でも来月から新しく人が入って、環境ががらりと変わるんですから、何かあったらすぐ教えてくださいね」

「ああ」

 咀嚼そしゃくしながらうなずく彼を横目にじっと見てから、僕はまだ見ぬ未来に思いをせ――ようとしてやめた。事前に透視をしてしまえば、不測の事態に備えられるからだ。一度に多くの情報を得ようとすると疲れるから、ちょっとずつやっていこう。

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