第25話 胸を張れ


 彼女は学生の頃から幾多の賞を授与され、数々の栄光を手にして来たらしい。

 それもその筈。

 当人の実家が画家の家系だったらしく、昔から英才教育を施されて来たそうな。

 そんな“絵具女”先生。

 彼女は一枚の絵に幾つもの情報を混ぜ込む。

 たった一枚に、数多くの物語を隠している。

 昔から、そういう絵を描く人だったそうだ。

 普通に聞けば本当かと疑ってしまいそうな話ではあったのだが、彼女に一度イラストレーターを担当してもらったからこそ断言出来る。

 その話は本当だと、すんなり納得してしまうのだ。

 何たって俺が担当してもらった時も……何と言うか、凄かった。

 どこがどう凄いと正確に言葉には出来ないが、一つ言えるのはとにかく背景の描写が物凄く細かい。

 しかもただ細かいだけの背景ではないのだ。

 登場人物の他に、道行く人、街並みの活気、生活感のある窓に干された洗濯物。

 そう言った所まで、かなり丁寧に描かれていた記憶がある。

 そして、何と言っても。


「アイツは、リテイクを貰った事がありません。一度物語を読んで、描けないだろう作品にはお断りを入れます。しかし描くと決めれば、とことん描いてしまう。しかも……筆が異常に速いんですよ。要は、一つの情報から十を察せる能力があると言う事です。次は何を描こうかという迷いが一切ない」


 猫背作家先生は、呆れた様な笑みを浮かべながらそう言い放った。

 出来る仕事しか受けない、それは両者にとって良い事だ。

 出来ない仕事を受けても、後々になって困るだけ。

 言葉だけなら簡単だが……その線引きを正確にするのは、本人だけだと結構難しい。

 更に言うなら、リテイクを受けた事がないってなんだ。

 話し方からするに、描いた一枚がそのまま没を食らったとか、そういう事じゃないんだと思う。

 本当にちょっとした修正依頼さえも、受けたことが無いという事なんじゃないか?

 そんなの異常だ。

 俺程度の作家だって、描いて貰ったイラストに対して“もう少しここを”という注文はした事が何度もある。

 それを言わせないだけの圧倒的なイラストを、最初から提供し続けているというのか?


「そんな者にアドバイスを求めてしまっては、全て同じようにするなんて凡人には不可能だ。似た結果を残そうと努力する事は良い事だとしても、同じ時間で同じ結果は残せない。それがストレスとなり、更に努力しようとすれば体の方が付いて来ないモノですから」


「確かに……最近のパクチーはそんな感じでした。とにかく物語を読みこもう、一つも取り溢さない様にって。普段よりずっと時間を掛けて小説と向き合って、分からない事は原作者に問い合わせて」


 俺の言葉を聞いてから、先生は大きな溜息を溢してから笑った。

 そして。


「あの後輩は昔からそうなんですよ。頑張り屋と言えば聞こえは良いですが、妥協しない癖が強すぎる。そして妻に言われた事は間違いないのだと信じ込む悪い癖がある。それでは駄目だ、あの子はパクチーと名乗っている漫画家であり、絵具女と名乗っている画家ではないのだから」


 彼は、少しだけ昔の彼女の事を語ってくれた。

 高校の部活を引退するギリギリの頃に、パクチーが入部して来た事。

 ひたすらに絵具女先生の絵に憧れ、自らも漫画のコンテストに何度も応募していた事。

 そして落選すれば、人一倍落ち込んで下ばかり向いていた事。

 更に言うなら。


「彼女が初めてコンテストに入賞して、三人でバカ騒ぎした事があるんですよ。あの焼き肉屋で、他のお客さんまで彼女の事を祝福してくれた。そしてその時アイツが描いた短編は……貴方の小説を、参考にしたそうです」


「……は?」


「お店でも声を大にして語っていました、普段下ばかり向いていたアイツが。肉焼肉先生の小説は凄いんだ、読めば一瞬で心を奪われる。その感動を伝えようと筆を動かせば、いつの間にか漫画が描き終わっていたと言っていました。ハハッ、正直俺は貴方の才能に嫉妬しました。俺の小説を読んでも、絶対アイツはそんな事を言わない。でも貴方の話が、彼女に決定的な何かを与えた」


 ちょっと待って欲しい。

 確かにパクチーは俺の話をコミカラズするのが夢だと語ってみせた。

 でも、それはいつからの話なんだ?

 もしもずっと昔の作品を読んで、それからずっと俺の話を追いかけ続けてくれたのだとしたら。

 俺を目標に、ずっとこの世界にしがみ付いて来たというのなら。

 今の俺は、彼女に堂々と胸を張れる存在で居続けられているのか?


「俺は妻の才能に憧れ、彼女と並ぶ事を目指して執筆を続けた。それも事実ですが、実際には後が無かったんですよ。俺には、親が居ません。だから助けてくれる人達に早く恩返しがしたかった、一人で生きて行けるようになりたかった。だから作家という道を選んだ、この職業は年齢なんて関係ないですから。いざその道を進んでみても、やはり妻の存在は大きかったんです。大きくて、眩し過ぎて目を逸らしてしまいたくなる程に。天才と凡才の差は、なかなか埋められない」


 静かに語りながら、彼は珈琲を口にして。

 ふぅぅと必要以上に大きな息を吐いた後。


「しかしソレは俺の主観でしかない。俺にとって妻は天才だが、後輩にとっては貴方が天才なんだ。だからこそ、目指してしまう。例え無理をしてでも、夢を叶える為に。おそらくアイツの無茶は、貴方からの何かしらの教えが無い限り続くでしょうね」


 その一言に、ゾッと背筋が冷えた気がした。

 憧れ、一言にそういってもソレは様々な形をしている。

 生憎と俺にはそういう存在が居ないというか、“小説家”そのものに憧れた様な人間だったが。

 もしも個人に憧れ、それこそ目の前の先生に憧れてこの業界に入ったとしたらどうだ?

 どうしたって、自らの実績と比べてしまう事だろう。

 どうすればこの人に様になれる? 俺には何が足りない?

 そんな事ばかり、考えてしまうかも知れない。

 この人や、彼の妻の様な存在であれば分かるのだ。

 確かな実績、今も仕事に困っている雰囲気を微塵も見せない。

 まさに周囲が認める“天才”。

 だというのに、パクチーは。


「……俺にどうしろって言うんですか。俺みたいな凡才に、何を偉そうに語れって言うんですか? 俺なんか……全然大した事ないし、先生方やパクチーの様な“芯”の様なモノが無い」


「偉そうに語る必要なんてない、助言をする必要もない。ただ傍に居て、自分の限界を教えてやってほしい」


 しかしソレは、お前には無理だと罵倒を浴びせろと言う事では?

 自分から見ても、俺より才能のあるパクチーに対して。

 偉そうに語れという事では無いのか?

 どうしてそんな真似が出来る? 俺は天才なんて呼べる一部の人間ではないのに。

 むしろ俺の方が、彼女より仕事が少ない程だろう。

 だというのに。


「憧れた相手から、そして愛している相手から言われる言葉というのは……意外と嫌味に感じないモノですよ。あぁそうか、俺はそれくらいで良いのかと。いかに自分が高望みしていたか分かる。周囲からは“妥協”、なんて言われてしまうかも知れませんが。しかし人にはキャパシティがある、限界がある。さらに先を目指すのは、余裕がある時にする事なんです。限界に迫られている時に、更に自らを傷付けることは実力を伸ばす事に繋がらないモノだ」


「それは……経験談ですか?」


「えぇ、ウチの妻は態度も口も悪いですから。俺と同じように」


 それだけ言って、彼は笑うのであった。

 この人にも、そう言う経験があると言う事なのだろう。

 俺からしたら天才に思える様な作家も、挫折と妥協を繰り返して来たのだろうか?

 そして何より彼の愛する人から、そうやって怒られた事があるのだろうか?


「健康第一って事ですかね……」


「その通りです。病院のベッドで寝転がっていても、こういう仕事をしている人間は色々考えますから。だったら、自宅でゆっくり休んだ方が効率的だ」


「ちょっと、パクチーと色々話をしてみようと思います」


「それが良いかと。今後とも、ウチの後輩をよろしくお願い致します……あぁ、それから一つ伝言を頼んでもよろしいですか?」


 綺麗な形で終了しそうだった雰囲気で、彼は頭を上げてからピッと中指を伸ばした。

 いったい何を言うのかと、背筋を伸ばして次の台詞を待っていてみれば。


「他人の作品を全て理解するなど無理だ、いくら読み返そうと全ての思考を読み取るなど不可能。思い上がるな、後輩。そしてお前はそこまで器用な人間じゃない、諦めて自分なりに描け。と」


「し、辛辣……」


「でも事実です。原作者ならそこら辺も意識して書けと言いたい所ですが、アイツは漫画家だ。焼肉先生も、担当してくれた漫画家にそこまで要求しますか?」


「絶対しないっすね……むしろ絵にして頂けるだけでありがたい」


「それが原作者の本音という訳です。コミカライズは作品を預かっている面もありますが、結局は漫画家の作品ですから。それを教えてあげてください」


 それだけ言って、彼は伝票を手に席を立ってしまった。


「では、今日はコレで。あぁそうだ、貴方にも一つ言っておく事があるのを忘れていました」


 横を通り過ぎる際、彼は表情を引き締め俺の肩にポンと手を置いてから。


「貴方は自らを卑下する癖がある様だ。今すぐ、止めた方が良い」


「ハ、ハハ……やっぱ作家は向いてないって事っすかね。中身の無い俺には」


 やっぱり作家を名乗るなら、俺みたいな中身の無い人間は向いていない。

 そう言われているのかと思ってしまい、視線を下げそうになったが。


「違う。“自信が無い、俺なんか”と囀るのを今すぐ止めろと言っている。アイツに良い恰好をしたくて、作家を続けていたのでしょう? それの何が悪い、何故卑屈になる必要がある。貴方の作品は、間違いなく後輩の人生の目標になった。そういう人間を一人でも知っているのなら、誰だって格好をつけるものだ。傍から見てしょうもない理由だったとしても、それで実績を残して来たのなら、立派なモノだ」


「えっと……」


 肩に置かれた手に少しだけ力が入り、彼は厳しい顔を真っすぐ此方に向けて。


「胸を張れ、焼肉先生。貴方は他者から認められた“作家”なんだ。後輩はもちろん、他の者からも評価された立派な小説家だ」


「え?」


「人の芯だ、軸だ、強さだ、そんなもの結果が伴った者が余裕がある時に美談として語れば良い。俺達は、ただ仕事をしている人間に過ぎない。他者に憧れても良いが、自らを貶めるな。それは認めてくれた人々に対して失礼だ。だからこそ、胸を張れ。アンタの“作品”は、俺から見ても“恰好良い”よ」


 それだけ言って、俺の背中をバシッと叩いてから去って行く猫背作家先生。

 一応彼の方が先輩作家ではあるし、圧倒的実力差がある人であるのも間違いないが。

 あの人、いちいち言う事が壮大だな。

 というかまた、年下の先生に奢られてしまった。

 ヤバイ、俺滅茶苦茶恰好悪くないか?

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