第23話 キャパシティー


「パクチー、流石にそろそろ飯にしよう」


「あ、うん。やっと終わったぁ……今原稿送り終ったよぉ」


 そんな事を言いながら、バキバキと体を慣らすパクチー。

 ここの所、彼女は殆ど休まない。

 此方がしつこいくらいに休みを促さないと、食事さえ忘れて仕事をしているのだ。


「まぁとにかく、飯にしよう。炭火が色々作っておいてくれたから」


「うわぁ……滅茶苦茶お世話になってるね私達。そろそろ配信にも顔出さなきゃって思うんだけど、時間がなぁ……」


 なんて事を言いながら一緒にリビングへと移る彼女は若干フラフラしている気がする。

 自分の目指す道が出来た、それはとても良い事だ。

 しかしながら、人の限界は人によって違う。

 だからこそ、全て先輩の様にはいかないと言ってやる必要があるのだが……。


「今回の原作者さん、かなりコミカライズに拘ってるみたいで。すごいよ、資料バンバンくれるの。いやはや、ありがたいねぇ」


 とても緩い笑みを浮かべているパクチー。

 順調に進んでいる、そう考えると他人である俺が口を挟むべきではない。

 この仕事は彼女と相手の問題であって、俺が口を挟む所など一ミリも無い。

 そう思ってしまうと、どうしても言葉に出来なかった。

 これが、彼女の実績に繋がって来るとなると余計に。


「あんまり、無理するなよ?」


「平気平気、むしろ焼肉の方が体調崩さないでね? 今はちょっと看病とか出来ないよ?」


 なんて会話を繰り広げながら、俺達はゆっくりと炭火の作ってくれた夕食を食べる。

 多分昔よりずっと、栄養バランスとかそういうのも良い食事な筈なのに。

 何故だろうか? 仕事が増えて、忙しくなって来た彼女を見ると不安になるのだ。

 これが有名になると言う事、仕事が貰える程の作家になると言う事。

 それは分かっているのだ。

 分かっているが……。


「いやぁ、おいしいねぇ。炭火さんはやっぱり、料理が上手――」


 本当に普段通り、ニコニコとしていたパクチーが。

 目の前で、炬燵に足を突っ込みながら。

 そのまま、パタッと横に倒れた。

 持っていた茶碗をひっくり返しただけ。

 それ以外は、本当に急に眠ってしまったかのように。


「パクチー?」


 呼んでみても、返事がない。

 ただ静かに、彼女は横になったまま動かない。

 その光景に、ゾッと背筋が冷えた気がした。


「パクチー! おいパクチー! きゅ、救急車……えっと……あぁクソ!」


 完全にパニックに陥りながら彼女を揺すり、声を掛けてどうにか目を覚まさせそうとしていれば。


「焼肉先生! パクチー先生!? 何かあったんですか!?」


 最近いつでも侵入してくる炭火が、大声を上げながら此方の部屋に飛び込んで来た。

 勢いよく走り込んできた彼女が、そのままリビングに顔を出せば。


「炭火……パクチーが……」


「倒れたんですか!? 救急車呼びます! あまり動かさないで!」


 その後、炭火の迅速な判断により病院へと送られた俺達。

 何やってんだマジで……俺も確かに、仕事のし過ぎで病院送りになった事はあるが。

 それでも、俺と言う経験者が近くに居たんだろうが。

 だというのに、彼女を止めなかった。

 俺が口を出して良い事じゃないと、そのままにさせてしまった。

 その結果が、コレだ。

 明らかにキャパ越えしていた彼女に気付かず、放置してしまった。

 馬鹿野郎、クソヤロウ。

 結局俺は、いつまで経っても自分の事しか考えていない愚か者って訳だ。

 そんな事を考えながら、待合室で顔を伏せていれば。


「何してんですか、暖房もついてないこんな場所で」


 戻って来たらしい炭火が、俺の頭からブランケット被せてくれた。

 そこではじめて気が付いたが、随分と身体が冷え切っていた様だ。


「過労、以上です。それ以上でも以下でもない、他の病気とかでも無いそうです」


 そう言ってから、彼女は此方に缶コーヒーを差し出して来る。

 有難く受け取ってみれば、ジワリと熱が掌に広がっていく。


「あったかいな……」


「当たり前です、ホットなんですから。むしろ焼肉先生が冷えすぎなんですよ」


 呆れた様な視線を向けられながら、グイッと珈琲を喉に押し込んだ。

 まるで今体の何処を流れているのかが分かる程、熱い液体が体の中へと入り込んで来る。

 そして、ふぅと大きなため息を溢してみれば。


「正直私には分からないです、貴方達が居る場所は。同じクリエイティブな環境に居たとしても、貴方達はしっかりと形を残す。私は、その場その場で言葉を紡ぐだけですから」


 そう言いながら、炭火の方も大きなため息を吐いた。

 彼女は天井を見上げて、まるで独り言の様に呟き始める。


「アイドルやってた時も、すんごい疲れたとか。もう立つのも無理ってくらいに頑張った記憶はあります、でもこうして倒れた記憶はありません。アイドルの方が楽だとか、そういう事を言うつもりはありませんが……本当に大変ですね、作家って。失敗が許されない世界、一つミスすれば全てが駄目になってしまうかも知れない世界。そんな世界で戦っている二人を見ると、私の過去は何だったのかなぁって。そこまで本気でやってたのかなぁって思っちゃったり」


「それは……多分違う」


「分かってます。私達は多くの人に支えられて、二人みたいにギリギリまで無理する様な環境じゃなかった。だからこそ……甘えていたんだと思うんです。環境そのものに、アイドルって存在の自分に。だから、後の事なんて考えずに辞めちゃって、今こうして藻掻いている私が居るんです」


 そう言いながら、彼女は珈琲を口にして再び大きなため息を溢した。

 今何を考えているのかは分からないが、やけにぼうっとした瞳を此方に向けてから。


「誰かが限界まで頑張っている時って、周りからはこう見えるんですね。マネージャーから、ずっと休め休めって言われて、そんな暇ある訳ないだろって思ってましたけど。確かにそれしか言えなくなっちゃう。だって本人が気付いてないんですもん、もう無理だって……身体は悲鳴を上げてるのに。実績だけを求めて、頑張り続けちゃう。そりゃサポートする側は“休め”としか言えませんよね。体は壊して欲しくないけど、本人は今一番頑張り時なんですから」


 ハハッと、乾いた笑みを浮かべながら彼女は声を洩らした。

 これは彼女の記憶であり、経験。

 職業さえも違えば、俺達とは環境が違う。

 でも今の俺には、随分と重くのしかかって来た。


「俺は、そんなに立派なモノじゃない。パクチーが居たから、何とかこの業界に縋りついているだけだ。それに炭火の方が何倍も頑張ってるって思うよ。若い頃からアイドルやってさ、辞めた後でもこうして自分を世界に売り込めるんだから。俺には……自慢できる物なんて何もない」


「そんな事ないです、私から見れば二人共雲の上の人なんですよ? どんな理由であれ、ちゃんと輝いてる、常に戦っている人なんです。だから、自分を責めないで下さい。今回の件は、貴方の責任じゃありません。本当に近くに居たって、気が付けない事はいくらでもあるんですから」


 随分と優しい言葉を貰った瞬間、両目に涙が滲んで来た。

 情けない。

 こんな状況に陥っても、俺は。

 誰かに大丈夫だと言って欲しかったのか?

 お前は悪くないと言って欲しかったのか?

 そう自問自答している内に、気付いた頃には嗚咽が零れていた。


「頑張っちゃう人は、目標を決めたらどこまでも頑張っちゃうモノなんですよ。無理矢理止めようとしても、全然聞かない。だからパクチー先生は限界を超えてしまった。でも貴方だってそうなんですよ? 普段私がどれ程心配しているか知っていますか? 二人揃って、いっつも無理ばっかりするんですから。友人として、言っておきますね? 貴方のせいじゃない、貴方は悪くない。だからこそ、今は休んで下さい。酷い顔色ですよ? パクチー先生には、起きたら私が説教しておきますから」


 そんな事を言われながら、頭に手を置かれた瞬間。

 ズンッと脳みそが重くなった気がした。

 多分自分でも気が付かない内に、かなり気を張っていたのだろう。

 緊張の糸が切れたみたいに、ぐらぐらと揺れ動く視界。


「何か変化があった時は起こしますから、寝ちゃって良いですよ。お疲れ様でした、焼肉先生。心配している側だって、疲れますよね」


 炭火の言葉と共に、完全に意識が遠のき始めた。

 最後に、柔らかい感触が顔の側面に当たった気がしたが……。


「元アイドルの膝枕なんて、普通は体験出来ませんからね?」


 何やらヤバイお言葉が、意識が飛ぶ前に聞えた気がした。

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