第2話:これは胃痛になりそうな予感……

 禍鬼まがつき……古来より、それは人々の悪しき心と共にあった。


 強大な力を有し、人間に害をもたらす。その在りようから、彼らはいつしか妖怪として畏れられるようになった。


 それらを祓う者を、古くから祓人はらいびとという。




 翌朝、雲一つない快晴の下龍華は商店街の方に赴いていた。


 燦燦と輝く陽光は眩しくも暖かく、その下では小鳥達が優雅に泳いでいる。


 時折頬をそっと優しく撫でていく微風は大変心地良い。


 今日のような天候は、正しく絶好のお出かけ日和だと断言できよう。


 龍華の足取りは特に定まっておらず、言うなれば単なる暇つぶしをしているだけにすぎない。


 第三者からすれば、朝から働きもせず自堕落な生活を送る社会不適合者と思うだろう。


 だが、常に黒のスーツに赤のロングジャケットをビシッと着こなす彼をそう思う輩はきっとおるまい。


 凛とした顔立ちに雄々しい佇まいもそこに加われば、もはや言うことはなしだ。


 事実、すれ違う度に男女問わず彼に必ず視線を一度は向けており、特に男性に至ってはほんのりと頬を赤らめる者までいる始末であった。



「――、ふぅ」



 龍華の朝はいつも決まって、馴染みの喫茶店にてコーヒーを飲むところからスタートする。


 モーニングセットがワンコインで食せるのは、朝忙しく常に金欠であるサラリーマンにとっても救いである。


 かく言う彼も常日頃の生活が苦ではないにせよ、余裕がある方だとはお世辞にも言えたものではない――つい最近、無駄遣いをしたばかりだから余計に懐はほんのりと冷たかった。


 こうすることさえも贅沢なのは、言われずとも理解している。


 だが、唯一の楽しみだけは蔑ろにしたくはない。その気持ちも強くあった。


 他はやりくり次第でどうとでもなるし、収入さえあればこの問題も早急に解決する。


 そう言う意味では、ちょうど運よく仕事が舞い込んできたばかりだった。


 成功すれば、少なくとも二カ月は余裕で楽できる。これは仕事が成功するための、いわば自分への投資だ。


 自らにそう言い聞かせながらコーヒーを堪能する龍華だったが、穏やかな彼の顔付きがたった一人の客によっていぶかしげなものへとがらりと変わってしまう。



「――、おはようございます!」



 昨晩、偶然にも出会った女性がにこりと笑った。


 当然ながら、会う約束ことしてたものの具体的な話し合いは何一つしていなかった龍華が、ひどく困惑するのは致し方ないことである。



「……何故、あなたがここにいるんですか?」



 すこぶる本気で狼狽する龍華を他所に、女性は対面の席へとさも平然と座った。



「だって、昨日会ってくれるって約束してくれたじゃないですか」


「……いや、いやいやいやいや。確かにそうですけども! でも、待ち合わせ場所とか時間とか、一切決めてなかったじゃないですか……!」


「それはですねぇ……う~ん、秘密です」


「ひ、秘密って……」


「まぁまぁ、それについては順を追ってお話させていただきますから安心してくださいってば! あ、すいません。私はこのホットコーヒーとサンドイッチ、後はヒレカツサンドをお願いします」



 あっけらかんと答える彼女を、龍華は訝し気に見やることしかできない。


 そして、小柄な体躯のどこに果たしてそれだけの物量が収納されるのか。


 朝から大量の注文には店員も目を丸くして、再度当人に確認をする始末であった。



「……よく、朝からそれだけ食べられますね。ここ、もしかしてはじめて利用される、とかじゃないですよね?」


「朝はよく食べておかないと、お昼まで持たないんですよわたし。それにここのサンドイッチとか大きいから好きなんです」


「あ、そうですか……」


「もしかして……ガツガツ食べる女性はお嫌いですか!?」


「いや、そういうわけではありませんよ。ただ、私自身あまり食べない方なので純粋に驚いているだけです」


「そうなんですね、よかったぁ」



 程なくして運ばれてきた大量の料理が、ずらりと食卓に並んだ。


 その物量は明らかに一人前にあらず。店員はもちろん、各々思い思いにすごしていた他の客さえも、彼女の動向が気になって仕方がなかったらしい。


 ジロジロと盗み見る野次馬たちに意に介すことなく、女性はゆっくりと静かに。だが着実にそれらをぺろりと平らげていく。


 龍華は目前で起きているこの光景について、まるでブラックホールのようである。こう形容してしまうぐらい、女性の食べっぷりは見事という他なかった。


 また彼女自身がかわいく、美味しそうに食べる姿が周囲にも徐々に影響をし始める。



「……周りのお客さんも真似し始めてきましたね。まぁ、それだけおいしそうに食べられれば無理もない、か」


「ん~おいしいなぁ」


「……そろそろ本題に入りましょうか。昨日の夜、スタッフになって働いてくれって言ってましたけど、あれってどういう意味なんですか?」


「――、ッ。そうでしたそうでした。今日は大事なお話をするためにきたんです」


「その前に、口についているソースだけふき取りましょうか……」


「はぅあ! す、すいませんお手数をおかけしてしまって……!」


「大丈夫ですよ、気にしないでください……」


「――、こほん。それじゃあ改めまして、まずは自己紹介から。わたし、実はこういうものです」



 スッと差し出された一枚の名刺を前にした途端、龍華の目がぎょっと丸くなった。


 それが驚愕という感情なのはわざわざ確かめる必要もなく、しかし彼が驚愕するに値する衝撃がたった一枚の紙切れにはあった。



「株式会社ブレード、バーチャルmetube事務所【ヴァルライブ】代表取締役、櫻木みい子……!?」



 咄嗟に声量を抑えた己を、龍華は痛く褒めた。


 単なる一般女性と認識していた相手が、今や大和に住まう者であれば知らない者は一人としていない。


 そう断言してもいいぐらいの知名度と爆発的人気を誇るアイドル事務所の代表取締役なのだから、彼がこうも激しく驚愕するのは無理もない話である。


 未だかつて公にされていない素顔を、ついに陽の目に晒した彼女がここにいると知れば当然大混乱が生じる。


 よって龍華は秘密が必要以上に漏洩しないよう、声量を咄嗟に極限にまで抑えたのであった。



「ふふん、そうです。わたしがあの櫻木みい子です」


「まさか……あなたがあの有名な事務所の社長だったなんて」


「あ、もしかしてウチの子達の配信を見てくれてたりします?」


「えぇ、まぁ。とは言っても、まだまだ新参者に近いですけどね」


「それでも応援してくれていることには変わりませんよ。いつも応援してくれてありがとうございますね」


「いや、そんな俺は……! あ、いえ、私は別に――」



 大物を相手にして取り乱す様子の龍華に、みい子がクスッと忍び笑う。


 これは果たして現実なのだろうか。そんな考えが、ふと龍華の脳裏によぎった。


 何故自分のような人間に、これほどの大物との邂逅が許されたのだろう。


 いくらなんでもありえないだろう。その気持ちが強く根底にあるだけに、現実ではなく白昼夢を見ているのでは、とそんな錯覚が龍華に一抹の不安を抱かせる。


 そこで彼が取った行動はあまりにも古典的すぎるが、効果は絶大だろう。思いっきり己の頬を強く抓った。


 痛みは、しかとあった。じんじんと熱と鈍痛を帯びる頬が、龍華に現実であると知らせる。


 現実だからこそ、龍華は改めて困惑した。



「確かに代表取締役って役職についてますけど、わたしよりも他の子達の方がずっとすごいので。だからそんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ」


「……わかりました。では、改めてお尋ねします。昨日の言葉どおりの意味だったら、それはつまり……俺にヴァルライブのスタッフになれ、ということですか?」


「はい、そのとおりです!」


「……いやいや。それはさすがにちょっと無理があるような気が……」


「あら、それはどうしてですか?」


「どうしてって……生憎と俺は、そっち方面については知識も経験も皆無なんですよ」



 ヴァルライブはVtuber事務所であるので、スタッフとして求められる知識は当然ながら機械系である。


 龍華にはそっちに関する知識はおろか、技術もこれといって対してない。


 趣味程度という意味合いでならば多少はできようが、それを専門とする者と比較すれば正に月とスッポンである。


 咄嗟のアクシデントに対応できないようであれば、スタッフとしてやっていけないのは明白だ。


 だからこそ、みい子のこの誘いに龍華が消極的な反応を示すのも頷ける。


 とは言え、これは千載一遇のチャンスであるのも間違いない。


 ヴァルライブに所属するタレントは皆等しく個性的で魅力がある。そんな彼女らとほんの少しでもお近づきになれる、この点に関してならば逃すべきではない。



「……ヴァルライブの皆さんは応援していますが、それはあくまでもリスナー……ファンだからです。その気持ちのままいっしょに仕事しては彼女達にも迷惑がかかってしまいますから」


「そんなことありませんよ! 龍華さんならきっと大丈夫です! それにちゃんと研修期間も設けますので、いきなりなんでもかんでも一人でやってください、とはなりませんから!」


「う、う~ん……」



 みい子に諦める、という選択肢はないのか消極的な彼に対してぐいぐいと積極的に迫る。


 その勢いに気圧されながら、龍華はいつになく思考を巡らせることとなった。


 人生とは常に選択の連続だ。一つミスを侵せば今後に多大な悪影響を及ぼしかけない。


 だからこそ人は、後悔が残らないよう必死に悩み、悩み抜いて人生を自ら選択していく。



「……俺は――」



 しばしの沈黙の末、龍華はようやく固く閉ざしていた口を静かに開いた。



「……とりあえず、保留という形でよろしいでしょうか?」



 これは安易に即断していい案件ではない。そう判断しての回答である。


 猶予はあまりないだろうが、少なくとも考えるという時間が生じる。


 それがわすか一日であろうと、考えられるのであれば龍華は一切問題なかった。


 対するみい子は納得した面持ちでコーヒーを静かにすすった。



「……わかりました。それじゃあこの一件はひとまず保留という形にしましょうか」


「すいません、こちらのワガママを聞いてもらって……」


「ううん、気にしないでください! では、ひとまず代表取締役としてはここまでにして」


「え?」


「――、ここから先は政府の人間・・・・・として対応させていただきます」



 おっとりとした口調と、愛玩動物のような愛くるしさがみい子にはあった。


 しかし、そう発した直後の彼女の雰囲気はもはや別人の領域に近しい。


 細くなった視線は猛禽類のように冷たくも鋭く、愛嬌のある顔も鉄仮面を被ったかのようだ。


 さっきまでの態度とは打って変わって、冷酷さをも感じさせるみい子に龍華は生唾を飲んだ。



「――、改めまして。わたくしは対魔機関所属のものです。今回、あなたに依頼を送った者でもありますね」


「で、ではあなたが!?」


「えぇ、わたくしがあなたの行動を把握していたのもそういうことです。朝から喫茶店でコーヒーを飲む習慣は、わたくしも同じですので親近感が湧きますね」


「……まさか、政府の人間がアイドル事務所の代表取締役もやっているなんて思っていなかったですよ」


「今の時代は多様性、ってやつですよ――さて、それでは改めて龍華さん。あなたに依頼についてお話させていただきます。もっとも、依頼内容についてはさっきと大差ありませんけどね」


「それは、つまり?」



 おずおずと尋ねる龍華に、みい子がふっと不敵な笑みを浮かべた。


 なんだかとてつもなく嫌な予感しかしないのだが。龍華はひくり、と頬の筋肉を釣りあげた。



「あなたにはこれから【ヴァルライブ】のスタッフとして働いていただきます」


「やっぱりそうなるのか……!」



 龍華は深い溜息を吐くと共に、見慣れた天井を仰いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人助けをしたら大手Vtuber事務所のスタッフとして働くことになりました~個性豊かすぎるタレント達、おかげで胃に穴が空きそうです 龍威ユウ @yaibatosaya7895123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ