Birds of a feather flock together
地図もなしに新入生の私が、入学式会場である大講堂へ迎えるのかと一時は不安だったが、幸いにもそこは医務室のある廊下を少し突っ切った先にあった。
まるで映画館か劇場の類いだろうか、と思わせるような重い両開きの二重扉を開けると、円形に座席が立ち並び、中央に行くにつれて段が低くなっているのが見えた。たしか、政府の議会も大概同じ形状をしていると聞く。中心部で演説をぶっているのは校長だろうか。語りに熱が入っているようで、しきりに大声を上げては、手元のボトルの水を飲むのを繰り返している。400人以上はいる新入生も大半は飽きてきたのか、頬杖をつくか、机に突っ伏しているのが殆どだ。
幸い兵装科が固まっている列は直ぐそこにあった。軽く頭を下げつつ空席に辿り着き、座った。
「なぁ、君」
着席し一息つくなり、左から肩を小突かれる。
「君、教室の扉に激突してった奴だろ? もう一人、小さいのを背負ってた……」
声の方に目をやると、紺色の髪を、前髪は眉の少し上まで揃え、後ろ髪は刈り上げたのと切り揃えたので二層にしている男がいた。横髪は耳にかからない程度に体の良い長さで、襟足は短い。眼球は反射光を受けて鈍く輝く紅。少々吊った目とシャープな鼻筋、儚さを感じる口部に、そこはかとなく気の良さそうな印象を感じた。
「――えぇ、そうだけど……」
「やっぱりそうだ! 一目見たときからなんか違うなーって思ってたんだよ! 君、名前は何て言うんだい?」
「――アテネ。アテネ・ユリウス」
「そうか、僕はポアロ。よろしく!」
骨張った拳が私の目の前に差し出された。この握られた掌の処理に困っていると、紺髪の青年――ポアロは吹き抜ける春風のような笑顔を向けてくる。
「? どうしたんだい?」
「どうしたのって……」
「あぁ、挨拶の仕方が違うのか」
ポアロは一人で勝手に納得すると、骨張った両の手が私の手を強く包み込んだ。
「ひぇっ?!」
素っ頓狂な声を挙げた私の目を、鼻を、口を。一つも漏らすことなどないようくまなく見つめた後、首をこてんと傾けにっこりと微笑んだ。先程の爽やかな笑顔とは違う、艶めかしいといえば艶めかしいような、うっとりと陶酔していると言われればそんな気もするような――とにかく、目の前に映っている顔には別人の片鱗を感じた。
ポアロは一言。
「君とは仲良く出来そうだ」
ここで起きているのが何であるか、私は分かっているはずだ。確かに、ポアロが私の手を握って、撫でるように私に視線を向け、友人協定を結んだ。それらは紛れもない事実。
だが、ポアロが起こした行動に、納得する理由が一つも見つからない。何故手を握った? 何故私を見た? 何故首を傾けて、あんな笑顔を向けた? 『君とは仲良く出来そうだ』というのも、これらがあってはそれ以上の意味を孕んでいるような気がする。
発声なく、口が五月蠅く動く。頭が熱いのに背筋が尋常じゃなく冷たくなる。腕を振り払おうと力をかける度に、ポアロの握力は徐々に強くなってきている。敢無くして、私は密やかに叫んだ。
「はあっ?! アンタ……自分が何してるかわかってる?」
「何って、仲良くしようとしている最中じゃないか」
「仲良くするにも順序があるじゃない! なんで最初から手なんか握って!」
「君のとこの挨拶の作法は、これじゃないのかい?」
「当たり前でしょ! いきなりそうやってする挨拶がどこにあるって言うの?」
「作法なんてどうでもいいだろ? それより、君とは一刻も早く友好を深めておきたい。僕と似通った部分を感じたからね。しかし、君はなんというか……僕に手を握られても何も感じないのか?」
「感じないわよ! さっさと離してよ!」
「俄然興味が湧いたよ、僕に手を握られて頬を赤らめない人がいるなんて。普段はこうすると男女問わず僕を慕ってくれるようになるんだけど、調子が悪いのかな。因むと僕に対して、君と同じ反応をしたのはこれで二人目。男子まで惚れさせるつもりはさらさらないんだが、僕にはどうにも……」
「いい加減にしてよ!」
講堂中に耳障りなハウリングが反響した。
校長は床に落ちたマイクを拾い上げる。そして、苦虫を噛み潰したような顔で咳払いし、ポアロを中央へ呼びつけた。
「もう番が回ってきたか、それじゃまた後で」
そう言うとポアロは席を立ち、そそくさと講堂の段を降りていった。その時にはもう元の性格(ナルシストなのが本来の性格かもしれないが)に戻っており、先程の分別のない雰囲気はすっかり消えてしまっていた。だが、がっしりと握られた右手の感触は焼き印のように残っている。
私は痕の残った手をじっと睨み付け、唇を噛んだ。突然手を握り出すポアロが気色悪いと思ったし、それ以上に、あんな人間の隣に座ってしまった数分前の自分を平手打ちしたいとも思った。
ぶすぶすと燻り始める苛立ちも、壇上に立ち、無味乾燥な社交辞令を垂らすポアロには届かないだろう。
栄えある私の――ライサルト国立士官学校入学式は、私が下劣な奴に絡まれるだけのイベントに終着した。
式典も終わり、教室へいち早く戻ろうとすると、またもや嫌な人間が肩を叩いてきた。
「いやぁ、入学式の首席挨拶なんてつまらないね。校長の話も長かったし――ユリウス君はどうだった?」
「はぁ……そうね、あんな式典には二度と居たくない」
「同感。僕も同じこと考えてた」
アンタの所為だよ! ――と言えたらどれだけよかったか。
初対面だというのにもう呼び捨てだ。しかも名字と君付けで変に距離を推し量っているのが余計に不快だ。どんな風に育てられたら、こんなやらしい人間に育つのだろうという悪態が、もう喉元まで来ている。
「そういやユリウス君、どうして士官学校に入学したんだ? 女子である君が軍隊になんて、何か特別な理由があるのかい?」
「――何でアンタなんかに、私の身の上話をしなきゃならないの」
「単に気になったんだよ。それとも僕が、人の話をべらべら言いふらすとでも思っているのかい?」
「そう思ってるから言わないのよ」
「心外だね。僕は言葉に責任は取るタイプだし、普段から口は重い方だ。賭けてもいい」
どうしても入学理由を聞き出したいらしい。とはいえ、理由を話すのとポアロを引き剥がせる可能性を天秤にかければ、私は断然前者を選ぶ。
「はぁ……昔、軍の凱旋パレードがあったとき、妹が『かっこいい』って何度も言ってて。それで……私もかっこいい、って言われたかった。だから入った」
「うんうん、それでそれで?」
「あと、まぁ、家族にも恩返しがしたかったし」
「うんうん、で、他には?」
「他にって、それだけだけど」
「……は?」
ポアロは信じられないとでも言いたいのか、私から少し後ずさりして物珍しそうに私を眺めた。聞きたいと素振りを見せたのはそっちのくせに。
「本当に――それだけ? 妹にかっこいいって言われたいって、だけ? あと家族の恩返し……」
「そうだけど――何?」
「いや、何でもない……素晴らしいと思うよ、家族を思う気持ち……うん、素晴らしいよ」
何でもないはずがないだろう。視線をばつが悪そうに逸らして、両手を軽く伸ばしている。話しぶりだって、開口していたのが段々嘯くように、ボキャブラリーも後退している。私、言ってることおかしくないよね?
「だけど、君のお祖父さんは……確か……」
「おぉ、アテネ! ここにおったか!」
ポアロは何か言いたそうにしていたが、アミスがポアロの背後から出てきたのに遮られた。私とでもそうだが、ポアロと並ぶと一層背丈の違いが如実に表れてくる。
「アミス! もう頭は大丈夫なの?」
「何だかバカにするような言い草に聞こえるんじゃが……まぁバッチリじゃ!」
そう言って彼女は親指を立てる。ポアロは私にこそっと耳打ちする。
「なぁ、ユリウス君、この小さな子は友達か?」
「アテネ、そこの男は誰じゃ? 妙に馴れ馴れしいが――ハッ!」
アミスは口に手を当てて、何かに気づいたようだ。そして顔をみるみる紅くさせている。
「……もっ、もしかしてアテネ! そこの男とデキているのか?!」
「はぁっ?! なんでそうなるの?」
「アテネがそんな色女じゃったとは……薄々感じ取ってはいたが、よもや入学初日から誑かすとは、なんたる魔性の女……」
「違うって!」
「しかもそいつ、首席のポアロ・ルイヴィッヒじゃないのか?!」
「いかにも、僕が首席のポアロ・ルイヴィッヒだ。ユリウス君とは式の座席が隣だったもので、こうして仲良くさせてもらっているんだ。君も兵装科の新入生だろ?」
横を見ると、先程まで当惑していたのとはうってかわって、アミスを挟んで誇らしげに立っていた。待ってましたと言わんばかりに、アミスの言葉に乗じている。あと、一刻も早く『君』付けはやめて欲しい。人の呼び方で秀才ぶるな、個性出すな。
「別に仲良くないから! もう……アンタ、私はちょっとこの子と話があるから……じゃね!」
アミスを乱暴に抱き上げ、強引にポアロを振り切った。地上30㎝上へ引き上げられたアミスは、まるで親に運ばれるネコ科の動物の様に脱力している。教室ヘ向かう廊下の脇で手を離し詰め寄る。
「ほんとにデキてないから! アイツがただくっ付いてきてるだけ! これからもデキるわけないし、デキる気にもならないし、そもそも私はあんなのタイプでもなんでもない! わかった?」
「わかったわかった……しかし、捨てるにはちと勿体ないと思うがのぉ」
「何でよ! いきなり手を握ってくるようなスキンシップ癖男の、どこが勿体ないって言うの」
「いやー、ワシがアテネの立場なら、あんな男放っておくはずがないのぉ。顔が良いのを抜きにしても、射撃の腕前はぶっちぎりで上手い方じゃし、頭の出来も良い。それに首席の家系は名のある軍人一家だと聞く。世の女子は全部を擲ってでも抱かれたいと思うじゃろうな」
ポアロの長所を指折り数え、「まぁ射撃の腕はワシのほうが上じゃな」と言って高笑いを挙げるアミスを見て、いよいよ私も頭を抱えた。スペックを熟々並べられたとて、私にとってポアロの印象は『気色悪いナルシストなスキンシップ癖男』から揺るがない。アミスの言う通りならきっと、世の女子とやらは、ポアロを額面でしか見ていないのだろう。
「とにかく、私はあんな男とはデキてない!」
「はいはい、わかったわかった」
アミスは茶化すように同意し立ち上がった。プリーツスカートのお尻についた埃をぱっぱと払う。
「じゃがのぅ、アテネ。少々声が大き過ぎたのではないか? 廊下中に響いておったが……まぁ、幸い学校には女子は少ないし……」
「声が大きくなる原因を作ったアミスが言わないの!」
「おっ、何やら楽しそうだねぇ」
芯の詰まっていない軽い口調の声がすると、肩に女性の手が覆い被さってきた。言い合う私とアミスの間に、担任の先生が割って入ってきたようだ。確か……ニコラ先生とか言ってたっけ。500mlペットボトルコーヒーの飲み口を親指から中指にかけての指で摘まみ、戸惑う生徒二人を一瞥すると生暖かい笑顔を見せた。
「別にパートナーを作るなとは言わないけど……入学初日からは頑張りすぎじゃないかなぁ流石に。でもわかるよぉその気持ちは。いくら志願して入学したとはいっても、娯楽も縋る物もなきゃあ壊れちゃうよねぇ。ただぁ、恋人でその寂しさを埋めるのは反動がきついとは思うけどねぇ」
「恋人なんか作ってないです!」
「いやいやぁ、隠さないでいいよ。だけど、すごいねぇ尊敬するよ。このご時世、いつパートナーを失うかわからないでしょう? 私なんかそれが怖くて、お酒とタバコとカフェインにもたれかかってばっかで……うっうっ」
よよよと顔を伏せる担任教諭。私の肩をしっとりと湿らせてくる。悉く厄介な人と関係が深まるものだ。アミスは多少愛嬌があるからまだ許せるものの、担任は歳の差も相まって、ただただダル絡みしてくる残念な教師としか思えない。ポアロに至っては……いや、もう考えたくもない。
「応援してるよ。私の分まで青春を謳歌してくれ……」
「いや、先生。何でもないですから……」
「――ニコラ先生。そこで何を」
次は何だ、と声のする方へ圧のある視線をやると、身長の高い成人男性が、私の横で咽ぶ先生に冷ややかな顔を向けていた。士官学校入学から約一時間で、私は若干の男性不信に陥っており、心底絶望に打ちひしがれたというように膝をついた。
「――何なんですか! 何で私の周りには変な人しか寄りつかないんですか!」
「へ、変な人だと?!」
「まぁ私は変人の自信があるけどねぇ、はっきり言ってくれる人少なくてさ」
「……それって、ワシも入ってるのか?」
アミスがこそっと耳打ちする。うるさいもう黙ってほしい。
「いや、何があったのか知らんが……ニコラ先生、もう次の予定が立て込んでいます。HRも済んでいないようですし――何より、生徒に絡む癖は控えてください。どうせシラフなんですから、しっかり自制をですね……」
「だってねぇファラデー、この子が恋愛事情で苦しんでいると言うんだよ。生徒の苦しみを取っ払うのは教師の役目だし、私みたいな腫れ物の準アラサーには恋のできる人間が羨ましいんだよぉ。私だって、学生時代がもう少し長ければ――」
「泣き言を言うのはやめてください。 お前らも早く席に戻れ。……あと、そこの生徒。知っているとは思うが、士官学校は恋愛を禁じている。今のうちに踏ん切りを付けておくことだな」
「違いますからぁ!」
私が吠えたのもファラデー先生には届かず、私達に縋り付いているニコラ先生を引き剥がして教室へ引きずっていってしまった。廊下には私とアテネ以外誰も居ない。ましてや入学初日からあられもない誤解を吹っかけられ、悲痛な声を挙げる生徒などはなおさらだ。
アミスは私に対して何かフォローの言葉を投げかけるでもなく――かといってさらに茶化すようなマネはせずに私の手を引いた。瞼を滲ませた私はアミスにされるがまま、彼女の行く先へ着いていった。
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