I won't let you down

 私が居候していたグラウクス家があるタスカ市から、最寄り駅のあるヴァーノの街へは十分もかからなかった。出発の時間をエイレイが勘違いしていたお陰で、まだ時間が余っている(エイレイは申し訳なかったのか、それともミスをして恥ずかしかったのか、車を出てからというものお母さんから離れなかった)。


 ヴァーノの街の駅・アスガルドは通勤ラッシュのピークを過ぎたお陰か空いている。

 ここから私は2時間かけて、私が入学する学校――キレーネ市に位置するライサルト国立士官学校ヘ向かう。お母さんは「この電車、時間かかるし揺れるしでいやになっちゃうわね」と頭をポリポリ掻きながら言っていた。いつかの時期に、本当に悩まされたのだろう。声色は、お父さんの部屋の掃除をするときに零す愚痴と同じだった。


 アスガルド駅の外れには、小高い丘を舗装して出来た展望台付公園がある。小ぶりで高さもあまりない丘だが、景色がいいので小さな頃からお気に入りの場所だ。見納めにと思って展望台へ向かうと、お父さんが転落防止柵にもたれかかっているのを見た。

 私は横に並ぶ。


「やっぱり、緊張するか」


 お父さんは空を見上げ、独り言のように呟いた。


「まぁね。でも、怖くはないよ。電車に乗っても、まだ2時間あるし」

「……そうか」

「お父さんも、寂しいとか思うんだ」

「おい、俺を何だと思ってるんだ……」

「一時期単身赴任してたじゃん。その時、連絡も何もよこさなかったらしいけど? それで、お父さんは寂しさ感じない体質なのかなーって」

「いや、きちんと寂しかったよ。電話ぐらいさせてくれって、会社に何度頼み込んだか……」

「あぁはいはい、もうわかったよ」

「今だってとても寂しい。でも、誇らしくもある。アテネはタスカで唯一の士官学校生じゃないか。それに、軍の最前線を務める兵装科の学生なんだ。寂しがるのは、アテネを笑顔で送り出してからにするよ」

「……へぇ、お父さんがそんなキザなこと言うなんて――」


 私が視線をお父さんの方へやると、お父さんは今にも溢れ出しそうな感情をせき止めているところだった。大粒の涙を目頭に溜めながら、父親の体裁は保とうと、真っ直ぐ上を向き続けていた。それが妙に可笑しくて、私はお父さんと同じように空を仰いだ。

 空に広がる快晴。空中都市を支えるタービンが威勢よく回る音がする。近年の状勢により、この浮島は海抜7000mまで地面が引き上げられたらしい。昔より近くなった大空を仰いで、八年の歳月へ思いを馳せる。



 

 記憶が曖昧なのだが、軍へ就いた両親の代わりに、私の世話をしてくれていたというお爺ちゃんの訃報を聞かされ、親戚のグラウクス家に引き取られたのが十歳のときだ。あの頃の私は、お爺ちゃんに預けられてからグラウクス家の養子になるまでの期間の記憶がぼやけてしまっているのに耐えられず、いろいろと迷惑を掛けていた。新しい両親も苦労したことだろう。その上、グラウクス家は空中都市での慣れない生活、イヤイヤ期真っ只中のエイレイの子育てをしていたと考えると、二人には頭が上がらない。

 二人がいつも親身に向き合ってくれたお陰で、私もエイレイものびのび育つことが出来た。

 ……まぁ、私がこんなマイペースに育ってしまったのも、間違いなく二人のお陰だろう。


 大きな買い物の度に出向いてきた、ヴァーノの街並みを見回す。噴水のある公園、ノスタルジーを感じる駄菓子屋、大通り沿いの映画館。

 私を形成してきたこの街も、少なくとも夏の長期休みまでは戻れないだろう。

 こうやって家族と暮らすのも、当分お預けになる。

 解ってはいたが、いざ離れるとなると心苦しい。出来ることならまだ家族みんなと一緒に居たかった。

 目頭がきゅっと熱くなる。

 


「あら、この公園、まだ残ってたのね」


 お母さんの声だ。振り返るとエイレイもそこに居た。駅に来たときから変わらず、エイレイはお母さんの服の裾を掴んでいた。どうしたのかな、と思って寄ってみても、エイレイはお母さんを盾にして顔を見せようとしない。


「早く行きなよ、お姉ちゃん」

 

 エイレイはそう言い放った。いつもと同じ、心配が混ざった、呆れるような口調だった。

 別れの前の言葉にしては淡泊すぎるような気がして、お姉ちゃんとしては心が痛んだが、逆にそれが私の背中を押してくれた。


「……そうだよね。ぐずぐずしてちゃいけないよね。ありがとう、エイレイ……」


 ふと見えたエイレイの顔は、涙でずぶ濡れて、顔をぐちゃぐちゃに歪めて泣き声を漏らしていた。



「エイレイ……」

「……泣いてないし」

「……」

「泣いてないし!」


 直後にずずっ、と鼻をすする音がした。

 私はエイレイに寄りかかってしゃがみ込み、上下から挟むように手を握った。

 

「エイレイ。これから一生会えなくなる訳じゃないんだしさ、そんなに泣かなくても……」

「だって、そんなのわかんないじゃん! 夏も帰って来られないなんて噂いっぱい聞くし、ただでさえ危ない学校なのに……男子校みたいな所にお姉ちゃんが行くの心配だし、しかも寮で暮らさないといけないみたいだし、それに、それに――」


 エイレイが言葉を紡ぐ度に、雫が頬を伝ってアスファルトに落ちる。

 ここまで私のことで思い詰めていたということを、私は初めて聞いた。こうさせてしまったのも、エイレイに甘えっぱなしで、妹らしい妹をさせてやれなかった私の責任だろう。


「大丈夫だよ、エイレイ。絶対夏期休暇になったら帰ってくるよ。お姉ちゃん、こう見えても約束を破ったことは一度もないんだ。ほら、おいで」


 私が手を広げると、エイレイは倒れ込むように抱きついてきた。エイレイは私の胸に顔を埋めて甘えてくる。


「約束だよ、お姉ちゃん」

「うん、約束。帰ってきたら、また映画見たり、お菓子を作ったりしようね」

 

 列車のブレーキ音が聞こえる。名残惜しいが、もう行かないといけない。

 エイレイと私は再び抱きしめ合って、両親にもしばしの別れを告げた。

 改札を通り、特急の最前車両に乗りこんだ。


 息つく暇もなく、列車は発車してしまった。

 窓越しに名残惜しそうに手を小さく振る両親と、顔を拭いながら大きく手を振るエイレイが映った。

 私も思わず手を振り返した。


「次はスキャーバ、スキャーバ――」


 列車のアナウンスが車内に反響する。

 

 

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