序章:育児の際はほんの少しでも目を離すと、とんでもない目に合うという一つの例・上


「まんま!」

「はーい、ご飯だよね。ちょっと待ってね~」


 昼下がり。散歩から帰るや否や、靴を脱がせた息子が諸手を上げて訴えて来たので、帰宅後の一息をつく間もなく「うきゃきゃ!」とはしゃぐ声を上げて廊下を走りリビングへと駆けていく我が子の背を見送りながら、僕は脱いだ上着を椅子に引っ掛けてキッチンへと向かった。


「えーと、今日のお昼は……野菜炒めを解凍して……その間におにぎりを作ればいいんだっけか」


 手元のタブレットを見下ろしながら、今日の昼食メニューを確認。冷凍庫からタッパーを取り出して、中から仕分けして冷凍保存されている野菜炒めを一つ取り出し、お皿に乗せて電子レンジに放り込む。

 解凍作業が進む間に炊飯器から炊いた米を取り出し、赤ちゃん用おにぎりを作るためにT字型おにぎりメーカーへ米を押し込んで蓋を閉めたら思い切り腕を振る。おにぎりメーカーの中で米が転がるのを感じ取り、適当なタイミングで蓋を外して中身を皿の上に。一口大のボール状になったおにぎりが出来上がる頃には、電子レンジから解凍を終えたアラームが鳴ったので、いそいそこちらも取り出して皿の上に盛り付けた。湯気の立つ野菜炒めに鋏を入れて細かく刻み、更に熱が引くのを待つ間に、自分の分の食事を準備する。

 我が子と同じものを食べるようになって数か月。妻が休みの日に頑張って用意してくれている調理済みの食事を用意するのにさえ四苦八苦する自分の至らなさに情けないなぁと軽い自己嫌悪を抱きながら、どうにかテーブルの上に子供の分と自分の分を並べ終えた僕は、さあ一緒に食事にしようと我が子の下へ。


「お待たせ、ツヅリ。お昼だよ~」


 と、リビングにいる息子へと声をかけた……のだが、返事はなし。

 おや? と首を傾げながらリビングを見回すが、いるはずの息子の姿は何処にもなかった。別の部屋に行ったのだろうか? そう思って他の部屋を覗いてみるが、我が子の姿は何処にもない。


「これは……もしかして?」


 見逃した、ということはないだろう。あれでやんちゃで元気な我が子である。寝ていないのであれば、常にどこかで楽しそうに声上げているのだ。

 そんな息子の姿が、何処にもない。


 僕の中で、嫌な予感が膨れ上がる。


 そしてその予感は当たりです、と言わんばかりに、ポケットの中のスマホから一通の通知音が鳴った。慌ててスマホを取り出せば、画面には画像共有アプリから「新しい画像が追加されました」とポップアップされている。


「うわああぁ……」


 スマホに表示された新しい写真を見た瞬間、僕は顔を覆ってその場に蹲ってしまう。


「またか……またですか!」


 油断した油断した油断した。

 つい三日前にもおんなじことがあったばかりだから、今週はもうないだろうと希望的観測をしていたさっきまでの僕の馬鹿野郎。

 ああも、なんてこったこんちくしょー。

 そんな悪態を心の中で零し――


「――てる場合じゃないんだよな、くそったれめ!」


 自分の迂闊さに延々と腹を立てながら、僕はリビングに駆け込むや否や椅子に引っ掛けていた上着を引っ掴み、ついでに壁に吊り下げている一本の短剣を壁ごとはぎ取る勢いで掴み取った。

 リビングを見渡す。

 最後に我が子の姿があった辺りを目視する――ほら、あった。

 僕は視界に捉えた痕跡を追って、腕を振る。

 


「――開闢ひらけ、〈渡世〉」



 何もないように見える空間を手にした短剣で袈裟に切り裂き――そこにできた空間の裂け目目掛けて、なんの迷いもなく飛び込んだ。

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